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勅使河原華蓮の編集後記  作者: 成希奎寧
麗爛新聞 四月号
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麗爛新聞 四月号 三面 

―― 一年半前 椿縄学園


「……はぁ……はぁ……」


がやがやとざわめく喧噪の中で、疲労の込められた息を吐く。肩を上下させ、収まらない心拍を整えようとした。


今日は校外にも開放された学園祭の当日。準備に多大な時間を掛けているとは言え、学生が開く催しとは思えない完成度を誇っている。この椿縄の伝統行事の一つで、盛大なイベントだ。


あちらこちらで模擬店の勧誘の声が響き、楽しむ来客の笑声が上がる。終わりまで気は抜けないが、途中までの経過は良好だろう。学園祭実行委員の腕章を引き上げ、俺――絹糸勇士は、大きく息を吐いた。


額の汗を拭い、まだ慣れない眼鏡を指で押し上げる。


事の発端は昼過ぎに入った、ある女子生徒からの問い合わせだった。


『見慣れない女の人を追いかけ回す男子が居たんですけど、あれは催しの一つですか?』


実行委員長を交えて詳細を尋ねると、その渦中の人物達が来客にぶつかっている様子が見えたらしい。もし催しだとしても危険ではないか、と言う旨の話だった。


実行委員長はイレギュラーな事態だと確認し、その問題の早期解決を指示した。そして俺達実行委員の面々が、その騒ぎの発生源を探す事になったのだ。


つい先日までの準備期間でも忙しく駆けまわっていたが、開催当日ですらも例外ではないらしい。生徒会に属しているからと無理矢理実行委員をやらされたが、とんだ貧乏くじを引いたモノだ。


込み上げる愚痴を喉元で抑え、飲み込んだ。こうして賑やかに祭りが行われて、楽しんでいる人達が大勢居る。運営側としてその空気に水を差してはいけないと、大人な気持ちで務めを果たす事にした。



そうは言ったものの、こうして学校内を走り回っていても、危険を孕む喧噪は見つけられていない。探索開始からそれなりに時間が経っているが、手がかりを未だ掴めずに居た。


道行く生徒や模擬店の受付に確認すると、確かに問い合わせ通りの様子が目撃されている。ただ対象が動き回っているのが厄介で、詳しい場所が判明しないのだ。


俺達に出来るのは、こうして目撃証言のあった場所を虱潰しにして行く事だけ。自分の無力さと、左腕の腕章の重みを相互に感じながら肩を落とした。


『絹糸君、聞こえますか。絹糸君、応答して下さい』


上着のポケットに入れていた無線機から音が聞こえた。PTTボタンを押しながら無線機を口に近付け応答する。


「絹糸です。どうしました、会長」


『今は生徒会長よりも従える人数が多い実行委員長です。それより、進捗はいかがですか?』


無線機の向う側に居るのは、椿縄学園生徒会長 兼 学園祭実行委員長。どう報告すべきか一瞬迷い、ありのままを伝える事にした。


「すみません。情報が錯綜していて、未だに接触出来ていません」


『そうですか。他の子達も似た状況ですが、幸い二次的な被害は起こっていない様です。焦らず、つぶさに捜索して下さい』


「わかりました」


その応答を聞いて、会長との交信が途絶える。無線機をしまい、俺は腕章の重みを引きずる様に、手を掛けながらまた走り出した。




「ま、待ってくれって!!」


「だから無理なんですってー!!」


校舎裏にある、駐輪場と駐車場を結ぶ長い通路を歩いていた時の事だった。学園祭の空気が伝える賑やかな音が遠くに聞こえる中、切れる吐息が混じった声を耳にする。


「……今の声、まさか」


足を止め、耳を澄ませた時点で、十中八九当たりではないかと感じていた。明らかに祭りの催しとは異なる場所から聞こえた、揉める様な話し声。状況的にもドンピシャだった。


声がした方向は、駐車場の方角。普段から人気が少なく、生徒があまり立ち入らない場所。椿縄の生徒ならば、人から逃げるには向かない場所だと分かっているだろうが、来客であれば知らなくても無理は無い情報だ。


問い合わせた女子生徒も見慣れない女性と言っていた。追いかけられているのは学園祭に遊びに来て下さったお客様だろう。


だとすれば、これ以上長引かせるワケにもいかない。問い合わせが来た時点からも、かなりの時間が経っている。


生徒会の役員として……いや、学園祭実行委員として、やらねばいけない事がある。


俺は何故か、与えられた使命感に燃えていた。




「はぁ……はぁ……」


俺が駐車場に辿り着くと、フリルをふんだんに使用した服に身を包んだ人影が地面にへたり込んでいた。その周囲を囲う様に、椿縄の制服を来た男子生徒三人が立っている。


「や、やっと止まってくれましたね……さて、改めて告白させて下さい。貴方の事が……」


「待て! 一番最初に目を付けていたのは僕だ、僕がもう一度想いを伝える権利があると言えるね!」


「その女はおいらが嫁に貰うんだ。お前らみたいなイモ臭い男は似合わんぜ」


「「お前に言われたくないですよ!」ねえよ!」


がやがやと騒ぎ立てる、長身、小柄、肩幅とそれぞれに外見的特徴を持った男子生徒達。俺は座り込んで息を切らしている少女に駆け寄り、喧騒の間に割って入った。


「学園祭実行委員だ。お前達、一体なんでこの人を追いかけ回しているんだ?」


漏れ聞こえていた会話の内容から、なんとなくは察している。しかし報告書を製作する必要がある案件かもしれない。正確な情報を聞いておくべきだろう。


「……はぁ……」


背後から聞こえた、疲労がたっぷりとこもった吐息。そこには何故か、憂いが混じっていた様に感じたのは、気のせいではなかったのかもしれなかった。




「なんでも何も……私は、この女性に好意を伝えようとしていただけですよ。一度告白をした時、思わぬ邪魔が入ったモノで。例え実行委員でも、その想いを抑止する事など、出来ないと思いますが」


「他人に迷惑がかからない範囲ならな。この一件は、問題行動として充分に制止に値すると委員長も判断されている」


長身の生徒が汗を弾きながら髪を掻きあげて言う屁理屈をばっさりと切り捨てる。


「そこのキザったらしい先輩が、僕のアズサを奪おうとしたんだ……だから、僕もアズサに……頑張って告白して……」


「ぶふっ。憧れのゲームキャラに似てるとかなんとかいっちょった輩が、何をほざいとる。そこののっぽもがきんちょも、おいらの嫁とは釣り合わんぜ。ばってん、おいらが求婚したんじゃ」


小柄な生徒が早口に語れば、肩幅の広い生徒が適当な方言で語り出す。ここまで連携が取れているなら、逆に仲が良いのでは、と思わなくもない。


ふん、と鼻を鳴らして、長身の男が雅に――本人はそのつもりらしい。俺にはどうも貧乏くさく見えるが――口を開いた。


「とまあ、実行委員の貴方もなかなか頭が切れそうな見た目をしているから分かったでしょうが……そこのちんちくりん二人が、私と彼女の愛の語らいを邪魔して来たのですよ」


「ふ、ふざけるな! 僕のアズサは、お前が言い寄ったのを嫌がって逃げたんじゃないか!」


「いんや、お前さん方のイモ臭さに耐えられなかっただけとよ」


「「だからお前に言われたくないですよ!」ねえよ!」


やっぱり仲がいいんじゃないか。そうは口にせず、俺は力無く溜め息を吐いた。



「どちらにせよ、女の子を長時間追いかけ回すだなんて、非常識にも程がある。幾ら魅力的に感じる部分があったとは言え、迷惑をかけてどうするんだ」


このまま言い争わせていては埒が明かないと考えた俺は、咳払い混じりにこう言った。


「……っ」


その時、俺の背後から息を呑む様な音が聞こえた気がする。何か気に障る様な事を言ってしまったのだろうか、そう考える俺を糾弾する様に長身の生徒が食い下がる。


「ひ、非常識とは無礼な! これはれっきとした紳士の求愛ですよ!?」


「そうかもしれないが、ここは学校で、今は学園祭の真っ最中なんだ。周りに目を向け、配慮をするのが紳士と言うモノじゃないか?」


しがない仕立て屋の親父からの受け売りだが、彼を黙らせるには十分だったようだ。長身の生徒は見るからにたじろぎ、冷や汗を拭う。


「……た、確かに……」


「で、でもアズサは……手を取って走ってくれる様な積極的な人が好きだって……」


おずおずと物申す小柄な生徒を諭す様に、しかし事実をはっきりと伝える。


「いや、例えこの子がアズサってキャラに似ていたとしても、本人がそのキャラの事を知らなかったらどうしようもないだろ。それに、積極的だから追いかけ回すのも違うと思う」


「うぐっ……」


「ぶふっ、本当にイモ臭い奴らだべ。底が浅いから女の子に逃げられるんだど」


「イモ臭いのが誰かはさておき……奥深い人間は、人の批判を軽く口にしない」


「……しゃらくさいのお」


方言が安定しない生徒を黙らせ、三人の意識を等しくこちらに集中させた。これで少しは盲目的な考えを抑えられると良いのだが……。




「取りあえず、あんた方三人がこちらの人に思いを伝えた所までは理解した。そこまでは、特に問題は無いと思う。周囲の状況よりも優先したんだ、思いの強さを考えればおかしい事は何も無い」


話を区切る様に、俺はわざとらしく腕を組む。ここからが問題だ、と話題をスムーズに切り替える為に。


男子生徒三人は揃って頷く。肯定的な反応が功を奏した様で、随分と素直に話を聞いてくれそうだ。


「だが、何故彼女はここまで逃げて来たのか。それだけ聞かせて欲しい」


「「「……」」」


「……はあ」


そして示し合わせたかの様に、三人は黙りこくってしまった。大方予想していた通りとは言え、俺は込み上げる溜め息を堪える事が出来なかった。


これ以上時間を割くのも良くない。あまり良い手ではないが、後ろを振り返りながら屈んで、座り込むゴスロリ少女に顔を近付けた。


「すみません、何故貴方は……彼らから逃げたんですか?」


少女は俯きながら、呟く様に小さな声を発する。俺が男子達と話している間に、呼吸は整えられた様で、少し安心した。


「……一度、お断りしたんです。周囲の人達から、注目を浴びるのも嫌でしたし。でも、その……」


少女はそれっきり口を閉ざしてしまった。証言と言うには物足りないが、再度振り返った時に見えた男子達のバツの悪そうな顔で、なんとなく察した。




「……あんたら、一回振られたのに食い下がったのか」


少女は濁したが、恐らくかなり執拗だったのだろう。それに堪えかねて、背後の少女は逃げ出したのかもしれない。


「そ、それはそうですが……私も、一度や二度で諦めるワケにも行かず……」


「ぼ、僕だってアズサが他の男とデキるなんて見逃せなかったし……」


「おいらはべっぴんな嫁が欲しかったから、なんとなくだぞ」


三者三様の言い訳(一人は本当にどうしようもない理由だった)を聞きながら、俺は項垂れた。


きっとこの問題は、俺が百点満点の立ち回りを成し得たとしても、解決する事はないだろう。そもそも俺の役目はこの騒動を止める事なのだ、彼らの恋愛情事に付き合う必要もまるで無い。


しかし、ストーカー予備軍を放置するのも気が引ける。なんとか後腐れの残らない様に解決したい所だが。


その為には、彼女の力が必要になる。ただ、黙り込んだ彼女がきっぱりと振らず、逃亡を選んだのは何か理由があるのかもしれない。と言うよりも、その線が最も濃厚だ。


だとすれば、きっと酷な事を強いてしまう。


他に方法は無いか。足りない頭を絞りながら、遠くから聞こえる学園祭の喧騒に耳を傾ける。


実行委員として、このイベントを成功で終わらせたいんだ。そんな焦りが、俺の靴音になって音を立てていた。




「…………わかりました」


背後から、衣が擦れる音と震えている――けれども、覚悟を決めた声が聞こえた。


何かを堪えているのだろう。俺の制服の背中を摘まみ、支えを欲した少女の手は微かに震えている。


俺はその行為に振り返る事が出来ず、ただ、拳を強く握って、少しでも彼女の恐れを和らげる様に、足に力を込めるだけだった。


「……まず、紳士的な貴方」


「は、はい!」


少女の言葉に、長身の生徒が反応する。


「素敵な告白、ありがとうございました。でも……私は貴方に背伸びをして添い遂げられる程、強くありません。貴方にはもっと……素敵な人が必ず出来ると思います。貴方の輝きは、私には少し、眩し過ぎます」


少女が放つのは、称賛一色。しかし、強い拒絶を併せ持つ――別れの言葉そのものだった。


「……美し過ぎるのも、また一つの罪、ですか。確かに……私と貴女は、釣り合わないかもしれませんね。きっと――逆の意味で、ですが。では、ごきげんよう」


拒絶の気配を感じ取った長身の生徒が、食い下がる事無くその場を後にする。その姿は潔く、等身大の彼の姿の様に見えた。



「えっと……私をアズサと、呼んでくれる貴方」


「……はい」


淡々と。けれども丁寧に、想いの一つずつに向き合う少女の声が、次の犠牲者を指名した。


「あの先輩が私の手を取った時……すぐに来てくれましたね。少し戸惑ったけど、すっごく温かな気持ちを感じました。でもきっと――その想いは、私なんかよりも、受け取らないといけない人が居るんだと思います。だから……その人を、大切にしてあげて欲しいです」


少女が放つのは、温情一色。しかし、正し過ぎるそれは、夢を見ていた少年を叩き起こす――幻滅の言葉そのものだった。


「……わかった。確かによく見ると……アズサとあんまり似てないし、もうこれで引き上げるよ。君はアズサよりずっと……奥ゆかしくて、温かすぎるからね。僕には、ちょっと早いや」


小柄な生徒は現実を受け入れて、踵を返す。夢から覚めさせる事は、とても残酷なのかもしれない。


けれど、本当にその人の事を考えるならばこその導きなのだ。彼女がその想いにきちんと向き合ったから、彼は夢から覚める事が出来たのだろう。


優しさの残酷さと温かさを、改めて知った気がした。



「……方言が素敵な方」


「おうよ。あの二人を振ったって事は、おいらを選んでくれたって事だべな?」


爛々と目を輝かせる肩幅の広い生徒。背中を摘まむ手に、少し力がこもった気がした。


「……いいえ。私は、貴方と添い遂げる事は出来ません」


「な、なんでだ!? おいらはさっきまでおったあげな二人よりもイモ臭くなかと、あんたをば嫁にすっとこぴったしよ!?」


予想だにしなかった拒絶の言葉に、元々無茶苦茶だった方言が更に入り乱れている。最早何を言っているのか、傍から聞いたらわからないのではないか。


「きっと、貴方の愛は大き過ぎて、私から溢れてしまうと思います。その色々な特徴を兼ね備えた言葉から、貴方の女性への想いが伝わって来ますから」


少女が放つのは、受容一色。しかし、理解しているからこそ告げる想いは――不合の言葉そのものだった。


「む、むう……!! おみゃあ、こいがわかるんとね……!!」


俺は顔や仕草に出さず、驚愕と疑念を抱く。少女はこのイモ……いや、肩幅の広い生徒が全国津々浦々で女を口説いて来た事を察知していたと言うのか。と言うよりも、学生風情が全国で一体何をしているのだ。


「でも私、意外と独占欲が強くて。きっと、貴方に言い寄る女性が居たら、嫉妬してしまうと思います。だから……貴方の大きな愛を受け入れてくれる様な、素敵な人の方が貴方の隣に相応しいと思うんです。私に束の間の夢を見せてくれて、ありがとう」


「……降参だあ。あんたは今までおうたどの娘っ子よりもこわいっちゃ。おいらは、もちっとふわっとすたあたらしゅう嫁さんば探しに行くとすっよ――嬢ちゃん、ありがとよ」


数々の方言を語れるのならば、標準語も話せたのだろう。方言で言い寄るのは、彼なりの矜持なのだろうか。


そんな独特な愛の語らいを知る少年にさよならの音色を響かせて、彼女は広い肩幅を持つ背を見送った。





三人の姿が完全に見えなくなって、背中に感じていた手の感触が無くなった。離すと言うよりも、腕が力無く垂れ下がった様な――脱力を感じ取った。


こんな辺鄙な所に逃げてまで、避けたハズの運命との邂逅を終えて。彼女は疲れ切ってしまったのだろうか。


「……すみません。結局、俺が来た意味がなかっ……」


振り返った俺の目に飛び込んで来たのは、整った顔立ちにかわいらしさを備えた完璧な美貌――に滴る、大粒の雫の筋だった。


「……痛い……」


鼻をすんすんと鳴らして、身体を抱く様に自らの腕を握りしめる。


「えっと……」


どこか、ケガでも。そんな無粋な言葉を続ける事なんて、俺には出来なかった。


「なんでこんなに……心が痛いの……?」


悲痛な叫びが、涙を伴って溢れ出す。




想いを受け止めた代償が今になって、彼女の華奢な身体を這いまわっているのだろうか。


一度彼らの告白に断りを入れた時に、味わっただろう心の痛み。


それをもう一度味わうのが嫌で、ここまで逃げて来たと言うのに。


「なんでちゃんと向き合ったのに……こんなに……!!」


今まで生きて来て、たくさんの仕事を押し付けられていたと思う。その中で、あまり良くない頭で――でも、一生懸命に色々な事を学んでいたハズだ。


親父の言い付けだって守って、服飾の勉強もした。生徒会に入って、校則を守り、守らせる為に奔走だってしたいた。


けれど――彼女の痛みを和らげる方法を、俺は知らなかった。これ程に無力を痛感した事は、一度も無い。


だからこそ、思えた事なのかもしれない。


そして、ここで足踏みをしたくもない。今までやって来た事が、例え全て無駄だったとしても……俺は、そこで終わりたくない……!!


俺の中で、築き上げてきた……無意味で――大切な何かが……崩れ去った気がした。


この子の涙を止めたい。そんな願いを叶える為には、真面目な自分なんて邪魔なだけだ。


俺は、自分をかなぐり捨てて――。






「……んむっ!??!?!」






悲哀を紡ぐ花びらに、自分の唇を押し付けた。




悪いのは君じゃない。


そんな、俺が背負うべき深過ぎる業と一緒に。


その痛みを忘れられる様に、より強い感情を呼び起こすんだ。


憤怒でも、憎悪でも、なんでもいい。




例え新たに抱いたそれが――愛情だとしても。



悪いのは、君の目の前に居る男――絹糸勇士で。


全部、罪をなすりつけてくれて、構わない。


俺が今、君の涙を晴らす為に出来そうな事は、これぐらいなのだから。





――現在 喫茶 まほろば


「えっ……キス、したの? 精神的に追い詰められてた女の子に? 何の前振りも無く?」


カフェラテがすっかり温くなった頃。絹糸勇士は過去の振り返りから今へと、静かに戻った。


花前佐奈は呆然と、けれども何かが腑に落ちた様な口調で零す。


「……まあ、俺も若かったですから」


「いや、一年半前って言ったばかりじゃない」


「学生の一年は、それはそれは長く感じるモノで」


かつて真面目だった――いや、今でもそれは捨て切る事が出来ていないのかもしれない――少年はいつもと同じように、あくまで軽薄に語った。


まるで業を負わせた相手の罪悪感を、少しでも和らげてあげようとする為に。


人を好きだと言う事が、どれだけ尊くて、けれども簡単で、どんなにありふれているかを、身を持って伝えようとしているようだった。


「……大したモンだ、ホント」


少女は、少年の思い切りの良さに感服している。彼はその場その場に適応出来る様に、常にアンテナを張り巡らせて日々を過ごして居るのかもしれない。


そして、それが如何に大変かと言う事にすら気付かない程、強い心の持ち主なのだ。


花前佐奈はピッチャーから冷水を注ぎ、一気に飲み干す。面白い人材を見付けた歓喜を隠せない頬を引き締めた。


からかっていると、彼に勘違いをさせない為に。





少女は店員を呼び、余る肴に美酒を追加で注文する。気が利くのか利かないのかは不明だが、全く同じモノをもう一度。まるで時計の針が、逆戻りをしているかの様に。


「……それから、君はどうしたんだい? まさかキスをして、はい終わり、って事は無いだろう?」


少女はそう聞いておきながら、まだ話を終わらせるつもりではない事を暗に示していた。弾みのある口調から、楽しみを隠し切れない少女が目を細めて言う。


長い追憶を経た様に思えても、まだ外は黄昏時だ。より一層、回想の深みが増して行く。少年はその気怠い空気に呑まれ、抗う事を止めた。


「全部、あの瞬間から始まったんだと思います」


絹糸勇士は遠くを見ながら続ける。その様子を見て、対面する少女が口を開いた。


「まあ、確かに真面目クンが一気にプレイボーイに成り変わったんだもんねえ。そりゃあ色々と変わるよね」


肯定も否定もせず、少年は肩を竦める。少年は何ともやり辛そうな顔をして、追憶に耽った。


「どうするのが、正解だったんでしょうね」


誰に問うでも無く、少年はため息混じりに零す。まだ人生の折り返し地点にも辿り着いていない若造が、過去を振り返る理由の全てが、その一言に込められていた。


「どうするのが、正解なんでしょうね」


きっと、最初からそれが知りたかっただけなのかもしれない。


「お待たせしました」


「来た来た。さあ、そろそろ長かった休憩も――終わりが見えてきそうかな?」


クラシックな制服に身を包んだ店員が運んで来たカフェラテが、ほんわりと湯気を立てている。


その朧気な霞みの向うに、かつて夢見た少女の姿を映し出した。




――――――


――――


――







一人で語るには多過ぎる思い出が、行き場を求めて夕闇に駆けた様だった。


彼の追憶の気配を感じ取ったのは、きっと偶然なんかじゃなくて。


彼も、前に進みたいのだろう。


軽薄で、軟派で、人の話をあまり聞かない。


彼がそんな風に――変わったのは、変な友達と一緒に居るようになったからだと。


風の噂に聞いたのは、いつだっただろうか。


真面目だった、私の好きだった人を返して欲しい。


そう問い詰められたのは、いつだっただろうか。


それは間違いなく、そんなに遠い過去じゃない。


彼とボク、二人の罪が始まって――歩みを止めた瞬間の事。


ボクが止まっていると感じた時の流れは、銀色の少女に突き動かされて、必死に後れを取り戻そうとしているのかもしれない。


せき止められていた思い出の奔流が、ボクの心を駆け巡る――。





麗爛新聞 四月号 三面 終


この記事は四面に続きます。


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