麗爛新聞 十月号 五面
――退屈だ。
そもそも潰す暇など、ありはしない。それでも心は飽いていた。
短期間で心を満たす性交――股間の疼きをぶつける相手が居ないと言うのは、なかなかに堪える。
星の数程の身体を、幼い頃より抱いて来た。この身に宿した業の深さを測る様に、情欲の限りに抱き潰した。
それが今ではどうだ――下手なモノを抱く程度では娯楽にすらなり得ない。
低俗だが、良い身体を見世物とした、社会的にそれなりに価値ある夜会ですら娯楽の部類。
足を運ぶ理由としては、限限が良い所だった。
私に許された時間と言えば――そうだ、昔は雨さえ降れば、それなりの温情が与えられていた気もする。
その事を思い出せば、必然的にあの極上の感触が身体を包んだ。
――やれやれ。この鬱屈とした気分ごと全てを投げ出して、この国を混沌の海底に沈めても良いのだが、そうもいくまい。
パトリシアが愛した世界。パトリシアが愛した生物。
それだけでも、理由になり得てしまう。
アレは、この世界が生んだ唯一の奇跡だった。
こうして世界が存続した、唯一の要因だった。
私は、己がどれ程世界に必要とされているかを知っている。
私は、己がどれ程世界を循環させているかを知っている。
それを存続させようと思えたのは、パトリシア――私が愛した唯一の女が居たからだった。
「……随分珍しい。貴方程の人が、こんな夜会に足を運ぶとは」
――背後から声を掛けられた。普段なら肉壁が近付くモノを容赦なく叩き伏せる案件だが。
「ん、ああ、そうか――御前が相手なら、警護如きでは逆らえないか」
その声は聞き覚えがあった。
未だに耳奥で反響する、甲高い喘ぎ声。まだ生娘だった頃、それなりの上玉として手を付けた女が居た。
私は振り返る――矮小な存在ではあるが、性欲の捌け口としては珍しく『女』に部類する相手に、目をくれてやる為に。
水晶を繊維にした様な銀色の髪、蒼玉を嵌め込んだ様な瞳。それが今もなお色褪せていない。
「――久方振りだな、勅使河原雅」
「そうですね――天城神」
私を見据えられるだけの反抗心が残っている――それだけでも、この女が特別だと言う事の証明になる。
何故なら、私が他に抱いたモノは全て壊れていった。
女では無く、ただ性欲を一時的に吐き出すだけの玩具として、悉くが壊れ果てた。
――この女とパトリシアを除く全てが。
「して、この私に話を掛けたのは何用だ? もう十数年が経つと言うのに、私の逸物が忘れられないか?」
「……勝手に言ってろ、獣め。貴様に聞きたいのはただ一つだけ――相内善助を手に掛けた理由だ」
雅は強く瞳に火を灯して口を開いた。
「……相内? あのしがない三流作家……確かにそう、死んだとは聞いている。生憎だが、私は何も知らない」
「恍けるな。お前が相内善助の娘、相内莉子を狙って刺客を放った事は想像に易い……故に、さっさとその理由を言えばいい」
「…………ふむ、ふむ。はてさて、どうしたものか……」
飛んで来た言葉は、予想だにしていなかったモノだった。
それが事実だとしても、この女が私に敵対する理由は全く分からないが――これもまた一興だろうか。
少なくとも、今より退屈しない未来になる可能性は十分にある。
顎に指を当てて考えていると、雅は堪えきれずに胸中を露呈し始めた。
「……エリーズの子供を探していたんだろう。マリア以外の……完璧な女体を手に入れる為に」
――そうか、そうなるか。
確かに御前ならば、そう思いたくもなるのだろうな。
「……ククク。さて、どうかな……」
私は再び雅に背を向けて歩き始める。先程の侵入者――まるでパトリシアの生き写しだったそれを見た理由も、全て把握した。
「待て、天城!!」
「――ああ、そうだ。雅に一つ聞いておかねばならなかった」
――貰ってやろう、その敵意の矛先を。
「御前を家に帰した時、孕んだ子供はどうなった? あれから十幾年、そうだ、マリアと同じ年に種付けした子供は中絶したのか? それとも――私との間に授かったと愛おしく想い、産んで大切に育てているのか?」
私はそう言い残し、その場から立ち去った。
追いすがる声も足音も聞こえない――聞こえたのは、あの女が壊れかけた時と同じ様に、身体が崩れ落ちる音だけだった。
――――――
――――
――
パラパラと、乾いた拍手が耳に残っている。
呆然自失の没落貴族、張った見栄の終わり。
若年の少女の世間知らずな言い分に返す言葉も無く、ただ打ちひしがれるだけの無様な男に贈られた、最大限の賞賛。
――元よりこの場は茶番を繰り広げるステージでしかなかった。
ただ、酒と歓談にわずかばかりの興を添えるだけの催しに過ぎない。
大成功だ。催しとしてのそれは、紛れも無く大成功だったのだ。
その求めた理想と、結び付くたった一つの未来があまりにも違い過ぎただけで。
媚を売っても、地に額を擦り付けても、失った夢は遠き日の栄華でしかない。
――別に、ボクや勅使河原さんが行動を起こさなくても、悪い夢から醒める時は、いずれ来たのだと思う。
いつもと同じだ。傍から見れば、無意味で、同じ事を繰り返しているだけの一小節。
それでも、確かに守れたモノがあった。培って来た力を活かせる場所があった。
夜宴は余興が無くとも続いている――ボクには、彼らを外道と感じる心はあっても、牙を剥く理由が無い。
ボクは、悪を絶対に許さない正義の味方なんかじゃない。
ボクはただ――理不尽な現実を許せなかっただけだった。
「……なんか胸糞悪い」
勅使河原さんが手配したと言う控室でグローブとマントを外しながら、リコは溜め息混じりに呟いた。
「そうだね。でも流石に、あの観客達全員を敵に回したら、ボクらは……」
「分かってる。明日には海の底でコンクリ詰めだろうしな……」
花前親子は部下達(ある理由でひょこひょこ歩きしかできなかった)に連れられて、違う控室で話をしているらしい。
――改心してくれればいいけど。大人の人相手に何度も熱弁を振るうのは、少しだけ心苦しい。
まあ、佐奈さんの努力を意味あるモノにする為なら、何だって、あと幾度だって、行動するけれど。
「ま、でも、これで『俺ら』の仕事も終わりだよな。あとは姉御が帰って来るのを待つばかりだけど……何処に行ったんだろうな?」
「……そう、だね」
――やっぱり、気のせいじゃない。
リコの一人称が時と場所によって違う――うち、私、リコ、そして俺。
特に、自分をリコと呼ばない時――アスラ・カスタ・リコリスが、身体の持ち主である少女の事を考える余裕が無い時に、その乱れ
は大きく感じ取れるかもしれない。
彼女自身が不安定な存在なのか、もしくはただ防衛本能が無意識に演技をしているだけなのか。
「……ねえ、リコ?」
「なんだ、翼ちゃん?」
燃える様な、血飛沫の様な――生命力を溢れさせる赤髪を振りながら、リコがこちらを見やった。
あれは地毛――なのだろうか。
染めているとすれば――元々は何色なのか。
正直に言えば、ずっと気にはなっていた。
ただ、それを聞いてしまうと――他の未来が完全に閉ざされてしまう様な確信がある。
そして――ボクが戦うべき『誰か』の存在を、知ってしまう事になるのだろう。
勿論、それが怖いワケじゃ無い。
踏み止まるのは、決して己の身が可愛いからではなく。
単純に――心に決めた、一番大切な人を守れなくなってしまうから。
現時点で、ボクはリコの事を親友だと思っているけれど――。
――どうだろう、ボクは彼女に全てを捧げる覚悟が出来ているだろうか。
他の全てを投げ打って――揺れる彼女の隣で、『神』に仇なす道を選べるか。
『相内莉子の存在証明 -Asura=casta=lycoris-』
「……ううん、何でもない」
――リコだって大切な人だ。でも、ボクには――。
「何だよ、歯切れ悪いな……ま、気になったら何時でも聞いてくれればいいよ」
「うん、ごめんね……」
「気にすんな、相棒」
にっこりと笑う、赤毛の少女にボクも自然と微笑み返した。
頼りになると言うか、傍に居て安心感が凄い友達だと思った。
勇士もその部類に入るのだが――そう言えば、拝島さんと仲良くやれているだろうか。
最近、マリアさんは生徒会長選任の選挙で忙しいらしい(勅使河原先輩はそのストレス発散に付き合わされているのだとか)から、
その補佐である勇士も同様なのだろう。
今日だって、リコをこっちの都合でそこから引き抜いているのだ。
違う学校に通う彼女と遊ぶ機会を作ってやるのもいいかもしれない……。
「……暇だな」
「……だね」
メイド服のまま、徒手の様な動きを始めてしまったリコ。
ボクは、そうだな……佐奈さんの件の報告も兼ねて、勇士に電話でもしてみようか?
ボクは携帯を取り出して――。
『絹糸勇士の恋愛模様 -A rich variety of heart-』
――すぐに仕舞った。それはもう素早く、無かった事にしたいぐらいのスピードで。
「およ? 電話するんじゃなかったの?」
ビュンビュンと風を切りながら足蹴を繰り出しているリコが、事も無げに話しかけて来た。
「う、うん……なんか、主役を取られそうな気がしたって言うか……ボクが男で居られなくなる様な気がしたって言うか……」
「???」
びっしょりとかいた汗を拭いながら、深呼吸をする。
リコのスカートから見える水色のストライプの下着に集中出来ないぐらい、ボクは動揺していた。
――満更でもないとか思ってない、うん。
しかし、そうなると時間はまだ持て余しそうだ――他に時間をつぶせる事は――。
「そう言えば、あのオッサン大丈夫かね。結構ショックだったみたいだし、別に凹むのはいいけど……それでデカ乳が割を食ったらかわいそうだよな……つーか俺らの責任だし……」
「……確かに、それは困るなあ」
リコの言う通り、花前氏がショックを受けるのは当然として、と言うか少しは懲りて貰わないとではあるのだけど……これからの生活に支障が出る可能性もある。
彼女の事が気になるな――恋人として、花前親子の様子を見に行こうか?
『花前佐奈の青春日記 -Radiant photograph-』
――いいや、ボクに出来るのは、乱暴なお節介までだ。
後は、家族の問題――今まで耐えて来た佐奈さんが、自分で解決しないといけない問題なのだろう。
ボクは信じています。あなたと……あなたが家族と呼ぶ、守るべき存在の未来を。
今際に蔓延る、欲を具現した闇は切り裂きました。
あとは輝ける日を新たに創り出すだけ。あなたがそれを最も得意としているのは、ボクがよく――ううん、一番分かっているから。
となれば――やる事は一つだけだろう。
――最初から、この道しか選べなかった様な気もするけれど。
ボクは、肌身離さず持っている、『彼女』との絆を取り出した。
「……やっぱりさ、翼ちゃんはそれが一番似合ってる気がする」
「そうかな? うん、ありがとう――たぶん、一番嬉しい褒め言葉だと思う」
まるで、彼女と培って来た全てを肯定されている様で――心が温かくなって行くのを感じた。
絆――ボクだけの力を軽く握って、想いを言葉に変えて行く。
走るペン先、物事の良い部分が重点的に紡がれる手帳。
ここまで来れたのも全部、彼女――勅使河原華蓮と出会い、肩を並べたから。
今は互いに違う道を歩んでいるけれど、きっと行き着く先は同じだと思う。
ボク達は惹かれ合って、導き合う運命なのだと思う。
そう考えるのは自惚れだろうか。
でも、彼女はきっと待っている。
ボクが扉を開く日を、ずっと。
――あの時と、同じ様に。
『勅使河原華蓮の編集後記 -Imaginate flower-』
麗爛新聞 十月号 五面 終




