麗爛新聞 十月号 四面
「……うん、上手く潜り込めたね」
十月も終わりが近付き、迎えた月が満ちたり、怪しく輝く夜。
高級ホテルの上層階――フロントとは別に、限られた人間のみを選別する為に用意された受付を抜け、勅使河原さんがそう呟いた。
「……まあ、そうですね……」
ボクは苦々しく呻きながら返す――フリフリのメイド服に身を包みながら。
「まあまあ翼ちゃん。もっとお淑やかにしていないと、つまみ出されてしまいます」
隣から肩を叩いて来るリコは、ほぼ同じ格好だと言うのに随分と平気そうだ――寧ろ、楽しそうですらあった。
「いや、うん、別にメイド服は良いんだよ。女装なんて慣れているし、問題は――」
「いやあ、流石に良く似合っているね。エリーズの息子ってだけあるよ」
普段から瀟洒な恰好をしている勅使河原さんが、いつもの格好でボクの髪を撫でる――金色と言う、異質で馴染みの無い髪を。
「……なんでボクがこんな恰好をする必要があるんですか……?」
カラーコンタクトを入れて、瞳まで碧眼に偽っている。これではまるで――エリーズの追随をしている様だ。
「んー、まあその内分かるんじゃないかな? 少なくとも――今の『私達』には、その姿の君が必要なんだ」
「……分かりましたよ、貴方が不要な事を強要するハズがないですし」
「分かればよろしい。それじゃ、行くよ」
母の後追いが別に嫌だと言う事はない。なら、そこまで不快に思う事でもないだろうか――。
イヤリングを揺らして先へと進んで行った勅使河原さんを、リコとボクは追いかけた。
「社長、お久しぶりです。私、アリウラ建設の……」
「おお、たしかミヤモト君!! どうだね、工事の件は?」
「ええ、滞りなく。きちんと社長の思惑通り……」
通路の各地から談笑が聞こえる。どれもこれも、きな臭い話ばかりだった気がする。
この催し自体では無く、この限られたメンバー内での歓談の為に足を運んだ――そう言わんばかりの盛り上がりだった。
「……なんか、私……この空気嫌かもしれんです……」
「あー、そうかもね。恐らくリコちゃんは善助に連れられてこう言う社交界に関わりがあったんだと思う……だからこそ……」
「……え?」
「いや、ごめん。何でもない」
そう言いかけて、勅使河原さんは口を噤む。
もしかしなくても――あの事件の事だろう。いつかこの人から全てを聞いてみたいが……きっとそれが叶うのは、限られた未来だけだろう。
――少なくとも、今は手を伸ばしてはいけない。今ボクは、ただ一つの事に集中しなくては……。
「ははは、しかしあの男も懲りないもんだね。こうして集会を開くクセが止められないと来た」
通路で談笑する男の横を通った時、そんな言葉を耳にした。
「そうですねえ。まあ、我々としては非常に助かっておりますがね……良い余興も見られますし」
「ああ、うん。あの娘はイイ身体をしているよ。鳶が鷹を生むとはまさにあの事だろうな……いや、代々続く花前の血が、隔世遺伝しただけかもしれんが」
「…………ッ!?」
「こら、『ミリー』。はぐれたらいけないだろう? ちゃんとついて来なさい」
思わず足を止めてしまったボクの手を、勅使河原さんが強く引いた。
ミリーと言うのは、どうやらボクの偽名らしい。この姿には合っているかもしれないが、少しくすぐったい。
――いやいや、そんな事より!!
「てっ、勅使河原さん……今の話って……?」
「ああ、うん。多分全員知ってる。接待させられているのが、花前の用意したコンパニオンが、実の娘である事はね」
「はあ!? なんだよそれ、どうして誰もそれに口出ししないんだ?」
大きな声で非難するリコの口に指を当て、勅使河原さんは首を振る。
「それはそうだよ。彼らにとって、『虚栄を張る花前』も見世物の一つなんだから」
その言葉に、思わず眩暈がした。
佐奈さんが守ろうとした、父の威厳。
そんなモノは――最初から存在しなかった。
ありもしない宝を守る、宝物庫の番人の様なモノ。
――幻想に咲く花を、守る騎士。
偽りの髪に触れる。託された『翼』に触れる。
――さな、さん……。
「――泣くな。気持ちは分かるけど、ここでは泣くな。情を見せれば、そこで全てが終わる……君はここで、守りたいモノだけを守るんだ」
「つば……えっと、ミリーちゃん……」
勅使河原さんの言葉と、リコの触れた手が。震えて崩れ落ちそうになる脚を支える。
――分かっているよ。
たとえその積み重ねた時間が、傍から見れば微々たる価値も無く。
ただ、無意味な堂々巡りをして、遠回りをし続けているだけの人生だったとしても。
――ボクは、彼女の優しさと、やって来た事の意味を知っている。
一度袖で目元を覆って、強く目を開いた。
その人生の価値を、ボクが信じなくて、誰が信じると言うのか。
涙なんて流さない。涙なんて流させない。
その為に、ボクはここまで来たんだから。
長い通路を抜け、最奥の会場までやって来た。
コンパクトに収まったその広場に、香り高い料理や、ワインの注がれたデキャンタが各地に設置され、ボーイが配備されている。
時間が経つに連れ、通路から続々と人が流れ込み、食事を伴った歓談へと移行した。
その下卑た印象の強い空気の、暗い中に光が散る部屋にステージが設けられていた。
――その中央に置かれた、豪奢な椅子。そして傍らには女体を弄ぶ道具の数々。
それが、少女の初夜を彩る演出装置だとでも言うのだろうか。
――馬鹿じゃないのか。
「なんだよこれ……!!」
怒りに震えているのはボクだけじゃない。隣に居るリコも、拳を強く握っている。
「まあ、決して良い趣味とは言えない。だけど、こうしてそれを愉しむ人間ってのは少なからず居るもんだ……本当に、どうしようも無い。力を持て余すと、生物って言うのは贅肉を付けたがるのさ」
勅使河原さんの言葉は冷たく聞こえる。
けれどそれは、決して無関心だからではなく――ただ、熱を帯びる必要が無い、身体に染み付いた呪詛だったからの様に思えた。
佐奈さんの救出――ボクが言い出さなければ、勅使河原さんによって起こされていただろうこの救出劇。
――この人にも、もしかして――。
「こら、ミリー。使用人のクセに、踏み入った事を邪推するんじゃないぞ」
――ビシッ。
額に衝撃を受けて、我に返る。どうやらデコピンをされたらしい――美しく、妖艶な『女性』の顔が目の前にあった。
「――――やっと疑いが晴れたかな」
少しだけ寂しそうな顔を浮かべて、勅使河原さんがボクの頭をウィッグ越しに撫でる。
「うん、でもそれは君が気にする事じゃない。そして、私が君に遺恨を残して良いモノでもない」
「……勅使河原さん」
彼女の事が、ようやく少しだけ分かった気がした。
『あ、あー。えー、長らくお待たせしました……これより、本日の催しである、現役女子校生の落花狼藉を始めさせて頂きます……!!』
スピーカー越しに声が聞こえると、パラパラと拍手が湧き上がった。
それでも談笑が完全に止む気配は無く、それぞれの声が小さくなった程度である。
ほとんど関心が無い――文字通りの余興でしかない。
この関心の低さの催しに、どれ程の意味があるのだろう。
――でも、佐奈さんの父親にとっては、きっと自らの存在を保つ為に必須だったのだ。
決して共感は出来ないけれど、ボクに分かってしまう事。
客観的に見れば、無意味に近い。だからこの下卑た夜宴も、いずれ自然消滅するだろう――それが花前氏を放置して来た、勅使河原雅の唯一の誤算だったのかもしれない。
しかし、その牙は進攻を止めず、彼女の最終防衛線まで届きかけてしまった。
「…………」
その抑止を企んだ勅使河原さんは、何も言わずにステージ上を睨み続けていた。
ピンクな雰囲気を伴ったBGMが流れ始め、ミラーボールの回転が激しさを増した。
それに合わせて、舞台袖からハイヒールの音を響かせて女性が歩いて来る。
布面積の小さな水着――いや、あれは下着か――しか身に着けておらず、豊満で瑞々しい肢体を持っている。
「おお……相変わらず、目の保養になる」
「あの男は心底どうでも良いが、娘はやはり格が違うな。どうだ、君の所でデビューさせては? 確かエリーズの日本移籍も、君の所だったな」
「ええ、今宵はその審査も兼ねていますので。花前は救い様の無い愚か者です故、お得に買えると思いまして」
「わっはっは! どれ、撮影前に一度こちらに回したまえよ。まだ緩くなる前に味わっておきたい」
「ははは、常務はお得意様ですからね……勿論ですとも」
聞くに堪えない言葉に、歯を食いしばって我慢する。
それでも、何時でも飛び出せる様に、身を隠す為にと渡されたマントを羽織り、紐の結び目をギュッと握った。
少女が歩く度に下着から零れそうな乳房が揺れている。
ふるり、ふるりと扇情的に。わざと揺らしているが如く――娼婦の様にステージ中央まで歩き、設置された椅子に腰掛けた。
まだ少女にも見える程の童顔は、決して嫌悪を滲ませはしないが――それでも、悦んではいなかった。
「……なあ、ミリーちゃん」
「何?」
「我慢出来なかったらゴメン」
「いいよ別に。多分ボクの方が先に飛び出すから」
「ん」
悪いとは思うけれど、リコに視線を向けるワケには行かなかった。
ステージ上の慰み物――花前佐奈が壊れてしまわないか、心配で仕方が無かったから。
「…………」
佐奈さんは椅子に股を開いて座り、蠱惑的な笑みを浮かべた。
――その吊り上った頬に、一筋の涙が伝う。
「……ヤバいな」
勅使河原さんの言葉からも、緊張感が伝わって来る。
「……分かってます……もう彼女は限界ですよ」
男性にそう言う目で見られる事に、慣れているとは言っていた。
しかしそれはあくまで慣れているだけであって、決して強いワケでは無い。
――苦手だと、そう話していたハズだ。
いつか、父が正気に戻ってくれると信じて、精神的な苦痛と戦って来ただけ。
けれど、彼はここまで来てしまった。娘の悲鳴に気付けず、ついにここまで。
きっと、家族の前では流せなかった涙。
――それが溢れてしまっている。せき止めても、止まらない。
終わらない苦痛の始まりに、心が決壊しようとしている――。
「……ッ!!」
舞台袖から、小太りの男が媚び諂う様に、ニマニマとしながら中央へと歩いて来る。
その手に、何かを持っている。
暗い場内に、一瞬だけ照らされた光が写し出す。
多分、ボク以外でその正体に気付いた人間が居たとしても、一人だけ。
――待て。
「……え……?」
それはないだろう。
幾らなんでも、それは。
「……うそ、だよね……?」
ああ、それはただの布きれだとも。
金さえ積めば、幾らでも手に入るし、それ自身に高値が付くワケじゃ無い。
でも、ボクにとってそれは――。
「……………………もういいよ、それで。もう……いい…………」
――彼女にとってそれは……!!
ブチン――何かが引き千切られる様な音がした気がした。
「ふっ……ざけんなああああああああッッッ!!!!!!」
自分のモノとは思えない怒号が響き渡る。
目の血管が破裂した様に、目頭が熱く燃えていた。
涙が流れる――こんな方法でしか君を救えない、己の無力を嘆いて。
だからせめて最速で。その使命を帯びた肉体が、筋肉が爆ぜた。
下らないBGMを掻き消す様に。創られた淫靡な空気を断ち切る様に。
ステージまで、マントをなびかせて翔け付ける――この世の理不尽を切り裂く、翼の様に。
「……つばさくん……?」
ぐちゃぐちゃに引き裂かれた心が発した、誰かに縋る声がした。
絨毯の床を乱暴に蹴っ飛ばし、ステージ上に転がり上がる。
「あっ!! 何をしているんですか!! 花前様以外の参加はまだ認められていません!!」
ボクの存在に気付いた黒服の男達がステージ下まで駆け寄って来て、脚を掴もうと手を伸ばして来た――。
「……まだだと? もしかしなくとも、いずれ参加出来る様になったってか!?」
「いっ……!!?? 」
――その瞬間、近付いて来た腕を、ローファーが蹴り上げる。
ボクと同じタイミングで飛び出して来たリコが、制止の手を阻んでくれていた。
彼女に任せていれば安心だろう――信頼して、脇目も振らずにステージ中央まで駆け寄った。
そこに居たのは勿論、花前佐奈とその父親の花前氏だ。
「なっ、なんだ貴様はっ!? この高尚な夜宴を何だと思っている!?」
虚ろな目をしている佐奈さんは何も反応を示さない――その事実が、余計に腸を煮えくり返らせた。
「これが高尚だって? 良くて低俗の履き違えじゃないのか!?」
彼が持っているモノを最優先でひったくり、マントの中に仕舞い込む。
「うわっ、きっ、貴様!! それを返せ……それは、この見世物を完璧に仕立て上げる演出の一部なんだからな!!」
目を血走らせてそう語る花前氏を、ボクは糾弾した。
「違う!! これは、そんな下らない演出なんかじゃない……!! これはっ……この人の心を繋ぎとめていた、大切なモノなんだ……!!」
マントの中で握った、ただの布きれ――麗爛学園の制服を強く握る。
彼女が花前家の人間ではなく、佐奈と言う一人の女の子として居られる証。
ボク達が毎日の様に目にして――佐奈さんが、毎日身を包んでいた、宝物。
渡すワケにはいかない。佐奈さんの身体を曝け出しても、心だけは譲らない。
この手に握った彼女の証が、彼女に託された翼が、ボクの心を強く支えてくれている――!!
「下らない……だと!? 言うに事欠いて、下らないだと!? 貴様如きに、一体何が分かると言うんだ!?」
「分かるワケが無いだろ!? あんた、自分の娘に一体何をさせてるんだ!!」
ボクの大声に、花前氏が大きく目を見開いた。
「ばっ……なっ、何を言うんだ君は!! この子は、俺が金を払って雇った……」
「そんな虚言、誰も信じていません……。ここに居るほとんどの人間が……この女性が、貴方の実の娘だと言う事を知っている!!」
「なっ、何……!? でっ、出鱈目だ!! 皆さん、この者の言葉に耳を貸す必要はありません! この娘は前から言っている通り…………」
花前氏が虚栄を張り続けた相手に、大手を振るってアピールする。
「ははは」
「はは」
「わはははは!! いいぞ花前!! 茶番にしてはなかなかに良い余興だった!!」
パチパチ――ぱちぱちパチパチ――。
開始時よりも遥かに大きい拍手が贈られる。
観客も、満面の笑みを浮かべて、余興は大成功だったと言えるだろう。
笑みは笑みでも――その笑みは、紛れも無い嘲笑であった事を除けば、だが。
偽りの夜宴も幕引きだ――いつの間にかBGMは止み、屋内の照明は平常時のモノに切り替わっている。
ボクはマントの中に用意していた毛布を放心状態の佐奈さんにかけて、半裸の身体を隠しながら口を開く。
「皆さん、全部知っていたみたいですよ。貴方が没落し、虚栄心だけの為にこうして宴を開催していた事を」
「そっ……そんなハズは無い……!! ここに集まって下さった方は皆、各業界の選ばれし人達だ……!! こうして繋がりを保っていれば、俺は社交界の目に触れ続けられる!!」
「ええ……確かに見られていたかもしれません。でもそれは、ただの好奇の目ではありませんでしたか?」
「ぐっ……!? このガキ……言わせておけば!!」
勢いを付け、腹を揺らしながら花前氏が殴り掛かって来る。
リコに比べればあまりに遅過ぎるその動きは、文化部のボクですら避けられそうな、何ともお粗末なモノだった。
身体を捻って躱そうとすると――そもそもその必要すら無くなっている。
「おい、オッサン。一発殴ってもいいか?」
緩慢な動きを、華奢な腕が力強く握りしめている。
「あだ、あだだだだだだ!!!!! いだい、いだい……!!」
メリメリと嫌な音を立てて軋む腕の激痛に、花前氏は踊る様に身体を捩った。
「……どうしてこっちに?」
リコの名前は呼ばずに、顔を向けて赤毛の彼女に問う。
「いやさ、あの連中てんで雑魚だった。全員下半身がら空きでさ、キンタマ蹴っ飛ばしたら泡吹いて倒れちゃった」
しれっととんでもない事を言うリコに、ボクは思わず腰が怯んだ。
「……多分、男の人だったらみんなそうなるんじゃないかな……?」
「そりゃそうだ。だから、出来る奴は誰だって、蹴りに警戒しておくんだよ。ありゃSPじゃなくて、ただのバイト……良くて、中小企業の社員程度だな」
――何とも絶妙な所を突っ込んだなあ。花前氏の直属の部下なら、きっと後者で間違いは無いと思うが……。
しかし納得も出来るのだ。花前氏が身の丈を考えず、会場を押さえる為には予算を削る必要がある。そのしわ寄せが飲食物に及ぶとは考えにくい――なら、警備に行っていると考えるのは十分に納得出来る。
だからこそ、招待者だけに披露していたのだろう。自分が繋がっている相手が、侵入者の手引きを考えるハズが無いと考えていたから。
「痛い痛い痛い、放せ、放せ!!」
喚き立てる花前氏を見て、リコがボクに指示を仰ぐ目線と向けた。
ボクは首を縦に振る――すると、贅肉の着いた腕が解放された。
「いたた……このクソガキどもへぶっっっ!!??」
――悪態を吐こうとした花前氏の顔面に、合皮で出来たグローブが叩き込まれた。
「おお、ナイスパンチ!!」
「へぶっ、だって!! わはは!!」
「ぐぶ……ううううう……!!」
のけ反り、倒れ込む花前氏を見て、場内から歓声が上がった。肉体的にも、精神的にも追い詰められて行く。
ボクは追い打ちを掛ける様に言葉を続けた。
「花前さん。貴方が開く宴会は、確かにこの方達の社交場になってはいました……けれど、そこに貴方は居ないんです。貴方は、高い金を払って、歓談の場を設けるだけのプロモーターなんです」
「……はっ。だから、どうしたと言うんだ……」
のっそりと重そうな身体を動かしながら、花前氏はボクを睨みつける。
「確かに俺は、今は彼らと同じ位置に居ない……だが、返り咲くだけの器が俺にはある。ただ一度の……いや、数度の失敗如きで、終わる様な人間じゃないんだよ……!!」
そこには確かに意地があった。ただの虚栄心だけでなく、強い反骨精神を持っている。
だからこそ、ここまで歪んでしまったのだ。
「はあ? それで、今まで何か成果があったのか?」
「ああ、あったとも!! 俺の呼びかけに、こうして名だたる企業の面々が集まってくれる!! この繋がりが、コネクションが、俺の力だ、成果だ、俺の唯一の生きがいだ!!」
ボクは目を背けたくなる――けれど、決して目を背けてはいけない。
この人は……ボクと同じなんだ。
自分の力では、どうしようも無くて。
だから、他人との繋がりを糧にする。
――一歩間違えれば、ボクだってこうなってしまうかもしれないんだ。
「……違う。それは、ただの依存だ」
だからボクは、この人に引導を渡さなければいけない。
ボクが誇れる、自分だけの道を行く為に――そして、彼女を本当の意味で救う為にも。
「依存して何が悪い!? そもそも人間は一人では生きられない、他者の力が無ければ生きられない!! だから俺だって、社交界から必要とされる人間なんだ、その器なんだ!」
「いい加減にしろオッサン。今の落ちぶれたお前が何を言っても、説得力がねえよ」
「はっ、全く以て筋違いの言葉だな。いずれ俺は成り上がる。再びあの場に舞い戻って見せる。そうなれば、俺の存在は、コネクションは引手数多となるだろう。今はその約束された未来の為の準備期間……自分自身への投資をしているに過ぎない……!!」
「…………その下らない妄言に、身を削っている家族は、賛同してるのか?」
「賛同? そんなモノ、するに決まっている。花前家が成り上がる為だ、協力するのが当然だろう。それが家族と言うモノだ」
「……ッ!!」
赤い旋風が瞬時に花前氏に詰め寄り、胸倉を掴んだ。ギリギリと音を立てて、高そうな――虚栄心に塗れたスーツが軋んでいる。
「お前なあ……!!」
「はっ、わはははっ!! これだから野蛮な下等人種は!! すぐに暴力に訴えかけ、強引に解決しようとする!! 短絡的で、非常に残念な頭の作りだな、クソガキ!!」
追い詰められてもなお、花前氏は芯をぶらさない。
――常にぶれ続けていると言う、歪んだ強さをぶらさない。
事実でも、暴力でも、彼を打ちのめす事が出来ない。のらりくらりと、態度と意見を相手によって変えて、その場をやり過ごす。
だからこそ、言葉を考えておく必要があった。
「――花前さん。貴方、今ここで独白をして見て、どんな気持ちですか?」
「…………この、こえ……?」
――聞き慣れた声が耳に届く。
佐奈さん――ボクは、貴方達に出会った事を誇りに思います。
「どんな気持ちか、だと!? 各業界の重鎮に俺の野望がアピール出来て、清々しているに決まってるだろう!!」
だから、貴方達と育んだこの力で。
「その、アピールをした人達が花前さんを嘲笑う目で見ていてもですか? 先程の拍手喝采は、疑い様もないその事実ですが……貴方は、自分で思っている程、この人達にとって大きな存在では無いのでは?」
「くっ……それは、集まって下さった皆様が、この余興を愉しんでくれたからだろう。俺としては何の問題も無い……全てはここからだ……!! そうだとも、ここからまた成り上がればいい……!!」
――貴方を救います。
「何故、最初からその発想にならなかったのですか? 分かっていたんですよね、貴方……自分が上流階級から没落したと。なら、一からやり直すと言う道を選べば良かっただけじゃないですか」
「ぐううっ……そ、それは……!!」
胸倉を掴まれたままの花前氏が苦しげに呻いている。
――認めさせなければいけない。
「――どれだけ綺麗事で、欺瞞で言い繕うとも無駄ですよ。貴方の行動理念はただ一つ――自分が落ちぶれたと、認めたくなかっただけじゃないのですか?」
真実を――事実を――固着した時間を。
痛みから目を背けた、始まりの地点を――。
「……それがどうしたんだ? 貴様は随分偉そうに俺に説教をしているが、もし貴様の言う事がその通りだとして、それで何かが変わるのか?」
「……ええ、もしかしたら何も変わらないかもしれませんね」
ボクは大きく息を吐く。出来れば、自分で気付いて欲しかったモノだが。
――そう言えば、かつてこの道を辿った人間も、そんな望みを抱いていた。
だが、答えを見つける気が無い者だとしても、会話をする相手に変わりは無い。
「ですが、貴方の常識を一つだけ打ち崩す事は出来ます」
「はっ、随分大きな口を叩くな、ガキ。なんだ、その旨を言ってみろ! 俺の完璧な計画に水を差した罪は――」
「花前さん。貴方達の子供は、随分とふくよかな貴方に比べて、やや貧しめの生活をしているらしいですね?」
「ふん、それがどうした? さっきも言ったが、これは花前家が成り上がる為の、俺の先行投資に過ぎない。それに協力するのが、妻子の――家族の義務だからな」
「なるほど。それもまた一つの家族の形かもしれません――それに関しては否定しませんよ」
「なんだ、存外簡単に負けを認めるじゃないか。そうだ、花前家はこれが正しい形なんだ、他人に口を出される義理は無い」
ボクは、余裕な表情で悠然と語る花前氏をじっと見つめた。
「まあ、そこに一貫性があるのであれば、の話ですが。貴方の言う事は矛盾だらけです。我儘で、自分の事しか考えていない、ただの屁理屈に過ぎない。だからボクが、こうして口を出している」
「……なんだと?」
「貴方は先程、この催しは花前家が成り上がる為、上流階級に舞い戻る為だと仰いました。その為に、家族が協力するのは義務であり、当然である、と」
「ああ、言ったな。そこに何か間違いでもあるのか?」
「いいえ。単純に、それを言う貴方が、そもそも花前家の為に尽くしていないだけです」
「……貴様、俺を侮辱するのか!! こうして社交界との繋がりを保ち続ける俺が、花前家の為に尽くしていないだと!?」
憤慨する花前氏。ボクはその大声に全く怯まず、首肯した。
「はい。貴方が花前家の為に、と言って擦り減らしているのは、自分に都合の良い事だけを吐き、高級食材を食す為の、唇の薄皮程度ですからね」
「貴様!! それ以上俺をバカにしてみろ、どんな手を使ってでもぶっ殺してやるぞ!!」
「どうぞご自由に。どうせ私は独り身なモノで、それ程困る人間が居ないですし――貴方とは違って」
「……頭がおかしな奴に絡まれたモンだ。貴様が何を言いたいのか、俺には全然分からねえ」
バツが悪そうに悪態を吐く花前氏に、ボクはクスリと笑みを投げた。
「なら、敢えて言いましょう。貴方は自分の事だけしか考えていないのに、家族からとても愛されているのが羨ましいな、と思っただけなんです」
「……家族なんだから、愛するのは、協力するのは当然だろう。俺だって、花前家の為に……愛しているから、こうして……」
「そうやって、常に見栄を張ろうとするから話が拗れるだけなんですよ、花前さん。答えはもっとシンプルなんです。それを貴方が、いつまで経っても認めようとしないだけであって」
「……何?」
「貴方は失敗して、花前家は一度栄華を失った。でも貴方は、どうしてもそれが認められなかった――だから、もう一度元の地位に戻る事に躍起になった。虚栄心、そして意地、プライド――全てを強く持っていた貴方は、自分を失敗で失わなかった」
「…………」
花前氏は何も言わない。何かを言っていたとしても、ボクは語り続けていただろうけど。
「そうして貴方はこの道を選んだ。社交界との繋がりを保ち、見栄を張る道を。普通なら、もっと早くに破綻するんです。でも、貴方は家族に愛されていたから、そうはならなかった」
用意していたとは言え、言葉が勝手に口から零れ出て行くのは不思議な気分だった。
「家族の身を削った協力が、花前家の虚像を――父親の夢を保ち続けた。長女は心底嫌がりながらも、はしたなく肌を晒してまで……支え続けたんです。貴方がいつか、間違いに気付いてくれる事を信じて」
「…………ッ」
「でもそれは、貴方が言う通り、家族の形としてあり得る形だとは思います。でもそれは、貴方が堂々と言える事じゃないんですよ」
「……それは、何故だ?」
彼の投げ掛けた問い。ボクは――仕方なく答えた。
「貴方が当然だと言い放った、家族への協力。彼女は自分の身体を張っていましたが……貴方の立場で同じ様に、家族の為に身を投じるのであれば、没落した時点で一切の見栄を捨てなければいけなかったんですよ」
――彼が選ばなかった、唯一の道を指し示す言葉を。
「は、ははははは!! バカな、そんな事をすれば二度とこの場に戻れなくなる!! それは永遠の没落だ、花前家への冒涜だ!! 所詮貴様はただの、世間知らずのガキに過ぎなかったってワケだ!!」
「ええ、ボクは確かに何も知らない、ただの平凡な子供です。だから貴方が守ろうとした、既に失ったモノの影の価値は分かりません――でもそれは、今裕福な生活を送っていなくても満足している、貴方の子供達と同じではありませんか?」
「…………何を言うかと思えば、そんな事か。良いか、人間と言うのは、一度裕福な暮らしをすれば、上流階級に居れば、決して平凡な生活で心が満たされる事は無くなる!! 子供達は……この娘は、もう一度あの生活に戻りたいと思っている!! だから俺に
協力しているんだ!! そんな合理的な事が分からないとは、やはり貴様は……」
「……思ってないよ、そんな事……!!」
「……ッ!?」
父の犯している過ち。それに気付きながら、家族故に言わなかった事実が、声に出された。
ずっと、ずっと――協力して来た、花前佐奈の口によって。
「あたしも、弟達も……裕福な生活なんていらない。別に、貧乏だって良いよ。ただ……みんなで一緒に暮らせれば、それで良いんだよ……パパ……!!」
「さ、佐奈……何を言うんだ、お前……!! ここまで協力してくれたじゃないか、妻と一緒に、俺を支え続けてくれたじゃないか!! なんでそんな酷い事を言うんだ……!!」
――まだ言い逃れようとするか、この男は!!
そもそも彼女を物理的に救う為なら、こんな面倒な事をしなくたっていいんだ。
ただ彼女と弟達を連れて、どこか遠い所へ逃げればいいのだから。
――けれど、彼女はそんな事、絶対に納得しない。
どんなに酷い辱めを受けても、どんなに辛い傷を刻まれようとも。
――全部、貴方の為に我慢して来て、貴方の為に心が壊れる覚悟を決めていたと言うのに。
「いい加減にして下さい、花前さん!! 他人に押し付けるな、自分の責任から目を背けるな!! 貴方は自分の見栄を守ろうとしているだけで――何も、努力して来なかった!!」
「貴様……!! まだ言うか!!」
「じゃあ問いましょう。貴方、自分の娘が当然の様にして来た『望まないモノの為に、恥を晒す』程の事をしてきましたか? 貴方の立ち場で言うなら、そうですね……最初から失敗した事を認めて、平凡な生活を送ろうとすると言う形で、家族への協力をしてきましたかっ!?」
「――――――ッ!!」
花前氏は、目を見開き――がっくりと俯いた。
「……していないでしょう。だから言ったんですよ――貴方に、堂々と言える事じゃないって。そもそも、その道理で言うなら……貴方は、家族ですらなかったのだから。だと言うのに、それ程までに家族から愛される貴方は……上流階級じゃなくても、十分に幸せ者じゃないですか……!!」
語り終え、ボクは大きく息を吐く。
これでダメでも、また幾度だって戦ってやる。
――そうでもしないと、彼女の努力が報われないのだから。
その会場内に、一切の会話は無く――ただ、そこに居る人間にとって、無意味な時間が流れ続けていた。
けれど、ボクにとって――花前家にとって、有意義な時間である事を、祈るばかりだった。
麗爛新聞 十月号 四面 終
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