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勅使河原華蓮の編集後記  作者: 成希奎寧
麗爛新聞 八月号
37/40

麗爛新聞 十月号 三面

『彼岸花、ねえ。僕はその名前、そんなに好きじゃないな。莉子はどう思う?』


わたしもそんなにすきじゃない。


そう答えた気もするけど、きっと気のせいだと思う。


もし相内莉子(あいうちりこ)が答えていたとしても――それはやっぱり私じゃないから、気のせいでしかないのだろう。


『リコリス。ほら、こんなに素敵な名前があるのに、どうして死を想わせる概念で固定してしまうのかな』


――でも、そうして褒められた事はよく覚えている。


『ほら、無限の可能性を秘めた様に広がる、命そのものを形容した花弁も、とても素敵だ』


――そうして、咲き誇る私を見てくれた事をよく覚えている。


身体を包む温もりは、もう血の生臭さに変わり果ててしまったけれど。


『……そうか! リコリスに明るいイメージを持てる様に、新たな物語を作ればいい!』


ぎゅっと肩を抱かれた事。


それは――今でも忘れる事が無い、大切な私の記憶。


それから数日後、或いは数週間後、私にしっかりとしたカタチが与えられた。


一冊の日記帳――数ある物語の中の一編。


主人公は命の輝きを秘めし、赤い閃光。


その名は、アスラ・カスタ・リコリスと言った――。








「……こうしてお茶すると、学生って感じが出るな、うん」


リコはガムシロップをドバドバと入れた、甘みしか感じなさそうなコーヒーを啜りながら、そう呟いた。


体調が優れないと言って帰ってしまった佐奈さん。そして、いつも通り生徒会室まで連行された勅使河原先輩。


最近になって頻度の増えた、一人で過ごす放課後が繰り返されるハズだった。


『あっ、翼ちゃん。今から帰り?』


生徒会室をやんわりと追い出されたらしいリコに声を掛けられ、なし崩し的に喫茶店『まほろば』へと入ったボク達。


勇士からの評判を聞いていた通り、なかなかに雰囲気が良く、麗爛学園からも近い位置にあった。


バスと電車で通学をしているリコは、学校手前から駅に向かうバスに乗る必要がある。


その為、この店で共に時を過ごす事は彼女的にもかなり都合が良いらしい。


取りあえず、絶好の機会だと思った。


二人掛けの席に着き、ボクは勅使河原さんが気に留めていた事――アスラ・カスタ・リコリスと言う名前について尋ねてみた。


「リコリス? うん、私の名前だけど、それがどうかした?」


その問いに対し、特に気に掛けない様子で、彼女は平然とそう言い放った。


ボク個人として、そこに引っかかりがあったワケでは無いのだけど、勅使河原さんの話してくれた事もどうしても気になる。


――リコの事を、友達としてもっとよく知りたいと思ったから。







そこでボクは思い付いた。


――生徒手帳。身分証明書にもなるそれには、真実の名前も書いてあるハズ。


そこにアスラ・カスタ・リコリスと書いてあれば――。


――でも、書いてあれば、或いは別の名前が記載されていれば、どうなるのだろう。


ボク達の関係性が、さらに親密なモノに変わるのか?


それとも、リコに詳しい話をして貰える様になるのか?


――きっと、どちらも叶わない。


「……そうだよね。リコは最初から、私はアスラ・カスタ・リコリスだって言ってたもんね」


勅使河原さんがこの様子を見ていたら、また疑惑から目を背けている、と怒るだろうか。


それとも、ボクの真意に気付くのだろうか。


「――アスラ・カスタ・リコリスってどんな意味の言葉なの?」


何も知らないボクが、真実から目を背けず、リコの事を知る為に出来る唯一の方法。


相手を信頼して、問う事。


縁を繋ぎ、足りない知を補う最も効率的な手段を取れば良いのだと。






「――――」


リコはストローを咥えて硬直した。


少しストレート過ぎた聞き方だったか、と一瞬の後悔が頭を過る。


――けれど、すぐに雑念を振り払い、ボクは堂々とし続けた。


信頼しているからこそ、無垢な思いで聞いたと感じて貰う為に。


「……本当の名前は? って聞いて来ない人は、お前が初めてだよ翼ちゃん。だから、教えてやる」


ふう、と小さく溜め息を吐いて、リコは胸ポケットから何かを取り出し、ボクに向かって放り投げた。


「わっ……っとと……」


かろうじて受け取ったのは――彼女の生徒手帳だった。


「……私は別に、隠し事をしたいワケじゃ無い。そもそも誰も信じてくれないから、見せないだけなんだ」


天面の透明なビニールの向こうに記されているのは、身分証明書として意味を持つ、文字の羅列だった。


『相内莉子』


そこに記されているのは、おおよそ名前として違和感が無い語感を持っている四文字。


勿論顔写真も、目の前にいる彼女のモノが載っている。これが意味するのは、アスラ・カスタ・リコリスがただの偽名だと言う事なのだが……。


「…………こっちが偽物って事……?」


ボクは自然と、彼女にそんな失礼な事を聞いてしまっていた。







「――お前は馬鹿なのか、それとも度が過ぎるお人好しなのか……」


リコは肩を竦めて、砂糖がたっぷり入って味の破壊されたアイスコーヒーを口に含む。


喉を鳴らして三口程飲んだ後――。


「――偽物ってワケじゃ無いよ。単純に、それが『私』じゃないってだけで」


――何でもない事を話す様に、そう口にした。


「リコじゃない……? それって、どう言う……」


「うーん。その話をするには、随分遡って話さなきゃいかんね。あまり面白くも無いし、聞いた事を後悔するぐらい胸糞悪い話だろうけど、聞きたいか?」


リコは、頬を緩めながらそう言った。


――ボクがどう答えるか、分かっていたのかもしれない。


「……勿論」


「ん。あれは七年前……私が私だと言う事を認識した日――気が付けば目の前に、真っ赤な地獄(リコリス)が咲いていた」


彼女は結末の決まっている物語を空読む様に、するすると続けた。


――まるで他人事、絵空事だと言う様に。









「私は、この子を守らないといけないって強い使命感を、生まれた時から感じていた」


「この髪に似た彼岸花――リコリスの花を見る度に、心が締め付けられる思いをしていた」


「私は私であって、相内莉子ではない。けれど、相内莉子は私でもあった」


「一と十。大は小を兼ねるって言うらしいけどさ、その関係だと私は小で、相内莉子が大になるんだと思う」


「だから、相内莉子って名前は偽物じゃない。厳密に言うと、『私だけを指す名前』じゃない」


「でも身体は一つしかない――私がここに居ると言う事は、私が相内莉子って事になっちまうけど、私はそれを認めちゃいけない」


「――認められないんだ。私は……アスラ・カスタ・リコリスと言う名前を貰ってしまったから」


「昔、大人に囲まれて『相内莉子』と呼ばれ続けて――酷く混乱して、自分を消失しかけた事があった」


「今でこそ落ち着いているが、生涯続くある種の呪いの様なモノさ。でも、ある男の愛情の裏返しでもあった」


「――相内善助(あいうちぜんすけ)。全ての始まりは彼で――変わり者だったけど、優しくて、前向きな父だった」


「血と死を連想させる花――それに共感した寂しい心を、美しいと言ってくれた」


「それだけじゃない。あやふやな概念に物語を与えて――彼は、(わたし)を作り出したんだ」


「それは呪いと祈りが混ざり合って、相内莉子に溶け込み、生存本能と融合した」


「そうだとも。私は相内莉子が本能的に抱いた感情――『殺意』の残滓でしかない。善助が名付けた、人ならざる(アスラ)相討ちの片割(カスタ)彼岸花(リコリス)


「それが私だ――そして」





「――相内莉子の家族の仇を討ったのは、『恐らく』この私だ。迫る魔の手と対峙し、この手を汚い深紅に染め、この身体を守ったんだ。ただその事実が、世間に露呈していないだけで……私は、我が身可愛さに、こうしてのうのうと生きている」






「…………ッ!!」


ボクは思わず、息を呑んだ。


その凄惨な過去に対してじゃない。


「……なんで、君はそんなに……!!」


震えるボクの声に、一切の感情の振れ幅を示さず彼女は甘く濁った液体を飲んでいた。


「なんでそんなに冷静なのかって? そりゃあ冷静にもなるってもんだ――私は、人ならざるモノ……そもそも、人間として大切な心って奴がが欠落しているからな」


「――――」


なんて――悲しく、痛ましい。


その張り裂けそうなギリギリの言葉が、ボクの身体に痛みとして伝わった。


彼女がかつて口にした言葉は、誰よりも純粋なモノだった。


あれは紛れも無く、人間が口にする言葉だ。


――心が欠落した人間が、誰かを好きになるものか。


「……軽蔑した?」


――そんな悲痛な顔をするモノか……!!






「……するワケが無いよ。昔どんな事があったとしても、リコはもうボクの友達だもん」


「……翼ちゃん……でも、普通こんな話されたら、離れようとするだろ……!!」


涙こそ流していないが、その叫びは心の震えを表しているに他ならなかった。


だからボクは、真剣に向き合う道を選ぶ。


「いや、寧ろ君がこうして話をしたから、共犯者にされてしまったぐらいだし」


「……きょう、はんしゃ?」


「うん。そんな話……墓まで持って行くしか道が無いよ。死にたくも無いし、忘れられそうもないから……リコと同じで、一生付き合って行くしかない」


「――――ッ」


――勅使河原さんは、何故だか分からないけど事件の事を気に掛けていた。その協力を一切放棄する事になるが、致し方ない。


ボクはボクが選んだ道を往く。例えあの人が幾度となく先導してくれて、同じ道を歩んでも――いずれ、道を違える時が来る。


それが今日、一つの決定的な差として生まれただけであって。


「そもそも、リコが言っていたし。どうせ誰も信じないから話さないだけだって。多分、ボクだけしか信じない与太話だ」


「翼ちゃん……お前、本当に馬鹿なんだな……!! おかげで、こっちの覚悟が更に決まっちまったじゃんか」


リコは目元を袖で拭い、キッとした視線をボクに向けた。







「……よし、これから『リコ』と翼ちゃんはズッ友だ! この期に及んでやっぱ無しとか聞かねえからな!」


「言わないよ、約束する」


ボクは小指を立てて彼女に差し出した。


「……んっ!」


リコははにかみながら、小指を絡ませて盟約を契る。


血塗られた過去を持つ少女と、痛みを分かち合った。


リコが一人称を『リコ』としているのは、きっと相内莉子と言う存在を守る為なのだろう。


でも、リコが居なければその身体は死んでしまう――だから自分を保つ為に、アスラ・カスタ・リコリスの名を捨てる事が出来ない。


その背反を両翼にした、赤い閃光が目の前に居る彼女なのだ。


ある意味で、フィクションに近い――けれど、間違いなく現実に存在している女の子が、ここにいる。






「そう言えば、リコのお父さんが考えた物語だと、アスラ・カスタ・リコリスってどんな存在なの?」


「えっと……その……死に別れた人を思い出させてくれる、絆そのもの……って言うか……」


歯切れの悪い様子を不思議に思い、彼女の顔を見る。


――頬を真っ赤に染めていた。


「……リコ、よくそんな様子で心が欠落したなんて言えたね……」


「うっせえ!! この身体が処女だから、おっぴろげにすんのも恥ずかしいってだけだっての……!!」


「ぶっ……!!」


――何故ボクの周りは、割かし性にオープンな人が多いのだろうか。


「いや、遠い目してっけど、翼ちゃんがエロいからリコも釣られちゃってるだけだし」


「……そっか」


成る程、ただ単に、類は友を呼ぶと言う奴らしかった。







視線を重ねる彼女との間に、確かな繋がりを感じる。


「……リコ。友達として、お願いしたい事があるんだけど」


――言うなら、頼むなら今しかないと思った。


「……なんかヤバ気な話?」


「まあそれなりに……」


「いいよ、引き受けた!」


「…………えっ」


二つ返事どころではなく――内容を言う前に引き受けられてしまった。


当然、ボクは戸惑いを隠せない。


それがボクにとってありえない事で――でも彼女にとって、当たり前の事だったらしいから。


相内莉子(だれか)の事を、リコリス(自分)の事の様に、大切に思っている彼女だったから。


「ほら、早く内容を話せって! この命が尽きるまで、ズッ友の為に力を貸すからさ」


「――――ありがとう。実は――」


ボクは、恋人を助け出す作戦を彼女に細かく説明した。


頷き、たまに驚き、肩を叩いてくれる彼女は全面的な協力を誓ってくれた。


時は過ぎ、月が徐々に満ちて行く。


――その時は、刻一刻と迫って来ていた。







「ありがとう翠。もう集音マイクの電源は切って良い……うん、一応だけど、アマネ君の『警備』はそのまま続けて、宜しく。うん、くれぐれ無茶はしない様に」


携帯電話の電源を切り、椅子に大きく背を預けた。


「……んー、リコちゃん自身があの男を殺したとして、解決する違和感があるのも事実……けど、それにしても不可解なんだよなー」


私は息を深く吐いて、手元に用意していた資料――七年前から保存していた新聞や雑誌の記事のスクラップ、そして警察から『買った』情報など――をパラパラと捲った。


『相内善助、ないしはその周辺に金銭トラブルは無かったと言う』


『不審者情報にもあった被疑者は相内家と全く接点の無かった、少し離れた地域に住む無職の二十代男性。正面から頭部への殴打を受けて即死した』


『相内一家を惨殺した凶器は、相内家にあった包丁。被疑者を殴打したのは、相内家にあった椅子』


「……その条件で、『争った形跡が無い』、だと言うのに『家主の防衛の正当性が認められた』だなんて、あり得るか?」


物盗りではなく、冷酷で明らかな殺意を持った家屋への侵入。しかし凶器は家の中にあったモノ。


正当防衛の成立――しかし今判明した事実として、『家主は反撃する事無く死に絶えていた』。


明らかな矛盾が重なっている。そして今、口を閉ざしていた生き証人の証言が、更なる不和を呼び起こした。


「でもそうなると……どう考えても、相内家の事を知っているきな臭い人間が関わっている」


相内善助。私の大切な友人の一人であり、名のあるフィクション作家であった。


彼が死んだと聞いて、居ても立ってもいられなかった私は、警察が無理矢理解決に導いた事件であったその幕切れに納得せず、持てる『力』を使って情報をかき集めたモノだ。


しかし、調べれば調べる程――情報が集まる度に、真実は薄れ、因果が拗れて行く様な気がしていた。








相内莉子はあの空想家の善助の愛娘だけあって、『思い込みが激しい』――妄想癖があった事は知っている。


それが過去の辛い記憶から彼女を守っているとすれば、善助は親として大切な事を教えてやれたのかもしれない。


しかしそれ故に、彼女の証言やアスラ・カスタ・リコリスについて、彼女が本音を話していても、それが真実であるとは限らない。


だが、大いに収穫もあったと言えた。


「……ふふっ。貪欲なアマネ君に毒されたのかな。どうにも長年追い求めていた犯人を知るって結果だけじゃ、さっぱり満足出来やしない」


――少し視点を変えてみるか。


小金持ちだった相内家を泥棒が狙った理由も、不用心な勝手口の扉の鍵。これらのせいで、相内家が泥棒に狙われた理由が、単に『狙われやすい家』だったからと言う結論に至りやすい。


しかしそもそも、侵入した男が単なる物盗りではなかったとすれば――。


「……欲しかったモノは金品では無く、善助の命。或いは――『一家惨殺』事件だと言うのに、遺された生存者の身柄か……」


これまで放置されて来たのだ、もし後者だったとしても、相内莉子に今更手が回ると言う事は無いだろう。


つまり、彼女は最初から目的外だった――そう考えるのは極めて論理的だが、どうもそれだけでは無い気もする。


そんな事が、一家全てを亡き者にしよう理由になるとは思えないから。


そもそも被疑者は相内家となんの面識も無い男だった――怨恨も何も、そもそも一家を手に掛ける理由が無いだろう。


金でもない、人でもない、恨みでもない。


一体何があって、あの惨事は引き起こされたのだろう。


それすらも分からないで私は――今まで何をして来たと言うのだろう。








「……はあ」


部下達には聞かせられない様な、情けない嘆息が出てしまった。


「――七年前、か」


ちょうどその時期に符合する何かの事象があった様な気がする。


そう、金よりも、人の命よりもアレを重視していたあの男にまつわる話も確か――。


「……………………あっ」


私らしくない、間の抜けた声が出てしまった。


思いもよらない過程を経て、結果から逆順に導き出せた、不純な動機。


今までに見聞きした全ての情報が、一つ残らず繋がった。


「そんな……そんな事の為に……?」


怒りか、或いは過ぎた呆れによるものかは分からないが――心の震えが、拳となって握られる。


まだ真実を掴んだとは限らない。


そう、こんなモノはただの思い付きだ。勘違いかもしれない。


――だが、奴ならやりかねない。そんな確信による悪心が、ボロボロになるまで穢された心に広がって行く。


「…………貴様なのか……天城……ッ!!!!」


歯が軋む程の力で食いしばる。それ以外に、煮え立つ咆哮を堪える手段が思い付かなかったから。


悪党である花前が霞む程の、巨悪の影が差す。私は携帯電話を使い、裏付けの為の調査を開始させた。


全てにおいて私が遠く及ばない敵手――天城(ジン)に、せめてもの一矢を報いる為に。







麗爛新聞 十月号 三面 終


この記事は四面に続きます。

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