麗爛新聞 九月号 四面
『えー、次は競技ではなく、各部活動による応援合戦です。参加する部活動の方は、早々に準備を進めて下さい』
賑やかな喧噪の中、それに負けない程力強い放送が響き渡る。
本日は晴天なり。これは紛れも無く、絶好の体育祭日和だった。
今の所、生徒会の尽力も甲斐があって、大きな問題が起こる事無く進行は進んでいる。
……そう、大きな問題こそ起きてはいないのだが……。
「……なあ、あの放送今日で何回目だ……? マリア様は大丈夫かな……?」
「さあ!? それを数える両手は筆記用具で埋まってるんだよ!! あとマリアさんなら今、職員室でスポーツドリンクの追加購入の検討の申し出をしている最中だから、本部に居ないよ!?」
隣でハラハラと体育祭運営本部を眺めているアスラ・カスタ・リコリスの呟きに、目もくれずに答える。
「……なんか、ゴメンな翼ちゃん……うち、不器用だから役に立てる事、ほとんど無くてさ……」
「良いんだよリコ、得手不得手は誰にだって間違いなくあるから!!」
ボクは体育祭の広報誌のネタ集めをしながら、場所を常に変えつつ、ペンを走らせ続けている。今はメイン会場のグラウンド全体が見える高い位置で、全体の盛り上がりを俯瞰的に捉えようと試みていた。
朝からずっとこの調子だ、正直言えば起こった事象を文面に起こす人員が不足し過ぎているのだ。
……溜め息を吐く暇すら無い。じっとりと滲んだ汗を袖で拭いながら、グラウンドに目を光らせていた。
体育祭は、生徒会副会長の天城マリアのおかげで例年以上の盛り上がりを見せている。
――いや、これは最早盛り上がりが過ぎているのだ。
去年までの体育祭は生徒が消極的な事もあり、各セクションに最低限の人員を割くだけで運営が出来た。
しかし今年の熱狂は、学外にも開放される学園祭と同程度だと予測される。
生徒の歓声や談笑する声は競技の合間にも絶える事は無く、常に賑々しい状態が続いている。
しかし、急激な差の発生は良い面にも悪い面にも影響を及ぼしていた。
ここ十年で発生していなかったハズの熱中症患者は全て軽度ながらも、十人以上発生している。
保健室はベッドが早々に埋まってしまった為、防災用品の毛布等を使って安息の場を整えた、野戦病院の様になっていた。
死屍累々。その中には白衣を肩からずらして椅子に座り込む、養護教諭の姿もあったらしい。
「毎年……この日は私が……堂々とサボれる日だったのに……おのれ生徒会……!!」
彼女の遺言は、決して他の先生には聞かせてならないモノだった。
佐奈さんが撮って来た『戦場写真』を見て、マリアさん達生徒会は即座に対応に移る。
校内放送で注意喚起をし、昼食時に配る予定だったスポーツドリンクを前倒しで配布する等、迅速かつ的確な対処がなされていた。
とは言ったものの、競技以外ではしゃぎ過ぎて熱中症に倒れる者が十割と言う、斜め上過ぎる戦況に手を焼いている様だ。
嬉しい悲鳴……とはちょっと違うかもしれないが、『体育祭を生徒にとって有意義なモノにする』と言う生徒会の目論見は見事に成功した、と言えるだろう。
ただ、現在時刻は午前十一時。終了予定時刻は午後の三時までとなっており、ようやく折り返しに差し掛かろうかと言った具合だ。
加えて、盛況に応じた進行の遅れも起こっている。気を抜けない状態はまだこれからも続くと予想される。
……マリアさん、過労死しないだろうか?
「やっぱり、マリア様のお手伝いに行こう……!!」
「だからやめときなって……朝からそれで本部に行っては追い返されてを繰り返し、今ここにいるんでしょう、君は!!」
「そ、そうだけどさ……」
トントンと軽快な足踏みをして焦燥を身体全体で示す彼女を横目に見ながら、ボクはザッとメモ帳に書き起こした内容を確認する。
――よし、大きな間違いとか矛盾とかは無いハズ。
「リコ、これを本部付近に居る別働隊に持って行ってくれる?」
「う、うん!! そのまま、ちょっと本部の様子を見て来る!!」
「気を付けて……って、もう居ないし!!」
待ってました、と言わんばかりに食い気味でボクの手から紙をひったくると、優れた身体能力を活かして、赤い旋風がグラウンドへと掛けて行った。
赤毛の彼女が返って来るまでは――別働隊がどんな内容を書いているかの報告を受けるまでは――流石に何も書けない。束の間の安息を味わおうと、ボクは配られたスポーツドリンクの封を開けて口に含んで……。
「随分……仲良さそうだね……? やっぱりあれ、告白だったんだ……?」
「ぶっ……!?」
背後から聞こえた恐ろしい程冷たい声を聞いて、そのまま口外に吹き出した。
口の端から水滴を垂らしつつ振り返ると、そこには予想通りのあのお方が立っていた。
「……て、勅使河原先輩……」
「お疲れ様、って言おうとしたんだけどね……なんだか、彼女以外の女の子ともよろしくやっているみたいだし、私みたいな半端モノはお邪魔だったかな……なんて」
そう、意外とやきもち焼きでお馴染みの、勅使河原華蓮その人だ。
「いや、リコは友達と言うか、今は普通に協力者としてですね……」
何を弁明しようと言うのか、しどろもどろになりながら身振り手振りで説明しようとしたのだが――。
「……ふふ、冗談だよ。私も、天音君の事……何も言えないもの」
「……先輩」
――深く影の差した表情に、ボクは黙る事しか出来なかった。
話は少しだけ遡る。
リコ――当時はリコリスさんと呼んでいたか――を懐柔した次の日にボクは、あっさりと生徒会室の前に辿り着く事が出来た。
そして同時に、勇士を『買収した』と言い張る佐奈さんと出くわし……我等が姫君が幽閉されている淫らな牢屋へと足を踏み込んだのだが……。
「あれ、天音君に、佐奈も……なんでここに……?」
そこで行われていたのは、名目通りの単なる打ち合わせでしかなかった。
大袈裟な安堵の溜め息を吐いて、佐奈さんは勅使河原先輩の肩に手を回して小突いていたのは記憶に新しい。
全部、ボクと雅さんと佐奈さんの杞憂でしかなかった。
ボクのマリアさんへの猜疑も、雅さんが発見したと言う本も、様子がおかしいと感じた佐奈さんも、全部。
少なくとも最初は――そう、見えた。
「……ん? 華蓮……あんた……」
一番最初に異変に気付いたのは、普段から近くで接していた佐奈さんだった。
佐奈さんは唐突に、勅使河原先輩の顔を胸元に埋めさせた。
そのまま彼女は、銀髪を撫で回す。その手付きはまるで、幼子をあやす母親の様に見えた。
「…………」
勅使河原先輩は何も言わず、スカートを握るだけ。
先輩らしくない――緩み切った頬と、伸ばした鼻の下を晒しながら、だったが。
あの衝撃的な光景には流石のボクも、明らかに様子が変だと思って。
「……ふふっ♪」
愉しげな笑声を一瞬だけあげ……ぺろりと扇情的な舌なめずりをしたマリアさんを見て、確信した。
この場は何も起こっていなかったのではなく――何もかもが行われた後だった、と。
でもそれは自然の摂理と言うか、何も間違った事なんてなかったと言うか。
……取りあえずそこには、『彼女』の恋人でもなかったボクに、口を挟む余地なんて無かったと思う。
いや、そもそも口を挟む必要も無いのだろう。
――『彼女』は、もう――。
勅使河原華蓮はいつも通り、煌びやかで瀟洒な佇まいをして、そこに立っている。
特注の少しだけ長いスカートの、女子制服に身を包んで、長い銀髪は風に揺られて光を放つ。
そう――それは言わずもがな、ボクが恋焦がれたその姿に他ならない。
……雲の向うに居るぐらい、遠かった存在がすぐ近くに居ると言うのに。
何故だろう。
「……そちらの作業はいかがですか?」
声を掛けるだけで、こんなにも心が苦しくなるのは。
何故だろう。
「うん……マリアが、色々と頑張ってくれてるから特にやれる事も無くて……私はこの通り、お暇を頂いている最中なんだ」
声を聞くだけで、こんなにも涙が溢れそうになるのは。
何故だろう。
「そうですか……」
「……うん」
声を重ねるだけで、こんなにも――貴方が、遠くに感じるのは。
「おーい、翼ちゃーん!!」
目に涙が滲む寸前、聞こえた元気な――しかし焦っている様な――声。
もしかしなくとも、休憩の終わりを告げるその鐘の様な音に、ボクは顔を上げた。
目の前に見えた『彼』は、凄く寂しそうに、苦そうな顔で微笑んで、背を向ける。
「……今月、新聞なんか出せないよね? あんなの……趣味みたいなモノだし……」
「……っ!?」
諦めた様な『彼』の声。
それはただの、ボクを気遣っての優しい言葉だったかもしれない。
でもボクには聞こえた――あの時と同じ様に。
『ここで――終わりにしようよ。私なんかを想い続けても……それは無駄な時間になってしまうから』
時が、思い出が――心が重なっている――。
結局、身体に、自然の摂理に、本能に身を任せる事しか出来ないと、諦めようとした悲鳴が。
それは、『彼女』なりにお別れの言葉を告げたつもりだったのかもしれない。
その通り。無理だ、忙しい。
君だけを見ている余裕が無いぐらい。
そう突き放せば終わる話だった。
純粋な女の子じゃないと知った時から、終わるべき話だった。
――でも。
――――ボクは。
――――――
「…………え?」
彼の口から出た言葉。
思わず聞き返した。
黄昏に染まった部室で貰った言葉を、思い出した。
あの時、そう……心がきゅって締め付けられて。
――諦められなくなっちゃって。
「出せますよ。ボク達新聞部の、唯一の活動ですから」
――ボク達の、絆そのものですから――。
そう言ってくれた気がした。
私はもう――『私』じゃない。
だから、とびらがしまりかけている。
さいしょから、ぼくだとか、おれだとか、それこそわたしでもよかったかもしれないけど。
そうゆうはなしじゃなくて。
わたしは……わたしがわたしであるためには…………。
「だから、いつも通り――待っていて下さい」
その言葉が最後に聞こえて、世界に外から差し込む光が無くなった。
真っ暗になった。
でも、確かな光が私の手元にあった。
最後だけど、最期にはならなかった。
幻みたいに不確かな『私』を、繋ぎとめてくれる、何かがあった。
私が諦めた――ううん、どんなに諦めたくなくても、自覚してしまった『現実』を覆い隠す、闇夜のツバサ。
それは烏みたいに真っ黒で、何一つ正しくない道を切り開こうとする、愚直の羽ばたき。
きっと今は、この世界の外で、足掻く様に空を切っている。
きっと明日は、この世界の外で、抗う様に光を裂いている。
冷たく、残酷な現実から――夢みたいな温かさを守る為に。
少しだけ頼りなくて、少しだけ直情的な羽の音。
それはいつもまっすぐで、いつも頑張っていて。
そんな貴方を――私は、信じます。
だから――それまでは――――。
――――――
――――
――
語り尽くせない程の内容を伴った体育祭だったが、なんとか最後までやり切り、閉会式を迎える事が出来た。
当日の夜、家に帰ってから重たい瞼を擦りながら、記事を要点ごとに纏める作業に没頭したのは一生忘れられないだ
ろう。
その後、生徒会側と内容の照らし合わせや調整を経て、分厚く仕上がった広報誌の献本を見ながら、窓から見えるグラウンドに思いを馳せた。
たくさんのトラブルはあったものの、催し自体は大成功だったと言えるだろう。
教職員側(一部)からの溜め息はあったが、それ以上に生徒側からの生徒会の支持率がうなぎ上りとなったのだから。
そして体育祭改革を主導した副会長・天城マリアの評判も良いモノで持ち切りだ。
これからも既存の不人気なイベント改革に力を入れ、新しい取り組みの改良も忘れないと公言したからだ。
それは嘘ではなかったし、物事の良い面を取り上げる麗爛新聞のコンセプトにも合っていたから、記事の一部にも取り上げた。
でもボクは、彼女の中に見えた深い闇から、目を背ける事は出来なかった。
彼女は誘惑こそしていたが、最終的に応えたのは『彼』だ。
先輩の心の大半が現実に屈服しているのは、その事実があるからなのだろう。
――恐らく彼女は、それを狙い澄まして、欲しいモノを的確に手に入れた。
ボク達の妨害を捌き、時間を掛けて――堕としたのだ。
幾ら狡猾だとしても、それは雌雄の性別を持つ生物として、否定出来ない行動。
だからボクが今すべきなのは、糾弾でもなく、ただ嘆くだけでもないだろう。
「リコ、ちょっと踏み入った事、聞いても良い?」
「何だよ、改まってさ。うちら、もう立派な友達だろ……何でも聞きなよ?」
「マリアさんが勅使河原先輩と付き合うって聞いて、どう思った?」
「ちょっ、本当に踏み入ってんな……それは、その……とても、悲しかった」
「うん」
「なんでリコじゃなくって……その女なのかって、悔しくって、凄く妬ましかった」
「……うん」
「でも、マリア様には幸せになって欲しいな、とも思った……あの人が笑顔なら、いいかって」
「確かに、良い笑顔だったね」
「……潔く諦めようと思うぐらいにね。でもさ、結局何も変わらなかったよ」
「と、言うと?」
「片思いが、だよ。マリア様には幸せになって欲しい。だからうちが――このアスラ・カスタ・リコリスが――幸せにするんだって、思う様になっただけだ」
「……それって、つまり?」
「諦めないよ、リコは。そう決めたんだし……それにそもそも、人を好きになるって、そう言う事じゃね?」
「そうだね……そうかもしれない」
「……んくっ……っぷあっ!! ま、マリア、ちょっとまっ……んんんんんっ!!」
「んっ……何よ華蓮、嫌? 折角恋人同士になったのに……」
「い、嫌とかじゃなくて……さっきからずっと私に構ってばっかりで……仕事全然進んでないじゃない……」
「いいのよ、そんな些事は。これは本来、来月やる仕事だもの。ちゃんと必要最低限以上の仕事はしてるし、こうして自分にご褒美をあげないと……んむっ……れるっ……」
「んんーっ!!??」
「……んぷっ、じゅるる……んっ、んっ……」
「…………んん…………」
「……んふっ、やっとその気になってくれた♪」
「…………ううっ……」
「あら、まだ完全に『オス』になってるワケじゃ無いのね。まあいいわ、時間ならたっぷりあるもの、ゆっくり金色に染めてあげる……心の芯まで……ふふふふふっ!! あははははっ!!」
「ひゃっ!? スカートの中に……手……入れないで……あう……!!」
「そんなの今更でしょうに……ほら、抵抗しない。手錠がいるかもね……今度、痕が残らない手錠でも特注で作ろうかしら? まあでも今は仕方ないし、そろそろ……」
「ひっ!? き、きゃあああ!? なっ、なななな、何しようとしてるのさ!?」
「あっ、こら、大声出しちゃダメじゃない!! ここ学校なんだから……痛い! 柔らかい太ももで押しこくらないで!!」
「副会長、ノックしてるんだから返事してくだ…………あの、副会長……?」
「あらっ、絹糸君……これはまあ違うのよ。戯れと言うか、そう、恋人同士の情事と言うか……決してやましい事をしているワケでも無いし、そもそも不純異性交遊も不純同性交遊も校則で禁止はされてないし……」
「いや……スカートの中に頭突っ込みながら何言ってるんです……しかしこの人の反応、なんか翼に似てるんだよなあ……?」
「『……十月の満月の夜。乙女は悦びを知る』ねえ……相変わらず、酷い事ばかり考える……」
「…………」
「……それでいいの、佐奈ちゃん?」
「……あんなでも、親は親ですから……恥をかかせるワケにも……いかないですよ」
「…………そう、私は……その決心に、納得出来ないけど……佐奈ちゃんがそう言うなら、止める事も出来ない。私は……傍観者でしかいられないから……」
「いえ…………でも、あの……抱き締めて、貰えますか?」
「……勿論。さあ、おいで……」
「……あったかい。人って、こんなに温かいハズなのに……」
「別に嫌だって言っても、いいんじゃないかな……?」
「本当は……逃げたいです…………でも……弟達が居るんです。あたしが逃げたら……あの子達に危害が及ぶかもしれない……!!」
「そっか……佐奈ちゃんは……」
「はい……他でも無い……あの人達の娘で……恐ろしさを、良く知っているから……!! でもあの子達を養う力も、お金もなくて…………今は、こうするしか……!!」
「…………大丈夫。例えどんな道を辿っても……こうして、何時だって抱き締めてあげるから。だから今は……ゆっくり心を休めて」
「翠さん……うう…………ん……」
「寝ちゃったか……佐奈ちゃんには、心強い味方が居るよ。きっとあの子なら……この残酷な地上から、あなたを自由な空に、飛ばしてくれるから」
桜の舞う季節。
ボクは彼女に出会った。
ボクは、『彼』に恋に落ちた。
ボクは、『彼女』に恋に落ちられた。
あれからもう、半年の月日が流れた。
春、夏を超えて秋が来て、冬が来る。
それは、逆らえない自然の摂理だと思う。
どれだけ輝かしい夏の日に恋焦がれても、どれだけ桜の映し出す幻影に心を奪われても。
時は進む。刻まれ続ける。
ボクは時の流れを受け入れ、今を生きている。
でも、全てを妥協なんてしない。
その先に望んだ明日が来ないなら――自分で創り上げて見せる。
届かない幻想に手を伸ばしたあの時の想いは、一時も忘れた事が無い。
この心は、最初から決まっていたのかもしれない。
だから……どうか、待っていて。
――何時か、その開かれてはいけない禁断の扉にさえ、手をかけてみせるから。
麗爛新聞 九月号 四面 終




