麗爛新聞 九月号 三面
「さあ、どこからでもかかって来るが良い……!!」
RPGで言えば中盤で立ち塞がる敵役の様な台詞に、ボクは足を止めざるを得なかった。
その華奢な両腕は翼の様に広がり、ゆらゆらと揺れている。
決して関節の動きが人間離れしているだとか、早過ぎて残像が見えるだとか、そう言った類のモノではない。
どちらかと言えばそれは、子供がふざけて誇張した拳法の真似事を見せられている感覚に近い。
余りにも稚拙で、隙だらけの構え。
――だと言うのに、その背に守る扉を……通れる気がしない――!
きっと扉の前に立ちふさがる彼女は、全身全霊を持って扉を守護しているのだ。
その奥で行われている……高貴な姫を堕落させる儀式の邪魔をさせない為の、強固な壁。
かなり緩く編まれた髪をゆらりと揺らし、彼女――アスラ・カスタ・リコリスと名乗った少女はボクと対峙している。
互いに譲れないモノを――押し通す為に。
「アスラ・カスタ・リコリスです。天城マリア様の勅命により、新聞部の天音翼さんと信頼を深めに参った所存でございます」
九月の中旬。体育祭が近付き、準備の為に教員生徒共々が忙しなく動き始めた頃のある日。
友人であり、生徒会の人間でもある絹糸勇士が新聞部の扉を叩いた。
出迎えたその表情は、どこか申し訳なさそうな感情を滲ませていたのをよく覚えている。
背後に可愛らしい少女を携えて、新聞部の各面に一対一で同行する『協力者』として、あの場に訪れたのだ。
そう、彼がここに来た前日、ボクが対談を申し込んだ天城マリアによって送られた……刺客。
――対話への拒絶の証明。それが彼等だった。
彼等はボク達が生徒会室へ近付く事を、決して許さない。
マリアさんの動きを不審に思った佐奈さんを、絹糸勇士が。
マリアさんに対話を申し込もうとするボクを……この傍らに居る少女、アスラ・カスタ・リコリスが。
道の先に続く未来を、その身を以て阻む様に。
「ところで天音ちゃん、本日はどちらへ行くのでありんす?」
ここ数日、相も変わらず無茶苦茶な言葉遣いで、ボクの隣で問い続けて来た彼女をちらりと見やる。
勅使河原先輩よりは高いが、男子として小柄なボクより低い位置にある、双眸を輝かせている彼女と視線がぶつかった。
ボクと同学年で、勇士と同じ生徒会に所属している女の子……悪い子では無さそうだけど。
「天音ちゃん、リコの顔に何か?」
「ん、いや……ゴメン、なんでもないよ」
良く言えば純粋、悪く言えば子供っぽいその顔からボクは目を背けて歩く。
「今日はどうしようかな……?」
「成る程、生きる目的を探して放浪する夢想の旅人と言う事ですね!」
「え? あ、うん……取りあえずそれでいいや……」
廊下をうろうろと、アテも無く歩き回る様に見せて、ボクは少しずつあの場所に近付いて行く。
――このまま有耶無耶にし続けて、あの場所まで辿り着き、突入してしまえ――!!
「成る程……何度言っても分からない愚かな旅人、と言う事ですかね……!!」
あの場所――無論、生徒会室だ――の前に辿り着き、ボクがダッシュを仕掛ける寸前。
ボクと扉の前に身体を差し込んで立ち塞がる、彼岸花色のゲートキーパー。
こうしてボク達は対峙した――つまり、現在に至るのである。
彼女は世間話をしていても、ボクを動きに細心の注意を払い続けている。
ただしその『協力』の制約が働くのは放課後だけだ。
新聞部と生徒会の共同で行われる、体育祭の広報活動と言う名目が無ければ、彼女はボク達を縛る事が出来ない。
そして、佐奈さんが確認する限り、勅使河原先輩はまだマリアさんの魅力に屈していないらしい。
『私は……うん、大丈夫だよ。まだ……私で居られるから、大丈夫』
ボクが連絡をしても、返事をくれない勅使河原先輩は、そう言っていたと聞いている。
先輩の事だ……恋人でもないボクに、操を立てているつもりなのかもしれない。
誘惑ぐらい、自分の力で断ち切って見せると言う意思表示。
生徒会室で何が行われているのかは分からないが、きっとそうなのだろう――本当に、いじらしい人だ――。
それでも、ボクはただ待っていられない。
なんとかして、彼女の力になってあげたいと思い続けている。
幾度目かの画策に失敗したボクは、取りあえず新聞部としての活動をする事にした。
体育祭での広報活動は、体育祭本番で行われる競技の内容や、勝敗を記すだけの行動を差すのではない。
開催に至るまでの準備や、注目の競技を事前にピックアップしておく等、今の内にやれる事はあるハズだ。
佐奈さんは生徒会室への突入ルートを探りつつ、校内で準備風景の写真を撮っている。
勇士が敢えて話してくれているその情報からも、今の状況が生徒会としても、良しとされていない事が分かる。
――勅使河原先輩の為じゃなく、マリアさんの為にも、何とかしないと――。
「……っとと、通り過ぎる所だった」
考え事をしながら進めていた歩みを急に止める。監視の少女がボクに鋭い視線を向けたが――すぐに警戒を解いた。
この場所は生徒会室とは程遠い。ボクがここに来たのは、いち新聞部の記者として。
ガラガラ、と車輪が回る音を立てて戸を開くと、内部から竹のぶつかりあう、軽くもありながら重い信念を感じる剣戟が鼓膜に届いた。
「……ここは……?」
「剣道場だよ。ちょっと、部長さんに話を聞きに来たんだ」
「……このタイミングで、剣道部にですか?」
彼女が不思議がるのも、無理は無いと思う。
何故なら麗爛学園の体育祭は――割とメジャーな部類だと思うけど――屋外で行われるのだから。
「よく来てくれた、天音さん!! 前回の取材以来かな? っと、今日は生徒会の方もご同行だったね」
剣道部の部長は、わざわざ防具を外して待っていてくれていた。
来訪を歓迎する握手に応じながら、ボクはニコリと笑みを浮かべる。
「急な申し出だったのに、対応して下さってありがとうございます、部長さん。こちらが生徒会のリコリスさんです。男子剣道部の部長さんだよ、リコリスさん」
「あ、アスラ・カスタ・リコリスでございまして!! 本日はお日柄も良きに候!!」
「う、うん、宜しく。しかしなかなかに変わった娘だ、流石新聞部と言うか、何と言うかだね」
「そ、それはどう言う意味ですか!?」
緊張しているのか、声が震えているリコリスさんと、対照的に堂々として見える部長さん。
此度の来訪は佐奈さんの力を借りず、前回の取材で得た縁を使って約束を入れていた。
リコリスさんがボクに付いて来る事を前提に、生徒会室と離れた場所で、ボクなりの行動を起こす為に。
しかし、リコリスさんの表情が引き攣っているが、大丈夫だろうか。
「は、はわわわわ……!?」
と言うか、明らかに挙動不審だ。男性が苦手なのかもしれない――だとすれば、彼の金髪の姫君を『マリア様』と呼ぶのは、もしかして――。
「そちらの彼女の様子から察するに……場所、変えた方が良さそうだね?」
「す、すみません……そうして貰ってもいいですか?」
もしそうだとするなら、リコリスさんにとってこの状況は地獄絵図に変わりない。ボクは彼女の為に、そして彼等の為に、両手を併せて『おねだり』を態度で示した。
「お、おお―――ッ!?」
「おっと……はっはっは、良いよ良いよ。天音さんの頼みなら、我等剣道部は何時でも、何でも引き受けるさ。
それじゃ、部室の方に行こうか」
「あっ、抜け駆けなんてズルいっすよ部長!! みんなが翼ちゃんかわいいって思ってるの知ってる癖に!!」
「うるせえ!! こちとら弱小剣道部の名を売る為に、お前等が練習している間に天音さんとお話をしているんじゃねえか!!」
「ぶ、部長…………って、あんた普通に楽しんでるだけじゃねえか!!」
「はっはっは、行ってろ無権者共め!! この場で両手に花を掴むのは、俺一人だと言う事を崇め、己の無力を悔いるがいい!! はっはっはっはっは!!」
まるで悪役の高笑いをしながら、部長さんはボクの肩に手を回して、剣道場を後にした。
……と言うか、貴方も随分変わっている人だと思うのですが。ボクだけは、そんな事を思いながらだったけど。
離れにある部室へと案内されたボク達。
「ふう……」
リコリスさんが青ざめていた顔を、少しだけ復調させて息を吐いた。
「どうぞ、そちらは来客用の座布団だから、そちらの御嬢さんが座っても大丈夫だと思うよ。汗臭くも、汚くも無いハズだ」
「え? あ、ありがとうござりまする……よきにはからえ……」
「あ、あはは……なんだかすみません、部長さん……」
「構わないさ。誰しも苦手なモノはあるからね」
竹刀を打ちあう音が遠くで聞こえる中、ボクは座布団に座りながら手帳を開いた。
「さて、今回の取材はどんな内容かな?」
「……単刀直入にお伺いします。貴方は剣道部の部長として、体育祭と言う催しをどう思っていますか?」
「……っ!?」
リコリスさんが息を吸う音がして、部長さんの頬がぴくりと持ち上がった。
「……それは、どう言う意味かな、天音さん?」
男子剣道部の部長は平静を装っているが、内心は、穏やかではないかもしれない。
それもそうだ。一年生とは言え、『主催の片割れ』でもある生徒会の一員を引き連れて、何を聞こうと言うのか。
だからこそ、ボクは問う。
「いえ、単純に気になりまして。屋内で行われる部活動に所属している方々は、体育祭自体にマイナスのイメージを持っているのではないか、と」
――真実を導く問い掛けを――敢えて、今、ここに。
「…………」
部長さんはちらりとリコリスさんを見やる。
彼女が居る限り、彼は本心を語るワケにはいかない。
予算を管理する生徒会に悪い印象を与えてしまえば、功績を残せていない剣道部の存続をも左右させてしまうかもしれないから。
答えなんて、問わなくても既に決まっているのだろう。
この状況は、ボクが作り上げた『嘘を強要する場』だ。
そして状況に合わせてを本意ではない受け答えすれば、彼は新聞部に嘘を吐く事になる。
だからどうした、歯触りの良い言葉を並べれば良い――きっと、誰もがそう思う――のだから。
ただし、それがどうとも思っていない人物ならば。
――最強の魅力の因子をこの身に半分受け継ぐ、ボク以外ならば、に限るけれど。
ボクは彼の瞳に、上目遣いで想いを伝える。
偽りなく、本心で話して欲しい、と。
ボクの好奇心を、貴方の答えで満たして欲しい、と。
「……ハッキリ言って、それ程良い印象は抱いて居なかった」
――ボクはこの時、罪作りと言う言葉の本当の意味を知った。
貴女はこの重みを、生まれながらにして抱えていた。
それがどれ程の苦痛なのかは分からない。どれ程の呪いを産むのかも分からない。
だから同情なんてしないし――きっと彼女はされたくもないだろうけど――出来ないから。
でも、行く道を阻まれると言うのなら、ボクは貴女と同じ力を使って大切な『者』を取り戻す。
言いにくい事を言わせて、ごめんなさい。
ボクは彼の返答を聞きながら、視線に謝罪の意を込めた。
「俺達は屋内の部活なのに、体育祭の練習とやらで無駄な体力を使わせられる。それが部活に悪い影響を与えられることだってあるんだ、良い印象なんて無かったさ」
彼は頭を横に振りながら、そう続けた。
「な、なんて事を……!! 先輩達が一生懸命頑張って盛り上げようとしている祭りを……!!」
リコリスさんが立ち上がり、怒りに肩を震わせた。
マリアさんを様付で呼ぶ様な人だ、彼女は生徒会に余程強い思い入れがあるだろうと分かっていた。
ボクは、当然の反応であるそれに目を向けずに言葉を発する。
「まあ、そうですよね。ボク達なんて文化部ですから、そもそも身体を使うと言う事にメリットがそれ程無いんですよ。他の部活の方々も、去年の体育祭は酷かったと口を揃えて言っていますし」
「……なっ!?」
片手で手帳のページを捲りながら、もう片方でペンを回す。
そんなボクの様子を見て、部長さんはニヤリと笑った。
「ボク個人としても、体育祭と言うイベント自体には、あまり気乗りしませんしね」
貴方だけに、苦痛を背負わせはしませんよ。
前に進む為に、自らの印象だって犠牲にする覚悟がありますから。
「ぐっ……このドグサレ野郎っ!!」
「うっ……!?」
鮮やかな赤がボクの視線を横切ったかと思えば、ボクの身体は持ち上げられていた。
胸倉を引き上げられ、ペンとメモ帳が落下する。
――その華奢な腕のどこに、それ程の力が眠っているのか。
「お、おいおい……」
「てめえ……!! マリア様が毎日苦労して、てめえら凡俗の為に汗水垂らして雑務をやってるって言うのに……!! その見返りが、自分達の為にならないって……そんな下らない一言だけだって言うのかよ……っ!!」
丁寧だけど無茶苦茶な言葉ではなく、荒々しいが正しい言葉。
きっとそれが彼女の本性なのだろう。
「マリア様は……一体何の為に……!!」
抑圧しなければいけない何かがあった。
覆い隠さなければいけない何かがあった。
それはきっと彼女だけじゃない。
――その箍が外れる事は、決して悪い事じゃない。
だって――今の方が、ずっと彼女らしく見えるから。
「……リコリスさんだっけ? 取りあえず、天音さんを下ろしなさい。理由がどうであれ、乱暴するのは頂けないよ。それに、天音さんの話を最後まで聞きなさい」
「……はっ!?」
部長さんがリコリスさんの頭をぽんと優しく叩くと、彼女の目がぱちりと瞬きをした。
次の瞬間には、ボクの身体は解放されていた。そして同時に、リコリスさんが離れた場所で胸元を抑えている。
「……す、すみませんです……少し、我を失っただけだっつの……」
中途半端な状態の彼女に手を振り、ボクは身だしなみを整えた。
「……さて、話の途中だったね。天音さんは分かっている様だけど……そう、そんな体育祭へのネガティブな印象も、去年までだ。今年の体育祭は、一味違うモノになるだろうしね」
「………………え?」
リコリスさんはキョトンとした表情で、間の抜けた声を上げた。
「……ですね。ボクも、今年の準備の内容とか、生徒会の友人から聞いていたからこそ、こうして取材を自分で申し込む程に執心していますから」
「………………はああああっ!?」
はあ、とボクと部長さんは揃えて溜め息を吐いた。
リコリスさんに一瞬、嫌悪を抱かせるとは覚悟していた。
でも正直、取材と言う行為で、ここまで荒っぽい出来事が起こるとは思わなかった。
……慣れないといけないかもしれないな、こう言う事にも。
口をパクパクとさせ、御淑やかな印象を忘れさせる姿をボク達に晒している彼女を尻目に、ボク達は話を続ける。
「今年の生徒会は素晴らしいよ。特に副会長のボインちゃん……ごめん、天城さんだっけ。彼女、去年の文化祭に消極的だった人が居るってだけの理由で、投書箱を用意したんだもんね。無記名で、罵詈雑言すら受け付けるって張り紙まで出してさ」
「ボクもその話、聞いてます。要望がかなり多かった、『専門スポーツの競技を用意する事』は叶わなかったけど、その代わりに今年から部活動対抗リレーを始めとする、アピールの場を各所に設けたって」
「そうなんだよ。だから、他の種目でも情けない姿を見せられないし、モチベーションも上がった。正直に言えば、今年の体育祭は楽しみなんだ」
満面の笑みで本心を語ってくれた部長さんに、ボクも微笑みで返す。
「ボクもです。生徒会副会長が、予てから教職員に掛け合ってくれていた事もあって、体育祭への全体の意気が昂揚している現状、取材先に困らないですから」
分かっている。一緒に過ごした時間が如何に短くても――知っている面がどれだけ少なくても、どんなに浅くても――マリアさんが『良い人』だと言う事は、否が応でも分かっているのだ。
だからこそ問いたい。貴女は何をしているのか、何を欲しているのか。
ボクは、その先に見える、否定を超えた信頼を抱かせて欲しいだけだ。
「…………」
ボク達の楽しそうな会話――もとい取材――を見ながら、リコリスさんは呆け続けていた。
「天音ちゃん……すみませんでした……」
男子剣道部から部室に戻ろうとする帰路の途中、リコリスさんが唐突に口を開いた。
「え? もしかして、胸倉をつかんだ事?」
「……そ、それ以外に何があろうこってすか……?」
「そっか。それなら、ボクも謝らないとだ……貴方達生徒会を、貶める様に聞こえかねない質問をしてしまって、ごめんなさい」
申し訳なさそうに俯く彼女に、ボクは立ち止まって、頭を下げた。
「え、ええ……!? なんでお前が謝んだよ……!? 意味わっかんね……」
困惑し過ぎているのか、彼女は丁寧な言葉遣いをすっかり忘れてキョドっている。
「あはは。なんと言うか、リコリスさんの事が、ちょっとだけ分かって来た気がする。ちょっと言葉遣いが乱暴かもしれないけど……他の人の為に、本気になれる素敵な一面が確かにあるって」
「は、はああああっ!? なんだこいつキモいキショいヘンタイじゃん!?」
「余りにも酷い!!」
ボクがそう言いながら頭を上げると、彼女の顔は髪色と同じくらいに赤く染まっていた。
「……あー、その……うちは元々……こんな感じで口が悪くてさ。でも高校生になったし、いつまでも中学時代のままじゃいられないと思ってさ……」
でも敬語ってよく分からんしムズイ、と零す彼女は編んでいた髪をするすると解いた。
もしかしなくとも、それも含めて彼女の粗暴な印象を隠す仮面だったのだ。
髪を慣れないながらに編み、自分を少女らしくリコと呼び、無茶苦茶でも一応敬語を使う――アスラ・カスタ・リコリスと言う名の仮面。
けれど今は、嘘偽りを一切纏わない姿の少女が一人居るだけだ。
窓から差し込む夕焼けに映えるその赤は、血と死を彷彿とさせる色。
けれど、見ていて何故か寂しさと悲しさを覚える――そんな赤色だった。
「でも、ボクはその感じのリコリスさん、素敵だと思いますよ」
「……………………えっ、うち今口説かれてる?」
口元を覆って驚いている彼女に、ボクは慌てて首を横に振った。
「そ、そう言う意味では無く……無理をしていなくて、自然な方が……貴方らしく見えると言いたかっただけで……」
「………………やっぱり口説いてんじゃん!! マジごめん、うちにはマリア様と言う心に決めた人が居るからお断り申す!!」
「だ、だから口説いてないですから!!」
こ、ここが人通りの少ない屋外通路で助かった……下手に誰かに聞かれたら面倒くさい事になっていただろう。
佐奈さんとか、勅使河原先輩とかがこの場に居なくて良かった、本当に。地味に生徒会室が近いから、その危険性も無くは無かったのだ。
「今のが口説いてないとか……お前、相手の事が好きでもないのに、いつの間にか彼女とか出来てそうだな……」
「…………否定出来ないなあ…………」
「……え、マジでそうなの? あの勅使河原って女とそんな感じなの!?」
「いやいやいやちが……え? 勅使河原先輩?」
……何故、彼女からこのタイミングで先輩の名前が?
「……………………えっ、違うの?」
ボクの反応から、彼女は何かを察し――そして同時に、ボクもその違和感を強く感じた。
「……うち、マリア様からあの女と、他にもう一人の女の子が天音ちゃんに二股かけられてるって聞いたんだけど……」
「いや、ボクが付き合ってるのは今勇士が一緒に居る、花前って人だけだよ」
「ああ、あのデカ乳か……嘘、マジで!? あれ、じゃあなんでマリア様はあいつと……? うちは……なんでこの気持ちを我慢してるんだ……?」
リコリスさんはうーん、と唸りながら腕を組む。
ちょうど腕に乗るくらいの大きさの胸が、くっと持ち上がった。
「…………まあ、お前が女にだらしないってのは間違いなさそうだけど……」
「あっ、ごめん……」
じっとりとした目付きを感じて、ボクは慌てて目を逸らした。
しょうがないじゃないか、男の本能だもの……。
女の子には、そりゃあ分からないかもしれないけど……。
「…………本能、か……人はどこまでいってもケダモノなのかもしれないね……」
「いや、何遠い目してんだよ……今のは単に、お前がエロかっただけだろ……」
それは是非も無い話であり、そして真実でもある話だった。
「しかしまあ……天音ちゃんが嘘を吐いてるって事も無さそうだな。って事はマリア様の思惑がありそうだけど……」
苦悶するリコリスさんに、ボクは勅使河原さんと話す前の自分を重ねた。
今日の話だってそうだ、彼女が良い面をかなり持っているからこそ、彼女を疑う事から目を背けたくなる。
ボクだって……彼女が、ボクを好きだと知っている先輩を、誘惑しているだなんて信じられなかった。
……でも、こうして実力行使に出ている以上、見過ごせなくなってしまった。
問わずとも分かってしまう。彼女が、勅使河原先輩を『男性』として覚醒させようとしている事が。
彼女の本能が、良い面を覆い尽くしてしまったのだ。
欲望を内面に押し込めている、或いは受け入れてくれる人と分かち合うのは問題無いだろう。
ただ、誰かに強要してしまえば……それは阻む必要が出て来てしまう。
誰かが大切にしているモノを汚そうと言うのなら――全ての力を用いてでも。
――そして。
「……リコリスさん、貴方……マリアさんが好きですよね?」
――貴女が疎んじた、大切な何かを奪ってでも。
「……いやまあ、そうだな。好きって言葉じゃ足りないぐらい、その……恋焦がれてるけど……引いたか? マリア様が女の子も好きだと言ってくれたから、傍に居られる様なモンだし……」
「……っ」
彼女の問いに、ボクは虚を突かれた。
そう言えば、同性を好きになるのは、一般的ではないのだった。
それを忘れるぐらい――ボクは自然と――受け入れてしまっているのだ。
「はは……引くよね……だって、女の子が女の子を好きになるなんて……間違ってるもん……!!」
「……引かないよ。この心に誓って……絶対に」
ボクは胸に手を当て、彼女に真っ直ぐな視線をぶつけた。
「誰かを好きになるって気持ちに、間違いなんてないよ。少なくともボクは――そう思う」
それは、自分に言い聞かせていたのかもしれない。
「…………本当に……?」
彼女から発せられた縋る様な言葉は、荒っぽくもなく、丁寧でもなかった。
より純度の高く、よりあどけない言葉遣い。
良く言えば純粋、悪く言えば子供っぽい。
それが一周回っていた、本当の彼女らしさなのかもしれない。
少なくとも――。
「………………っ!!」
こうして胸に飛び込んで来た彼女を、拒む理由は見当たらない。
「……手伝わせてくれないかな、リコリスさん。ボクに……君の恋路を。その代わりに……」
「……ぐすっ……分かったよ……うちだって……マリア様とあいつが、一緒になるなんて嫌だよ……!!」
夕焼けに染まる屋外通路で、ボクの胸元に顔を埋める少女の涙と、想いを受け止める。
こんなボクに出来る事。
それは――嘘を吐かず、そして心のままに動き――人と繋がる事。
歩き続けたボクが見付け、これからも進むと決めた道なのだった。
麗爛新聞 九月号 三面 終
この記事は四面に続きます。




