麗爛新聞 八月号 五面
祭囃子が遠くから聞こえて来る、地元で一番大きな駅の前。
夏休みも残りわずかとなった今日と言う日。待ち合わせ場所に指定されたこの場所に、俺――絹糸勇士は一人佇んでいた。
待ち人が来る時間は、今からおよそ一五分後なのだ、それもまあ当然の事だろう。
今日は地域でも大きな祭が開催されていると言う事もあり、人通りが多い。
俺の様に誰かと待ち合わせをしている様子の人々も多く、あちこちで浴衣なり甚平なりを褒め合う声が聞こえて来て、やけにそわそわしてしまう。
――まあ、そわそわした所であいつが早く現れるワケでもないのだが。
『お祭りの二日目、夕方の五時に駅前で。いつもの、飾らない勇士の恰好で』
何の前触れも無く送られて来た、突然のメール。
その誘いに二つ返事で了承したはいいが、奴の目的は正直良く分かっていない。
あの祭囃子の楽しそうな音に誘われる様に、縁日に繰り出すのか。
はたまた今日は全く別の用事で呼び出し、電車を使って遠出をする為に駅集合にしたのか。
――どちらにせよ、俺はいつも通り過ごせばいいだけだ。
いつも通り、あいつと一緒に。
「……お、お待たせ」
一人で口角を上げていた俺に、横から声を掛けて来た人が現れた。
そんな俺に話しかける物好きは――意外にも、何人かいたりするのだが――もとい、『お待たせ』と言葉を発するのは一人しか居ない。
そう先入観を持って、俺は身体を声のした方に向け――。
「ん、随分早いじゃないか…………ッ!!」
――思わず、息を呑んだ。
そこに居たのは、現実では知り得ない黒髪の美少女。
翡翠を埋め込んだ様な煌びやかな瞳に、うなじを見せる様に上げられた髪の毛。
そして空を舞う翼――鳥の羽をモチーフにした、少しずつ見慣れて来た髪飾り。
何よりも特筆すべきは――浴衣姿になった、かつての幻影が目の前に現れた。
黒の布地に、桃色の朝顔の花が咲くその光景は、まるで夜空に打ち上がった花火だ。
深い印象を与えて来る浴衣だと言うのに、来ている本人が放つ存在感の強さは微塵も減っていないのは、流石だと思った。
「そ、そんなにじろじろ見られると恥ずかしいよ」
「あっ、悪い……つい、な……」
恥ずかしそうに身を捩る美少女から、慌てて目を背ける。
「……ふふ、別に怒ってるワケじゃないし、『絹糸君』に見て貰う為に着てるからいいんだけどね」
「いいのかよ……って言うか、つ…………」
間違っていないハズの名前を口にしようとした瞬間――俺の中で、一瞬だけ時が止まった気がした。
髪を纏められる程の長さの髪は、自然に見えるがあくまで人工的なモノだろう。
ウィッグを使った、本気の装い。
あれ以降、俺に決して見せる事の無かった、幻の姿。
脳裏に過るのは、あの固着した時の滞留点。
お前がこの迷いを意図して起こさせていると言うのなら――。
「……アマネさん、俺、何か怒らせる様な事でもした?」
――俺にも、一枚噛めと言う事なんだろう?
彼女は――約二年前に出会い、今ここで再会した美少女は首を横に振る。
そして、俺に向かってうっすらと笑みを浮かべた。
それから俺達は、祭囃子に誘われる様に縁日が続く大通りへと向かって歩いて行く。
からん、からん、と聞こえる下駄の音が、なんとも落ち着かない。
しかし、それは決して嫌な気分には成り得なかった。
「今日はまた、なんでお祭に行こうと思ったんだ?」
「え? お祭りに行くのに、理由なんていらないよね?」
「……まあ、確かに」
変なの、と笑われたのが妙に悔しくて、俺は唸って腕を組む。
「それじゃ、質問を変える。なんで、俺を誘おうと思ったんだ?」
「…………」
からん。
軽快に刻まれていた音が、唐突に止まった。
つられて立ち止まり、視線をそちらにやると――黒髪の少女は、少し潤んだ目で俺を見ていた。
「……悪い。それも、理由なんていらないか」
誤魔化す様に俺が笑うと、彼女は少しムッとした表情を浮かべたかと思えば、再び歩き始めてしまう。
気まずくなった雰囲気の中、眼鏡を押し上げて彼女を追いかけながら、頭と心を整理した。
あいつに何か思惑があって行動を起こしたのは間違いないと思う。
しかし――その理由と狙いが掴めないのだ。
何故、彼女が出来たばかりのタイミングでこんな事をする。
何故――再び俺の前に、その姿を披露する。
メールの文言にあった、『いつもの、飾らない勇士の格好で』の意味。
それは、お前に友達として接しろと言うのか?
それとも――お前を、たまにしか会えない美少女として……
……ファーストキスの相手として、接しろと言うのか?
――翼。
お前は俺に、一体何を望んでいるんだ。
友達として、力になってやりたいと思うから……余計に知りたいんだ。
「わあ……!」
頭の中で考えを張り巡らせていると、気付けば屋台が立ち並ぶ大通りまでやって来ていた。
黒髪の少女が上げた感嘆の声を聞いて我に返ると、今までに幾度となく見た――けれど、見ているだけで心が躍る縁日の光景が広がっていたのだ。
「ねえ、どっちからまわろっか?」
首を傾げる仕草も、その甘える様な声色も――女性にしか見えない、感じられない。
そう、椿縄の学園祭で見たゴスロリの時と同じで。
「……右から行こう。帰りに、左側を見よう」
立ち込める喧噪も、所狭しと並ぶ出店も、行き交う人も。
全部――あの時を彷彿とさせるのだ。
――だから。
「……あっ」
俺が何気なく取った行動に、彼女は小さく声を上げた。
「はぐれるといけないからさ」
「……うん」
差し伸べた俺の手に――アマネさんは、そっと手を重ねた。
「キャラクターの袋の綿菓子、懐かしいね。食べ切れなくて、家に帰る頃には、すごく萎んじゃってた思い出あるよ」
「個人的に思い出深いのは、くじ引きだな。本当に大当たりが入っているのかと思うぐらい、俺が引いても何も出ないんだ」
「あはは。意外と運、悪いんだね」
「昔から、何故かな。あっ、お面があるぞ、一つ買って行くか?」
「い、いや……私はいいや……」
「そ、そうか……すまん。それじゃあのフランクフルトは……」
「…………」
「……すまん……焼きそば、たこ焼き辺りでいいか?」
「…………あれ、食べる所見たいの?」
「忘れろよ!! 掘り返すなよ、お前の見た目だとシャレにならない失言だったと分かってるんだから……」
「別にいいよ、絹糸君だけなら……うん」
「…………おい」
「冗談だよ、半分」
「………………半分……?」
――――――
縁日を堪能し、互いの手や腕が埋まって来た所で、俺達は少し離れた所にある神社の境内までやって来た。
「あ……手、もう大丈夫だよ」
「……そうか、すっかり忘れてた」
最早繋ぐ事に何の違和感も無かった手が離れる。
――何も無い。その普通なハズの感覚が、どこか寂しく感じた。
「……」
祭囃子は遠く、聞こえる喧噪も小さい。
騒がしく、賑やかな場所と離れて――俺は再び記憶の迷路に迷い込む。
一緒に居て、思い出すのは当然――あの時の事だった。
互いに何も言わず、古びた石段に腰掛けたままの時が過ぎて行く。
「……なんか、お祭りに来るといつもこうして、離れた場所に来ちゃう様な気がする」
沈黙を破ったのは、アマネさんの方だった。
「……何事も、メリハリが大事なんだと思う。こうして休憩する事が、決して悪いとは思えないけどな。この後、より楽しめばいいさ」
「……そうだね。昔はただ、痛みから逃げただけど……今は違う様な気がする」
プラスチックの入れ物を開け、アマネさんは焼きそばを食べ始める。
ソースの香りがほのかに漂い、それに触発された俺の食欲を納める為に買ったたこ焼きを口に含んだ。
――美味い。関東だと屋台が最もメジャーな、柔らかい味わいだ。
「あ、そっちも美味しそう……やっぱりたこ焼きも買って置いた方が良かったなあ」
「一つやるよ。だからそっちもちょっとくれ、俺も焼きそば食いたい」
「分かった……はい、どーぞ」
そう言って、焼きそばの挟まった割り箸を突き付けて来た。
「…………あぐっ」
一瞬躊躇ったが、俺はその供物に食らいつく。
「ふふ、間接きっすー」
――勿論この茶化しも予想していたが、全く気にならなかった。
どうするか、なんて――最初から決まっていたんだ。
「うるせえ。ほら、こっちも」
お返しにと、たこ焼きを半分に崩してから突き出すと、アマネさんは――いや、『翼』は箸ごと口に含んだ。
やっと本調子に戻れた気がする――だが、翼は怒るかもしれないなあ。
折角こんなに気合を入れておめかししてくれたと言うのに――。
「……おいひい」
「だろ?」
――けど、俺はさ。
「……今年の夏休み、どうだった……翼?」
「……ッ」
隣から聞こえた、息を呑む音。
でも俺には分かる――それは怒りでも、驚きの感情でもなく。
「……楽しかったよ、とっても!!」
――喜びを含んでいたって事が、はっきりと。
きっと、その姿の自分がどう見られているかを知りたかったのだろう。
そして、ちゃんと前に進めているかを確かめたかったのだろう。
「……勇士はどうだった?」
「俺もだよ。海にも行ったし、こうして夏祭りも堪能したからな」
「海はともかく……後者は男二人って言う、ちょっと悲しい夏祭りだけどね……」
翼が歯を見せて苦笑いをする。若干自虐気味なその言い方を、俺は否定する。
「何言ってるんだよ。それが翼なら、俺は文句無しの大満足だ」
「……ッ!!??」
そう言うと、翼は面白い様に顔を真っ赤に染め上げた。明かりの足りない、薄暗い境内だと言うにも関わらず、その様子が目に見えた程に。
「ははは。そんなんじゃ、佐奈先輩に愛想尽かされるぞ。この浮気者めーって、きっと笑顔で追いかけて来る」
「……それはそれで怖いなあ……」
その後、しばらく神社で談笑をして確信した事がある。
天音翼。お前はどんな外見でも……俺にとってはもうアマネさんじゃなくて、天音翼なんだ。
出会いこそ風変りで、俺の初恋をダメにしかけた問題児。
女の子みたいな顔立ちで、男にも女にも惚れる節操無し。
おまけにむっつりだし、おっぱい星人だし。
諦めが悪くて、優柔不断で、そのクセ周囲の目を何かと気にする『気にしい』で。
でも、誰よりもまっすぐで、頑張り屋で、女装が特技で。
――そして、一緒にたくさんの思い出を築いた、俺の大切な友人だ。
俺は――それを全部覚えているし、無かった事にしたくない。
過去に戻る事は出来ない。せいぜい、再び時を止めたフリをするぐらいが限度だろう。
まあもしお前が望むなら……もう一度、そうするのも悪くは無いと思うけど。
「翼」
俺は翼に、改めて声を掛ける。
「何?」
「悩んだら、何時でも相談してくれ。お前はこうと決めると、それしか目に入らなくなるから、その前に必ず、な」
「うっ……わ、分かってるよ」
だからこうして……と小さく続く言葉が聞こえた気がする。それを先にしっかり伝えていれば、こんな面倒な事をしなくても済んだと言うのに。
……いや。楽しかったから、俺達にとって、この回り道が正解だったのかもしれないけれど。
「それと、もし俺が未婚のままで、お前が嫁の引き取り手に困っていたら、ウチに来い。歓迎するから」
「……………………へ?」
ポカンと口を開けている翼を一瞥して、俺は頭を掻きながら続ける。
「俺は別に男が好きってワケじゃないが……翼、お前なら別に、男でも構わない」
「……………………えっ、焼きそばとたこ焼き食べながらプロポーズとかっ!! 全然ロマンチックじゃない!! 信じられない!!」
……そう言いつつ、顔が緩み切ってるのは、突っ込んだら負けなのだろうか。
海に連れて行って貰った時、部長さん――勅使河原華蓮を当初から男だと知っていて、気持ちが変わっていないと言う話を翼から聞いた。
翼の性癖が、助平よりのノーマルだと言う事は中学時代から知っていた――しかし、その話を聞いても俺は、存外驚かなかったのは記憶に新しい。
――翼が持つ恋愛観から、性別の境界線を取っ払った一因に――心当たりが、ちょっとばかしあり過ぎたのだ。
その責任を取る、と言う事でも無いのだが……まあ、どうせ本人が気付いていないのだ、取りあえず置いておくか。
「プロポーズじゃない……もしも、の話だ。俺も会長と終わってるワケじゃないから、保証は出来ないけどさ」
「あっ、そう言えば拝島さんとどうなったのさ、話聞かせてよ」
「特に何も無い」
「嘘吐け!! 拝島さんから『絹糸君と遊園地に行きました』って聞いてるんだぞ!!」
「……あのお喋りバ会長め……」
「あー、拝島さんに言ってやろう。勇士が、『バ会長』って言ってましたって」
「…………おい、やめるんだ。日和は意外と……キレたら怖いんだ」
「へー、日和って名前で呼んでるんだ……じゃあ遊園地のお土産話してよー」
「………………お前なあ」
祭囃子と人々の喧噪が遠くに聞こえる、静かな境内。
俺と、女の子にしか見えない少年の声が反響する。
二年前、同じ様な光景を俺達は繰り広げていたけれど。
――その時を超えて、俺達は確かにここに居る。
そんな当たり前の事――二年前は出来なかった事が、今は自然と出来る様になっていて。
話し声が止まり、からん、からん、と下駄の音がして境内は再び静寂に包まれる。
その場の時は固着する事無く、ゆっくりと――そして、しっかりと流れ続けていた。
麗爛新聞 八月号 五面 終




