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勅使河原華蓮の編集後記  作者: 成希奎寧
麗爛新聞 八月号
26/40

麗爛新聞 八月号 三面

『いけないわ、シュウゾウさん……私には夫も子供も……』


『いいじゃないかサリナちゃん……!! 僕はこんなにも君を愛しているんだから……!!』


スクリーンに映し出される、乳繰り合う男女の姿を見ながら、私は聞こえてくる台詞のほとんどを耳で素通りさせていた。


心ここに在らず、なんて言えば聞こえはいいけれど……私はこれまでに無い背徳感に酔いしれているだけなのだと思う。


禁断――それは甘美な響きで脳髄から心を揺さぶる、人が口にしてはいけない邪な蜜の味。


丁度、スクリーンで上映されているのもその関係性を描いたモノで――余計に、自分の置かれた状況を意識してしまう要因になっていた。


「…………ぐー……ふがっ……」


二つ隣の席から聞こえる寝息に溜め息を吐きながら、私は隣に居る少年に目を向けた。


「……っ」


――翡翠の様な目が、同じタイミングでこちらに向いて、視線がぶつかった。


「……先輩、どうしたんですか?」


そう問われて、私はドキッと身体を硬直させた。


……どうしても教えて欲しい事は、確かにある。


聞けるなら、今聞いてしまいたい事。


真っ暗なシアターの中、まぐわう様な掛け合いをバックグラウンドに、私は――。






「……ううん。何でもないよ」


――それを、聞かなかった。


何時か、彼の口から語られるのを、待っていなくてはならない。


待っていて、貰えますか?


――そう尋ねられて、私は首を縦に振ったのだから。


私は彼に微笑んで、スクリーンに顔を向けた。


左隣から、鼻で息を抜く様な、満足気な息遣いを聞いた気がする。


今は映画の上映中だ――みだりに喋る事は禁じられている。


……だから、なのだろうか。


彼と話した一瞬にも満たない時間が、心に甘い温かみを響かせているのは。


あのひと時は――彼女が居る相手との夢の様な……禁断の逢瀬に等しいのかもしれない。


私は胸に手を当てる。


とくとく、と少しだけ高鳴っている鼓動が、現実だった事を確信させてくれていた。






禁断の恋。


私が抱いているこの恋心は、全てが許されざるモノだと分かっている。


スクリーンに映される、肉欲を帯びたが故に倫理的な観点から咎められるそれよりも、もっと――別の所で。


――私達の手の届かない所で、禁じられた繋がり。


それは二重螺旋が紡ぐ旋律の響きの様に、重なり合ってはいけないモノ。


生きとし生けるものが、積むべき徳に背く行為。


でも、皮肉にもその背徳が私と言う存在を、強く、確かなモノとして支えている。


故に、私は根っからの背信者なのだろう。


外見を偽り、他者を騙し――定められた運命に背を向けているのだから。


とは言っても、今まではただ、現実から逃げていただけなのかもしれない。


けど、今の私は――逃げる為に、言い訳を重ねたくなんかない。


彼を想う心は――そして佐奈が彼と付き合い出した事実は、そんな強い決心を生んでくれた。






『……シュウゾウ……!! お前、僕のサリナに手を出そうとしたな……!!』


『ああ、やめてあなた!! シュウゾウさんは悪くない……悪いのは……!!』


『そうさ、君が悪いんだ……サリナに寂しい想いをさせた、君が……!!』


『なんだと!? この野郎、はらわたを切り裂いてやる!!』


『上等だ!! お前の脳しょうでコンクリートの床をビシャビシャにしてやる!!』


『やめて!! 私なんかの為に争わないで!!』


『どうしたんだ、サリナちゃん!! 何かあったのかい!?』


『たっ、タクロウさん!! この二人を止めて頂戴!!』


『分かったよ!! おい君達、やめないか!! 何があったか知らないが、僕の嫁が困っているじゃないか!!』


『たっ、タクロウさん!! 今はその話はしなくていいのよ!?』


『お前もか!! 丁度いい、ここで全ての因縁に決着をつけて……この場を血で染め上げてやる!!』


『もう滅茶苦茶よ!!もう誰でも良いから、この場から私を連れ出して!! そしてそのまま、私を養って!!』


――あれ? なんか映画が知らない内に凄い展開に……。


「…………ボク、死なないかなあ……?」


先程の満足気なそれとは違う――恐怖に怯えた天音君の荒い息が、気になって仕方が無かった。






それから真面目に映画を見ていたハズだけど……ハッキリ言って、内容はあんまり覚えていない。


そんな私を含む一行は映画館を後にしながら、ぶらぶらと繁華街を歩いていた。


「いやー、まさか親友のジョンがダニエルの仇敵だったとはね」


――内容を覚えていないけど、佐奈が言っている事が確実に違う事だけは分かる。


「いや、佐奈さん最初から爆睡してたじゃないですか……と言うかそんな話じゃないですし、そもそも邦画でしたし……」


「あらやだ、寝顔見られた! 恥ずかしいわ!!」


「佐奈ってば……え、それどうやって歩いてるの……?」


膝をぐいんぐいんと左右に振りながら器用に歩く佐奈に、戸惑いの声を上げる私。


それは天音君と佐奈が付き合い出す前、彼女に向かって掛けていた声音と、同じモノだったと思う。


「……ん! それはね、重心移動にコツがあるのさ……こう、腰を運ぶ様に……華蓮も一緒にやってみな」


満足そうに、その動きのままスピードアップをした佐奈を見て、私は首をふるふると横に振りながらも――。


「いや、流石にそれはいいや……ちょっと怖いもの、その動き……ふふっ……!!」


――彼女の言動に振り回されている時と同じ様に、楽しいと感じられた。






にっかりと笑う佐奈を見て――私は一つだけ分かった事がある。


私は何も変わっていないワケでは無いけど……変えたくないモノがあると言う事。


天音君が佐奈と付き合っていたとしても、天音君を好きで居続けたい。


佐奈が天音君と付き合っていたとしても、佐奈と友達で居続けたい。


そう考えて初めて、私は佐奈のライバルになれるんじゃないか、と漠然と感じた。


それはなんて贅沢で、虫がよくて、ワガママな願いだろうか。


でも――貴方達なら、許してくれそうな気がして。


私の色々な面を見ても――近くで笑ってくれる、貴方達なら。


部屋に閉じこもってばかりだった頃なら、そんな事……考えなかっただろうな。


そう思えるって事は……やっぱり私は、変わっているんだって自覚出来る。


――君が、その道を私に見せてくれたから。


私も、もう少し胸を張れそうな気がするよ。


ありがとう、天音君。






私達はその後、一頻りお出かけを堪能し、帰路に着く。


日が傾きかける頃には、へろへろになっていたぐらいに遊び、笑っていた。


身体を心地よい疲労感が包み込み、夕焼けを背に来た道を戻って行く。


三人で遊んでいただけの、夏休みの一日――けれど、かけがえの無い大切な一ページを、心にしっかりと刻んだ。


「佐奈がおやつに買ったたこ焼き……大惨事になる所だったね」


「ああ、アレね……どうも、舟皿の機嫌が悪かったんだろうね」


「いや、どう考えても『我々は宇宙人の怨念だ』『UFOアタック!!』ってはしゃいでいたせいですよ!?」


「……そんな事もあったっけか。確かあれは……一万四千年前だったか……」


「ううん、多分一時間ぐらい前だよ。佐奈の歯に、まだ青のりが付いてるもの」


「えっ!? それは大変だ、翼君、舐めて取って!!」


「………………えっ、嫌ですよ!」


「おいムッツリ、なんだ今の間は? まさかホントに舐めてくれんの!? やったあ!! はいあーん♪」


「あ、天音君っ!!!!」


「ちょっ、誤解ですから!! いや、だから佐奈さん、口を寄せな……まだソースの匂いがする!! ムードの欠片も無い!!」


……ある意味で、こんな騒がしい光景すらも、私達らしくて。


愛しいその時間が、せめて色褪せない様にと願いながら――黄昏色の帰り道を、一歩ずつ歩いて行った。






「いや華蓮、キレイに話を落とそうとしてるけどさ……それ、私は反対だわ」


――私はまさかの母の言葉に、目を丸くして口を開ける事しか出来なかった。


今は帰宅してから少し時間が経った後――丁度、勅使河原家が夕餉を迎える定刻から、十五分ぐらいが過ぎた頃だ。


今日あった事が嬉しくて、母に報告も兼ねて話をしていたのだけど……。


「ノーグッド。華蓮、あんたは人が良いから騙されてるんだよ」


「そっ、そんな事ないです……!! 私の大切な友達と後輩だもん、そんなの……!!」


食事中だと言うのに、思わず立ち上がってしまった。


がたんと大きな卓が揺れ、食器が一斉に音を立てる。何も割れたり零れなかったのが幸いだった。


母は食卓の対面で、ワイングラスに入れた薄緑色の液体を口に流し込みながら、遠い目をしている。


「……あの引きこもりぼっちだった華蓮が、ここまで他人の事で熱くなれるなんて……子供の成長ってのは、見ていて心にクるモノがあるね……」


私も老けたなあ、と目頭を押さえながら、母は回顧する様な想いを含んだ息を吐き出した。


「……と言っても、まだ三〇代ですよね、お母様……まだまだお若いのでは?」


「歳ってのは数字だけじゃ決まらないんだよ、華蓮。『どれだけ考え方が変わったか』が人間の老衰や進歩の程度を決めるのさ。


その点で言えば、華蓮も今日だけで少し老けたって事になるかもね」


にやり、と不敵に笑む母に、私は首を傾げる事しか出来なかった。






このままだと脱線してしまいそうだったので、私は咳払いをして話を戻す事にした。


「……えっと、それで……私はどうすれば……?」


「どうすれば、って言い方もあんまり良くないよね。華蓮はその子達と一緒に居たいんだから、それを変えようとしなくていいよ」


「……え? でもさっき……」


「あ、うん。私は大反対だけど」


「え、えぇ……?」


聞く所に寄れば、花前佐奈との会話は楽しいが、非常に疲れると噂されている。


佐奈曰く、『仲が良いと言える友達が少ないのは、多分あたしのテンションが高いから』らしい。


仲良くなる兆しが見えても、徐々に適度な距離を置かれてしまう事が多かった、と本人は言っていた。


でも私は基本的に佐奈とのやり取りに難を感じた事は――ええと、そこまで多くは無いと思う。


それは他でも無く――佐奈以上に、自分の肉親が厄介な性格と考え方をしているからだった。






「反対の理由と言うのは……?」


「いやあんた、彼女持ちの男を好きで居続けたら……生涯独身コースじゃん?」


「うぐっ」


「しかも華蓮、あんた男の子なのに……もし仮にその男を奪い取って結ばれても……子供産まれないじゃん?」


「うぐぐっ……!!」


母の発する正論に圧され、私は椅子を後ろに引いて、じりじりと後退する。


「……あとさ、そもそも……ごめん、その男の魅力がよく分かんない……」


「……っ!! あ、天音君は……真面目で、一生懸命で……私の事、分かってくれてて……!! 素敵な人なんです……!!」


開けたテーブルとの隙間を埋める様、音を立てない様に椅子を寄せ、前のめりになってアピールする。


そう、彼の話をするだけでこんなにも明るい気持ちになれる……それを分かって貰いたかった。


――しかし。


「真面目で、一生懸命で、華蓮の事分かってて……でも華蓮じゃない彼女が居るんだよね?」


「…………うっ……」


現実の高い壁が、私の鼻頭を折る様に立ちはだかっていた。






「……で、でもぉ……!!」


……いけない、少しだけ目が潤んで来てしまっている。


こんなにも恋焦がれているから――余計に、胸が苦しくて。


「あーあー……だから、私は別にあんたらの恋愛感情をどうこうしたいってワケじゃないんだって」


母は慌てた様に手を横に振っているが……私は、その事はなんとなく分かっていたのだ。


「それは……分かってますけど……」


母が、私の将来の事を考えて、敢えて口出ししていると分かっている。


――けれど。


「……お母様に、認めて貰いたいんです……!! 私が、彼を好きで居てもいいって……思って貰いたいんです……!!」


これまで、私のワガママを聞いてくれた母だから。


私の――唯一の肉親だから。


「……とは、言ってもねえ。自分の子供だし、聞ける事は聞いてやりたいけど……私だって、意地悪言ってるワケじゃ無いしなあ……」


母は側頭部をトントンと指の腹で叩きながら唸っている。





母がする中ではかなり珍しい方の、その仕草を見て――。


『……んー。困ったな……君への謝罪の言葉が、思い付かないや』


――懐かしい、誰かの面影を見た気がした。


「……よし分かった。あの華蓮が、私にここまで言う様にしてくれた事もあるし……取りあえず会ってみようか」


ぱちん、と手の平を合わせて母は微笑んだ。


「お母様……!!」


「でも!! ただ会って、話を聞かせて貰うだけだからね? その結果、この子はダメだと判断したら……全力で、引き裂くから」


――母が放った冷徹な空気に、身体が震えあがった。


「……わかり、ました……」


声は震えてしまったけれど、私は天音君なら大丈夫だと言う信頼をしっかりと心に持てていた。


「ん。それじゃ、食事再開ー。翠が作ってくれた、美味しい料理も冷めちゃうし」


「はい……!!」


再び食器を握った手を見て、ふと思う。


――彼が海辺で取ってくれたこの手は、何時まで空けておけばいいのかな。


それと、もう一つ。


――ごめん、天音君。付き合ってもいないのに……親に、挨拶して貰う事になっちゃった。




麗爛新聞 八月号 三面 終


この記事は四面に続きます。



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