麗爛新聞 八月号 一面
「はあ……」
朝目が覚めてから、幾度目の溜め息だっただろうか。
私は化粧台の鏡の向うに見える、毛先の跳ねた白銀の姫を見やる。
彼女は寝ぼけ眼のまま、真っ白なコームで髪を梳かしていた。
「貴方はいいよね。鏡の向う側なら、中身とかゆーうつとか、そう言うのなさそうだもの」
私がそんな捻くれた事を口にすると、彼女もまた同じ様に呪いめいた呟きを放った。
――それはそうだ。貴方も、私だもんね。
涙すら出ない目元を、空いている左手でぐしぐしと擦る。
夢からはとうの昔に覚めて、今は登校の準備を整えている最中だと言うのに、私は何がしたいのだろう。
「……はあ……」
そう考えながら、私はもう一度溜め息を吐いた。
身だしなみを整え、姿見で外観に変な所が無いかをしっかりと確認する。
白銀の髪に溶ける様な色合いの白地のワンピース。その上から胸元が隠れる様に、薄手のジャケットをしっかりと着込んだ、外装の完成。
自分でこう言うのもアレなのだけど、見た目だけなら、そこそこ自信があったりする。
今までに幾多の男性、時々女性から情熱的な言葉を貰っているから、間違ってはいないと思う。
「……見た目だけは、ね」
自嘲気味な言葉を掻き消す様に、姿見の前でくるりと一回転して、ワンピースの裾をはためかせた。
「うん、ばっちり」
私は姿見の向うの美少女と頷き合って、青い縁の白帽子を手に取りながら自室から外に出た。
途中、使用人の方達にからかわれながら廊下を渡り、玄関で部屋履きからブーツに履き替える。
「華蓮。おめかしして、お出かけ?」
椅子に腰かけて靴紐を結んでいると、しゃらりと透き通る様な声が耳に届いた。
私は一旦作業を止めて、声を掛けて来た相手に顔を向ける。
「あ……お母様」
そこには、私と同じ白銀の髪を持つ麗人――母の、勅使河原雅の姿があった。
「外出があんまり好きじゃない華蓮が、夏休みに自分からお出かけなんて珍しいね」
お母様は私に軽く笑みながら、腕を組んで廊下の壁に寄りかかっていた。
その立ち振る舞いは少し粗暴に見えるけれど、お母様から滲み出る気品は隠せていない。
私の母は、娘から見ても美しく、上品な雰囲気を纏っていた。
「えっと、はい。その……友達から、お誘いを受けたので」
そんな母に、私は戸惑いながら首肯する。
私の様子を見て、母は満足そうに、そうか、と目を薄く閉じた。
「へえ。この前コテージに一緒に行った子達?」
「……はい。新聞部の人と一緒に……お買いものに行くんです」
今日これからの予定に、少しだけ心苦しくなる自分がどこかに居る。
――大切な友人と一緒に遊ぶ。その事を、楽しみに思っているのは事実だと言うのに。
「ああ。じゃあ、恋敵って所ね。華蓮もその友達も図太いなあ」
「そうなんで………………え゛っ……?」
知られている。表情と声音だけで不敵に笑い続けている母に、思わず濁った声を上げてしまった。
「な、なんで……?」
思わぬ角度から内側を見透かされた衝撃に口を開閉しながら問う。
「なんでも何も、大体の事情は知ってたからねえ」
あっけらかんと言う彼女に、私は唖然とするばかりしか出来なかった。
勅使河原雅はそのまま、特に変な事でもないと言う風に平然と続ける。
「翠から色々と聞いてるし、そもそも華蓮は隠し事が苦手だからねえ」
「え、えぇ……? 何時からその……気付いていたんですか……?」
「コテージから帰って来た日の夕食の時には、何かあったと気付いてたけど?」
この人には、敵わない。私は昔から、母に対してそんな印象を抱いていた。
「ま、相談したい事が出来たら言いに来なさい。その時には、何でも聞いてあげるから。今は華蓮が自分で答えを見付けたいっぽいし、何も聞かないけどね」
――そう、まるで全てを掌握されている様な、彼女の存在感の大きさ故に。
だけどそれが、決して嫌だと思った事は無い。優しく包み込み、我儘を聞いてくれる包容力だと分かっているから。
私が、こんな風に産まれてしまった時から、今日この時までもずっと。
「……よ~し」
母が立ち去り、私は靴紐を結び終えた足で立ち上がりながら声を上げた。
私はずっと、誰かに愛され続けている。それはこれから時を共にする人達も同じ。
故に、自分一人ではブレてしまいそうな『私』が存在出来る。
――勅使河原華蓮として、今はブーツを履いているこの足で、歩き続ける事が出来るのだ。
その事を忘れない様に、私は扉に手を掛け、辛い事の多い外の世界へ飛び出した。
「はい、あーん♪」
「え、ええ!? 何故急にそんな……!?」
「…………」
「おら、彼氏なんだから口答えせずに食え」
「……わ、わかりましたよ……あーん……むぐむぐ……」
「…………………………」
そんな決心をしてから、小一時間が経とうとしていた頃だったか。
――目の前の光景に、早くも心が折れそうだった。
からりと晴れた夏空。徐々に気温が上がり始めた午前中の、歩き慣れた繁華街。
そこに居るのは私、親友の花前佐奈と、黒髪の『少女』――私達の後輩の天音翼……君。
最近、少し無造作気味のボブヘアにイメージチェンジをした彼は、ゴシック風のスタイルでしっかりと女装の姿を固めていた。
そんな姿に問題はなく、寧ろ彼らしくて素敵だとは思う。何故その格好なのかも気になるけど、一番問題なのは、佐奈と行っているそれ。
――歩いている最中に見掛けたワゴンで購入した、アイスの食べさせっこ。
「美味しい、だーりん?」
「はい……美味しいですけど……」
「ほら、あたしにもそっちの味頂戴♪ あー」
「…………」
ちらりと私を見やった天音君と、目が合った。
――どうすればいいですか。
困惑に塗れた目が潤みながら、縋る様に私を見続けている。
前髪にある、かつて佐奈が着けていたヘアピンが風で揺れた。
「……知らない」
「あう……」
ぷい、と困っている想い人から目を背けて、私は自分が持っているアイスに口を付ける。
ほのかに苦いけれど、それ以上に奥深い甘みのあるチョコレート味が口の中に広がる。
――うん、アイスはとっても美味しいよ?
――アイスは、美味しいけどぉ!!
それ以上に……この目の前で行われている毒の味が頭を支配して、心をもやもやさせていた。
私は、天音君が好きだ。
彼と出会って……四か月程が経とうとしている。
あの坂道での出会いから、色々な経験を互いにして、同じ時を共にした。
真面目で、意外と熱くて――優しい彼の言葉は、私の心を大きく揺さぶった。
今まで目を背けていた佐奈との関係の拗れも、天音君が大きなエスコートをしてくれたから正せた。
その事に感謝している事もあるし――夕焼けの海辺で遊んでから私は、今まで以上に彼を意識し、欲している。
あの時の彼も、意味深な事を言ったり、私と居る事を良しとしてくれていたりしていたから……その状況に甘えて、あまり深く考えないでいたけれど。
『あたしと翼君。付き合う事になったから』
コテージのある海に面した場所から、住み慣れた海の無いこの町に帰って来た時の事。
解散する直前に行われた突然の発表が、刃の様に私の優柔不断な心持をばっさりと叩き切った。
同行していた翼君の腹違いの姉であるマリアと、翼君のご友人の絹糸君もポカンとしていたけれど。
――あの時に一番驚いていて、信じられなかったのは間違いなく私だ。
本当なの?
信じたくなくて、消え入りそうな声で天音君にそんな事を聞いた。
『彼氏彼女の関係になると言う意味では……本当です』
天音君は、私の目を見ながら――少し、後ろ暗い気持ちがありそうな表情で、そう答えた。
あの時の彼から、強い決心と――同じぐらいの迷いを感じた事が、非常に印象深く心に刻まれている。
私を騙して心の中で嘲笑っていたとか、そう言う類のモノではなく――もっと純粋で、もっと複雑な思い交錯が、彼に
はあったのだと分かった。
だから彼を責める気にも、問い詰める気にもならなかった。
唯一解せないのは、彼の言動ではなく――その相手の事。
天音君の恋人になった佐奈は、私が彼を想い慕っていた事を知っていた。何せ私自身が彼女に恋愛相談の様な事をしていたのだから。
そして友情を新たに築いた出来事の直後……佐奈は、私から彼を奪った。
それだけでなく、彼とのイチャイチャを私に見せつける様に、どんな些細な事でも三人で行動を共にしようとする気す
ら感じる。
今日だってそうだ――私はそんな二人のやり取りに、どう反応すべきか分からず、ほとほと困り果てていた。
でも、やっぱりと言うか、なんと言うか。
私には、佐奈が悪意を持ってこの針の蓆に座る様に仕向けているとは思えなかった。
それはきっと、天音君もそうで。
スプーンでアイスを掬い、佐奈の口まで運んでいる表情からすぐに分かってしまう。
――彼はきっと、迷い続けている。
「んー!! そっちのアイスも美味しい!!」
「そ、そうですか?」
「華蓮も貰いなよ。オーソドックスなミルクだけど、後味が凄く良いからさ」
一方で彼女は恋人同士のやり取りに、恋敵である私を招き入れる――佐奈らしいけど、真意を掴みかねる誘い。
――まぁ、それはそれでいいかな。
一年以上一緒に居たのに、互いに知らない事だってあったのだ。この程度で気をやきもきするなって、行動を通して言われてる気がする。
「……ふふん」
って言うか、現在進行形で顔でも言われてるっ……!!
そう考えると――別に、何かが劇的に変わったって事は無いのかな。
それなら私が今から行う行動も、ただ友達の誘いに乗った結果と言うだけで。
「……そう? それじゃ、私にも貰えるかな、天音君?」
「えっ、あっ、ハイ、勿論……」
「……あー♪」
こんな風に餌を待つ小鳥みたく口腔を曝け出しても。
――決して、彼女に張り合う様なアピールをしている事には、ならないだろう。
「……うえっ……!!」
予想通りの反応が帰って来た。
彼は、種別や分類を問わずに、オールジャンルでかわいいモノが好き。
携帯電話のストラップに、絹糸君から貰ったハムスターのストラップを付けているぐらいに。
だから――私がこんな風に、あざとくアピールすると、今みたいに頬を真っ赤に染めながら引き上げるのだ。
「……………………どうぞ……」
「はむ……」
ぶるぶると震えた手で、ニヤつきを抑えてぴくぴくしている頬を見ながらスプーンを唇で食む。
――佐奈の言う通り、アイスが溶けると同時に甘みが広がったと思った瞬間には、香りと味が体内に浸透して行く様な抵抗感の無さを口内の舞台で演出している。
「……美味しい……」
私はチョコレート味のアイスを持っていない手で口元を抑え、その爽やかで上質な余韻を楽しもうとした。
「……男同士だけど、間接キッスのお味はどう?」
――意地悪な顔で、えげつない茶化しを入れて来る存在が無ければ、叶えられた願いだっただろう。
「…………こほん。そ、そろそろお店に行かないと……中途半端な時間になっちゃうよね」
私は一つ咳払いをして、彼らに背を向ける様に歩き出した。
勿論それは、後ろでひそひそと何かを話し合っている恋人同士に、頬の赤みを悟らせない為。
きっとこれは炎天下で熱中症気味になっているだけ、そうに違いない。
もし恥じらいだとしても……そもそも、た、たかだか『かんせつきす』だし、そんなに過剰に反応する必要も無いでしょう、私。
――そう、彼が唇を付けた所に、私の唇が合わさっただけ。
ただそれだけ……数多の男の子に好意を寄せられた私なら――。
「~~~っ!!??」
――どうしよう。
そんな事……今までに……け、経験ないけど。
それはそうだ、自分の秘密を守る為に、された告白の全てをお断りして来たのだから。
佐奈の事を意識する余り、すっかり自分の経験値の低さを失念していた。
人を心から好きになった事なんて、彼が初めてだと言うのに、よくもまあ彼にあんな恥ずかしいアピールが出来たものだ。
――いけない、意識したらすっごく恥ずかしくなって来た。
私は鼓動の高鳴りを紛らわす様に、せかせかと早歩きで歩を進める。
「おーい華蓮!」
「な、何!? 早く行こうよ!!」
少し離れた場所から聞こえる佐奈の声に、私は急ブレーキを掛けた様に足を止める。
「いや早くってアンタ……そっち……来た道だけど……」
「……………………」
「……ぷっ……あっはっはっはっはっはっ!!!!! た、食べかけのアイス持って、帰り道を急いでどうすんのさ!!! あははははっ!!」
「さ、佐奈さん……あんまり笑っちゃ……勅使河原先輩に悪いですよ」
「あっ、あはははっ……あひっ……あはははっ……やばい、笑い死ぬっ……!!! あっはははっ!!!!」
――もう、恥ずかし過ぎて帰りたい気分になってしまった。
でも、今日と言う日はまだ始まったばかりだ。
これからお買い物をして、頃合いを見てお昼を食べて……当初の目的を一つも達成していない状態。
アイスを食べているのだって、気温の高さに耐えきれなくなった佐奈が提案した寄り道でしかない。
――何も始まっていないのに、赤っ恥だけかいてる。
「……にがい」
震える手で握っていたアイスを舐めると――チョコレートの苦みが強まっていた気がする。
私はそんな恥じらいの味を嚥下しながら、夏空の下に照り付ける日差しに一筋の汗を額から垂らす事しか出来なかった。
麗爛新聞 八月号 一面 終
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