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勅使河原華蓮の編集後記  作者: 成希奎寧
麗爛新聞 七月号
21/40

麗爛新聞 七月号 四面

「……えさん。花前さん!」


「……んあっ!?」


肩をトントンと叩かれ、あたしの身体は条件反射的にビクリと跳ね、叩かれた肩とは反対の方向に回避した。


椅子と机が大きな音を立てながら揺れ動き、その所有者を少し離れた所に射出した様な反動で震えていた。


「きゃっ」


家事と夜の『バイト』が重なり、極度の睡眠不足になっていた頭がぐらぐらと揺れ、心臓はどくどくと早鐘を打っている。


「ぜえっ……ぜえっ……な、何……!?」


荒げる息を整えながら、何事かと思い、一瞬で惨状――とっ散らかった教室の一部分を見た。


散乱した文房具に、あたしが居眠りをこいていた垢抜けない机と椅子。


「び、びっくりした……」


――そして、まるで夢物語に出て来る様な麗しい一輪の花が咲いていて、喋っている。


「……は?」


状況が全然呑み込めず、目元をごしごしと擦り、大きく息を吸った事でようやく理解した。


「ご、ごめんね起こしちゃって……でも次、移動教室だから……」


尻もちをつきながら、銀髪の少女が困った様に微笑んでいたのだ。


その一連の出来事は何てこと無い、ただの日常の一ページでしかなかったのだ。


心優しい人物が、眠るクラスメートを善意で起こしたと言う、よく見かける光景が繰り広げていただけ。


――そんな、コテコテの出会い方。月並なんて言葉じゃ足りないくらい、ありきたりなそれ。


五月十四日、午前十時四十五分――何の変哲も無い、平日の休み時間。


あたし――花前佐奈と勅使河原華蓮に出来た、初めての繋がりだった。



声をかけて来た少女、勅使河原華蓮は個性的な人間が集まったあたしのクラスでも異質な存在だった。


どこか現実離れした外見と、それに見合った立ち振る舞い。


同性だろうが異性だろうが、あの子が動けば目で追ってしまう。


そんな、クラスのマドンナ――とはちょっと違うが、最初だけは色々な意味で注目の的だった。


――そう、入学当初の一月程だけは。


男子生徒の目を引き付けて止まないその外見から、恋仲になりたく言い寄る者も後を絶たない。


しかし彼女はどんなに端正な顔立ちの相手でも、どんなに情熱的な告白でも、首を縦には振らなかった。


加えて、銀髪の少女は決してハブられていたと言うワケではないのに、団体行動や級友との交友を避けている嫌いがあったのだ。


やがて積極的に声を掛けていた者達も、手応えの無いそれから徐々に離れて行く。


他にも、あたし達の同学年には天城マリアと言う、圧倒的に勅使河原華蓮よりも目立っていた人間が居た。


新たな顔触れに出会って一月――学校で良く会話をするグループが生成され、各々の定位置が確立される頃。


積み重なった『悪運』のせいもあり、勅使河原華蓮はひたすらに目立たない、路傍の石の様な存在になっていた。


だが華蓮は、その孤立した状況に、無い胸を撫で下ろしていた様にも思える程穏やかだったと思う。




だからこそ、余計に理解出来なかった事がある。


何故、居眠りをしていたあたしに声を掛けたのか。


「……一応、同じ部活だし」


あたしが『彼女』にその事を問うと、少しだけバツが悪そうに答えてくれた。あの時華蓮は少しだけつまらなそうに、唇を尖らせて足をぶらぶらさせていた。


――その部活とは勿論、我等が新聞部だ。


麗爛学園では部活への所属が義務付けられていなかったが、その経験の有無は内申書にも影響があるらしい。


今後の事を考えて、部に所属はしておきたいが、あたしには弟達の面倒を見る必要もあった。そこで、微妙な噂のある新聞部に名を連ねたのだ。


『新聞部は部費の申請をする関係で、正規の部員とは別に名前だけ貸してくれる人も募集しているらしい』


――正式な文化部として、決して公には出来ないその触れ込みはただの噂では無かったが、真実でも無かった。



あたしの様に、放課後はどうしても部活に出られないが内申書の好印象が欲しい、と言う生徒を匿う様な形で見逃している、と言うのが真実の様だ。


生徒会と新聞部の癒着の様な関係は代々続いている様で、現在は華蓮とマリアが行っている怪しいそれが、ある意味で伝統的な在り方なのかもしれない。


勿論予算の申請は、今も昔も正規の部員に必要な分のみとなっている。クリーンなんだか汚いんだか分からないが、新聞部は昔からグレーゾーンな部活なのだ。


話が逸れたが、詰まる話、あたしと華蓮は最初ただの幽霊部員でしかなかった。途中で生徒会の兼部を始めた天城マリアを排斥もしなければ参加の強要もしない一番の理由は、この汚点に尽きるのだ。


「……意外と黒いな、勅使河原」


「そんなの、お互い様でしょう?」


幽霊部員仲間と言う、奇妙な関係性の二人。


華蓮はあまり踏み入った事を聞いて来ない上に、他に居場所が無いから、人を会話に呼び込まない。


現実での生活に疲れている時、華蓮は夢の様な安らかに流れる時を与えてくれる。


あたし達はどちらからと言わずに、行動を共にする様になって。


一人で居る時も――あたしは、窓際で独り佇む、幻想的で可憐な一輪の花の美しさに見惚れる様になっていた。



そんな友達とも言えなかった――連れ、とでも言うのが正しかったか――様な関係のまま、あの日を迎えた。


暑い日――熱中症に気を付けながら行われた体育の後の事。


そんな日に限って制汗剤を忘れていたあたしは、華蓮と恒例になっていた昼食の場に汗を掻いたまま向かってしまった。


「……ごめん、ちょっとお手洗いに行ってくる」


昼食を摂り始めてから程なくして、その『毒』が幻想に咲く花を一気に蝕んだ。


息を荒げ、腰を僅かに曲げながら食堂を後にするその姿は、いつもの華蓮とは違う様に思えた。


――それは、あたしが見惚れていた少女ではなく、バイトで相手をするおじ様に似た、何かだった。


気になって後をつけてみれば、銀髪の少女が辿り着いたのは昼食時で賑わうあたし達の教室。


あたしの机からカバンを取り、そそくさと出て来た姿を、あたしは廊下の陰からじっと見ていた。


胸元に大切に抱えながら、早足で立ち入り禁止の屋上――人気の無い場所――へ向かった華蓮は辺りを見渡し、震える手でファスナーを開け、ビニール袋を取り出す。


袋の中に入っていたそれ――ぐっしょりと汗で濡れた体育着を引き出し、抱きしめ、顔を埋めたのだ。




正直、見ていて血の気が引く光景だった。


背筋をぞわぞわと嫌悪感が走り抜け、見世物にされているバイト中の様に心が苦しくてたまらなくなる。


「……はあっ……!! うああああっ……!!」


可愛らしく整っていた顔は遠くから見ても分かる程に紅潮し、美しい銀髪を鬱陶し気に振り乱す。


一心不乱に変態行為を行う『それ』は、もぞもぞとスカートの上から足の付け根のあたりを抑え、揺らしていた。


――水着姿のあたしを見る男性がたまに取っているあの行為、そして不自然に膨らんだスカートの一部分を見て察する。


あそこに居るのは、自分の憧れた窓辺に咲く幻想的な花では無く――ただの、性欲に振り回される獣だと。


あたしはその場を後にしようとした。これ以上あの下卑た行為を見続けるのも癪だし、先生に窃盗の報告をすればあたしの与り知らない場所で反省して貰えるだろう。



「華蓮? こんな所で何やってるのさ」



その結末まで容易に考えられたと言うのに、何故ああも簡単に近寄ってしまったのか。


当時は自分でも分からなくて、混乱しながら快感に身を捩る『勅使河原華蓮』の震える背をそっと抱いた。


――きっとそれは、獣の呻き声の裏に、雫を纏った花の悲鳴が聞こえたからに他ならない。


「さ……佐奈ぁ……助けて……!!」


でも、今なら分かる。


華蓮が震えていたのは、悪事を見つかって怯えていたワケでも、強過ぎる性感に悦んでいたワケでも無い。


御しきれない情欲と、自分が望んでもいないのに取ってしまう行動に、ただ苦しんで涙を流していたのだと。




その事がきっかけとなり、あたしは勅使河原華蓮が周囲にひた隠しにしている秘密――女性として産まれなかった事を知った。


そして、女性の体臭を嗅ぐと男性的な欲情が身体を支配し、制御出来なくなる事も。


その身体と心に抱えた歪み故に、周囲から距離を取って、波風立たせずに日々を過ごそうとしていたのだ。


涙を流し、嗚咽を漏らしながらあたしに謝り続けた華蓮を責める気にはなれなかったし――寧ろ、優しい華蓮をここまで泣かせてしまった事への申し訳無さすら抱いていた。


眠るあたしに声さえ掛けなければ、ああして泣く事も無かったと言うのに。


華蓮が一頻り泣いた後、あたしは花を蝕む毒の詰まった荷物を回収して、『少年』に背を向けた。


「華蓮、この件で分かった。アンタは……あたしと一緒に居ない方がいいよ。きっとまた、泣かせてしまう」


「……ぐす……やだ……」


「……っ!!」


本音を隠した気遣いに対して、泣きじゃくる華蓮が食い下がった時、あたしは強く歯噛みした。


「辛くて、今も苦しいままだけど……でも私、佐奈と一緒に居たいよ……!!」


「……華蓮、我儘を言っちゃ駄目だ。もし次、今のアンタを他の誰かに見られたら……好奇の目をずっと向けられるんだぞ」


「あんなに直情的で後先を考えない行動、何度も繰り返してたらスグにボロが出る!!」


「……被害者のあたしが別に構わなかったとしても……他の奴が見たら……アンタは……!!」


そこまで言って、あたしは華蓮に振り返った。




日光を背に、煌めく銀髪をなびかせて――勅使河原華蓮は、こう言った。


「……それでもいい。佐奈はたった一人の……私の大切な友達だもん……!!」


「……みんな楽しそうなのに……一人は、もう嫌だよ……!!」


涙をボロボロと零しながら、華蓮は――『彼女』は、ハッキリと想いを口にしてくれた。


あたしは思った。


この子は、恐ろしいぐらい不器用な生き方をしているのだ、と。


――そう、生きざるを得ないから。


同年代の男子は、華蓮の魅惑に耐えられずに恋仲に踏み込もうとする。そうすれば否が応でも、性別の話がいずれ出て来てしまうだろう。


逆に女子相手では、華蓮は理性を保てなくなってしまう。友人だと思ってくれているあたしですらも、ダメだと言うのだから。


勅使河原華蓮が、勅使河原華蓮として過ごす為には、そう言う生き方しか出来ない。


――両親の言いなりに、そして弟達の母親代わりとして生きなくてはならない、あたしと似て。




つい最近、やっと分かった事がある。


あたしは、彼女に自分を重ねて居たのだ。


だから華蓮と一緒に居ると、とても楽しくて、とても辛い。


華蓮がそう感じている様に、あたしもそう思ってしまうから。


だからきっと、無意識の内にああ答えていただろう。


「……まあ、急に一緒に居なくなると、変に思われるかね……」


「……佐奈……!!」


正直に言えば、あたしには華蓮以外に話をする相手が結構居る。それは入学当初から、現在に至るまで変わっていない事実だ。


けれど、移動教室だと知らずに眠っているあたしに気付かず、みんな声を掛けて来なかった。


誰かの一番にならず、誰とでも仲良くしようとした、八方美人の報い。


たった一人の、打算的で、いじっぱりで――それ以上に優しかった、彼女以外には。


――嬉しかったんだよ、誰かの一番になれたのが、凄く。


だからあたしも――そんな華蓮を、守りたいと思う様になったんだ。



少し離れた所に立つ彼女は、涙を流した事ですっきりしたのか、元の雰囲気に戻っていた。


その纏う優しい気配は間違いなく、あたしの視線を引き付けて止まないそれであり、一番華蓮らしい姿だったと鮮明に思い出せる。


華蓮はあたしと一緒に居たがるが、その代償に自分の存在を揺らがせるリスクを孕んでいる。


逆にあたしは、華蓮らしいその姿を守りたいが、男を引き付けるこの身体が、幻想に咲く花を蝕む毒となる。


望むモノは互いに合致している。本当は、一緒に居てはいけない二人なのだ。


それでもあたし達は、肩を並べる道を選んだ。


華蓮の為に、陰で接近しようとする生徒達に牽制を度々仕掛け、言い寄ろうとした同性愛者の女子生徒をなんとか説得したりもした。


あたしは華蓮を守る剣。そうありたいと心から思い、文字通り身を挺して幻想に咲く花を守っていた。


ただ、現実は理想通りにはいかない。最初は何をしても発作――あたしは華蓮が性欲に支配される現象を『発作』と呼んだ――が起こり、やきもきした毎日を送っていたモノだ。


流石に毎日一緒に居ると慣れが発生して来るらしく、二年生になる頃には余程の事が無い限り、肉体的な接触をしても発作は起こらなくなっていた。


しかし、それも完璧では無い。華蓮が言うには、強い汗の臭いにはどうしても反応してしまうらしかった。


そう、あたしはどこまで行っても剣にしかなれなかった。華蓮を守り――同時に華蓮を傷付ける可能性を持つ、諸刃の剣。


――自由自在に剣を振るい、花を守る優しい騎士には、成れなかった。




華蓮はあたしの取って来た行動の真意を知らない。勿論、あたしが教えていなかったから。


だから、華蓮はあたしを優しいとしきりに口にする。


――違うんだ、華蓮。あたしはアンタに見栄を張って、強がっているだけなんだ。


正直に言えば、華蓮と過ごす時間はあまり居心地の良いモノでは無い。


気を遣って、心が疲れる時だってあった。そんな汚い部分をひた隠しにしようとしている様で。


自分の姿に――あたしの嫌う両親の背を重ねてしまっていたから。


それでも、華蓮と過ごす時間は満たされて、あたしの色褪せた現実に彩りを与えてくれたのだ。


辛いけど、その分現実味がある、等身大の楽しさを――青春をくれた。


夜の帳が下りると、いつも不安に襲われる。この歪な関係性が何時まで続くだろう、と。


だからあたしは華蓮を写真に撮っていた。辛い時が訪れても、大切な友達――守りたい時間を、思い出せる様に。


華蓮らしくある時、彼女は被写体として最高の素質を秘めている。その姿をファインダーに収め、シャッターを切り、時を固着させる。


触れれば壊れてしまいそうでも――決して夢なんかじゃない。そう言い聞かせる様に、あたしは華蓮の為に、自分の出来る事をし続けていた。




そしてとうとう出会ったのだ――天音翼と言う、勅使河原華蓮をこの上無く安定させる存在に。


天音君はあたしが作った壁を乗り越え、華蓮に手を伸ばす事を選んだ。過去に置き去りにしていた、辛い現実と向き合ってまで。


華蓮も彼に対して、最初から心を開いていたのだろう。あくまで年上の女性として、一目惚れをせずに接してくれた男の子だから。


そう――あたしが一緒に居ても癒す事の出来なかった、心の疲弊を癒し、休める拠り所を求めていたから。


多少の紆余曲折はあったが、あの子が相手なら華蓮は発作を起こす事はあり得ないし、彼も華蓮と一緒に居る事を良しとしている。


――言う事が無い、お似合いの二人なのだ。


性別が同じと言う、無情で非情な現実を直視しなければの話だが。


いや――あたし達は常に現実と対峙して、刃を交えているのかもしれない。


そうしなければ、生きる事の出来ない今が。


そうしなければ、夢見る事の出来ない未来が。


――乗り越えた過去の先に、絶対にあると、信じて止まないあたし達なのだから。



天音君、絹糸君。


――ありがとう、そしてごめんね。


きっと君達は、あたし達の為に行動を起こしてくれたんだろう?


ダメな先輩二人のぐだぐだな背中を見て、自分達が進まなくてはならない道を歩んだ、君達だからね。


拗れているあたし達の関係をなんとかしてあげたいと、お節介を焼いたワケだ。


或いは天音君の、あたし達が与えたスパルタな課題への意趣返しって所か。


良く出来た――憎らしいぐらいに理想的な後輩だよ。


おかげであたしも、ヤキが回ったと言うか――心が決まったよ。


でも君達が思っている様に、あたし達の関係は正せるモノじゃないんだ。


華蓮を守る剣は、もう折れてしまったけど。


それはつまり、華蓮を傷付ける剣も折れたと言う事でもある。


分かっているんだ、最初からこの結果を先延ばしにしていただけだって。


――終わりにしよう。


華蓮、アンタももう、我儘言っちゃダメだよ。


天音君に――アンタが、一番大切だと想っている人に、嫌われちゃうからね。


だから――。






















ぺちっ。























「ばか佐奈……っ!!」


霞がかり、独りよがりの回想に耽っていたあたしの意識を覚醒させたのは、何とも可愛らしい音。


少しだけ視界が動いて――ビンタをされたのだと、遅れて気付いた。


全然衝撃も無いし、ほっぺたに優しく手が触れただけのそれは――何故か心を、とても痛ませた。


「……華蓮」


人の心を暗くさせる闇の中、月と星々が照らすコテージのデッキ。


涙を流す華蓮がたじろぐあたしの手を引いて、無理矢理連れて来た場所。


潮騒が程よい大きさで聞こえるこの場所は、海が一望出来る絶景ポイントだった。


あたしの正面に立っていた、目を少しだけ泣き腫らした少女――勅使河原華蓮は、その光景に溶け込む程美しかった。


――一生その姿を保って欲しいと、心の底から思った。


その為には、あたしは――邪魔なんだ。


「華蓮、あたしさ……」


告げようとした。今生の別れを。


願わくば、来世に無垢で純粋な関係を築ければ、と願いながら。


「それ以上言ったら、怒る。私……それはやだって前にも言った」


しかし勅使河原華蓮はそんな現実逃避を、許しはしなかった。



――まあ、だろうね。


何時だってそうだったから。


華蓮は諦めが尋常じゃない程に悪い。幾度となく男に告られて、幾度となく女に欲情しても――勅使河原華蓮として生き続けた。


苦手なスポーツだって決して手を抜かないし、麗爛新聞の様に今の自分で出来る事を率先して実行する。


それが華蓮の良い所。見た目だけじゃなくて、その生き様を含めて、華蓮の魅力たらしめる姿なのだろう。


きっと心が折れかけて、涙を流して、女性として見られる事が無理だと悟っても……華蓮は、華蓮であり続ける。


それは今まで触れ合っていて分かっていたし……そして、何よりも。


「ずっと、不安だったんだよ。私と一緒に居る時、どこかで無理してるって分かってたから」


「…………気付いてたのか」


「気付くよ。ずっと一緒に居て……ずっと、佐奈の顔を見て来たんだもん。私じゃ、佐奈の本当の友達にはなれないのかなって、思ってた」


「……そうか。お互い、同じ事を考えていたんだな」


――辛くて仕方がないハズなのに、あたしの隣に立ち続けていたのだから、疑い様も無かった。


そしてこうなってしまえば、華蓮は絶対に言葉を曲げない。


いつも、いつも。ここいらで、あたしが折れるのだ。


きっと今日だって同じ事。


打算的で、いじっぱりで――。


「なんで、こんなあたしにこんな――優しくするのさ?」


どこまでも、勅使河原華蓮らしい彼女の傍らにあり続けるだけだ。


でもその理由がどうしても分からなかったから、あの意地悪な後輩の真似をして、素直に聞いてみる事にした。




「……なんで、って……それ、改めて言葉にする必要があるかなぁ」


少しだけ呆れた様な顔をして、華蓮は溜め息を吐いた。


「あるから、今までこうしてすれ違っていたんだろうに」


「それもそうだね……佐奈は、私の大切な友達だって、ずっと思ってたからだよ」


あっけらかんと、彼女がそう言う。あたしはぽかんと口を開けて、間抜けな表情で華蓮を見る事しか出来なかった。


「……それだけ?」


「え? うん……秘密がバレた時にも、言ったけど……佐奈と一緒に居たかったから」


「……あ、ああ……確かに言ってたけどさ……」


そうか、華蓮には……それが普通だったんだ。


きっとそれはあたしじゃなくても……友達が出来れば、自然と相手に尽くしてしまっていたのだろう。


そんな簡単な事にも気付けなかった。


「じゃあ佐奈は……なんで、私に優しくしてくれたの?」


――あたしが、ずっと言わなければいけなかった事を、口にしていなかったから。


「……華蓮。あたしさ……」


「………………うん」


華蓮は、止めなかった。



「……アンタを、女の子として……その夢みたいな存在が、好きだったんだよ」



向き合わなければいけない現実に、自らの身体で立ち向かう為に。




「………………そっか」


華蓮はその一言だけを呟いて、デッキの柵に寄りかかった。


その無防備な背には、あたしへの信頼が寄せられていたのだと思う。


――言うなら、今しかない。


前に進むなら――満点の星空の下と言う、華蓮が好きそうな――この場しかない。


諦めさせる為じゃなく、未来へ歩み出す為のお膳立てをしてくれた、彼らの為にも。


「でも実際のアンタは……そうじゃなかった。おまけに純情可憐かと思ったらとんでもなくスケベだし、おっぱい星人だし」


「うっ……」


「……それ以上に、あたしを女として意識すると、決まって酷く辛そうな顔をした。それが……とても、嫌だった」


「………………うん」


「あたしはこんな身体だから、男の好奇の視線に晒されるのには慣れてる。でも華蓮……アンタの涙の向うに見える瞳は……何度見ても、慣れなかった」


あたしは佇む華蓮の隣に身を運ぶ。


横目に見える彼女は少しだけ苦しそうな顔で、漣の立つ水面をただただ眺めていた。



「……あたしは服を脱いで男を悦ばせる事が出来ても、華蓮のその涙は晴らせない。あたし自身には――勅使河原華蓮と言う少女を守る力が、何一つ無かった」


「……そんな事……!!」


華蓮は目を伏せながら、張り裂けそうな声で反論しようとした。


「分かってる。華蓮がそんな事を望んでないって、分かってた」


けどあたしは、そんな華蓮の優しい言葉を遮る。


今慰められたら、心が折れてしまいそうだったから。


「でも……あたしは、華蓮の為に頑張りたかったんだよ。あたしに声を掛けてくれて、夢みたいな現実の美しさを教えてくれた――他でもない、アンタの為に」


「………………っ!!」


息を呑む音が、大きく聞こえた。


その静かな音は、心地よい波の音に掻き消され、海に面した景色に夜の静寂が訪れる。


「……普通は、好きになった人ぐらいなんだよ。その相手の為に、辛い事を我慢し続ける事が出来るのは」


そう、あたしは優しかったワケじゃない。


打算的で、いじっぱりだったのは――他でもない、あたしなのだから。



華蓮は再び海を見ながら口を開く。


「佐奈。私、佐奈が友達として大好きだよ。例え今までの笑顔が、下心を抱えていても……それは、変わらないと思う」


「ああ」


あたしは手すりに、邪魔なばかりだった胸を乗せ、少女の囁く様な言葉に耳を傾けた。


「多分私は……佐奈の事、異性として……恋愛感情を抱く様な意味では、好きじゃない」


「………………分かった」


「私は…………」


「…………………………」


「……………………………………」


『彼女』は、口を開いたまま震わせて、続く言葉を紡げないで居た。


その姿がいたたまれなさ過ぎて。


「華蓮、辛いなら、言わなくていい」


「あたしは……アンタにそんな顔をさせたくて、こんな話をしたんじゃない……!!」


――意味を成さないと分かっている慰めを、零れる様に口にしていた。


















「私は……男……だから」
















案の定、華蓮はあたしの言葉に耳を貸さず、その言葉を口にした。


――今まで、華蓮の口から直接的に言われなかった、越えられない現実を。


嘘を吐きたくない。その意を孕んだ暗喩で、ずっと煙に巻き続けていた――残酷過ぎる事実を。


「華蓮……」


情けないぐらい震えて、ボロボロと涙を流す華蓮の肩をそっと抱く。


好きな人、一方的に守りたいと思う人じゃなく――友人として、華蓮を支える為に。


神様なんて不確かな存在が居るなら、こう言ってやりたい。


何故アンタは、こんなに心優しい子を泣かせる世界を創った。


あたしは、あたしの為には誰も恨まない。


――けど、涙を流すこの子の代わりなら、憎悪にだって身を任せられる。


そう思う程、華蓮はあたしにとって……自分以上に大切な存在になっていたんだ。




だが、彼女を守る為の剣――華蓮への偏向的な恋心は、既に折れている。


あたしに出来るのは、こうして肩を抱きながら。


「いいんだよ……。華蓮は、こうして触れられる……現実に生きてるんだから……それでいいんだ」


涙声で、慰める事しか出来なかった。


あたしは無力だ。絹糸君の様に、涙を止める術も、止める勇気も持っていない。


あたしは――我儘だ。


華蓮に恨まれる事すら怖くて、傍を離れる道が選べなかった。


なら、あたしに出来る事って何だろう。


優しいこの子は、離れようとしたあたしを引き留める度に涙を流して、痛みに耐えてくれている。


――何かしてあげたいんだよ、あの時からずっと……恋心を失った今でさえも……その思いは変わらない!!


初めてなんだ、面と向かって大切だって言ってくれた人は。


無力で我儘で……友達の、あたしに出来る事……他にないだろうか。


痛みを止めるには、鎮痛剤を飲めばいいけれど。


身体の痛みは……心の痛みとはワケが……。




「……あっ」


図書室での会話を思い出して、連鎖的に気付いてしまった。ここに辿り着くまでに経験した事が、全部繋がっているのだと。


――そうだったね、天音君。


あたし達は出会って、互いに干渉して、その出来事が身体に刻まれている。


そして――あたし達は君に、乗り越えられる壁を幾度も設置した。


意趣返しならば、あたしに出来る事があるって意味なんだよね。


だから……天音君。君は敢えて絹糸君を、あたしの部屋に送り込んだのか?


――つまり、このコテージを訪れた当初から、あたしの様子がおかしい事に気付いていたのだろう。


だとすれば、本当に食えないのは……あの頑張り屋な黒髪の男の子だったのだ。


『え? ボクとマリアさんの母についてですか? 勅使河原先輩から聞いたんですね……』


『大した事は話せないですけど……まあ、どんな人だったかぐらいなら』


『あ、でもマリアさんには絶対に言わないで下さいよ。あんまり気を良くしないと思いますし』


『一番印象深かった事……ああ、それなら――』


紫陽花の写真を撮りながら、かつて彼と話した事を思い出す。


きっと彼は――最初から、そのつもりだったのだろう。


自分達と同じ様に、過去を見て見ぬフリをしていた、あたしと華蓮のすれ違いを正す為に。


あたしは一瞬だけ閉じた瞼の向こうに、憎き黒髪のショートポニーの少年の背を見た気がした。




「…………華蓮、こっち向いて」


「えぐっ……佐奈……?」


「……華蓮。アンタの言葉、信じるから……引かないでね…………んっ」


泣きじゃくる華蓮に顔を寄せて、そっとキスをした。


――大切な人に贈る事が出来る、親愛を込めた額への口づけを。


「…………えっ?」


呆然と額を手で抑え、見開いた目であたしを見やる華蓮。


「華蓮、あたしのお願い、聞いてくれるかな」


「……えっ、あ、うん……何?」


オロオロと身を捩りながら、華蓮はあたしに対してこくこくと頷いた。




「あたし、多分華蓮の外見に恋をしてたけど……全部は好きになれない。アンタをただの男としては、意識する事が出来ない」


「……うん」


「だから……これから、華蓮の為に、今まで耐えられた苦痛も、我慢出来なくなる」


「…………うん」


「でも……あたし、華蓮の傍に居たいんだ。華蓮の為じゃなくて……あたしが、華蓮の傍に居たいって……思い始めてる」


堪えていた涙が、一気に溢れ出す。


「あたしが近くに居ると、華蓮はきっと困る事がいっぱいある……華蓮が嫌がる発作も、きっと起こさせてしまう……他にも迷惑だって思う事が、いっぱいあるかもしれない……」


守ろうとしていた相手に縋る様に、弱い部分を曝け出していた。


「…………そんなあたしでも……アンタは……友達として、一緒に居てくれる……?」


この言葉は、優しい彼女に対する、甘えになってしまうとずっと思ってた。


「今まで通りじゃなくなっても……アンタを……友達だって……思っていいのかな……?」


――でも、友達なら許されるだろうか。


「……当たり前だよ。私……佐奈が友達として頼ってくれるの、ずっと待ってたんだから」


目元を花柄の白いハンカチで叩きながら、華蓮はあたしに満面の笑みを向けてくれた。



「……辛かったら、いつでも言って。そうじゃなきゃ……私、佐奈の友達だって……胸を張って言えないよ……!!」


「華蓮……ずっと、思ってる事黙ってて……その優しさが、信じられなくて……ごめんよお……うわあああぁあん……!!」


空から零れる清水は、誰かの涙だと思っていた人が居た。


ならきっと、この広がる大海は全ての涙の集約地で、ここからまた雲が産まれて、雨になる。


全ての涙の、始まりと終わりの交差点。


静かに波が立てた音は、あたしの泣き声と同化して星空に呑まれて行く。


きっとこの幻想的な舞台は、詩的な感性を持つ誰かが用意した、二人の再出発地点だったのだろう。


強がりも、暗くした部屋で抱える膝も、あたしにはもう必要無い。


そう思わせてくれる程、この美しい光景は、あたしの心を幸せな気持ちでいっぱいになるまで、満たしてくれていた。





麗爛新聞 七月号 四面 終


この記事は五面に続きます。



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