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勅使河原華蓮の編集後記  作者: 成希奎寧
麗爛新聞 七月号
20/40

麗爛新聞 七月号 三面

潮騒のメロディーが聞こえる砂浜が、オレンジ一色に染まっていた。


つい数刻前まで照り付ける様な日差しを放っていた太陽は水平線に浸かる程高さを失い、燃える灯火の様にゆらゆらと揺れ動いている。


まるで楽しかった昼間の出来事が無くなってしまう様に――真っ暗な夜が近付いていた。


「どうしたの、天音君? みんなもうコテージで着替えようとしてるよ」 


勅使河原家のコテージへと繋がる階段に腰掛け、夕陽を眺めていたボクに向けられた言葉。


「なんだか……帰るのが、もったいない気がして」


ボクは振り返らずに、背後に立つ人物――何故か、心のどこかで訪れを予感していた、勅使河原先輩に返事をした。


「もったいない?」


先輩はボクの隣に立って、止まる。その姿はボクの視界にぎりぎりで入らない位置にあった。


変わらない、夕陽が染め上げる光景を見ながら、呟く様に言う。


「……とても、楽しかったです。まるで――あの出来事が全部夢みたいに感じてしまう程」


繊細で、ダイナミックな絵画の様な美しさの海岸線が、現実のモノだと言う事を、疑っていたのだと。




事実、今は砂浜にも、水辺にも――何も残っていない。


運動能力の差が歴然となったボール遊びも、皆ではしゃぎ回ったスイカ割りも、途中で建築が中止されてただの山となった砂の城も。


今は――ただの過去の出来事でしかないのだ。


「うん……本当に楽しかったね。去年は佐奈と二人で来て、その時も楽しかったけど……今日の方が、もっと楽しかった気がする」


ちょっとくたびれちゃったけどね、と苦笑いをする勅使河原先輩。


結局先輩は、あれからずっと上着を羽織っていた為、あの衝撃的な姿が公に晒される事は無かった。


花前先輩が文句を垂れ、マリアさんがボクを肘で小突いて来たっけ。


その残念そうな声も、くすぐったかった脇腹も――。


「あ、天音君っ」


「…………えっ?」


ジッパーが下がる音がしたと思えば、次の瞬間には目の前の光景が一変し――幻想の花が咲き乱れた。




ボクの前に現れたのは、真っ白なビキニを夕焼け色に染める勅使河原先輩。


昼間、屋内で見たそれとはまるで違う印象を受け、呆気に取られてしまった。


煌びやかなその姿は水着と言うだけあって、浜辺に適していたと言える。


見事に調和した二つのアートが、ここに合わさった。


それはまるで、オレンジ一色だった絵画に、人が描き加えられた様だった。


「折角買ったし……上着を脱いで、水辺で遊んで見たくて……」


勅使河原先輩は夕焼けを背にしてもなお、赤みを隠し切れない頬を掻く。


その姿がいじらしく、ボクはからかう様に歯を見せた。


「それなら、お昼から脱いでいればよかったのでは?」


「そっ、そんなの無理に決まっているでしょう!?」


憤慨する先輩を見ながら、ボクは立ち上がる。


そのまま『彼女』と同じ様に――先程まで一枚の絵でしかなかった光景に溶け込む様に数歩だけ歩いた。


ボクに合わせて振り返った先輩と並んだ結果、絵画の様な世界は少しだけ大きくなったが、本質は何も変わらない。


つまり――最初から、これは現実だったんだと、やっと分かった気がした。



「綺麗な眺めだよね」


「……はい。この世のモノとは、思えなかったぐらい……綺麗です」


そう言いながら、ボクは自分よりも体躯が小さいのに、確かな存在感を放っている人に目を向けた。


「……な、なんでこのタイミングでこっちを見たの……? それじゃ……なんか、さ……?」


「……他意は無いです」


ボクは幻想にしか生きられない姫君に手を差し出す。


「……え?」


勅使河原先輩は、言われた事の意味も、差し伸べられた手の意味も分からない、と言った様な表情でボクを見た。


「遊ぶなら、暗くなる前に遊んでおきましょう。一緒に遊んだみんなが――心配して、様子を見に来ない内に」


「……うん」


触れれば、儚く消えてしまいそうだったその存在が、ボクの大きくない手に、一回り小さな手を重ねる。


――やっぱりだ。


昼間から分かっていたけれど――『彼女』は、ボクが触れても消えない。


幻想なんかじゃなく、勅使河原華蓮としてしっかりとここに居るんだ。


夢の様な絵画から、ひたすらに美しい浜辺へと姿を変えた世界へ、先輩の手を引いて歩き出す。


ただの過去の出来事なんかじゃなくて――身体にしっかりと刻まれた思い出を振り返る様に、先輩と二人で慎ましいひと時を過ごした。




「……おーおー、二人で隠れてイチャついてんなあ……」


砂浜を一望出来るコテージの一室に、呆れた声が響いた。


洗ったばかりの髪をガシガシと掻く様に拭きながら、花前佐奈は嘆息する。


昼間にあれだけはしゃいだからなのか、身体は重いが、清々しい脱力感に満ちていた。


けれど――心にはモヤモヤが溜まって行く一方だ。


その原因は他でもない――水辺でのひと時を楽しむ様に遊んでいる二人の姿なのだろう。


視力の特別良いワケでは無い佐奈でも、水着姿で飛沫を上げて楽しんでいる銀髪の『少年』が満面の笑みを浮かべているのが分かってしまう。


「……そうだよ、華蓮は……」


花前佐奈が触れれば、すぐに分かってしまうその事実。


勅使河原華蓮は、揺れる乳房に目を取られ、女性の香りに本能を刺激される――かわいらしい男の子なのだ、と。


花前佐奈は……そんな彼がどうしようもなく――。







――苦手で、仕方が無かった。






こんこんこんこん、と細かく部屋をノックする音。


「どうぞー」


この扉は見かけによらず、音を良く通す。故に誰かに喋りかける様な声で来訪者を室内へ招いた。


去年もこの別荘で聞いた、丁寧なその作法に、すっかり心を緩めていたのだろう。


先程から廊下を伝って部屋にまで届いていた、夕食の良い香りも相まって、ある可能性を一切考慮していなかった。


きっと扉の外に居るあの人ならば、変な姿をしていても詮索はして来ず、黙っていてくれると知っていたから。


故に、いつもの自分らしくない――言い換えれば、最高に花前家の長女らしい姿をしていた佐奈の部屋を訪れ、扉を開いたのは――。


「失礼します」


「………………えっ?」


――勅使河原家に従事している絹糸翠ではなく、その弟の絹糸勇士だった。


同じ様に育てられた姉弟ならば、所作が似通っていたとしてもなんら不思議では無い。


しかし、その可能性に気付けなかった佐奈は、予想だにしなかった来訪者故に、反応が遅れた。


「…………佐奈、先輩ですよね……?」


驚愕で表情をいっぱいにした絹糸勇士が、扉を開けたまま硬直する。


それもそうだろう。


いつも明るい、天真爛漫を形にした様な花前佐奈が、椅子の上で膝を抱え込み、涙を流していたのだから。





「……すまないな、無様な所を見せてしまった」


「とんでもないです。こちらこそ――失礼しました」


泣き腫らし、赤くなった目元をぐしぐしと擦りながら、佐奈は言い逃れ出来ずに迎え入れた少年を見た。


対面する様に置かれた椅子に腰掛ける姿は、やはり気品の高さを感じる。


シンプルだが質の良い家具達に囲われてなお、後れを取らないその佇まいは生粋のモノなのだろう。


――外面だけを良く見せようとする、ウチとは大違いだ。


花前佐奈は、この天国の様な環境に身を置くと、コンプレックスが際立って、情緒が不安定になってしまう悪癖を抱えていた。


テンションが上がり過ぎる事もあれば、逆に極度に落ち込んでしまう事もある。


前回訪れた時も、部屋の欠品を補充しようと訪れた絹糸翠にナーバスになった姿を目撃され、泣き止むまで膝枕をして貰った過去を持つ。


勅使河原華蓮の隣に立てば、相対的に大きく見える彼女も――絹糸勇士より幾分も小さな体躯をしている。


幾ら気取っても、幾ら強がっても、幾らが外面を取り繕おうとも。


そこに居るのは等身大の少女でしかなかった。



「…………こんな所を見られたんだ、ついでに話でも聞いて行ってくれ……絹糸君」


少女の縋る様な言葉を受け、絹糸勇士はフッと頬を緩めた。


気丈な彼女の意外な面を見れた事への気の緩みか、それとも情けない涙を流す少女への嘲笑か。


「……愚痴を聞く事ぐらいしか出来ませんが……」


この真面目な少年が取る行動に、悪意など含まれるハズが無い。


「……十分だよ。つまらない上に、他言無用だけどね……」


分かっていたからこそ――花前佐奈は、その是非を厭わなかった。


――そんな余裕なんて、とうの昔から無かったのだ。


「……ありがとう、絹糸君」


何かに対して礼を言い、少女は語り出す。


自らが抱く嫌悪と、鬱積と――見出す希望の、全てを。



「ウチはね、元々かなり裕福な家だったらしいんだ。それこそ、辺境のお金持ち――勅使河原家よりも、ずっと」


「確かに幼少の頃、ここよりも広い別荘で家族みんなで避暑を楽しんでいた記憶だってある」


「でも――そんな栄華は一瞬で崩壊したんだ。確か、株かなんかに失敗したんだったかな。誰かに騙された、親の必死な言い訳かもしれないけどさ」


「栄枯盛衰ってのは良く言ったモノでさ……ただ、呆気がなさ過ぎて、子供のあたしには理解が全然追い付いていなかった」


「急に豪華な家具が家から無くなって、都会から田舎まで移った挙句、敷地面積が十分の一にも満たない――けど、豪華に見える作りの家に住む事になった」


「決して、貧乏なんて言える様な暮らしをしていたワケじゃ無い。ライフラインが止まった事は無いし、借金だって無いんだ」


「古くから代々受け継いでいる会社も、その余波で経営は傾いたし、規模はかなり縮小したけど……潰れてもいない。家が成り立つぐらいの収入はあるんだ」


「けど――両親は、外に羽振りの良いフリを一貫して続けている。それこそ、巨万の富を有していた時みたいにね」


「就労者よりも高い金を稼いでも、見栄を張る為に贅を極めた食事会を開き、高いワインのコルクを抜くんだ」


「そう言えば最近だとそれも怪しまれたみたいで、論点をずらす為に『見ず知らずの女子高生』を買って来たって見世物にしていたなあ。布面積の小さい水着姿にさせられて、いやらしい顔をしたおじ様達に給仕させていた」


「そんな金、どこにも無かったハズなのにね。余程言い包めやすくて、金を払わずに協力を仰げて、男が目を見張る程度の肢体を持った……都合の良い『女子高生』が居たんだろうね……」


「まあそれはいい。あたしは渡された生活費で、弟達の食い扶持を繋いで行く術を自然と覚えたよ。おかげで料理も出来るし、価格の安いスーパーだって知ってる」


「弟達はあたしの料理をおいしいと言って食べてくれる。聞き分けも良い、お利口さんだよ。どこかの誰かみたいに、性欲が旺盛じゃなければ、言う事無しなんだけどね」


「別に誰も恨んじゃいない。そんな立場だと言う程あたしは不幸じゃないし、毎日が楽しいからね。あたしは……別に、誰も……恨んじゃいない」




「……あたしは……ずっと華蓮を目で追い続けている」


「華蓮を見ていると、まるで現実から逃げてる時みたいに心が安心するんだ」


「あたしは、その儚気な美しさに一瞬で虜になったよ」


「でも華蓮にはある秘密があって、あたしも最初はその事を知らなかったんだ」


「知って――正直、どう接していいか分からなくなったさ」


「触れてはいけない、禁忌の花――勅使河原華蓮」


「友達になって数ヶ月って所……丁度、今ぐらいの夏の季節だったね」


「……ある事件がきっかけになって、あたしは華蓮と距離を置こうとした」


「でも華蓮は――あたしから離れようとしなかった」


「佐奈は大切な友達だから、って――こんなあたしに向かって、言ってくれた」


「同時に、華蓮を華蓮であり続けさせる為に……近付く『悪い虫』から守る様になった」


「……華蓮は、あたしの理想そのものなんだ。汚させない為に、何でもやったよ……ホントに、何でも」


「――でもね、華蓮を華蓮たらしめなくさせるのは、他でもないあたし自身だったんだ」


「あたしは剣なんだ。華蓮を守り、華蓮を脅かす――剣にしか、なれなかったんだ」


「だから、あたしは華蓮が――苦手なんだ。大好きな友達だからこそ……苦手で、仕方がないんだよ」


「隣に居るのが――たまに、辛いと思う事がある。自分の無力さに、嫌気が差すからね」



花前佐奈はそこまで言い切ると、語り終えた様に大きな息を吐く。


長かった独白が終わる頃には既に日が沈みかけ、コテージ内に漂う食欲を増進させる香りがより強くなっていた。


絹糸勇士は――何も言わない。ただ最初と同じ姿勢を保ち、我関せずと言った顔で椅子に座り続けていた。


「……ごめんね、つまらない話だったよね」


「そんな事は無いです。強気で天真爛漫な佐奈先輩の、女の子らしい部分が見れた様な気がして、楽しかったです」


「……そう。本当に食えない男だな、君は……」


「あはは、よく言われます」


佐奈は涙の乾ききった目元を指の腹で拭う。


――塩気を含んだ水滴は、もう付かない。


ずっと一人で抱え込んでいた鬱積を話せた事で、心に余裕が出来たのだろうか。


地元で外面だけを重視する両親と、等身大の弟達の板挟みになっていた少女は、ようやく旅先の気分を取り戻せた。



「……はあ。泣き疲れて腹が減ったな。そろそろ飯の時間だし、一緒にダイニングまで行かない?」


「いえ、俺は遠慮しておきます。副会長から名指しで迎えに来いと申し付かっておりまして」


「マリア……絹糸君使いが荒いな」


佐奈は立ち上がりながら、肩を竦める眼鏡の少年を見やる。


喫茶店での話し合いもそうだったが、彼には何故か心を開いてしまいがちになる。


黒髪の少年が頼るのもよく分かる――そう思いながら、佐奈は廊下へと繋がる扉に手を掛ける。


「そう言えば」


未だに椅子に腰掛けたままの少年が、唐突に口を開いた。


少女は金属のノブに手を掛けたまま――止まる。


「――そう言えば、何?」


「いえ……俺も、副会長の命令が無ければ、翼に声を掛けたのかな、と思いまして」


少年は、何かを伝えようとする説明口調でそう言った。話を聞いていた態度と同じ――自分以外に、その話を聞くべき存在を示唆する様に。


「ああ、あたしも華蓮を呼びに……………………」


花前佐奈は押し黙る。先程の独白は――この場にあの子が居ない事を前提に行った。


もし華蓮に聞かれたら――あたしは剣ですら無くなってしまうから。


守る事も――傷付ける事ですらも、出来なくなってしまう。


絹糸君に話をしたのは別に構わない。何故ならば、あの子は今ここに居ないから。



だが――。


窓の外を見れば、日はほとんど沈み、夜の帳が下り始めている、不穏な逢魔時の頃。


月と星の光を反射する海面が揺らめいて、より幻想的な光景に切り替わっていた。


先程まで遊んでいた二人の姿は――既にない。


それはそうだ。夜になっても遊ぶようなアクティブでアウトドアな子達じゃないし、華蓮は体力すらもたないだろう。


じゃあ――次は何をするだろう。


あたしと同じ様に潮を流す程度のシャワーを浴びて、夕食を待って、その時が近付けば――。


「…………え…………?」


――友達を、呼びに行こうとするのではないだろうか。


一緒に行こう。


そう言って、ずっと隣で歩んでくれた彼女――彼――勅使河原華蓮なら。




あたしはノブを握ったまま、硬直した手に力を込めた。


――大丈夫だ。もし華蓮が外に居たとしても――室内の話し声なんて聞こえない。


そこまで考えて、力みの緩んだ手で扉を開けた。


しかし、廊下の明かりが暗い室内に差し込んだ瞬間、佐奈は思い出してしまった。


――この扉は、見かけによらず、音を良く通す事を。


人工的な光の中に、幻想的な白銀の煌めきを放つ影が見えた。


その白銀の一部は、雫をまぶした様な光の乱れ方を起こしている。


「……佐奈……私……」


小さく震える様な声がした瞬間。


――ばきり。


強固だった様に見えた剣が、呆気なく折れる音が鳴り響いた。




麗爛新聞 七月号 三面 終


この記事は四面に続きます。


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