麗爛新聞 七月号 二面
「夏だ、海だぁああああああッ!!!!!」
からりと晴れた夏空の下、花前先輩の咆哮に似た大声が鳴り響いた。
いくつもの驚きと非現実的な出来事を経て辿り着いたのは、それらの代表格となった勅使河原家の所有するコテージと、隣接するプライベートビーチ。
我先にと砂浜へ繰り出した花前先輩は、入念に準備運動をした後、波をかき分けながら大海に身を進めた。
「おーい!! 早くこっちに来なよっ!! 海が待ってるぜ!!」
水飛沫を上げながら、大声ではしゃぐ高校二年生。ある意味で、最高に絵になる人だと思った。
「元気だなあ、あの人……」
「全くね。そこそこ長時間だった移動の疲れとか、どこに行ったのかしら」
その様子を見て、ザ・生徒会ズ――絹糸勇士と天城マリアが少し引いた目で見ている。
「ま、まあ……折角こんな素敵な所に来たんですから、楽しまないと損ですよ!」
花前先輩の『良さ』をフォローする様に言葉を発して、ボクも海に向かって走り始めた。
「……確かにそうだな。プライベートビーチで遊べる機会なんて、こっから先無いだろうし……よっしゃ、待ってろ海っ!!」
「……バカばっかりじゃない。ま、高校生なんてバカなぐらいが丁度いいのかもね……!!」
ボクの後ろから、砂を踏んで駆ける音が聞こえる。
潮風を感じながら準備運動をした後、同じタイミングでボク達は海に駆け込んだ。
「わっ、冷たい……!!」
マリアさんが口にした様に、海水は思ったよりも冷たかった。
ただ、水に濡れた砂のぎゅむぎゅむとした感触が楽しくて、ボクとしてはそっちの方が衝撃的だった。
「すぐに慣れるって!! ほらこうしてればさ!!」
「わぴゃっ!!??」
花前先輩が掬った海水がマリアさんの顔に引っかけられた。麦わら帽子を被った金髪の麗人は数瞬遅れて、ぷるぷると震えだす。
「い、いい度胸じゃない……!! そりゃあああ!!!」
ザバーン、と大きな音を立てて起こされた水柱が花前先輩を飲み込んだ!!
「うぼあああああっ!!」
「ふん……口ほどにも無いわ」
何故か渋い口調のマリアさんの肢体には、きらきらと水滴が装飾を施している。
「……キレイだね」
「ああ……マジでな」
まるで芸術品の様なその輝きは、男二人を魅了するには十分過ぎた。
「まあ俺達も、せっかくの海を楽しもうぜ。どっこらしょ……」
そう言って、サーフパンツ一丁の勇士は浅瀬に座り始めた。
「えっ……勇士、それは何をしてるの……?」
入浴している様な姿勢のまま動かない勇士に、ボクは思った事を正直に問うた。
「うん? これはあれだ、海を堪能しているんだ。別に興奮を隠しているワケじゃ無いぞ」
「………………ねえ、それってボクはどっちの意味で取ったらいいのかな……?」
「ふむ、そんなのどっちでも構わんさ。おら、お前も一緒に海に浸かれ翼っ!!」
「へっ、わぎゃああああっ!!」
飛びついて来た勇士を躱そうとしたが、流動する砂のせいで足が上手く動かなかった。
ボクはそのまま、勇士の意外と広い肩幅に押されて海に身体を漬け込んだ。
「……ぶへえっ……げほっ、しょっぱい……!!」
思いっきり浸かり込んだ顔をぶるぶると振るいながら、身体を起こした。
「わっはっは! そりゃあ海だから塩辛いのは当たり前さ!!」
「全くもう……勇士のせいで髪まで濡れちゃったじゃんか」
ボクは髪を括っていたヘアゴムを外し、濡れた髪を肩口まで広げた。
着ていたTシャツもぐしょぐしょになってしまったが、まあこちらはそのままで構わないだろう。
そのまま座り込んで居ると、お尻のあたりで波に合わせて砂が動く感触が伝わって来た。
ちゃぷちゃぷと自然に揺れる水面が服越しに肌を刺激する感覚は、何とも言えない心地良さだ。
「お、おお……成る程、これが勇士の言っていた海の楽しみ方なんだ……」
今も近くではしゃぐ声が聞こえる二人のものとはまるで趣が違うが、これはこれで癒される。
それを教えてくれた勇士に目を向けると、彼はボクを見たまま、遠い目をして固まっていた。
「……勇士?」
「……んっ、ああ、悪い翼。ちょっとセンチな気分になってた。お前……そうしてると、ホントに女にしか見えないなって、思ってな」
きっと彼は、そろそろ二年が経とうとしているあの時を思い出しているのだろう。
ボクと、拝島先輩と、絹糸勇士。
今は解消した、一度こじれてしまった関係性。
勇士には悪い事をした――と言うか勇士が自分からこじれさせに行った節もある――けれど。
「…………それ、褒めてるの? けなしてるの?」
――ボク達は共に、あの約束の場所から前に進み続けている。
無かった事には出来ないし、したくもない。そう心の底から思える、大切な記憶だから。
「褒めてんだよ。じゃなきゃ、知らなかったとは言え、お前にキスなんてするものか」
勇士もきっと、そう思ってくれているのだろう。あっけらかんとした態度で、平然とそう言って笑った。
「……だよね。勇士は、優しいもん」
かつて流した涙は地に降り、雨だまりになって、やがて海の一部となる。
だから、しょっぱいのかな。
そんな詩的な事を考えて、ボクは波間に背を任せながら、束の間の移ろいに揺れていた。
「待ていマリア、その乳を揉ませろ!!」
「ちょっ、主旨が変わってるじゃない!! その手をやめなさいスケベオヤジ、近寄るなあっ!!」
「うひひ、ええじゃないかええじゃないか……!!」
「ちょ、きゃあああっ!!」
「……風情の欠片も無いな」
「あはは……確かに。でも、夏の海ってこんな感じなんだね」
ボクは身体を起こし、少しだけ離れた場所でばしゃばしゃと騒がしく音を立てる二人を見た。
茶髪と金髪の女性が声を上げながら駆けまわり、水を掛け合っている。
――いや、多分そう見えるだけで、実際はマリアさんの必死の逃亡と、追いすがる痴漢の激しい攻防なのかもしれなかった。
「しかし凄いな。あれだけ豊満なおっぱいが生で見られる日が来ようとは。しばらくエロ本要らないな」
「ゆ、勇士止めてよ……折角見ない様にしてたのに」
そう口にされては、自然と目が程よく熟れた果実に目が行ってしまう。
ぶるんぶるんと動きに合わせて暴れる二種類の双丘を、本能が求めていた。
「おいおい、二人共もっとはしゃごうよ。折角プライベートビーチに来たんだからさ」
ボク達の視線に気付いたのか、花前先輩がマリアさんを追いかけるのを中断してこちらに歩いて来た。
ふるふると小さめの花柄ビキニに身を包む健康的な肢体はグラビアアイドルも顔負けのスタイルで、惜し気も無くお天道様に晒している。
「いやあ、こうして波に晒されるのもなかなか乙なモノでして」
「遊び方が渋過ぎるぞ若人よ……」
ふう、と彼女が大きく息を吐くと、たわわに実ったそれがふるんと揺れた。
「……ぶくぶく」
刺激があまりにも強いので、ボクは海に口を付けて泡を作るフリをして視線を外した。
「でもまあ確かに佐奈先輩の言う通りだな。折角誰も居ないし、何かして遊びましょうか」
そんな状況でも勇士は立ち上がり、花前先輩を見下ろしながらにっこりと笑った。
「そう来なくちゃ!! でもまず休憩場所を作る為にパラソルを立てようか。絹糸君、宜しく!!」
「承知しましたぜ」
満面の笑みを浮かべて勇士の手を取り、砂浜へ向かった花前先輩は、多分気付いていない。
勇士の水着が、少しだけ歪に変形していた事に。
「……絹糸君って、わりかし助平よね。紳士な態度は絶対に変えないのが凄いけど」
黒いビキニを着て、麦わら帽子を被っているマリアさんがボクに話しかけて来た。
浅瀬に座り込むボクと話す為に視線を下げようと、前屈みになっている。
花前先輩よりも少しだけ小さいが、十分に大きなそれは重力に引かれてボクの眼前に現れた。
「あ、あはは……すみません、だらしない友達で……」
ドギマギしながら応えると、マリアさんは不敵な笑みで意地悪っぽく笑う。
「いいんじゃない? 下手に隠されるより、貴方達みたいにストレートだけど物静かな方が危害を加えなさそうだし」
「う……」
普段から注目を集めるスタイルの二人は、周囲の視線に敏感だった様だ。
ボク達の視線に気付きながらも、平然と遊ぶのは、慣れているからなのか、気を許してくれているのか。
「……ま、父が違うとは言え、姉にすら欲情するのはどうかと思うケド、ね♪」
「うくっ……!!??」
――ただボク達を、からかう為だったのか。
すらりと伸びたの脚が動き、水面が音を立てて揺れ動いた。
それからしばらくマリアさんと他愛の無い話をして、ボクはようやく浅瀬から重い腰を上げた。
「あら、やっと慣れたのね」
「まあ、流石に……まだ、どきどきはしてますけど」
「あらまあ。そんなんじゃ、華蓮にビンタでもされるんじゃない? あの子貴方の事、結構露骨に好きでしょうに」
「いや、まあそれは……って言うかあれ? そう言えば、勅使河原先輩遅いですよね」
一度コテージに着いた後で準備をしながら、ちょっと遅れるから先に行っててとは言われたが、流石に遅過ぎる気がする。
「あ、ああ~……まあ、仕方ないと言うか……恥ずかしがりの華蓮にはキツイと言うか……」
マリアさんが何とも言えない表情で言葉を選んでいる辺り、それなりの理由がありそうだった。
「……なんか、凄い嫌な予感が……」
「……多分その予感、当たってる様な気がする。でも、敢えて虎穴に飛び込む勇気も必要かもね」
姉から感じるのは、無言の圧力。
コテージに行って引きずり出して来い、と言う指令。
「……………………まあ、折角みんなで来たんですもんね」
「ええ、その息よ。流石あたしの弟ね」
背を叩かれ、ボクは前につんのめる。
押された背からべしゃり、と不気味な音がしたのは、変な前兆では無い事を必死に祈っていた。
コテージに繋がる階段を昇りながら、タオルで余計な水分を拭き取った。
室内用の部屋履きに履き替えて建物の中に入ると、可愛らしいメイド服に身を包んだ女性がシーツを運んでいる。
「あの……勅使河原先輩って今どこにいらっしゃいますか?」
「華蓮様ですか? 多分自室に……って、その黒髪……貴方が噂の翼ちゃん?」
ボクの尋ねた事に応えてくれた女性は長い髪を揺らして、目を閉じている様に見えるぐらいの細目でこちらをまじまじと見つめていた。
「あ、はい……あのう、噂と言うのは……?」
「あ、ごめんなさい。私、勅使河原家のメイドの絹糸翠って言います。愚弟の勇士がいつもお世話になっています」
「勇士のお姉さん!? とんでもない、勇士君にはいつも良くして頂いて……」
どこか他人行儀な挨拶を済ませ、ボクは勇士にお姉さんが居ると聞いた事があるのを思い出した。
詳しい話を聞いた事は無かったが、まさか勅使河原家で侍従をしているとは思わなかった。
「勇士と華蓮様から、翼ちゃんの話をいっぱい聞いてるからすぐにわかっちゃいました。貴方が……へえ……意外と言うか……」
ぶつぶつと言いながら、翠さんは楽しそうにボクを眺める。
「……勇士と先輩からどんな話を聞いているのか凄く怖いですけど……詳しい話はまた今度にでも。みんな、勅使河原先輩の事待ってるので……」
「そうですよね……それじゃ、ご案内しますね」
翠さんに連れられ、コテージの豪華な廊下を歩いた。
広いコテージではあるが、漫画等で良く見るお屋敷の様な広さではなく、機能美に溢れた作りになっている。
勅使河原先輩の自室にもすぐ辿り着き、翠さんはそのままシーツを抱えて歩き去ってしまった。
「ごゆっくり♪」
そう言い残した翠さんが何かを含んだ笑みと共に言い残したそのセリフが引っかかったが、ボクは目の前の閉ざされた扉を叩いた。
『ひっ……!? もしかして佐奈!? やっぱりこんなの無理だよぉ……!!』
扉を隔てた向こう側から、どたばたと騒がしい音がする。
「てっ、勅使河原先輩、ボクです、天音です!!」
『あっ、天音君!!?? もっとダメだよ、絶対開けないでよ!?』
安心させようと言った言葉が、中の騒ぎを余計に盛り上げてしまった様だった。
「……えっと、先輩、まだ時間かかりますか?」
『あ、あぅううぅう……!!』
勅使河原先輩の声にならない悲鳴が、板挟みの状況を物語っていた。
「……もしかしなくても……水着で何か問題ですか?」
『………………』
無言――きっとそれが意味するのは、肯定なのだろう。
ここから出てみんなと遊びたいが、ある原因のせいで外に出られない。
原因――即ち、勅使河原先輩の水着。
先輩らしく女の子らしい感じなのか、それとも先輩らしく男の子らしい感じなのか。
どちらにせよらしいのだが――どっちだろう?
正直に言って、凄く気になる。
「……どんな感じなんですか?」
だからつい、不躾にも聞いてしまった。
『!!!???』
息を呑む声が、かなり大きく聞こえた。
『………………引かないって約束出来る?』
しばらくの沈黙の後、掻き消えそうな問いが聞こえた。
「絶対に引きません。約束します」
……がちゃん。
『……約束、したからね?』
重い戸が開錠され、のろのろと開かれて行く。
「……わっ……!!」
広がった目の前の光景に、思わず声が漏れた。
ビキニだ。
真っ白な……ビキニだ……ッ!!!!
慎ましい胸――無くて当然なハズの膨らみが、少ない脂肪を寄せ上げる様にして少しだけ演出されている。
腰にパレオを巻いている為、下半身も全く違和感無く幻想的な女性らしさを醸し出していた。
そして色合い――流れる様な銀髪と日焼けの少ない肌にしっとりと絡むような白地の水着。
清純で、可憐な調和の傑作――勅使河原華蓮が、そこに居た。
何も描かれていないキャンバスの自由さ、或いは舞い降りた天使の羽の様な煌びやかさを放っている。
「……キレイです、とても。この世のモノとは、思えない程に……」
それは、心の底からの賛辞だった。
「……あ、ありが……とう……」
白っぽい肌に、見る見るうちに朱が差し込んで行く。
まるで絵具を延ばした様な光景は、新たに創作される芸術そのものだと錯覚した程だ。
女の子らしいとか、そう言う類のレベルじゃない。
一般的な女性よりも美化された、この触れたら消えてしまいそうな幻の如き存在が、勅使河原華蓮なのだ。
夢見心地のまま、ボクは消えるのを恐れず――勅使河原先輩の手を取った。
「あっ」
小さく漏れ出た様な声に、何か不作法でもしたのかと、ボクは我に返る。
「この格好をみんなに見せるの恥ずかしいから……上にパーカーか何か……羽織りたいんだけど……」
「す、すみません……外で、待ってますね」
「……うん」
ボクにだけ見せてくれた――その事実は、ボクの心を満たす。
ただそれ以上に――波打ち際で太陽に照らされる水着姿の勅使河原先輩を見たいとも思ってしまった。
きっと、煌びやかで、絵画よりも鮮明な感動を与えてくれる光景だろう。
そこまで考えて、ふと思う。
ボクは――結局、先輩とどうなりたいのだろう。
支えたい。それは、当初からずっと変わっていない思いだ。
等身大で、溢れる情欲に振り回される小動物の様な可愛らしい先輩。
そんなボクが惹かれた姿は、今も魅力的のままだろう。
だけど――それ以上に、ボクの心は彼を――彼女を、求め始めているのかもしれない。
中から聞こえる衣擦れの音に、ボクの心臓の音を重ねた、早鐘のユニゾンが身体を支配する。
みんなの元に戻る前に、この鼓動の高鳴りをなんとかしないといけない。
そんな使命に苛まれた永久にも思える時間が、既に鍵が開かれた扉の前で過ぎて行った。
麗爛新聞 七月号 二面 終
この記事は三面に続きます。




