麗爛新聞 五月号 四面
「球技大会、ですか?」
連休を超えて、五月も半ばに差し掛かったある日の放課後。学校指定のジャージ姿で現れた花前先輩の一言に反応してでた間抜けな返事がこれだった。
「まあね。匂いフェチ騒動の一端には、その練習が一枚噛んでいたのさ」
「に、匂いフェチって……もうちょっと違う言い方無いんですか……」
「あると思う?」
「……良い匂いが好き……とかですかね?」
「ふうん、それの匂いフェチとの違いは? 『かわいいモノ』フェチの天音君?」
「……いやまあ……その……すみませんでした」
かわいい男の子も好きと言うかつての発言を散々弄られた後、与えられた弁明のチャンスで正確に伝える事が出来たボクの弱点。
勇士と出会ってから発現した、自分がかわいいと感じたモノを種族性別問わずに好むスタイルに、花前先輩がそう名付けたのだ。
どちらにせよ言質を取られていると言うか、弱みを握られている状態に代わりは無いので、ボクの気分が幾分か楽になった程度の出来事でしかなかったのだが。
「特に無いだろう? 『アレ』を一言で表すなら、匂いフェチが手っ取り早いから、それでいいのさ。あたし達は、もうあの子に遠慮する必要は無いし……あの子もそれを望んでいないだろうし」
ボクの話はさておいて、勅使河原先輩がボクに自らの性別を話してくれた一件で、ついでの様な形で発覚した意外な性癖。
花前先輩曰く、勅使河原先輩は女の子の体臭がするモノが好きらしい。特に彼女のモノだと余計に昂るらしく、身体が勝手に反応してしまう様だ。
「容姿を褒められるのはともかく、体臭を褒められても困るよね」
そこでボクに同意を求められても困るけれど。口にはしなかったが、花前先輩に曖昧な苦笑いで返す事にした。
「って、華蓮の事はいいんだよ。大事なのは球技大会だって」
目の前で足を組んでいる彼女は手をポンと叩いて、思い出した様に語り出す。
「毎年五月の中盤の土曜に、二年生が強制参加させられるクラス対抗の球技大会が開かれるんだよ。トーナメント形式で、優勝賞品は来月にある屋内プール掃除の免除って言う、しょっぱい学内イベントさ」
要は、イベントに乏しい五月の記事にこの球技大会を選ぼう。そう言った提案をする為に、話を始めたのだと彼女は言う。
毎年球技が変わる様で、今年の種目は投票でサッカーになったとの事。ネタに飢えている今の新聞部には持ってこいの話題だろうとの判断だった。
「良いと思いますけど、勅使河原先輩に聞かないんですか?」
「これが華蓮の要望だからだよ。君には是非、球技大会で感じた事を記事に書いて欲しいんだそうだ」
とっくの昔にあの子からは了承済みだよ、と花前先輩は軽快に言う。
一年生のボクには馴染みの無いイベントだけれど、取っ掛かり無しで記事を書くと言うのも難しい。
「……わかりました。是非、やらせて下さい」
ボクは少しだけ考えて、申し出を受け入れた。そうか、と笑顔を浮かべる花前先輩を見ながら思った事がある。
知り合って日が浅く、互いに知らない部分の方が多い中で、部の活動の本質でもある題材選びを任せたのは、知り合う機会を設けようとしてくれたのではないか、と。
与えられたチャンスを最大限に活かそうと、ボクは張り切って記事の作成に挑んだ。
それから幾日かの間に、練習終わりだろうジャージ姿の生徒達の様子を窺ったり、話を聞いたりしていた。
実際の球技大会の様子とは別に、参加する生徒の心情などを取り上げたいと考えたのだが、ここで壁にぶつかってしまった。
「球技大会なー。燃えてる奴も居るし、俺達みたいに正直ダルイと思ってる奴も居るし……なんかちぐはぐしてるよ」
「クラス一丸で何かに挑む心得を思い出すには丁度いいイベントだと僕は思う。ここで協力出来ない様じゃ、学園祭みたいな楽しいイベントですらも問題が起こるだろうからね」
「帰りたい」
余りにも多種多様な意見が出て来て、どう記事にすべきか悩んでいた。
前向きな意見だけを取り入れるとなんだか雑誌に載っている広告の様に仕上がってしまい、かと言って逆にしても麗爛新聞の本筋から外れてしまう。
ただの感想を度外視して理屈っぽく仕上げてもつまらない記事になり、逆もまた然り。
いくつかの仮原稿を作ってみたが、先月の『入学式・始業式』の様に良い面を押し出す雰囲気に仕上がっていないのだ。
頭を捻らせて勇士に意見を仰いでも、首を傾げて考えた末に「なんか違う」としか言ってくれなかった。
彼自身も球技大会の設営等で忙しい様で、両手を合わせて謝られた所に一抹の申し訳なさを感じている程だ。
家事で悩んでいる妻と仕事で忙しい夫の様な、些細なすれ違いにおかしさを覚える。
「……って、誰が夫婦だ、誰が……」
夫婦。夫と妻の関係性。子供が居れば――父と母。
――女の子ならよかったのにね。
「……!!」
脳裏に焼き付き、いつまでも消える事の無いあの言葉。
勅使河原先輩の様に、頑張っても超える事が出来ない現実の壁が、ボクにもあった。
頭を振って余計な事を追い払い、ボクはひたすらにペンを動かす。
いつか高い壁が立ちはだかったとしても――後悔する事が無い様に、今を精一杯頑張りたい。
ボクは周囲の人のおかげで、そう思える様になっていた。
とは言え、一人で悩んでいても伸び代を埋められる事は無さそうだったので、悩んだ末に結局助言を仰ぐ事にした。
「……なるほど、なるほどー」
ふんふん、と仮原稿を照らし合わせる様に読んでいる勅使河原先輩。ぱたぱたと足を動かし、お世辞にも長くない脚が空を切っている。
普段はおしとやかだが、何かに熱中すると別の方向性でのかわいさを発揮するらしい。花前先輩も、一年見ていても飽きが来ないと絶賛する程だ。
「この文章には、自分が入っていないかも」
呆けていたボクの耳に届いたのは、ズバリと突き刺す様な指摘だった。
「自分が入っていない……ですか?」
言われた言葉をオウム返しにして、自分の中に入れ込もうとするが……上手く行かない。
あんなに真剣に取り組んでいたのに、自分が入っていないなんて事があるだろうか。
そんな反抗心に似た感情が、心をモヤモヤとさせて行く。
必死になればなる程、ドツボに嵌る様な……そんな感覚が、素直に受け止めようとする想いを霞ませた。
「天音君。これを書いている時、どんな風に思ってた?」
「どんな風にって……それは、球技大会にありそうな良い面を見せられる様に考えてましたけど」
「……本当に?」
実際に書いていない貴方ではなく、書いたボクがそう思っているのに。
「本当です。ボクは……真面目に、麗爛新聞の為に頑張って……!!」
そのモヤモヤが言葉に混じり、攻撃性を伴って発せられていく。
気配を感じ取ったのかは分からないが、勅使河原先輩は動かしていた脚を止め、ボクに真剣な眼差しを向けた。
「天音君。焦っちゃダメだよ」
唐突に頬に当てられた柔らかな感触が、心に直接触れて来るかの様だった。
温かい。そう、素直に思っていた。
「私は確かに文章を書く事は出来ないけど……その分、人が書いてくれた文章を読んでるつもり。だから、天音君が書いたこの子達が、どれだけ悩まれて生まれたのかも、なんとなく分かるの」
勅使河原先輩は愛おしげに仮原稿を机の上に置き、少しだけ寂しそうに呟いた。
「私には……」
何かを言おうとして、言葉を選んだかの様に口を噤んだ先輩の姿は――どこか、一番先輩らしく見えてしまって。
そんな『彼女』に向かって、ボクは何も言う事が出来なかった。
一時の沈黙の後、銀色の少女が唐突に口を開く。
「……心で、言葉を受け止めてあげて。ただの事実じゃなくて、ただの理由じゃなくて――その人の言葉を」
先輩の言葉の真意は、その時には分からなかった。
その後ボクは新聞部に顔を出さず、先輩と顔を会わせる事は無いまま、さらに数日を経て。
そしてとうとう、球技大会本番の日を迎える事になる。
球技大会中も、参加していない他の学年は平常授業を行っていた。
「いいな、二年生」
そんな自身の退屈を呻く様な呟きがクラスのあちこちから聞こえる中、ボクは休み時間になる度に校庭へと足を運び、間近で大会の様子を見ていた。
傍から見れば、他の座学に比べて身体を動かしている分退屈はしない様に見える。
現にフィールドをボールを蹴って走り回る生徒達は生き生きと輝いている。
しかし、あまり運動が得意ではない生徒は苦悶の表情を浮かべているし、好きでは無い生徒は退屈そうにボールを追いかけている。
その光景は、お世辞にも……等と言うレベルの凄惨さではなかった。
天国と地獄。
人間の良い所と悪い所が、一つの舞台に立たされて滲み出ている。そんなどことないマイナスの空気が、グラウンド中に漂っていた。
「……こんなの……」
どう書いても、プラスの印象を与えられそうにない。
諦めに似た感覚と、その光景を見て生まれた心のモヤモヤに、思わず吐き気を覚えた。
良い面を押し出す為の新聞で書く内容で、この大会を題材に選んだのは、明らかに失策だった。
誰がどう思ってもその結論を抱くだろう――。
「……でも」
――それも、ある人達を除いての話だが。
「華蓮、パスだパス!! ほらこっち!!」
「わ、分かってるよぉ!! でも相手の選手が……!!」
「勅使河原さん、こっち!!」
既に去年目にしていて、可能性を感じ取っていた物好きを、ボクは二人も知っている。
導かれる様に視線をやった方向に、男子とは別に用意された女子用のフィールドの一角で、賑わっているクラスがあった。
そこに混ざって聞こえるのは、耳馴染みのある声。
その存在に気付いてから、きちんと目を凝らし、耳を澄ませば他にもたくさんの前向きな声が聞こえてくる。
「ボール取られてもいいから取りに行ってくれ! 絶対に誰も文句言わないから!」
「そうそう! どうせ賞品なんて無い様なモンなんだ! 楽しんだモン勝ちだ!!」
いつしかその熱気は、人から人に伝わって。
「ダルイってよりも……楽しみたいって気持ちが勝って来たぜ!!」
「一致団結ってのは、急に言われても難しいかもしれないけど……個々が楽しいと思うのは、そんなに難しい事じゃない……!!」
「早く帰りたいけど……どうせピッチに居る時間は変わらないなら、楽しんでから帰るか……」
見覚えのある、ボクが取材をした人達だ。肯定派も否定派も、鼓舞する声に釣られて輝き始めていた。
「……いいな」
羨望。いつしか、そんな呟きが自然と口から零れていた。
「勅使河原さん、そこじゃパス渡せないからもうちょっと前に!」
「ご、ごめんなさい!」
明らかに運動に不慣れで、反応速度も遅く、楽しめる様な状況に居ないにも関わらず、輝いている人が居る。
「華蓮、焦らなくていい。あたし達がカバーするから、落ち着いて周りを見るんだ」
「……うん!」
――そんな真剣にやっても、得るモノは大きくないから適当でいいや。
蔓延っていた手抜きの空気を微塵にも感じさせない、明るい声が上がっている。
それを見て、ボクは思った事を口にした。
「――運動苦手だったんですね、勅使河原先輩」
ボクはまだ見せていなかった未熟な部分を見せて。
そしてボクは、貴方達の知らない素敵な部分を、また一つ知る事が出来た。
――――――
――――
――
「……楽しもうとする意思が伝わり、グラウンドには次第に熱意が灯って行った、か。正直ここまで出来過ぎだと、気味が悪いな」
「ちょ、ちょっと佐奈……最高の結果が出てるのに何て言い方を……」
「じゃあ別に言い方があるとでも?」
「……いや……その……すみませんでした」
どこかで見た様なやり取りを目の前でされ、何とも言えない感情を覚えた。
球技大会の良い面を心で感じ取ったボクは、何の迷いも無く原稿を書き上げ、久しぶりに部室へと足を運んだ。
ただ事実を述べるだけでもなく、ただ思いをそのまま載せるだけでもない。
物事の良い面とは、悪い面をしっかりと見据えた上でのみ本質が見えて来る。
そして全てを載せる事は出来ないから、自分が一番伝えたい事を、自分の心で選んで書き連ねる。
迷い、悩んだのならその気持ちも含めて、良かった面を見付け出す事。それこそが麗爛新聞の本意なのだと、ようやく分かった気がした。
上っ面だけでなく、心の底からの優しさが麗爛新聞の生まれた理由だったと、本当の意味で思い知る事が出来たのだ。
「でも、ちょっとだけ不安だったんだ。天音君が途中で嫌になっちゃわないかって」
「え、そうなんですか?」
優雅に紅茶の香りを楽しむ勅使河原先輩が、平然とした顔で零す。その様子を見ずに、花前先輩が気怠そうに口を開いた。
「よく言うよ。愛しの天音きゅんなら大丈夫ー、とか言って一番最初に言い始めたのはアンタだろうに」
「言ってません……でも、一瞬でも嫌な思いをさせちゃってゴメンね」
一瞬だけされた会釈に、ボクは首を横に振る。
この新聞部に居る以上、避けては通れない道だったと骨身に染みて分かっていたから。
「人には得手不得手があるし、何かを嫌だと思う感情だって絶対にある」
「だけど、その心のどこかには間違いなく、優しさとか、慈しみとか……大切にしたい感情だって絶対にあると、華蓮は信じて疑わないのさ」
「良い所も悪い所も踏まえて……良かった、って思えます様に」
そんな優しい祈りを、少しでも多くの人に届けたい。
『良い面』を見せるのは、『悪い面』をひた隠しにする為じゃない。
結果的に『良い面』があった――良い思い出だったと、思って貰う為に。
それを為せるのが麗爛高校新聞部で、それを成すのが麗爛新聞。
例え小さな動きでも、他の人に伝わって、輝きを広げて行きたい。
その願いを叶える為の、一番大元になれる銀色の光が、ここにある。
「あ、でも。仮原稿を持って来た時の天音君はちょーっと感じ悪かったかな?」
「……あ、その……すみませんでした」
「いーえ。許しません♪」
「ほう、ショートポニーのふざけた一年坊主が、華蓮に向かって罵詈雑言を吐いたって奴か。仲直りする為にも、ここで贖いを終わらせておこうか」
「罵詈雑言!? せっ、先輩まさか!!」
「……傷付いたなー、私♪ あんなに酷い事言われるなんてー」
ぺろり、と小さく舌を出す彼女は、決して純粋な聖女ではないけれど。
「チッ……どうやらここで上下関係をハッキリさせて置く必要があるな。さあ、懺悔の用意は出来ているか?」
それでもボクにとっては、かけがえのない人で。
「わ、罠だ!! 待って、話せばわか……ぎ、ぎゃあああああ!?!?」
いつか、全てを知り合っても、互いに支え合える存在になりたい人でもあるのです。
麗爛新聞 五月号 四面 終




