火葬鳥
最も遂げたくない死に方を訊かれたら、私は火事での焼死を挙げるだろう。轟々と燃えさかる建物の中、死にたくない、まだ助かるかもしれないと絶望的な気持ちで逃げ惑い、煤や煙に巻かれて喉はカラカラ。助けを呼びたくても声はかすれて、涙も熱で乾いていく。煙を大量に吸い込むと意識を失うというのは嘘で、本当は動けなくなっても意識は保ったままだ。火事で焼け死んだ人たちは、皆頭がハッキリした状態で、じわじわと火に炙られ、苦しんで苦しんで苦しみ抜くらしい。私は、そんな目に遭うのは絶対に御免だ。
こんなに人の尊厳を踏みにじる死に方があるだろうか? 死者は絶大な苦痛と恐怖を味わい、惨たらしい遺体は家族の哀しみをより深めるだろう。
だが同時に、最も切望する死に方はと訊かれたら、私はやはり、火事での焼死を挙げるのだ。それも、出来るだけ近いうちに、と。
そうでなくてはならない、父も母も弟も、今私が想像したとおりの、いいやその何百倍も酷い目に遭って死んだのだから。この世には私が思いもよらない苦痛が存在し、それが訪れる時はどんなに避けよう逃げようと努力しても、抗えない瞬間があるのだ。私が生まれる前から、火事で焼け死んだ人が大勢いたのと同じように。
■壱■
昨年の夏だった、私は中学の夏休みで、友達と市民プールに出かけた帰りだ。自宅が入っているアパートの方角から煙が上がっているのを見た時は、そんなに深刻なこととは考えなかった。私の家があった土地は米所とも言われるぐらい、稲作が盛んで田畑が多く、自分の土地でゴミを焼く人も時々いるからだ。
サイレンの音がして、消防車が私の自転車を追い越して行った時さえ、まだのんびりとペダルを漕いでいた。
「あんた、あそこのアパートの子でしょ!? うち燃えてるよ!」
最初に私に事態を知らせてくれたのは、近所で見かけたことのあるおばさんだった。後で思い返すと野次馬だったのだろうが、おばさんは私の返事も聞かずにアパートの方へ走っていった……記憶の中では、彼女はカメラを手にしているが、思い違いだろう。今はガラケーもスマホもあるし、被害妄想かもしれない。
私は半信半疑の気持ちで立ち漕ぎに切り替えた。プールで濡れた髪はすっかり乾き、肌は汗ばみ始めていたが、首筋から背中にかけてじわっと冷や汗が滲む。けれども、まさかこの自分に、そんなドラマみたいな災厄なんて降りかかるはずがない、そんな慢心が私の恐怖を逸らしていた。
けれど、この世に「それ」は存在し、訪れる時は訪れる。
交通事故のように、地震のように、転んだ先で待ち構えるアスファルトの固さのように、歯医者さんのドリルのように、人が必ず死ぬように、向こうがこちらを目当てと定めたら、決して逃げられない。人は苦しむ、生きてる限り傷つき、どこかで立ち直れないほど叩きのめされる。そうやって全ての人は終わってきた、私の家族にその時が来た。
アパートに辿り着いた時、既に建物全体が火に包まれていた。テレビのニュースで何度も見た光景、窓という窓から炎が吹き出し、入道雲がかかった青空にはもうもうと煙が立ち上って、火山が出来たみたいだった。呆然としながら、私の口はほとんど勝手に家族を呼んでいた。お父さん、お母さん、タケちゃん、どこにいるの。
真夏の炎天下、すぐ目の前には燃えさかる家があって、暑くてたまらないはずなのに、足元が凍ったような気分だった。
携帯電話を取りだし、震える手で操作するが、何度かけても誰一人として繋がらない。どうして出てくれないの、早く声を聞かせて、私を安心させて欲しい。こんなのは、大したことないって言って。家が燃えて、財産もごっそり減って大変だけど、家族は皆無事で良かったねって笑おうよ。大丈夫、大丈夫、大丈夫だって。でも電話は繋がらない、私はもどかしく周りを見渡す。
邪魔な野次馬たちは、新鮮な肉に群がるゾンビみたいだ。全員殴りつけたい思いでそれをかき分けながら、私は家族を探した。少しでも見知った顔があったら、捕まえて訊ねたが、みんな首を振る。中には「一緒じゃなかったの?」とこちらに聞き返す人もいたが、私は無視して次を探した。けれど、どこにもいない、見あたらない、だから私は建物の方を見ないようにしていた。
最悪の想像を現実の物としたくなかったから、目を逸らしていたのに。あの時、なぜか私の目は誰かに呼ばれたように、燃えてガラスの割れた窓を不意に見上げてしまった。
アパートの二階角部屋、そこは間違いなく私の自宅だった。その窓だ、誰かが遊びに来ていたのでなければ、そこには今朝、私がプールへ向かう前と同じく、家族が全員揃っているはずだった。その中で何かが動いている、炎の揺らめきじゃないのはすぐ分かった。倒れる家財とはまた違う、明らかに、生き物のシルエット、もっと言えば人の形をしていた。
手足をメチャクチャに振り回して、右へ左へ部屋の中を往復する人影が、燃える私の家にあった。
「おとうさん!」
自分の金切り声が他人のもののようだ。なぜ父だと思ったのか分からないが、あれが本当は母だったのか、弟の健彦だったかはもう永遠に分からない。あるいはあの影は三人分で、みんな火だるまになりながら、助かるという希望も失って、ただただ苦しむためだけに家の中でのたうっていたのかもしれない。
「助けて! ねえ誰か、お願い助けて! 助けて! 助けて! うちの中にまだおとうさんがいる! おとうさん! おとうさん! おかあさん、タケちゃん、みんな! 助けて!!」
炎が竜巻のように立ち上がり、高々と天を突く。
吸い込まれるように見上げたその先、火柱の先端がぱかりと割れて、鳥のような形の火を吐き出した。ぞっとするような、気味の悪い印象がある鳥だ。羽根があって、鉤爪があって、なんとなく鳥だと分かるが、体そのものは蛇のように長く、いびつな感じがする。たまたまそんな形になった火のはずなのに、私の目には細かな羽毛すら見えていた。
鳥が啼く――人のような声で、いつまで燃えるのか、そんな風に言った気がした。
けれど、次に私の記憶が繋がるのは、淡いクリーム色をした病院の天井だ。私は火事の現場で叫んだ後、失神したのだと看護師さんから説明を受けた。火の鳥は、おそらく幻覚だったのだろう……と、思う。あの顔が何かに似ている気がしたが、私の精神はそんなことを気にする余裕など無くしていた。
ほどなくして、医師が家族の容態を告げたのだ。消防隊の懸命な活動により、弟は救出に成功したが全身火傷の重態。父と母は、焼け跡から遺体となって見つかった、と。
包帯だらけの弟は、漫画のミイラ男そのもので、妙に可笑しい気がしたけれど、ちっとも笑えなかった。そもそも、笑うことってなんだろう? その時の私は自我が硬直したように、生活の仕方を全て忘れてしまっていた。こんなことがあったのを覚えている。私は火事の後、一晩入院し、翌日迎えに来た叔母が言った。
「巡ちゃん、服持って来たよ。今どきの子ってどういうのが好きか分からないけれど、着替えたら何か食べれそうなもの食べて、ウチに行こうね」
三種類ぐらいのワンピースやTシャツを置いて、叔母はベッド周りのカーテンを閉めた。私はキュロットを一つ手にとり、ぼうっとそれを眺める。フックを外して、チャックを下ろして、足を入れて、はく。それは分かるが、分からなかった。十五分ぐらいしただろうか、叔母が申し訳なさそうに「ごめんね、やっぱりダサかったかな?」と訊いてくる。
「違うの、叔母さん」
その困惑をどう表現したらいいか、私はしばらく思い悩んで、結局正直にそのまま口にした。
「服って、どうやって着るんだったっけ」
悲しいとか、苦しいとかじゃない。ただもう、その時の私は頭の中の、物を考える部分が完全に潰れたような感じだった。自分が今までどうやって泣き、笑い、おしゃべりして、学校へ行って、買い物して、お風呂に入って、テレビを観て、そんなことの一つ一つをどうやってこなしていたのか、理解出来ない。
私の現実感は、お葬式の時になっても帰ってこなかった。
単調に唸るような読経と蝉の合唱が混じって、時間の感覚が曖昧になる中、両親の遺影が並んで微笑んでいた。あの時はただ人形のように静かに座っていたけれど、今思い返すと叫び出したくなる。棺の中は誰も見ようとはしなかった思うが、あれは作り物の顔が入っていたのだと、誰かがしゃべっているのを食事の時に聞いてしまった。
二目と見られない遺体にはそうするのか、とその場では豆知識のように聞き流したが、私にとって思い出してはいけない言葉の一つになった。
■弐■
胸に穴が開いたような感じ、という言葉は、まるで心という物が隙間無く胸を満たす物であるかのようだ。それならば、私が自分の胸の中に感じられるのは、割れ硝子のような破片のかたまりに過ぎない。私が歩いたり呼吸したりするたびに、胸の中で破片たちはカラカラと揺れて、ぶつかってはまた新しく割れるを繰り返し、時々思い出したように胸の中で突き刺さるのだ。
人間は、心がこんな風になっても生きていけるものだろうか?
学校を卒業し、仕事をして、誰かと結婚したり、子どもを産んだり、育てたり。そんなことはもう、考えられない。植物の種に花や葉や枝の素があるように、人の心にも色んなことをするための、生きる力が備わっているのだろう。私は違う。もう火事で焼け焦げて、役に立たない。煎った種が芽吹かないのと同じに。
夏休みの間中、叔父の家には前の学校での友達から手紙や贈り物が届いた。文面はどれも、悲しいけれど元気になってね、お父さんお母さんの分までがんばろうね、そんなことばかり。直接訪ねてきた子もいたが、私はほとんど黙って、曖昧に笑って見せることしか出来なかった。本当なら誰とも会いたくはない。
その間に、叔父は私の引っ越しと転校の手続きを済ませてくれた。家財道具は燃えてしまったから、私の持ち物はプールの時に用意した着替えと水着だけだ。けれど、私はそれを叔父から隠し、少し立ち直った頃にこっそりと捨てた。これはあの日私がプールに行って、一人難を逃れたという証拠物件なのだ。蒸された塩素の異臭が、私のやましさを知っているように漂っていた。
それにしても、立ち直ったという言い方も据わりが悪い。当初のショックから抜け出して、表面上は火事の直後より「まとも」に振る舞えるようになったのは確かだけれど。頭を殴られた人間が、殴打直後の朦朧とした状態からは回復したものの、外から見えないところでは脳に傷が残っている。私の心は、そう言った方が近いと思う。
それもあって、私の初登校は九月も終わりになってからだった。
叔父と叔母に心配をかけるのは心苦しいが、無気力と怠惰はその気持ちを上回っていた。学校へ行かなくてはいけない意味なんて分からない。義務教育をきちんと終えないと、就職にも差し支えるし、大人になってから困るだろうと他人は言う。どうして皆、私がこのまま一人きり、意地汚く歳を取って大人になると思うんだろう?
父は工場勤め、母はパート。決して経済的には楽ではなかったけれど、あそこは私の家だった。私という人間の一部だった。今は大きく身をもがれ、残った半身は焼けただれて、腐った汁を垂らしている。その悪臭が、いつも自分の額の奥からしている……あの日のアパート前で鼻を突いたのと同じ、頭が痛くなるような臭いが。
唯一、私が外へ出かけるのは、叔母に付き添われて弟の見舞いに行く時だけだった。
「タケちゃん」
義務的にそう声をかけるが、それ以上何を言うべきか、私には見当も付かない。看護師さんが、反応が無くても出来るだけ呼びかけて下さいと言うから、本当はもっと色々話した方がいいのだろう。私も話したい、やんちゃまっさかりだった小学生の弟、こんなミイラ男じゃない、元気な健彦とバカみたいにしゃべって、喧嘩したかった。
でも、今は。これは弟であって弟ではない、体はかろうじて生きているけれど、タケちゃんはもういないのだと、そんな予感がした。
呼び戻したければ、もっと声をかけるべきなのだろうが、きちんと何がしか言葉を継ごうとすれば、得体の知れないものが溢れて止まらなくなりそうだった。限界まで表面張力をみなぎらせた水桶と同じ、溢れれば全てが押し流されて、桶ごとひっくり返ってしまう。その桶が載ってる台さえ、一本の糸でかろうじてぶら下がっている、そんな気持ちだった。
「タケちゃん。ごめんね」
その二言が私の精一杯だ。長い逡巡と沈黙、そしてたった二度の声かけのためだけに、長々と叔母を付き合わせるのは申し訳ないけれど、これ以上のことは何も出来ない。何か出来るとしたら、それはもうあの日にやっておくべきことだったのだ。叔母は病室を出ると、黙って私の腕や肩や背中をさすって、時折目頭を拭っていた。
「巡ちゃん、健彦ちゃんは大丈夫。たった二人の姉弟だもの、神様もそんな惨いことせえへんよ」
本当にそうだろうか? 胸に刺さるような衝動があったが、私がその言葉を黙っていられたのは不思議だ。
弟が死んでしまうことが惨いことなら、父と母が焼け死んだことは、まだ惨くなかったのか。ああ、他人は皆そう言う、一家全滅じゃなくて良かったね、一人だけでも生き残って良かったね、死んだ人の分まで生きて幸せになってね。違う。誰も知らない、私たち家族の身に起こったことを本当は知らないし知る気がない。人の不幸なんて、そんなものだ。
――いつまで、生きてるんだろうね。
誰かがささやく声が聞こえる。私自身の言葉なのか、通りすがりの誰かが発した無関係な音声かは分からない。ただ、どこかあの日の鳥が啼く声に似ている気がした。
その日は、おかっぱの、運動部所属の女子だった。
「久志田さん、お昼一緒に食べません?」
毎日毎日、クラスメートの誰かが代わる代わる話しかけてくる。実は私が知らない所で、「久志田巡当番」が作られて、当番に当たった人たちが声かけをすることになっているのだろうか。私が叔父夫婦の親切心に根負けして、登校してから一週間。授業などの必要に迫られない限り、クラスメートの誘いは全て断ってきたというのに、この学級はやたらと辛抱強い。
新しい学校で、担任の教師は私がショッキングな事件で家族を亡くしたことを、包み隠さずクラスメートに伝えていた。だからだろう、皆私にはくどいほど優しい。腫れ物扱いというやつだろう、うっかり触って傷口を開けば、周り中から断罪されると怯えているのだ。それにしたって、息を吹きかけたら、私が崩れるとでも思っていそうな態度だった。
「ごめんなさい」
それまでは黙って首を振るだけだったが、その日初めて私は言葉を添え、頭を下げた。私は足早に、声をかけた女生徒の前から立ち去って、校舎裏を目指す。一人になりたいのだ。何しろ、人と一緒に食事する席で、無様な食べ方は出来ない。普通に食べようと努力するのは、叔父叔母との食事時だけにしたかった。
小学生の頃は、学校の怪談を半ば信じていて、トイレに一人で行くのが怖かった。あんな事が無ければ、今も少し怖かっただろう。けれど、私は昼休みの終わりにはそこへこもって、叔母が作ってくれたお弁当を吐き出すのが習慣になっていた。好きで吐いてる訳じゃない、ただ、胃が受け付けない。
綺麗に巻かれた卵焼き、ほどよい色に茹でられたブロッコリー、日によってミニハンバーグや海老のベーコン巻きだったりするメインのおかず。朝早く起きて、気持ちを込めて作られた叔母の料理。母は朝が弱くて、料理もそんなに上手くなくて、パンを買うお金だけ渡される日もあったし、卵焼きが酷い崩れ方をしていたり、冷凍食品だらけだったりした。どちらのお弁当も私は好きだ。
あまり食欲は無い、それでも食べずに捨てるのは忍びない。だから無理やり口に詰め込んで、水道水をがぶがぶ飲んで流し込む。食べ方が悪いのか、結局は吐いてしまうにしても……。もちろん、体重はみるみる落ちていった。このまま飢えて死んでしまえばいいと思うが、その前に叔父と叔母が私を病院へ連れて行くだろう。
何とか体重を保たねば、そう考えた私は、夜中に冷蔵庫のバターや塩を混ぜたごま油を舐めたが、効果は微妙だった。やはり、人が直接食べるように作られていない物は、必要な量を摂るのは難しい。結局は叔父夫婦との食事が、私の健康を支えていた。
弟が息を引き取ったのは、私が新しい学校へ登校を始めて三週間目のことだ。
我ながら冷たいことに、それはさほどのショックではなかった。私の中ではとっくに弟は死んでいて、叔母さんと見舞いに行った時でさえ、既に諦めていたからだ。第一、助かるのかもと見せかけの希望を持てば、裏切られた時、私はどうしようもなくなる。そうなってしまえばいいのに。弟はきっと回復してまた元気になると、そう心の底から信じて殉じられれば良かったのに。
人の心は狂いたい時に狂ってくれない。
父と母があんなことになって、弟のことも心から葬り去って、どうしてこんな醜い私だけが今も健やかに生きているのか。本当は家族のことなんて、心の底ではどうでもいいのだろう。愛してなんかいなかった、弟は生意気でワガママでムカツクし、母は家事も手抜きがちでだらしのない人で、父は朝早くから夜遅くまで仕事に出てあまり私に構ってくれなかった!
嫌いだ、みんな嫌いだ。嫌いだったんだ。
私が嫌っていたから皆死んでしまった。私が家族を愛せるような、真心のない人間だったから。
あの火事は数ヶ月経った今も原因不明のままだった。寝たばこや花火の不始末といったそれらしい物は何も見つからず、放火ではないかと推測されている。そのことを考える時、私はどうしても、あの時見た炎の鳥を思い出さずにはいられない。人の言葉で「いつまで」と言っているように聞こえたが、あの鳥は何と言おうとしていたのだろう?
いつまで……いつまで……いつまで燃えるのか? それとも、「いつまでお前は生きているのか」だろうか。
「タケちゃん、あんなに元気いっぱいな良い子だったのに」
「本当に、むごいことよねえ」
「巡ちゃん、このたびは、ご愁傷様でした」
「まさか、弟さんまでねえ」
代わる代わる挨拶に来る親戚や、父の職場同僚、弟の同級生とその親に、私は「ありがとうございます」とただただ頭を下げる作業に没頭しようと務めた。弟の葬式は、ほとんど無感覚に過ごした両親の時より、ずっと苦痛だ。会場は以前と同じく、叔父夫婦の家を借りている。
両親の死から三ヶ月半も無いこともあってか、参列者は一言は私に話しかけようとするように、集まってきていた。叔母や叔父が毎日私に向けるそれに似て、憐憫と気遣い、そして絡み付くような好奇と注目のまなざしが突き刺さる。皆、私がまだ子どもだから、自分たちの本心に気づかないとでも思っているのだろうか。
叔父夫妻には、生きていれば私の七つ年上になる息子さんが一人いたが、交通事故で死亡した。小学生の時、父に伴われて参加した従兄の葬式で、彼の死や事後処理について、あれやこれやと噂していたのを覚えている。誰かの死なんて、当事者以外にはニュースの一つに過ぎないのだ。
心配もお悔やみも、そうしなければならないという社交辞令。誰もがあなたを助けたいと言いながら、本当に助けを求めればなんて厚かましいのだと怒る、人付き合いなんてそんなものだ。そんなものを聞かされるために、時間を割かれるのはうんざりだった。
人が私に差し伸べる手は、救うものではなく、生傷をいじくるそれと同じだ。誰が皮膚を失い、血を流すそれに爪を立てられたいと思うだろう。
ああ、つまり、皆本当はこう考えているのだろう。どうしてあなただけ生きているの、いつまでそうしているの、と。今にも死にそうな顔をしているくせに、辺り構わず悲劇のヒロインぶって、みっともないったらありゃしない。とっとと死んでしまえ、家族と同じように焼け死んでしまえ、でも私たちがその背中を押したと思われるのは御免だよ、と。
いつまで生きてるの、いつまで家族を置いておくの、鳥が啼くように甲高い、けれど私にしか聞こえない声で、彼らはそう言っている。
■参■
いつまで、いつまでと、また声が聞こえる。
この幻聴は私を放って置いてくれない。そして唯一、はっきりと責めてくれる。いつまでお前は生きているのか、と。ああ、早く終わらせなくては。もう、あの火事から一年が経ってしまった。私は弟の葬式から、月に二、三回登校するような生活に入って、高校受験なんてとっくに投げ出している。
普段の私は家事手伝いに専念し、買い物を頼まれれば外へ行けるようにまでなり、叔母は出来るだけ私を公園や旅行に誘おうとまでしてくれた。叔父は高校なんて、後から卒業資格だって取れるからねと言って、私にバイトも通学も勧めようとはしない。親戚の子とはいえ他人だろうに、もう少し厳しくしないと、家の財政も苦しいんじゃないか、なんて心配してしまう。
どうやらこの人たちに対してだけは、まだ私の頭も感情も、まともに働くらしかった。
それは、死んだ息子さんの存在が、親近感を持たせるからだろうか? もし、死んだのが叔父夫妻で、残されたのが従兄の方だったら、彼はどうしていただろう。享年十六歳、今の私より一つ上の彼は、ギリギリ踏みとどまって、両親の死を背負いながら生きていたのかもしれない。それとも、私と同じ道を選ぼうとしただろうか。
人の生き死になんて分からない。だから、他人にどうこうと指図されたくない。
昔遊びに行った時、叔父の家はガスコンロだったはずだが、私が来て間もなく電磁調理器に買い換えられていた。当初は気づかなかったが、私に火を見せまいと気遣ったのだろう。そんな叔父だから、私が花火に興味を示した時には、さぞかし驚いたはずだ。叔母と買い物に行ったホームセンター、花火コーナーの前で私はしばらく足を止めた。
あの火事の数日前、私たち一家はアパート前の公園で花火をしていた。色とりどりの紙筒からカラフルな炎が噴き出して、時間と共に色を変える。弟はネズミ花火が大好きで、くるくる回転するそれから歓声を上げて逃げ回っていた。母は一度家に戻ると、切ったスイカを持って来てくれて、一旦休憩に。弟は両手にスイカと花火を持って大忙し、父と母が肩を並べて線香花火を眺める様は、結婚数十年を経て仲むつまじいなあと私は羨ましく思っていた。自分も結婚するなら、こういう夫婦になりたい、と。今は、その全てがどうでもいいが。
「……巡ちゃん、花火がしたいの?」
おずおずといった調子で話しかける叔母に、私はつい「うん」とうなずいてしまった。
「最後に家族みんなで、花火やって遊んだから」
平静に言ったつもりが、私の片目から涙がこぼれ落ちる。どうして、不意にこんな生理反応が起きるのだろう。思いのほか、花火の記憶が自分の胸に刺さったのか、脳の芯がしびれるような感じがして、自分で自分の気持ちに追いつけない。ただ、花火をやろう、花火をしたい、という断固とした意志が生まれていた。
「じゃあ、これ買っていこうね」
叔母はにこやかに笑って花火を買い物カゴに入れ、金曜だったので、すぐその夜やろうということになった。叔父の家は庭付き一戸建てで、場所にも困らない。
花火の火でアスファルトをなぞると、白い跡がチョークで描いたようにつく。しばらくそうやって、無意味な丸や線を描く内に、花火は燃え尽きてしまった。用意されたバケツに突っ込むと、ジュッと言う鎮火の音さえ小気味良い。この花火というやつは、なんて最後まで気持ち良いのだろう。人間が飼い慣らした火だ、ライオンを猫に変えたような巧みさを感じた。
火薬が燃えたきな臭さは、存外良い匂いに思えて、いつも感じている悪臭を忘れさせてくれる。それどころか、懐かしい夏休みの思い出がよみがえるようだ。去年だけではない、私が小学生や、幼稚園の時の古いものも含めて……そういえば、夏休みには毎年数回こうやって花火で遊んだけれど、去年はあの時一回やった切りだった。
昔は母が赤ん坊の健彦を抱きっぱなしで、私が代わりに抱くまで、花火は見てるだけだった。夜闇に灯る花火の明かりとコントラスト、弾ける火薬の匂い、火に照らされるもくもくとした白煙と、ゆらゆら揺れるロウソク。その全てが、あの火事よりも、もっと古くて懐かしい思い出をひたひたと呼び起こしてくれる。
初め心配そうに私を見ていた叔父さんたちも、私が懐かしさに目を細め、楽しんでいる様に安心したようだった。二人に心配をかけていない、そう思うと私も不意に楽になった。こんなに心が和むのは、本当に久しぶりかもしれない。ああ、やっと分かった、生きるってきっとこういう気持ちのことだ。
「巡ちゃん、楽しいかい?」
叔父の浩樹さんが、ビール片手に真っ赤な顔で言う。機嫌が良さそうだ。私は出来るだけ笑顔を作って、うなずいた。愛想笑いではない、ちゃんとした心からの気持ちが表現出来ているといいのだけど。少しはそれが伝わったのか、浩樹叔父さんは、こちらが恥ずかしくなるぐらいニッコリ満面の笑みになった。だから、それに釣られたのだろう。
「私、夏休み開けたら、遊んでばかりいちゃ駄目だね」
そんなことを言ってしまった。一度口にすると、まあいいやと思い、その先を言い切る。
「もっと頑張る。叔父さんの家のお手伝いも、学校も、勉強も。今からでも受験、間に合うかな」
それは、二人を喜ばせるためについた、私の嘘かもしれない。あるいは、ほんのひとときの幸せな気持ちに酔った、ただの戯れ言かもしれない。でも、嘘も繰り返し言えばいつかは本当になる。そんな気は無くても、こうして口にするだけで、いつか私もちゃんとそんな気になれるんじゃないだろうか。少なくとも今までよりは、前向きな気持ちが生まれていた。
硝子片のようだった私の心は、ここに来てようやく持ち直そうとしたのか。それが信じられない気がしたが、人が簡単に狂えないのは、人間の強さなのかもしれない。私は生きてていいのだろうか。このままここに居て、何かを考えたり、始めたり、動いたりするような、そんなことしていいんだろうか。
「巡ちゃん。そんなにいっぺんに、無理しなくていいんだよ」叔父さんがニコニコして言う。
「そうそう、頑張りすぎると疲れちゃうからね。そうだ、スイカ切ろうね」叔母さんが目頭を拭って、家の中に引っ込んだ。
お風呂場で冷やされていたスイカが出てくる。一切れ勧められ、てっぺんにかじりつくと、かけられた粗塩と混じった甘く爽やかな果汁が、口いっぱいに広がって、香りが鼻へ抜けていった。
「おいしい……」
そういえば、食べ物の味がちゃんと分かったのは、いつ以来だろうか。食欲は、火事から半年を過ぎたあたりから回復して、そんなに吐くことも無くなったけれど、何を食べても美味しいとか美味しくないとか、全く感じなかった。でも、私は生きてるんだ、やっとそれを思い出そうとしているんだ。
「叔母さん、このスイカすごく美味しいね」
どんどん食べてね、と差し出されるままに、私は更に二切れ平らげた。必要最低限しか口にしなかった私が、食事に意欲を見せるのだって久しぶりだろう。これから一つずつ、取り戻していけばいい。家族の命日になったら、お墓参りをして、元気になった私の姿を見せなくちゃ。
新しい花火に火を点ける。真っ白な炎が勢い良く噴き出して、光のシャワーみたいだ。紙筒が短くなって、次は緑色に、そしてオレンジに変わる。オレンジから赤への変化は、ちりちりとうぶ毛が立つような感覚を覚えた。これはただの花火なのに、またあの火事を連想してしまう。
「嫌っ!?」
炎が不意に膨らんだ。花火が破裂して、キラキラと火の粉を辺りに飛び散らせる。私を呼ぶ叔父の声が、水飴のような空気の向こうから鈍く響いていた。時間が鈍化して感じられる、そのことに気づいた時、私は目の前にいるものに気づいた。
――いつまでつづくかな?
気味の悪い炎の鳥が、目の前で笑っている。人のような声で、人間のような顔で、いびつな体をした異形の鳥が。こいつは一体なんなんだ、原因不明の火事、全てはこいつの仕業じゃないのか。
――わたしは、原因じゃない、結果さ。
ニヤリと鳥が笑う。クチバシこそあるが、その顔面は人のものだ。目の形も、クチバシに繋がる鼻筋も、耳たぶさえあるかもしれない。その顔が誰かに似ている、気づいてはいけないという本能の声を無視して、私は理解してしまった。
「……おとうさん……」
嘲るように醜く顔を歪めたそれは、父の顔をしていた。
■肆■
その夜、私は高熱を出して寝込んだ。花火はあの後もしばらく続いたが、終わりはどこか気まずかっただろう。熱が下がったのは翌々日のことで、短期間にみるみる上がったかと思えば、嘘みたいにスッキリ下がってしまった。夏風邪にしては奇妙だったが、私にはそれが何のためのものだったか分かる。
寝込んでいる間、私は夢の中で、近所の町を彷徨っていた。
何もかもが陽炎にゆらめくような炎天下、見慣れたはずの街並みがぐにゃぐにゃと曲がって見える。私は水飴のような汗を貼り付かせ、生ける屍のようにふらふらと重たい足取りで、どこへともなく歩いていた。気がつくと見知らぬ路地へと入るが、足は勝手に動いて私を奥へと誘っていく。
真上に輝く太陽は、気長に地表の生物を火炙りにしているかのようだ。重々しい日差しを背負い、泳ぐように行き先も知れぬ彷徨を続けていると、不意に溺れそうな気がしてくる。熱い白い日光のただ中に倒れ、無限にどこかへと落下するのではという予感。けれど、私が光に溺れる寸前、一件の廃屋を見つけた。
そう、私の目的にぴたりと合致する、誰も近づかなさそうで、それでいてちょっと頑張れば侵入できそうで。油を撒いて、火をつけて、人知れず焼け死ぬにおあつらえ向きの。
木造平屋の一軒家、私が散歩に行くと言った時、叔母さんはびっくりしたように少し目を見開いて、それからニコニコして「いってらっしゃい」と言った。あの花火の夜以来、私が立ち直り始めていると思っているのだろう。それはもうすぐ裏切ることになる。夢で見た通りに道を進んで、角を曲がって、私は同じ場所へ入り込んだ。まさか本当にあるなんて、と愕然とした気持ちと、当然だという気持ちが並立する。
「ここでいいんだね、おとうさん」
場所は用意された。次は道具だ。
叔父と叔母に気づかれないよう、私は数週間ほどをかけて、慎重に準備を進めていった。マッチやライターは百円ショップで簡単に手に入る。怪しまれないよう他のキャンプグッズと併せ、数回に分けて購入する。あの夜の花火は以外と多目に余ってしまったので、私はこっそりとそれをほどいて火薬を集めた。去年の冬に使った暖房用の灯油はポリタンク一杯にある。
叔父の家から廃屋までは少し距離がある。灯油のポリタンクなんて持って歩いたら目立って仕方ないし、小分けに持っていくしかない。私は叔母の外出を狙って、少しずつ中身をペットボトルに移し替えると、何度も足を運んでペットボトルを置いた。手が灯油臭いといけないので、必死で手を洗ったが、今度は手荒れ対策のハンドクリームが必要になった。手袋はしたのだが……。
そして八月の終わり、両親が死んで一年と半月。私は決行に移った。
廃屋の勝手口は、子どもの私でも簡単に壊せるほどボロボロになっていた。
仮にも家の中だと言うのに、土と草いきれの匂いしかしない。締め切られた雨戸の所々は傾いたり、穴が開いたりして、わずかに降り注ぐ日光と雨水をエサにしたのか、畳には雑草がまだらに生えていた。この草花と虫が、私の道連れか。初めは少々不気味な気がしたが、今はもう、あまり気にならない。
床に落ちたまま何十年も放置された新聞紙を踏んで、私は用意しておいた灯油入りペットボトルを開封した。一本一本、中身をまんべんなく辺りに撒いていく。ツンとする石油の臭いは、私が開けた窓から入る太陽に温められ、揮発し、やがて酸素と混じり合って燃えやすくなるだろう。更に、その上から火薬の粉。
私はあらかじめ巻いておいた新聞紙の棒を取りだし、ペットボトルの残りをそれにかけると、百円ライターで火を点けた。灯油を撒いた箇所をぐるりと周り、その火種でそこかしこに点けていく。油だけの箇所は中々火が灯らなくて焦れるが、急ぐ必要はないのだ。私はもうすぐいなくなるのだから、ゆっくり構えていればいい。
ぽつりぽつりと、小さかった火は、波打つように赤い舌を広げていった。ようやく一安心し、新聞紙を油のかかった所へ投げ捨て、私はかつて居間だっただろう場所に腰を降ろす。
「おとうさん、おかあさん、タケちゃん。もうすぐだよ」
そっと膝を抱き、三角座りの格好になる。
「ごめんね、浩樹叔父さん、麻衣子叔母さん」
強いて心残りを挙げれば、その二人のことだった。目を閉じ、頭を伏せると、これまでのことが波のように押し寄せて来る。タケちゃんが生まれてお姉ちゃんになった日のこと、父と母が大喧嘩した日のこと、叔父さんの家に遊びに行った時のこと、小学生の時の家族旅行。特別仲良しでも険悪でもない、時々喧嘩もするけれど、くだらないことで笑い合う、普通の家族だった。
過去が私を未来へ、その先の死へと押し流していく。死んだその先に何があるかは、分からない。そこに皆がいる保証さえ。
「でも、きっと会えるよね」
事故で死んだ家族とは違って、私は一人だけ地獄行きになるのだろうか。だとしても、生きていたって仕方ないのだ。だって、呼ばれてるんだから。
「そうだよね? おとうさん」
私が顔を上げた時、炎はずいぶん広がっていた。体中が汗だくで、密着していた腕や肘や足は特に酷い。火は、既に壁にまで登っていた。そうなると、後は早かった。ちらちらと揺れる火が、競争するように壁を登り切ると、次は天井。その間にも床は彼らの領土が広がって、座るのを諦めて立ち上がると、煙の中に顔を突っ込んでしまう。木や紙や得体の知れない物が焼ける異様な臭い。
咳き込み、涙を拭いながら私は中腰になった。もちろん、ハンカチなんて持って来ていない。この喉の痛みは、始まりに過ぎないのだ。
火が回っていく……羽根のように閃く赤と橙の輝きが、壁の漆喰や木の柱に取り付いて、じわじわと蝕んでいく。木がはぜ、軋む音と、炎の唸りがごうごうと轟くようだった。炎天下の太陽に照らされるのとは比べものにならない、直火の照射に逃げ出したくなってくる。汗は、暑さのためだけではなしに、止めどなく溢れていた。でも、逃げちゃ駄目だ。この先に私の道があるんだ。
「ねえ、いるんでしょう」
髪を振り乱して、辺りを見回す。廃屋の中、もはや私は炎の壁に取り囲まれていた。その向こうに、あいつがいるはずだ。
――いつまでたえられるかなあ?
父の顔をした不気味な鳥。そいつの姿が炎の中に浮かんでいた。ノコギリのような歯がずらりと並ぶ、醜いクチバシを開いて、ハッキリと笑っている。私は手を伸ばした。
「おとうさん……おとうさん、連れてって! 私をおいていかないで!」
手の先が火に触れて、私は思わず後ずさった。熱すぎて、いっそ冷たいという矛盾した感覚に、神経がおかしくなりそうだ。
恐らく酷い水ぶくれになっているだろうが、私はそれを見ないようあいつの姿を探したが、その必要はなかった。炎と煙の中を、あの蛇のような胴体がぐるぐると飛び回っている。しかも、一羽だけじゃない、二羽……いや、三羽? そうか、あれが父ならそのはずだ。きっと母もタケちゃんもそこにいるのだ。
体は今にも震えだしそうに怖い。けれど、皮膚の下に淀んでいたおびえの感触が、その確信で溶けた。
「だいじょうぶ。私、ちゃんと死ぬから、みんな、そこで、待ってて、ね」
深呼吸。煙を吸って咳き込むが、そうなることは分かっていた。
私は両の手を広げ、迫り来る炎の前に身を委ねる。このまま火中に倒れ込み、のたうって苦しんで死のう。……そして、炎が私の体を包み込んだ。
脳裏で音程の外れた濁音が鳴り響く。それは私自身の悲鳴か、体が上げる軋みか。細胞の一つ一つが自分の肉体から逃げだそうと、一斉に暴れ出しているようだった。水分を奪われた皮膚はカラカラに乾いて縮み、あるいは膨れ、伸縮に耐えられなくなった所から破れだせば、沸騰する血と肉汁が溢れて滴る。
誰かの笑い声と叫び声がひっきりなしに聞こえていた。
今まで一度も使ったことのない筋肉を痙攣させ、私は全身全霊でのたうち回り、人間とは思えないような声を上げている。それを他人事のように観察しながら、意識はストロボをたかれたように明滅していた。これは……痛い、なんて物じゃない。痛すぎて痛くないことが、どんなに苦しいか。
ああ、でもこれで、やっと皆と一緒になれる。同じものになれる。同じところへ逝ける。これで……、
「巡ちゃん!」
聞こえるはずのない声が聞こえた。叔父さんは確か、今日は仕事のはずでは? けれど、私の意識は困惑する力もなく、ゆっくりと闇に飲まれていった。いや、まぶたの裏に浮かぶのは、闇ではなく炎だったかもしれない。ただ、誰か男の人が、私の腕を腰を掴み、必死に引きずっていくのをおぼろげに知覚していた。
「やめて」
そう唇を動かしたつもりだが、彼には聞こえていただろうか。
結局の所、私の愚かな企みは、叔父と叔母に薄々感づかれていた。悟られないようにと慎重に行動した私のあれこれは、所詮子どもの浅知恵だったらしい。そしてあの日、虫の知らせというのだろうか? 早退を取った叔父は、私の姿が見えないこと、廃屋の方向から煙が上がり始めているのを見て、果敢に火事の中へ飛び込んだのだ。
そして、火傷を負った私を連れ出した。それから……。
「浩樹は、大丈夫」
叔母は病室の私にそう声をかけたが、明らかに嘘だった。涙に濡れてこちらを見る目が、哀れみとも憎しみともつかない、ごろごろした生煮えの心を向けている。亡くなったのか、重態なだけなのか、命だけは助かっても回復の見込みが無いのか、そのどれとも判じがたいが、取り返しの付かない何かが起きたには違いない。
あの火事で、私はほとんど全身に火傷を負ったが、ギリギリ致命傷を免れていた。生焼けも良いところだ。世の人は、人間は何があっても生きなくてはならない、それが正しくて全ての人にとって善いことなのだと信じている。けれど、自由に死を決められないことは、大いなる絶望だ。ましてや、それを邪魔された挙げ句、相手が死んでしまったならば、尚更のこと。
「い……つ……」
声を出そうとしても、焼かれた舌と口は思うように動いてくれない。叔母は溜め息をついて、用意された一人用の病室を出て行った。誰かが開けた窓では、夏の風にカーテンが揺れている。
――いつまで?
いつまで、私はここに横たわってるのだろう。いつになったら、この死人とも人間ともつかない状態から逃れられるのだろう。
「いつまでも」
カーテンのはためきに乗って、そんな音声が紛れ込む。
その時、私が首をめぐらすことが出来たのは、この重傷の中で奇跡に近かった。その代償として、包帯の下で血が滲み、染み入るような痛みがあったが、目の先に捉えたものの姿に、それどころではなかった。あいつは、てっきりまた父の顔をしていると思ったのに。
「いつまでも、さ」
窓の外、離れた位置に張り巡らされた電線の上、雉のような赤茶色い鳥が止まっている。蛇のように長い体をくねらせ、ノコギリ歯のクチバシからは、だらだらと涎を垂らすように笑っていた。
「ぁを……ぢっ、ぢぢっ」
呼ぼうとしても言葉が形にならない。その鳥の顔は、叔父のものだった。では、彼はやはり……。
「いつまでも、いつまでも」
繰り返し鳥が啼く、最初の一羽の隣にもう一羽が飛んできて、同じように電線に止まって唱和する。二羽目は父の顔をしていた。
もう一羽。母の顔をした鳥が、二羽目とは反対の側へ止まる。
三羽は爛々と光る目で私を見ながら、いつまで、いつまで、いつまでと啼いた。お前はいつまでも焼かれ続けるがいい。
「いつまでも、いつまでも、イツマデモ、イツマデも、イツマデも、イツマデも」
消える事のない声に責めさいなまれながら、私の意識は遠のいていった。
焼けただれた顔の半分は、とても人に見せられない有様だった。ちゃんと皮膚移植や整形を行えばマシだろうが、私も叔母も、そんな提案を口に出そうとさえしない。おそらく、私たちの間には以前よりずっとよそよそしい空気があったはずだ。傍から見れば気づかれないようなものだったが……。
ただただ叔父と叔母への罪悪感から、私はリハビリや学業に精を出したが、すぐにそれ自体が精神の逃避先になった。特に数学に関しては計算中毒と言って良いほどで、不安も焦燥もやましさも、無数の数字と記号の羅列を前にしていると、忘れていられた。昔はこんなもの、大嫌いだったのに。
その甲斐あって大検にも合格したが、大学には行かず、事務の職を得られた。それで安心したのだろうか、私が社会人一年目を終える頃、叔母もまた逝ってしまった。検定のために猛勉強していた頃から病に伏せっていたから、それ自体は予期していたことだ。叔父夫妻が残してくれた家と、仕事と、障碍者手帳と、生きる物は全て残されていた。
でも、それだけあればいいのか……?
そんな訳はない。言ってみれば、巻き込んでしまった叔父と叔母への義理から、七年も生きながらえてきたのだ。私はガソリンを被って焼身自殺を図ったが、通りすがりの青年に阻止され、彼の視力を奪うことになってしまった。青年は命こそ助かったものの、これでは以前の繰り返しではないか。
だが、それも始まりに過ぎない。あの火事から二十年、私が死のうとするたびに必ず邪魔が入り、その相手もまた悲惨な目に遭う。周囲を巻き添えにしながら、心と体の傷は増え続け、時に死なせてしまった相手の親族に罵られ、仕事も失い、叔父の家も手放して、気がつくとどこかの病院でベッドに縛り付けられている。
どうしてこんなことになったのだろう。誰も彼も、私をそっとしておいてくれるだけでいいのだ、叔父も叔母も親切な人たちも、誰も傷付けたくなんかなかった。生き物はどうせ死ぬのだ、人は生きなくてはならないなんて、大多数の願望を正義にすり替えただけじゃないか。私は違う、もう終わりにしたい、解放して欲しい、体にも心にも生きる力なんて無い。
この世にいるだけで、私という存在は不幸と死を撒き散らす。炎と同じだ、近づいたら皆焼かれるのに、それがどうして分からないのだろう。今や、周りには常にあの鳥たちが大群となって飛び回っている。まるで爛々と輝く炎の渦、その目は私だった。父も母も叔父も叔母も自殺を止めた人たちも、残らず醜い火焔の怪鳥となって、啼き喚き続ける。
イツマデもイツマデもイツマデもイツマデもイツマデもイツマデもイツマデも……それでも、ああ、私は永遠に、彼らに取り憑かれて生きるしかないのだ。
(終)