キミョウナカノジョ/ョジノカナウョミキ
「わたくしの事はギンと、そうお呼び下さい」
路上だった。真昼の路上。付け加えるならば、大通りで、しかも休日の。
スカートの裾を両手でそっとたくし上げながら会釈したそのメイドは確かに私の家で暮らしている憎たらしいあいつだった。
だから私は声も出なかった。恥ずかしさと怒りの余り。だっていうのにメイド・・・『ギン』は平然とカノジョを見つめていた。
「えー・・・・・・っとぉ・・・・・?」
「あ、あのね・・・違うの、これは・・・・」
自分でも何が違うというのかさっぱりわからない。ただとにかくこんなメイドとはかかわりが無いという事を一刻も早くアピールしこの妙な状況から離脱を計りたかった。だというのにメイドは私に半歩後ろに立ち、
「それでは、本日は同行させて頂きます。お嬢様」
「お、お嬢様!?」
終わった、と思った。本気でメイドが憎らしくなった。
私に友達が出来るのがそんなに嫌なの?私が一人ぼっちじゃなくなるのがそんなに嫌なの?
せっかく頑張ったのに。頑張ってここまで来たのに。こんなところでぶち壊しにされるなんて死んでも死に切れない。
悔しくて思わず涙すら溢れそうになった時だった。彼女は私に手を差し伸べて、それから温かい笑顔を向けてくれた。
「それじゃ、いこっか?香木原さん」
一瞬で理解できる事というものがある。彼女は私の事を本当になんとも思っていないのだ。
休日だというのに、ドレスを着てくるのが嫌で制服でやってきた私を。ついでにメイドまで着いてきてしまった私を。
変だと、気持ち悪いと、思っていない・・・いや、最初から彼女の中に人を『そういう風に見る選択肢』が存在していない。
なんていう奇跡。本当に純粋で優しい人間。心の底から感動するくらいの。だから私は強く頷ける。
「ええ」
彼女、愛染レンは私の手を引いて人懐っこい笑顔を浮かべた。
キミョウナカノジョ/ョジノカナウョミキ
Side:BLUE
始まりはある日の放課後だった。
最近自分の生活に猛烈な嫌気を感じていた私、香木原アヲイ。生活の中で一番楽しい時間であるはずの学校に行っても正直上の空だった。もう本当につかれきっていて、明日にでも死んでしまいたい気分だった。
死んでしまいたいという気持ちと殺してやりたいという気持ちが私の中の天秤でグラグラ揺れて辛うじて殺したいが勝っているので死ぬわけにはいかない。多分そんな感じの心境だったのだろう。
今日こそ殺す。まずあのメイドから殺す。そう考えてかつて購入したナイフがある。それは鞄の中に入ったまま。もう四年以上携帯している。
一般の女子高生が肌身離さず持っているのが携帯電話だとすれば私はこのナイフだ。刃物ほど持っていてワクワクするものもない。
だというのに、今日は何の妄想も浮かんでこない。本当に沈んでいた。まさにKO負けだ。一発でリングに鎮められてしまった。
手首に巻かれた包帯を眺める。腕を引きちぎってでも、と考えたあの時。何故そんなことまで思ってしまったのか。腕がなかったら逃げたって不便な生活が続くだけじゃないか。私は五体満足で逃げ切らなくちゃ意味が無い・・・ってあれ?デジャヴ?以前にもこんな事を考えていたような・・・。
「はあ」
溜息をつくなんてらしくない。家ならともかく学校でなんて相当なことだ。やっぱり疲れているんだろう・・・髪をかきあげて目を閉じた。
ぷにっ。
「ひゃあ!?」
慌てて飛びのいたのは頬を何者かにつつかれたからだ。その程度だと頭では認識しているのにものすごく派手なリアクションを取ってしまった。
椅子から落ちて壁に頭をぶつけて目尻に涙を浮かべていると、つついた張本人がえらくおろおろしながら駆け寄ってきた。
「ご、ごめんっ!そんなに驚くとは思わなくて・・・・こっちがむしろビックリしちゃった・・・」
「・・・・・・・・・愛染・・・さん・・・?」
「あ、覚えててくれたんだ?名前」
彼女はにっこり笑いながら手を差し伸べてくれた。その手に掴まり立ち上がる。それから彼女は制服についた埃を叩き落として髪を整えてくれた。
そういう風にされるのは正直慣れているので私は相手がそうしやすいように大人しくしていた。
レンはクラスの中でも一番といっていいくらい背が低い。一方私は一番とはいえないが高い方だ。レンは私の髪に触るため椅子の上に上った。
「頭ぶつけてたけど痛くない?」
椅子の上に立ったレンがさらに背伸びまでして私がぶつけた後頭部辺りを覗き込んでいる。だったら背後に回ればいいと思ったが、まあせっかくの親切を無駄にするのもどうかと思い大人しくなすがままにされることにした・・・のだが、
「うぉーい、レン・・・・パンツ見えてんぞ」
教室の入り口に立っていた一人の男子生徒が声を上げた。私とレンが教室を見渡すと、クラスメイトはみんなこっちを見て笑っているか、レンのパンツを覗いていた。
レンがどんな表情をしているのかはさっぱりわからなかったが、とにかくレンは私の頭の上に手を乗せたまま固まっていた。おしりを教室の方に突き出しながら。
無論そういう姿勢になるのはなるのだが、レンはただでさえ短いスカートを今風にさらに短く穿いているのが悪いのだと思う。ちょっとした事で見えてもおかしくない・・・と、そんな説明をしている場合ではなかった。
「愛染さん、もう大丈夫ですよ」
彼女の身体を持ち上げて床に降ろす。レンは想像していた以上に軽くてあっさりと持ち上がってしまった。
レンは顔を赤くしたまま部屋の隅っこまで行くと頭を抱えて体育座りをはじめてしまった。そういえば何度かここでこうしていたのを見たような気もする。
「香木原ぁ!レンを泣かしちゃダメだろ〜!」
「えっ?えっ?私は何も・・・・」
教室の入り口で笑っていた少年は私の傍まで歩み寄ると爽やかに笑って見せた。
「ただの冗談だからそんなうろたえんなよ。悪い事してるみてーだろ」
そう言って私の肩を叩き、それから隅っこで丸くなっているレンを抱え上げた。
「おーい、本日の授業は終了致しました。部活動の無い生徒は早々にお帰りください〜」
「もうお嫁にいーーーーけーーーーなーーーーいいいーーーーーーっ!!!」
「お前のパンツなんぞクラスの連中はもう見慣れてるから安心しろ」
「いやああああああーーーーーーーっ!!!」
そのわけのわからない状況に私はもう口をあけてぽかーんと。もう本当、あほみたいにぽかーんとする事しか出来なかった。
しばらくするとレンも落ち込みながら戻ってきた。多分彼女は結構繊細な性格・・・・なんだと思う・・・落ち込みやすいっていうか・・・うん・・・。
「ご、ごめんね香木原さん・・・・でも頭、大丈夫?」
「それは大丈夫です。心配どころか、迷惑をかけてしまったようで・・・・」
「ああ、うん、それはいいの!あたしもね、自分でよくパンツ見せてるって自覚あるからっ!!」
多分それは彼女なりのフォローなのだろうと思った。けれどその言い方だとなんだかいやらしく聴こえるのは私だけだろうか。
しかも大声で叫んだものだからクラス中に聴こえている。誰もが笑いながらレンのセリフに聞き耳を立てていると、彼女は怒って机をバンバン叩いた。
「もうきみたちみんな帰りなさいっ!!部活動!勉強!就職活動!そして恋愛!!高校時代のラストを飾る時期なんだよ!もっと身になることやりなよお!」
教室に残っていた人々が笑いながら出て行く。しかし三年のこの時期だと部活動は引退していて恋愛どころではないと思うのだけれど。
無論そんなことは口にしなかった。レンは『全くもう・・・』とかぶちぶち言っていた。比較的大人しい印象だった彼女だが、全くそうではなかったらしい。
いや、何故こんなに騒がしい人間を見落としていたのだろう?クラス中の誰もを知り尽くしていると思っていた私にとってそれは意外の塊だった。
レンは振り返り、再び私にゴメンと謝った後隣に立っている長身の少年を見上げて言った。
「アイダ君、こんなところで何してんの?クラス違うでしょ?」
そうだ。何か違和感があると思ったらこんな少年このクラスにはいないのだ。見覚えが全くない・・・割には彼は私の名前を知っていた。
私の方が知っていても向こうが知らないという状況は慣れているけれど、これは逆パターン。何故か身構えている自分がいた。
髪をツンツンした形状に固め、だらしが無い制服の着方をしているところを見るとなんだか不良・・・というか不良にしか見えなかったわけだが、少年はそんな雰囲気を全く思わせない明るい調子で答えた。
「いや、暇だったから立ち寄ったんだ。ついでにイオリを拾って行こうかと思ったんだが・・・・いないみたいだな」
「今日は早く帰るって一番最初に出て行ったよ?」
「んー・・・そうか・・・じゃあ俺は図書室寄ってから帰るから。そんじゃな」
二人は手を振り合って分かれた。少年は意気揚々と飛び出していったわけだが、目的地が図書室とはこれいかに。
それをレンに聞いてみると、彼はなんでも小説家希望なのだそうで。あんな外見なのに、人は見た目には寄らない。やっぱり面白いものだ。
何はともあれなぜか駅までの道程を一緒に歩く事になってしまった私たちは肩を並べて夕日の下、影を伸ばす。
しかし何故こんな状況になってしまったのだろう?普段なら断りそうなものだが、状況に流されまくってここまできてしまった。
ちらりとレンの様子を眺めると彼女は・・・何を考えているのかわからない。ただ何か遠い昔を思い返すような、大人びた表情を浮かべていた。
その表情がまた彼女の小柄な体系とのギャップも相まって妙にかっこよく見えるのだ。思わず心臓がどきどきしそうになって慌てて冷静を装う。
というか何故小さい女の子相手にどきどきしなければならないんだ私。少しおかしいんじゃないか・・・。
額に手を当てながらぞっとしているとレンは立ち止まり、
「香木原さんって、カワイイよね」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
なんていうんだろうか。ズキューン、みたいな。そういうのでわかってもらえるとありがたい。
彼女の言葉が、笑顔が、胸に突き刺さって通り抜けていった。恥ずかしくて死にそうだった。今彼女がなんて言ったのかわからなくなってくる。
「元々カワイイのになんでいつも一人なのかな〜って実はずーっと思ってたんだ」
「え、えーと・・・」
こういうときどんな顔をしてどんな返事をすればいいのだろう?わからない。結局空想の中でしか他人と関わったことの無い私には。
それにしても本当に参った。何故彼女はこんなにもかわいいのだろう。いや、愛くるしい部分を上げ始めたらきりがないわけだが、とにかくなんというかまあ・・・静まれ私の心臓。
「そうだ!ねえ、明日ひま?よかったら一緒にどっか出かけようよ」
「え?え?」
「だから、友達になろーって言ってるの」
「ええっ!?あっ、いっ・・・いい・・・です・・・・・・・けど・・・・・・・」
「けど?」
わざわざ下から顔を覗き込んでくる。きらきらした目が直視できなくて顔を手で覆う。
「私みたいなのと一緒に居ても、楽しくないと思いますけど・・・・」
「そんなことないよ〜?あたし結構楽しいけどな、今も。香木原さんは楽しくないの?」
じーっと見つめてくる。どんどん近づいて。逃げ出したくなる。思わず苦笑してしまう。頬が熱くて死にそうだ。
「・・・・・・・・楽しいです」
猛烈に恥ずかしくて頷いた。レンは楽しそうに笑い、足を止める。気づけばもう駅前。彼女はどうやらこの町に住んでいるようだが、私は学校からは離れた場所に住んでいる・・・つまり電車通学のためここで彼女とはお別れだ。
なんだか残念なような助かったような、複雑な心境のまま駅を見上げる。それは安堵からか不服からか、ともかく溜息をついて振り返った。
「それでは私はここで」
「あ、うん。じゃあ、明日の一時くらいにここでいい?それとも愛染さんのおうちまで迎えにいこっか?」
「それは結構ですっ!!!!」
レンが目を丸くしていた。しかし声を荒らげずにはいられなかった。何せ家はアレだし。
咳払いをする。大声を出してしまったことが恥ずかしかった。家ならともかくここでは人目に着きすぎる。
「し、失礼・・・・それでは明日、必ず」
「う、うん・・・?まあいいや、またね、香木原さ〜ん!」
「また・・・ね」
小さく手を振った。レンの背中が遠ざかっていくのが寂しい。寂しい?そんな風に感じるほどまだ親しくはないはずなのに。
ああ、なんていうかあんなの反則だ。かわいすぎる。くそう、うらやましい。あんなふうに生きられたらどれだけ素敵だろう。
駅内にある鏡状の壁のレリーフに映りこんだ自分の顔。無表情でとても楽しそうには見えない。一緒にいるだけで不幸になってしまいそうだと錯覚するほど。顔つきはきれいでも、そこには生気が・・・・人間らしさみたいなものが欠けていた。
そうして欠如してしまっているものをレンは持っているから惹かれるのだろうか。いやいや落ち着け私。少し冷静になるんだ。
「女の子相手にドキドキしすぎです・・・・どう考えても・・・」
それから家に帰ってメイドの束縛されて部屋に押し込められるまではまったく先日と同じだった。
ただ一つ違うことと言えば私は翌日の休日、何をしようかと考えていることだ。しかしそこにきてようやく私は多数の問題に気づいた。
まず、第一に外に出た事が私は一度もないということだ。用事が無ければ外には出られないし、あってもメイドが勝手に済ませてしまうことが多々ある。
第二に私の私服は豪勢なドレスしかないということだ。流石にあんなのを着て歩いている人間を私は知らないし、そんな格好で言ったらいくらなんでもレンだって引くだろうと思う。
第三に・・・・・・・まあこれは・・・私の心境の問題だから省くとして。
「ああもう、どうすればいいの」
ベッドの上で独り言。相変わらず手足は拘束されている上、視界も閉ざされている。お陰でレンの顔ばかり思い出してしまってもうやばい状況。
じたばたしながら悩んでいると、ありえない方向から声が聴こえた。すぐ枕元。そこには多分誰かが立っているのだけど、それが誰だかわからない。
思わず息を呑んだ。幽霊かとも思ったが違う。確かに生きている気配だ。さっきまでじたばたしていたのを見られていたのかと思うと恥ずかしくて死にそうだ。
「誰?そこにいるのは」
気配はすぐに消えた。まるで最初からなかったかのように。変わりに部屋に入ってきたのはあの小憎たらしいメイドだった。
鍵を開ける音に続き普段とは違い多少慌てた様子で入ってくる。私が暴れていたのを察したのだろうか?とはいえそれほど派手ではなかったが。
「お嬢様・・・・今日は随分と」
「随分と何?大人しいって?毎日毎日派手に騒いでたらいくらなんでも身体が持たないもの」
「賢明なご判断です」
嫌味で言ったのにまたこの反応。いい加減に嫌気が差す。
しかし明日は何とかこのメイドに外に出してもらわなければならない。私は彼女の手を取り、引き寄せた。
無論目は見えていないがそんなことになってメイドは恐らく驚いているだろう。すぐ目の前に彼女の顔がある。その肩に手を乗せて私は言う。
「ねえ、ちょっとお願いがあるんだけど・・・」
「なんなりと」
「明日、と、と、友達と・・・・一緒に出かけたいんだけど・・・」
「左様ですか。それでは時間になったらお声をかけて下さい」
「え?」
余りにも淡々としていて理解出来なかったが、今彼女は時間になったら声をかけろ、と言ったのだろうか。
「あの・・・・今なんて?」
思わず聞き返してしまう。メイドは先ほどと変わらない沈んだトーンで囁いた。
「ですから、時間になったらお声をかけて下さい。鍵を外しに参ります」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・うそっ!?本当に!?本当の本当に!?」
「わたくしは嘘だけはつきません」
「いいの!?外出ちゃってもいいの!?」
「構いませんが」
「うわあっ!?あなた大好きっ!好き好き!好きーーー!!」
思わず抱き寄せた。何度も頬擦りしてそれからほっぺにキスまでしてしまった。しかし鎖が引っかかり腕に痛みが走ると我に返った。
メイドはどんな顔をしているだろうか。もしかしたら迷惑そうにしているかもしれない。彼女を放すと私もベッドの上に寝転んだ。
「とにかくそういうことでよろしくね」
「・・・・・・・・・・畏まりました」
なにやら微妙な沈黙を挟んで返答はあった。メイドは部屋を出て行くと鍵を閉め、去っていった。
そうなってから自分が妙に恥ずかしいことをしてしまったと思い返し死にたくなった。
だってしかたないじゃないか。嬉しくてたまらない。外に出られる。それだけで最高なのに。明日は友達と一緒なんだ。
幸せすぎてこれはやばいんじゃないかと思う。明日には世界が終わってしまったとしても、私は納得できる。
ああ、これまでの人生の絶頂期だ。さようなら暗い部屋。始めまして外の世界の休日。
明日は朝早くに起きられるよう、私はさっさと床についた。けれど遠足前の子供のように目が冴えてしまい、結局寝付く事はなかなか出来なかった。
そうして翌日。
約束の時間に間に合うように鍵を外してもらうと私は走って坂道を往く。駅につく時間も、そこから何時に電車が出るのかもバッチリだ。
服装はメイドが何か用意しようとしていたけれど私はそれを全力で拒否し学校もないのに制服を着た。ドレスよりはいくらかマシだ。
全力疾走しているのに走るのが遅い私は、にぶくてすぐ転びそうになる私はそれでも走った。一刻も早くレンに会いたくて。
何故こんなに会いたいのかさっぱりわからない。でも間違いのない事が一つだけ。彼女は私の暗い部屋に一陣の風を運んできた天使なのだ。
だからかわいくて当然なのだ。どきどきして当然なのだ。だから仕方ない。仕方ないのだ。
電車が速く進めと思う。いくらでもいい、とにかく僅かでもいいから早く運んで欲しい。
駅を駆け出して懸命に走る。いつからだろう、懸命に走る事を忘れていた私。今はあの頃のワクワクした気持ちを思い出せる。
子供のように駆け寄って。レンの姿が見える。彼女の傍に手を振って・・・・。
「・・・・・・・・・・・・・」
転んだ。レンのすぐ隣に我が家のメイドが立っていたからだ。ものすごく派手に転んだ。一昔前のコントみたいな転び方だった。
ずこーっ!みたいな。ああ、本気で恥ずかしい。自殺したい。でもがんばる。レンの前でかっこ悪いところを見せたくなくて立ち上がった。
とりあえずメイドに駆け寄りその両肩を掴んでぐいぐい駅の中へ押し込み、首を傾げているレンを他所ににらみつけた。
「あなた・・・・・・どうしてここに居るのかしら?」
「一応監視もわたくしの仕事ですので」
「監視!?正気!?」
「はい」
言われてみればすでに正気の沙汰ではないのだった。
思わず冷や汗と共に変な笑いが胸の奥からこみ上げてくる。引き攣った笑顔を浮かべる私を無表情に眺めている彼女。本気で殺したい。
しばらくそうしてにらみ合いが続いた。私としては今すぐにでもコイツを殺してやりたいのだけれど、いかんせん人が多すぎるわけで。
「ねえ、香木原さんそのメイドさんと知り合いなの?」
「あ、ああ・・・・うん・・・・あの・・・ええとですね・・・・彼女は・・・」
「わたくしの事はギンと、そうお呼び下さい」
こうして最悪な一日が始まった。最高の一日になるはずだったのにまさかの逆転。どうすればいいのかわからない。支離滅裂だ、もう・・・。
三人で肩を並べて歩いている。レンはハイネックの黒いセーターに赤いミニスカート、その上になんか『闘魂』とか書かれている良く分からないジャンパーを着ていた。
そのセンスはどうなのかと思いながらもレンには似合っているような似合っていないような・・・そして隣には漆黒のメイド服と反対側には制服の女子高生。何なのだろうこのメンツは。レンは気にしなくても周囲の人々は気にするに決まっている。私は小さく溜息をついた。
ギン。メイドの名前。それを私は始めて知った。確かに彼女の髪は銀色だった。少なくとも日本人ではない。一体どこの何者なのか、それもわからない。
常識的に考えて今の世の中にメイドというだけでも異質なのにあんな館で働いているとなると相当なものだ。相当狂ってる。でもそれは、私もか。
「さて集まったはいいけど何をするのか全く決めてこなかったんだよね。どうしよっか?」
「私は・・・」
「まずは服からどうにかしたほうがよろしいかと」
何故か会話にしゃしゃり出てくるギン。本当に憎らしいやつだ。しかもそれは私がたった今言おうと思っていたことなのに。
ああ、レン・・・名案だ!見たいな顔しないで!それ本当は私が言うはずのセリフだったんだから!!
「ギン〜・・・・・!」
「お呼びでしょうかお嬢様」
「あのね・・・そうじゃなくて・・・・ああもうっ!もういいですっ!!」
せっかく楽しいデート・・・じゃなくて外出になるはずだったのに何故こうなってしまうのだろう?
結局私たちはレンに連れられて商店街を歩き回った。駅前のそこは妙に広くて近代的で、私はそうした空気に触れた事もなかったから緊張して。
そうだ。年頃の女の子っぽい事など何一つしてこなかった。勉強すら私にとっては遠い世界の話だ。それもこれもギンがいたせい。
だからギンが憎たらしい。彼女がせめて私の事を拘束しなければと思う。けれど彼女は普通の顔をしていて、感情の色なんか何一つ露にしないで。
そもそもメイド服なのにあんなに堂々としていることも、堂々としているギンと一緒に居ても平然としているレンも、何もかもおかしい。奇妙な状況に他ならない。私がこの中で一番奇妙な生活を送っているはずなのに、何だかコレではまるで私が普通みたいだ。
そう考えるとなんだかいろいろな肩の力が抜けてしまった。自分が意外とこのメンツの中で普通だという事実のせいか、それとも諦めのせいか。
どちらにせよギンがいなかったら私は緊張してしまって会話どころではなかったかもしれない。そういう意味ではギンに感謝してもいいのかも、と思う。
「・・・・・・・・・ギン、あなたもメイド服以外をたまには着たらどうなの?」
「左様ですか?」
「左様よ左様。何でもいいから好きなの買ってきなさい・・・どうせお金は腐るほどあるんだし」
「ですが、」
「ですが、ではなくて。いいからそうしなさい。あなたに遠慮なんて言葉、似合わないわ」
「・・・・・・・・・畏まりました」
メイドが店頭に並んだ服の羅列に紛れていく。レンはそれを眺めながら何故か小さく笑い続けていた。
なんだかばつが悪くて目を細めてレンを見つめると彼女は申し訳なさそうに言う。
「だってえ、何か本当にお嬢様なんだもん」
「・・・・・・・・ほっといてください・・・・こう見えても結構気にしているんですから、それ」
「そうなの?素敵だと思うけどな。どうせお金は腐るほどあるんだし」
恐らく私の真似なのだろう。出来る限りクールを気取って言うレンに思わず吹き出してしまう。私はそんな風に見えているのだろうか。
ああ、そうかもしれない。だったらもうクールでいいのかもしれない。少なくとも慌てふためいていては友情は上手く行かないはずだ。
「ギンさぁん!ついでに香木原さんの服も探しましょう!」
「愛染さん・・・あのね・・・」
「いいからいいから」
レンは本当に凄いと思う。初対面であるギンともあんなにもう馴染んでしまっている。
何よりギンが私以外の人間と話しているという状況が何だか非現実的だった。そういえば彼女も普段は屋敷で何をしているのだろう?
私はギンの事を何も知らない。レンのことを何も知らないように。そうだ、私は本当に何も知らないのだ。
ただだからってギンのことを許せるとかそういうことではない。それは別の話だ。ただ、ギンの意外な一面を垣間見る事が出来た気がする。
結局そこで着替えを済ませた私たちは何だかもう手持ちぶたさになってしまった。今日もいい天気で、思考がどんどん鈍っていく。
隣に立っているギンの格好がまた異常だった。ニット棒を被りポンチョをかけている。メイド服であるのが当然だったのでもう別人にしか見えない。
ソレは勿論、私にも言えることなのだが。誰だこれ。
荷物は結局ギンに持たせた。メイドなのだから当然だ。それくらいしてくれなきゃわりにあわない。
「うーん、おなかすいたし何か食べない?実はあたしなにも食べてないんだよね・・・朝から・・・」
「え?どうしてですか?」
「うん・・・・・実は起きたのが昼で・・・朝も昼も食べてる時間なかったんだ。ほら、誘っておいて遅刻するわけにもいかないし焦ったよ」
「意外とドジなんですね」
「はぐあ!か、香木原さんツッコミに容赦がないね・・・・」
「はい?」
ツッコミ・・・って、何ですか?
「まあいいや、付き合ってよ?あたし好きなんだ」
レンが立ち止まり振り替える。彼女の頭上にはハンバーガーショップの看板が立てられていた。
ハンバーガーなんて食べた事がないので未知の世界だ。普段の私ならば怖気づいてしまいそうなものだが今日は違う。
レンがいて、ギンがいる。それにもう、いちいち怖気づく程この空気に不慣れでもなくなっていた。
「いいですよ」
「きまりっ!それじゃ早くしよう!おなかすいちゃって!」
駆け込んでいくレンを見ていると胸が温かい気持ちで一杯になる。彼女の居ると自分の存在が癒されるような気がする。
そんな風に呆けていたのだろう。隣に立っているギンが私の顔をずっと覗き込んでいた。
「な、なによ」
「いえ、何でもありません」
「あなたのそういうところがねえ・・・」
「二人とも早くしてよー!」
ギンの眼前に人差し指を突き出し今からまさに文句を言おうというタイミングでレンの声が聴こえた。
ギンは私の指をフイっと無視してそのまま店内に入っていく。あの態度、絶対に私をお嬢様だとは思っていない。
しかしまあいちいち怒っていてもきりがない。それでも私はやっぱりギンのことが・・・。
「・・・・・・・・嫌いだ」
ハンバーガーショップに入る。店内はわけのわからない空間だった。あっけに取られる私の手をギンとレンが取る。
私は苦笑して店内に深く、一歩を踏み出した。
「お待たせ」