クラキユメ/メユキラク
「もし、仮にだけど・・・・この世界に自分と全く同じ心・・・いや、何もかも・・・そうだな・・・色、みたいなものが同じ人間が居たとして」
真冬の空。印象に残っているのは彼の横顔。
町を一望する峠。輝きの海を見渡すフェンス。天地すら忘れさせるような風。頬を切り裂くような冷たさのそれを彼は気持ちよさそうに受けて笑う。
細める目。いつもどおり、不気味なくらいに爽やかな笑顔。その瞳の向こう側、何かが私の心を覗き込んでいる。
不快感が喉の奥から競りあがってくる。恐ろしいまでの憎悪と強烈な嫌悪感の嵐の中、その中から微かに覗く好意という狂気的な感情に私は自分自身を愚かしい女なんだと実感せざるを得ない。
常に彼はそうして私の何か一歩上、考えも寄らない、理解し得ない何かを見通していて、降り注いで来そうな星の海の下ですら彼はその輝きを失う事も無く、漆黒の中でむしろ輝きを増すような・・・そんなどす黒く儚くて醜くて・・・でも美しい。人を引き寄せる何か。途方も無い、私にはどうしようもないような何かを。
唇がゆっくりと動いて言葉を紡いだ。
「もしも自分と同じ人間が居たら・・・・お前、どうする?」
私は答えない。一々彼の質問に答える義理もない。彼が私にした事を思えば当然のことだった。
唇を指先でなぞった。何故そんな事をしてしまったのかわからない。ただ『しまった』とだけ思った。彼はそれだけで私の思考を見透かす。
「まだ気にしてるのか?オレがキスしたこと」
そう、私自身が気づいていないような、そんな思考ですら。
「別にそんなこと・・・・非常識なあなたに憤りを覚えたところで・・・・酷く無意味ですから」
背を向けた。自分自身がそれを気にしすぎてしまっている事。そして自分の胸の中にある見透かされている事への複雑な心境がそうさせていた。
彼はそんな私の態度を気にせず言葉を続ける。振り返る事も無く、フェンスの向こうの星の海に向かって。
「オレだったらきっと、愛してしまうと思う。この世界で自分自身より愛しいものなんてない。だからオレはきっと愛してしまう。心のそこからそれを愛してしまうだろう・・・・・」
言葉が止まった。振り返る。彼がどんな顔をしているのか気になってしまったから。
でもそれをあらかじめ予見していたかのように彼もまた私の事を見ていて、思わず息を呑んだ。
星の海を背にして語る彼の姿は男性経験皆無な私にだって判りすぎるくらい、酷く魅力的だったから。
「そう・・・・・・・きっと、殺してしまいたいくらいに・・・愛するだろうな」
それだけ呟いて彼は微笑んでいた。
長い、長い髪。結っていた女物の黒いリボンを解き、その長い髪を風に靡かせていた。
その表情は隠れていて良く見えない。ただそれは私にとって見なくてもいいものだと思った。
きっとその表情を知ってしまったら私は逃れられなくなる。何もかもを見透かしてしまうようなあの瞳から。
胸の奥から湧き上がる感情はきっと恋と呼べるものなのだろう。認めたくないけれどきっとそうだ。
ドロドロと漆黒のコールタールの海の中から這いずり出てくるようなこの感情は、きっと愛だ。
そう、だからきっと仕方ない。仕方ないと分かっているのに、ソレを認めたくない。認めてしまったら私の全てが終わってしまいそうで。
「・・・・・・・・・そうですね・・・きっと・・・愛するでしょうね・・・私も」
なのに身体はそれに従ってくれなくて。
顔を上げて彼に歩み寄っていて。
全てを見透かすように彼は微笑んでいて。
胡散臭くて、でも温かくて、人に居場所を与えてくれるような、そんな微笑み。
「私もきっと殺したくなると思います・・・・だから」
左手に握り締めていたそれを振り上げた。
「いいですよね・・・・?」
自分の頬が冷たく引き攣るのを感じていた。
振り上げた銀色の光を反射する美しい刃。月を写し込み、鮮やかな華のように輝いて。
匂いすら香るようなその美しさに身を預けるように、それを振り下ろした。
久遠の鏡
だから始まりはずっと昔。私が私になってしまうよりも前に。
私を愛しにきて。