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侯爵令嬢は手駒を演じる  作者: 橘 千秋
第三部 ディアギレフ帝国編
98/150

92話 脱走

 ジュリアンナ視点





 書類仕事もない、御茶会もない、ドレスの採寸も、マナーレッスンも、慈善事業の視察も、王妃教育もない。

 逃亡の手立てがモニカの頑張りに賭けるしかなかったので、わたしは潔く暇つぶしを始めた。

 軟禁という環境だが、こんなにも『時間』を与えられたのは生まれて初めてかもしれない。

 それ故にわたしは持て余した。


 もう、それはそれは暇で暇で仕方かがなかったのである。


 刺繍に読書、チェスなどで遊んでみたり、偶にエドワード様やヴィンセントと父への怒りの念をぶつけていたが、それも飽きてしまった。

 ポーカーもブラックジャックも一人でやってもつまらない。

 そしてもっと一人で楽しめる遊びはないかと考え抜いた結果、子どもが積み木で遊ぶようにトランプを重ねてみた。


 それが中々難しく楽しい。

 少しでも手を抜くと、トランプはすぐに崩れ落ちてしまうのだ。集中力のいる、奥深い遊びである。

 わたしはそれにすっかりハマってしまった。

 


(あと少し……あと少しでこのトランプタワーが完成するわ……!)



 僅かな刺激も与えないように、わたしは息すら止めてトランプタワーを作り上げていく。

 土台は完璧。等間隔に並ぶトランプを見て、わたしは愉悦の笑みを浮かべる。

 途中、廊下の方から人の声と武器が交錯する金属音が聞こえたが、一瞬でそれらを排除し、トランプタワーの上層部へと取りかかる。



「……ふぅ。四段目が完成だわ。次は最上部の五段目ね」



 緊張で溢れ出る唾液を嚥下し、わたしは深く息を吸った。

 大丈夫。わたしならできる。

 そう心に念じながらトランプを手に取った。



 ――バキッ、メキッ



 扉を誰かが叩き壊そうとしているらしい。

 まるで賊のように容赦のない攻撃である。



(……賊だったとしても、グレースたちがなんとかするわよね。今はこっちに集中よ)



 ゆっくりとトランプを重ねようとしていると、扉が破られる音がした。



「ジュ、リアンナさまっ!」



 久方ぶりにモニカの声を聞いて、わたしの指先がぴくりと動いた。



(あ、危ないわ。もう少しでトランプを落とすところだった)



 折角モニカが助けに来てくれたが、今だけは……このトランプタワーが完成するまでわたしはここを動かない。積み上げた努力を形にしたい。あと十秒もかからないだろう。



「あら、モニカ。やっぱり来てくれたのね。……あともう少しだけ待ってくれる?」



 わたしはそう言うと、トランプを重ねる。

 角度は完璧。あとは衝撃を最低限にして、そっと手を離せば完成する。



(あと少し……あと少し……)



 震えそうになる手を必死に動かし、トランプから手を離していく。



(ああ、ついにこれで……)



 ここまでくるのに、三時間もかかった。

 喜びの涙を目尻に溜めながら、手が離されたのその瞬間――――



 銀色に鈍く光る物体――ハンマーがトランプタワーへと激突し、一瞬にしてただの紙切れの山と化した。

 


「いやぁぁあああ! 酷い、酷すぎるわ!」



 喉が震え、わたしの悲痛な叫びが木霊する。

 わたしは憎き破壊者へと鋭い視線を向けた。


 ……そして破壊者――モニカはわたし以上に鋭く氷のように冷たい視線でこちらを見つめる。




「……ジュリアンナ様、この緊急事態に何をしているのですか?」


「あ、え……その……ごめんなさい、モニカ」



 あまりの殺気にわたしは涙目で謝った。

 なんだかモニカが益々マリーに似てきたような気がする。……とっても恐ろしい。



「ぶふっ、あはははっ」



 わたしがモニカの成長に怯えていると、男の笑い声が聞こえた。

 初めて声の方へと視線を向ければ、侍女服を着た灰色の髪の青年が立っている。



(……エドワード様とは別種の変態だわ)



 思わず引いてしまうが、すぐにわたしは立ち上がると、彼に真っ直ぐ向き合った。

 おかしな格好はしているが、彼が笑うまでわたしは存在に気づかなかった。こんな目立つ格好をしているのに、だ。ただ者ではない。

 ルイス家の者でもないだろうし、そうなる警戒心を抱かずにはいられなかった。

 


「……貴方は誰? 初めて見る侍女だけど」



 わたしは令嬢らしい完璧な微笑みを浮かべ、青年の出方を見る。

 彼は軽く手を上げると、わたしをあざ笑うかのように、にんまりと口角を上げた。



「俺は灰猫。ごきげんよう、お嬢様」


「……灰猫。ああ、マリーの昔の同僚の……」



 王都教会に潜入していたとき、エドワード様側の隠密として同僚の男が雇われていたとマリーが言っていた。

 マリーと灰猫が共に所属していた暗殺ギルドは、ディアギレフ帝国の依頼を受けていたため、ルイス家が潰した。彼の様子を見るに、そのことに対して、わたしへの恨みがあるようにも見えない。


 だが、喜んで助けたようにも見えなかった。

 


「……貴方の今の契約者はエドワード様なの?」


「もうとっくに契約は終わっているよ。今は黒蝶に協力しているところさ」


「そう、マリーにね」



 わざとらしくマリーを『黒蝶』と呼ぶ灰猫を見て、わたしは苦笑する。

 おそらく、灰猫にとって『黒蝶』は特別な仲間だったのだろう。だから彼女を根本から変えて、『マリー』という名前で縛るわたしが気に入らないのかもしれない。



(……信用できないわ。でも、マリーのことを灰猫は裏切らない)



 その一点だけは信じることができるだろう。



「黒蝶は、お嬢様に協力して欲しいって言っていた。お嬢様の望みはなんだ?」


「……わたしをエドワード様の元へ連れて行って」



 灰猫に多くは望めない。

 だからわたしは、ただ一番優先したいことを口にした。



「それは構わないけど。行ってどうするんだ。お嬢様とはもう、婚約を破棄するんだろう? 会ったって意味なんてないじゃないか。たかが侯爵令嬢にできることなんてあるのか?」


「あるわよ」



 嫌みと事実の込められた灰猫の言葉に、わたしは強い意志を持って答える。



 ローランズ王国の内部で今、何が起こっているのかは分からない。

 皆がわたしに教えず、遠ざけようとするということは、ルイス侯爵令嬢にはできることはないと思われていることだ。



 それならばルイス侯爵令嬢としてではなく、ただのジュリアンナとしてできることを――否、したいことを考えた。


 時間は十分にあった。


 結論はもう出ている。



「あの鬼畜腹黒王子め。一発殴らないと気が済まない。わたしを弄んだことを後悔させてやるわ……!」



 わたしは怒りにまかせて左薬指から婚約指輪を抜き取ると、それをテーブルに叩きつけた。

 今はもう、この指輪をはめるつもりは毛頭ない。



「ジュ、ジュリアンナ様……! 第二王子殿下から贈られた指輪を……」


「いいのよ、モニカ。だって、エドワード様はわたしとの婚約を破棄するおつもりだもの。わたしが付けるのはお気に召さないでしょう? 付けたくもないですし」



 そう言って微笑むと、何故かモニカと灰猫が頬を引きつらせた。



「……えっと、お嬢様。目が笑っていないけど?」


「あ、あー。早くしないと、他の人たちが来ちゃいますね。だ、脱出を急ぎましょう」


「それもそうね」



 わたしは頷くと、三週間ぶりに部屋から出た。

 灰猫とモニカが頑張ったおかげで、まだ使用人たちは集まっていない。

 もしかすると別の場所で待ち構えているかもしれないが。



「侵入はできたけど、ぶっちゃけお嬢様をこの屋敷から出す作戦は考えていなかったんだよねー」


「心配ないわ、灰猫。マリーが専属になるまで、わたしが家を抜け出せなかったことなんてないんだから」


「頼もしいですね!」



 幼い日の思い出を懐かしみながら、わたしは物置部屋に入った。

 そして手近にあった椅子を持ち上げると、それを窓に叩きつける。



「ジュ、ジュリアンナ様!?」



 動揺するモニカの声とガラスの割れる音が響き渡る。

 これを聞いて、使用人たちが一目散に集まってくるに違いない。



「どの入り口にも使用人が待ち構えているでしょうし、最短距離で逃げるわよ!」



 わたしはそう言うと、風の吹き抜ける窓から飛び降りた。



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