90話 囚われの姫と新人侍女と馬鹿猫と
お待たせいたしました。
第三部開始です。
エドワード様率いるローランズ使節団は、サモルタ王国との交渉を最良の形で終え、次世代の優秀さを国内外に示すことができる――はずだった。
しかしその話題はディアギレフ帝国のオルコット領侵攻によりかき消え、ローランズ使節団は労われることもなく、帰国早々にそれぞれの仕事へ奮闘していた。
「……それだと言うのに、わたしは自宅で軟禁されて暇を持て余している。優雅なものよね」
わたし、ジュリアンナ・ルイスはサモルタ王国から帰還後、専属侍女のマリーと引き離され、有無を言わさず自室へと押し込められた。
窓には逃亡防止用にいつの間にか鉄格子が嵌められ、扉の外にはいくつもの鍵がかけられている。
あの手この手を使い、逃亡を謀ろうとしたが、すべてグレースたちによって潰された。
父は何かを恐れているらしい。
頼みの弟のヴィンセントも今回は父の味方のようで、一度も会いに来てはくれない。
「……まさか、姉弟喧嘩と親子喧嘩を同時に行うなんて思いもしなかったわ。でも一番許せないのは……」
わたしの脳裏に浮かんだのは、腹黒なエドワード様の笑みだった。
「婚約破棄を望んでいるですって? わたしを恋に堕としておいて、今更、手のひらを返すなんて。鬼畜で腹黒なだけじゃなくて、クズ野郎だわ!」
力任せに枕を殴ると、白い羽根が宙を舞った。
「わたしは守られるだけの、か弱い女じゃないわ。なんのために強い人間たろうとしてきたと思っているの。大切な人たちと肩を並べて、共に戦いたかったからよ!」
誰もいない部屋で、わたしは自分の不甲斐なさを憤る。
家族もエドワード様も、わたしを遠ざけようとするのは信用がないから。
その事実が、とてつもなく悔しい。
「……絶対にこの部屋を出てやるんだから」
しかし、それはわたし一人では難しいのが現状だ。
隠密が得意なマリーがわたしを迎えに来ないということは、彼女もまた、苦境に立たされているということ。
だが、わたしは嘆かない。
この家には、わたしが信を置くもう一人の侍女がいる。
「モニカ、お願いね。王都教会でわたしを牢から救ったように、この部屋から連れ出して」
わたしはそう呟くと、軟禁されてからずっと付けている、黄色の石がついたネックレスを撫でた。
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私、モニカ・アントルーネはとても焦っていた。
主であるジュリアンナ様が、旦那様の命令で屋敷に軟禁してもう三週間が経っている。
彼女の専属侍女である私は、いち早く救い出さねばならないのに、未だ何も行動できずにいた。
「……マリーさん、早く帰って来てください」
思わず弱音が溢れる。
私だって何も行動していない訳ではない。
ジュリアンナ様の部屋に近づくのは禁止され、他の使用人たちを懐柔しようとすれば、ひとり庭の草むしりを命じられる。
幼馴染みのジャンは研究に熱を入れているのか、研究所に篭もりっぱなしで頼りにならない。
先輩侍女のマリーさんは、王宮で事情聴取を受けているらしく、まだ帰ってこない。
一年もルイス侯爵家で働いていない、ひよっこ侍女の私が孤軍奮闘したところで、侍女長や執事長たちの裏などかけるはずがないのだ。
「ああ、もう! こんな不甲斐なくて、ジュリアンナ様の専属侍女を名乗れますか! 機会は必ず訪れると信じなければ……ああ、猫の手も借りたい気分です……」
私はそう小さく呟きながら、道端の石を蹴る。
今も侍女長からお遣いを命じられ、ひとり、街に来ていた。
ディアギレフ帝国との戦争が囁かれているからか、往来の人々の表情は暗い。
まだ物流や農作に影響は出ていないが、これからの未来に皆、不安の念が絶えないのだろう。
「……早くお遣いを終わらせてしまいましょう」
私は早足で目的地に向かう。
すると突然、肩を叩かれる。
振り返るとそこには、灰色の髪の青年が立っていた。
中肉中背、平凡な顔立ち。どこにでもいるような彼の表情は、不気味なほど明るい。
「……どなたですか?」
警戒心を高め、私は問いかける。
すると青年は、口角を上げた。
「君、とっても可愛いね~。なんというか、普通な感じがキュンとするっ」
「はあ?」
「俺と一緒にお茶でもしない? それ以上でもいいけどね♪」
「私、仕事がありますので失礼します」
とんだ馬鹿がいたものだ。
私は浮かれた軟派男を睨むと、再び歩き出した。
しかし、彼は鈍感なのか、私に付きまとうことを止めない。
「ひどいなぁ~。ちょっとぐらいいいじゃん」
「仕事中ですから!」
「思っていたよりも堅いんだねぇ。もしかして、黒蝶の堅物さが移ったの? ねえ、モニカちゃん」
「……え、どうして私の名を……」
私は立ち止まると、動揺をはらんだ目で青年を見る。
彼の表情は明るいままだが、底知れぬ恐怖を感じた。
(……いったい、何者なの……!?)
ジリジリと後ずさるが、青年は軽いステップで一歩詰めると、私の目の前でパチンッと指を鳴らした。
「ひぃっ」
「酷いなぁ。俺は可愛い君に花をプレゼントしたかっただけなのに」
恐る恐る彼の手を見れば、そこには可憐なナデシコの花が握られていた。
「……あ、ありがとうございます……?」
「どういたしまして」
花に罪はない。そう思いながら震える手でナデシコを受け取った。
私を見て、青年は嬉しそうに、くるりとターンをする。
「気に入ってくれたようで良かったよ。君は少しの間だけど、俺の仕事仲間になる訳だしね」
「し、仕事仲間……?」
意味が分からない。
私の疑問を感じとったのか、彼はポンッと手を叩いた。
「そうか、俺のこと黒蝶――マリーから聞いていないんだね。相変わらず、冷たい元同僚だ」
「……マリーさんのお知り合いなのですか?」
「正解だよ。俺の名前は灰猫。フリーの暗殺者だにゃんっ」
そう言って青年――灰猫は、両手を丸く握ると猫の真似をし始めた。
猫の手も借りたいとは思いましたが、こんな軟派な馬鹿猫は望んでいませんでしたよ!