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侯爵令嬢は手駒を演じる  作者: 橘 千秋
第二部 サモルタ王国編
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89話 戴冠式


 翌日。

 わたしは今までとは別の理由で睡眠不足に陥るが、何事もなかったかのようにエドワード様に朝の挨拶をし、戴冠式と調印式が行われるサモルタの王宮へと向かった。


 王宮内は襲撃の跡は消え去り、式の行われる謁見の間は豪華絢爛に飾り立てられている。よく見れば花などの装飾は、リスターシャ王女の瞳に合わせて紅と紫に統一されていた。

 貴族たちは既に席に着いており、サモルタ王はブローベル侯爵に付き添われながら広間の中央に佇んでいる。



「よい戴冠式になるでしょうね」


「そうだな。こんなにも美しい運命の女神から王位を授けられるのだから」


 そう言ってエドワード様は、サモルタの民族衣装に身を包んだわたしを満足そうに眺める。

 白い衣装の裾は靴が見えないほど長く、なだらかなドレープを描いている。胸の下にある切り返しは、コルセットの代わりに光沢のある紫の帯でキュッと引き締められ貴族女性らしい身体の線を出していた。薄いレースのベールには大粒の真珠が惜しげもなくつけられ、わたしが歩くたびにシャンデリアの光を移し込む。

 もしも女神という存在を見ることが叶うなら、こんな美しい衣装を纏っているのではないか。そんなサモルタの人々の思いを感じる。



(こんなに素敵な衣装を着ることができるのなら、女神の代役を受けて正解だったわ)



 サモルタ王国の始祖王は、運命の女神ヴィオレットと人間の間に生まれた子どもだと言い伝えられている。戴冠式では神眼を持つ女性が女神の代役となり王冠を授けると、その王の治世は繁栄すると言われているらしい。

 そのため、ローランズ王国側ではあるが、神眼を持つわたしが女神の代役を頼まれたのだ。



「ありがとうございます。エドワード様に褒めていただけるなんて、自信が持てます」


「俺としては顔を赤くするなり、恥じらいを見せてほしかったんだが」


「あら? 本当は恥ずかしいですし、とても嬉しく思っていますよ」



 言葉は本心、だが表情は演技の仮面に覆われている。



(……だって、いきなり照れたり甘えたりするなんて恥ずかしいもの……!)



 わたしは可愛げがないことは自分が一番分かっている。本心を行動で露わすことはとても難易度が高いのだ。それに、わたしとエドワード様は婚約している。焦らず、徐々にわたしの思いを伝えていけばいい。



「ふむ。今回の滞在でジュリアンナとの距離は近づいたと思ったが、また離れていったな。まあ、難攻不落の城を攻め落とすのも楽しいものだ」


「……わたしとの関係を城攻めに例えるのはやめてくださいますか」



 ジトッとした目でわたしはエドワード様を見るが、彼は面白そうに笑うだけで、ちっともわたしの本心に気づいてくれない。攻め落とさずとも、わたしの心は陥落しているというのに。



「ああ、始まるな」



 壮大なファンファーレが響いた後、ゆっくりと謁見の間の扉が開かれる。

 



「り、リスターシャ王女……!?」



 ローランズ使節団のわたしたちは勿論、サモルタ貴族たちも呆然とした顔でリスターシャ王女の姿を見た。

 彼女はドレスではなく男性の軍服を纏っていた。しかし髪は華やかに結われていて、歩き方も淑女そのもの。凜然としたリスターシャ王女は強く美しく、そして僅かに悲しげに見えた。



(……あの軍服はきっと喪服なんだわ……)



 リスタ王子を忘れないため、決意を歪めないため、リスターシャ王女は軍服に身を包むことで、心に鎧を纏ったのだ。



(ディアギレフ帝国の仕組んだ襲撃に対して、サモルタ王国が屈しない意思を見せるためにも、リスターシャ王女の戴冠式を早急かつ盛大に執り行うことは重要。サモルタ王も、もう長くはないだろうから……でもきっと、彼女の気持ちは追いついていないのね)



 わたしは少しでもリスターシャ王女にとって良い戴冠式になるように祈った。



「静粛に。これより、戴冠の儀を執り行う」


 

 サモルタ王がそう言うと、謁見の間はシンッと静まりかえり厳粛な空気が張り詰める。


 わたしは衣装の裾を優雅に捌きながら、事前に説明されていた通りにサモルタ王の元へと歩き出す。リスターシャ王女もまた、同じように歩を進めた。

 これは運命の女神ヴィオレットとサモルタの王が対等な存在であるという現れらしい。

 


「汝は王となるものか」



 わたしとリスターシャ王女がサモルタ王の側で立ち止まる。

 舞台で演じるように、大仰な口調でサモルタ王は問いかけた。



「わたくしは王になるべく生まれ落ちた」



 リスターシャ王女はわたしとサモルタ王の前に跪いた。



「汝は何を愛する」


「民と血と歴史を愛し、わたくしのすべてはサモルタに捧ぐもの……!」



 リスターシャ王女は決意の篭もった強い瞳で、サモルタ王を見上げる。

 サモルタ王は僅かに口端を緩めると、わたしにそっと自分の被っていた王冠を手渡した。



「女神ヴィオレットよ、次の王へと罪と栄光をたまえ」


「運命は廻る。愛しき血脈に永劫の調べを」



 わたしはリスターシャ王女の頭にそっと王冠を授ける。

 すると、謁見の間が盛大な拍手に包まれた。



「リスターシャ女王陛下!」


「新しき王と時代に祝福を!」



 サモルタの貴族たちが祝いの言葉を投げかける。

 ダムマイヤー伯爵の派閥が瓦解し、国王の派閥が力を増したこともあるだろうが、神眼を持つ女神役から王冠を授けられたリスターシャ女王に皆期待しているのだろう。

 リスターシャ女王は一瞬驚き涙ぐんだが、すぐに表情を引き締めるとスッと手を上げた。



「わたくし、リスターシャ・サモルタが新たな時代の幕開けとして、ローランズ王国との貿易条約に次ぎ、友好を宣言いたします!」



 その言葉を待っていたとばかりに、エドワード様が威風堂々とした歩きで、わたしとリスターシャ女王の元へとやって来る。

 そしてわたしの手を取り引き寄せると、リスターシャ女王と向き合う。



(……本来なら侯爵令嬢が調印の場にいる訳がないのだけど、仕方ないわよね)



 サモルタ王国の神眼信仰は強く、排他的だ。何百年も鎖国して来たので、必要なこととは言えども、いきなり外国と条約を結ぶのは反発が強く出る。だから、わたしはサモルタ王族の血と神眼を受け継ぐ侯爵令嬢として、両国の橋渡し……言わば、象徴としてこの場にいる必要があった。



(……レオノーレの言葉でわたしの血は毒にもなると知ったわ。でも、こうして友好の手助けもできる)



 好意的に受け入れられている様子に、わたしは安堵した。

 


「リスターシャ女王陛下、エドワード殿下、調印をお願いいたします」



 コンラートが分厚い書簡を慎重な動作で広げた。

 そして、リスターシャ女王とエドワード様が友好条約締結のサインを記していく。

 この友好条約により、サモルタとローランズは戦争をせず、有事の際は協力しあうこととなる。これはディアギレフ帝国を牽制する材料となるだろう。



「ここに、ローランズ王国とサモルタ王国の友好が結ばれた。我らの関係が永久に続くものだと願おう」


「続きます。わたくしたちは、志を共にするものですから」



 エドワード様とリスターシャ女王が堅い握手をする。

 これで戴冠式と調印式は終わった。わたしはエドワード様にエスコートされながら、謁見の間から退室する。



「……ふぅ」


「やっと終わったな」



 扉が閉まるのと同時に小さく息を漏らせば、エドワード様が苦笑する。

 そのまま控え室に戻ろうとすれば、サイラス様が青い顔でこちらへと駆けてきた。



(……どうしたのかしら?)



 サイラス様はサモルタの騎士たちに聞かれないように注意しつつも、切羽詰まった声で囁いた。



「エドワード様、ジュリアンナ嬢、どうか落ち着て聞いてください。たった今入った情報によると、ディアギレフ帝国がローランズ王国に……オルコット領へと進軍したそうです……! 急ぎ、帰国のご準備を」


「なんだと……!?」



 そしてわたしたちは喜びの報を携えながら、不安な心持ちでローランズ王国へ帰還することとなった――――








 ローランズ王国に帰還してからというもの、わたしは状況も説明されず、ルイス家の部屋に軟禁されていた。専属侍女のマリーもモニカも引き離され、窓には逃亡防止に鉄格子が嵌められている。まるで罪人になった気分だ。



(……もう、この状態が二週間も続いているわ。いったい、外では……いいえ、わたしを何から遠ざけたいのかしら)



 部屋の中で鬱屈した気持ちを持て余していると、見張り番の侍女が父の訪れを告げた。



「久しぶりだな、ジュリアンナ」


「お父様、これはいったいどういうことですか……!」



 父が前より少し痩せているだとか、そんなことを心配する精神的余裕はわたしにはなかった。

 そして父もまた、昔に戻ったかのように厳格な表情を崩さない。



「……今は外に出てはならない」


「ヴィーはどこです!?」



 父では話しにならない。そう思い、ヴィンセントの名を出すが、父は首を横に振るだけだった。



「ヴィンセントもまた、ジュリアンナが外へ出ることを望んでいない。今回ばかりは、私と同意見だろう」


「……何が起こっているのです? ディアギレフ帝国にローランズ王国が引けを取るとは思えません。戦況を教えてはくださいませんか? あの人は……エドワード様は今……」



 嫌な予感がする。

 わたしは貴族令嬢の淑やかさを忘れて、父の襟首に掴みかかった。



「……ジュリアンナ。お前とエドワード殿下の婚約は白紙に戻されるだろう」


「……今、なんと言いましたか……?」


「婚約は白紙に戻される。……エドワード殿下がそう望まれた」


(……わたしとエドワード様の婚約が白紙……? そんな、どうして……エドワード様が望むなんて……わたしを愛してくれていたのではないの?)



 気づけばわたしの手は力なく垂れ、父はそのまま背を向けて退室してしまう。

 ガチャリという施錠する音が響くのを合図に、わたしは床に倒れ込む。



「ずっと焦がれていたものを手にしたと思っていたのに……。どうして誰もわたしに何も教えてくれないの……」



 心に浮かぶエドワード様の笑顔が今は心底憎らしい。

 それだけではない。あれほど婚約させたがっていた父は簡単に婚約を白紙に戻すと言った。なんの音沙汰もないことから、ヴィンセントだって、今回ばかりはわたしの味方ではいてくれないのだろう。



「……わたしにとって、恋は命を賭けるもの。そのためならば――――」



 侯爵令嬢の地位だって捨てても構わないわ。


 囚われの姫とは真逆の笑みを浮かべると、わたしは鉄格子越しに空を眺めた。







第二部終了。

次回から最終第三部ディアギレフ帝国編に入ります。



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