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侯爵令嬢は手駒を演じる  作者: 橘 千秋
第二部 サモルタ王国編
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87話 黒と白の戦い


※残酷描写注意




「私は……貴女など知りません!」



 マリーは叫ぶと身を捻り、レオノーレの首筋に刃を突き立てる。

 しかしレオノーレの刃が甲高い金属音を鳴らしながら受け止め、マリーの横腹にヒールで突き刺すように蹴りを入れた。


「いいえ、そんなはずないわ! 的確に急所を狙うために研ぎ澄まされた太刀筋、女の身体を極限まで活かした柔軟な身のこなし、命を奪うことへの躊躇のなさ。懐かしいでしょう? すべて、楽園で教わったことよ!」


「……ぐぅっ」



 マリーは痛みで前屈みになるが、絨毯を踏みしめてレオノーレを見上げた。

 レオノーレは酷薄な笑みを浮かべると、絶え間なくマリーに斬りかかる。



(……マリーがディアギレフ帝国の出身だったなんて……)



 わたしはマリーの暗殺者時代に出会った。それよりも前のことを詳細には知らない。

 それは知っているであろう暗殺ギルドの重役たちを、マクミラン公爵家への復讐のために潰したから。そして、マリー自身が孤児院からギルドに引き取られていたと言っていたからだ。



(……確かにマリーの出身である孤児院はルイス家でも調べはつかなかった。でも、それは裏の世界ではそう珍しくなかったから気に止めていなかったわ……)



 しかし、今思えばマリーの所属していた暗殺ギルドは、ディアギレフ帝国の依頼を受けていたのが原因でルイス侯爵家が――わたしが主導で潰したのだ。なれば、ディアギレフ帝国から優秀な暗殺者の卵を買っていたとしても不思議ではない。



「でも、おかしいわね。貴女ほどの使い手ならば、わたくしと同じように導師様の望みを叶える家族として迎えられたはず」


「……私は貴女のような出来損ないとは違いますから」



 マリーは刃を受け止めながら後退し、徐々にレオノーレに追い詰められていく。



「まあまあ! 導師様が愛してくださったわたくしを、出来損ないと呼ぶなんて悪い冗談ね」


「く、あ……っ!」



 レオノーレの純白のナイフと、マリーの侍女服の袖が真っ赤な鮮血に染まる。

 マリーは咄嗟に左腕を手で押さえるが、どんどん赤い染みが広がっていく。



(キール様は!?)



 マリーとレオノーレの戦いに割り込むには、相当な実力を持った武人でないと逆に邪魔になってしまう。だから迂闊にわたしも動けなかった。


 そして刺客たちも、あのマリーに加勢できるのはキール様だと分かっていたのだろう。彼らはキール様を主に狙い、捨て身の攻撃で皆を苦戦させていた。エドワード様も自分が狙われることは分かっているので、わたしから離れた場所に移動してキール様に加勢している。



「マリー!」


 マリーの名を呼べば、彼女は僅かに感情の揺らぎをみせる黒曜石の瞳をこちらに向けた。



(……どうして、そんな顔をするの……?)



 わたしはそれが許せなくて、ふつふつと怒りと寂しさが心に湧いてくる。そして耐えきれなくなり、ありのままの感情をぶつけた。



「マリーがディアギレフ帝国の出身だろうと関係ないわ。『マリー』の名を与えたときに、貴女のすべてを背負う覚悟はできている。マリーはわたしの最も信頼する剣。どんな宝石や身分よりも勝る、わたしの誉れよ!」


「……まったく。お嬢様。淑女たるもの、いかなる時も大声を上げてはなりませんと再三申し上げたでしょう……!」



 マリーは「私がいなくては駄目なんですから」と言いながら珍しく表情を緩ませると、ナイフをくるりと宙で回して握り直し、痛みを感じさせない羽根のような動きでレオノーレとの間合いを一気に詰める。

 漆黒の刃が流星のような放物線を描いた軌道を描き、純白の刃と鏡合わせに交わった。

 



「……ジュリアンナお嬢様がいる限り、私の信念が揺らぐことはあり得ません。たとえこの命が燃え尽きようとも、お嬢様のマリーでいることこそが私の忠義の証!」


「楽園で育ったのに、どうして導師様の偉大さが分からないの!」


「心を壊され、信仰に狂った貴女の戯れ言など理解に苦しみます! 私は生き汚ない。どれほど血に濡れても、幸せを求めることを諦められなかった。……だから、お嬢様に出会えたっ!」」



 キィンッと断続的に金属音が響く。平行線の心と真逆に白と黒の刃が激しく打ち合う。

 


「それこそ戯れ言よ! 導師様だけがわたくしに一番欲しいもの……家族をくれたわ!」


「お嬢様は私のすべてを受け入れ、稚拙で歪んだ望みを見抜き叶えてくれました。あの日、私は初めて道具から人間になることができた。それがどれほど特別なことか、あの孤児院で育った貴女なら分かるはずです!」


「違う違う違う! わたくしは導師様の家族。あの方の覇道のために、このサモルタ王国で不和の種を撒き散らす栄誉を与えられたの。そう……わたくしこそが特別なのよ……! 帝国の資金源のために他国に売られた貴女とは違う……わたくしは愛された!」



 レオノーレの目は赤く充血し、焦点が合わない。

 彼女の恐ろしさに身体は僅かに震えたが、それを無理矢理押さえつけるように、わたしは背筋を伸ばして前を見据える。


 

「マリー、わたしの未来のために勝ちなさい」


「お嬢様の御心のままに」



 マリーはナイフをレオノーレの足下へ投げつけた。

 レオノーレは最小限の動きでそれを交わすと、訝しんだ表情でマリーを睨む。そんな彼女を見て、マリーは淡々と告げる。



「答え合わせです」

 

「なっ……!?」



 レオノーレの足と手にか細い金属の糸が巻き付いた。どうやら、マリーは戦いながら糸を張り巡らせていたらしい。

 マリーが手に持っているナイフをくいっと引っ張ると、それに連動するように糸がレオノーレの白魚の肌に食い込み、真っ赤な血が滲んでいく。



(……わたしも、こんな戦い方をするマリーを見たのは初めてだわ)



 レオノーレはもがき、どうにか糸をナイフで切断しようとする。しかし、その動きはますます身体に糸を巻き付けるだけだった。

 


「この技はご存じないでしょう? 昔の同僚に小賢しい罠を張ることに長けた者がおりまして、技を盗んだのです。なにも私の過去を構成するものは、ディアギレフ帝国の腐った思い出だけではありません」


「いぁあああ!」



 レオノーレの悲鳴と共に、マリーは彼女の腹にナイフを突き立てる。

 身動きの取れないレオノーレは抵抗することも敵わず、呻き声を零しながらボタボタと血を流し、絨毯に鮮やかな水たまりをつくる。



「……鈴蘭に囲まれた監獄。あの場所以上の地獄を私は知りません」



 マリーは血に染まったナイフをレオノーレから抜き取ると、糸を解除した。すると支えを失ったレオノーレは、膝から崩れ落ちて床に倒れる。

 それを見届けた瞬間、マリーはがっくりと片膝をつく。



「マリー!」



 わたしはマリーに駆け寄ると、血を流し続ける左腕にハンカチを当てて止血を始めた。



「……申し訳ありません、お嬢様。お見苦しいところをお見せいたしました」


「そんなことないわ。貴女ほど勇ましい侍女をわたしは知らないもの」



 マリーは身も心も強い。彼女の主であることを誇らしいと思うし、相応しい主になるため努力を怠ってはいけないと同時に思う。



「こっちも終わったぜ、マリー!」



 軽快のそう言うと、他の刺客たちを相手にしていたキール様が血まみれの剣を片手にマリーへ笑いかけた。

 マリーは眉尻を上げると、不快そうに鼻を鳴らす。



「気安く名前を呼ばないでください」


「やっぱり、つえーな! 自分の戦いに専念しておいてよかったぜ。オレの助太刀はやっぱりいらなかった!」



 キール様はマリーの対応を気にすることなく、脳天気に床へ刺さったナイフを引き抜いてマリーへ投げた。

 マリーはそれを受け取ると立ち上がり、エプロンのリボンを結び直して侍女服を整える。



「当然です。私の主を誰だと思っているのですか」


「エドもすげーやつだぜ!」


「一緒にしないでください」



 マリーとキール様は軽口を叩きながら、他の刺客がいないか警戒を続けている。



「ふっ、俺たちの剣は優秀だな」


「当然です」



 わたしは鼻高々にエドワード様に言った。

 すると、一連の流れを見ていたリスターシャ王女が、コンラートを見上げながら小さく笑みを零す。



「……コンラート、わたくしたちも見習うことがたくさんありそうね」


「……不本意ながら。しかし、私の忠節はリスタ殿下のもの」


「それで構わないわ。共に、彼の意思を次ぎましょう? リスタが戻って来たときに自慢にできるような国を作るの」


「それまでは、私がリスターシャの剣となりましょう」



(……主従関係は様々な形があるのね。平穏とはいかないと思うけれど、これでサモルタ王国の次代はローランズ王国と友好を結べそうね)



 わたしは初めに見たときとは違うふたりの絆に安堵した。



「さて、エドワード様。ローランズ使節団を率いる立場として、次はどのような手を打つのですか?」


「そうだな、まずは――――」



 エドワード様が顎に手を当てて思案していると、わたしの視界の隅にゆらりと赤と白の影が蠢く。恐る恐る影を目でとらえれば、乱れた髪を垂らして幽鬼のような形相で立ち上がるレオノーレだった。



「くっ、くく……あはは、あひゃははははははははははっ!」



 レオノーレは腹から血を流し続けている。しかし、彼女の瞳から狂気の色は消えていなかった。



「……まだ生きているのか」


「お嬢様!」


「エド!」



 マリーとキール様が武器を構え、わたしとエドワード様の前に出た。

 しかし、レオノーレはこちらが見えていないのか、ゆらゆらと頼りない足取りで燭台の灯りに吸い込まれていく。



「むふふ、あはっ……! 許さない……殺してやる、なに、もかも……」


「……彼女は痛覚をとうに失っているのでしょう。死ぬ間際まで戦う従順な人形となるために……」



 マリーは眉間に皺を寄せ、苦しそうに呟いた。

 レオノーレは燭台を乱暴に掴むと、テラスへと歩き出し、自分の衣服と肌に火を押しつけた。



「ああ、偉大なる導師様! 邪魔者と裏切り者は消しきれませんでしたが、わたくし……九七四番は、お望み通りサモルタ王国に不和の種を埋め込みました! 種は芽吹き、鈴蘭のように美しい花を咲かせるでしょう!」



 レオノーレは金切り声で叫び、瞬く間に火だるまになった。

 わたしたちは誰も言葉を発するこができず、呆然と彼女の最期を見ることしかできない。



「導師様を阻むものに呪いあれ! ディアギレフ帝国に永劫の繁栄を……!」



 レオノーレは呪詛の言葉を吐くと、狂ったままテラスから落ちていった。




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