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侯爵令嬢は手駒を演じる  作者: 橘 千秋
第二部 サモルタ王国編
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85話 荊の一本道 後編

 サモルタ王が住まうのは、王宮の奥深く。最も警備の厳しい白磁の離宮だった。

 わたくしは警備するの近衛騎士に咎められることもなく、すんなりと父の住まう部屋へと到着してしまう。



(あっさりしすぎている気がするけれど、引き返す選択肢はない)



 わたくしは意を決し、扉をノックした。



「こ、国王陛下、リスターシャです」


「ああ、リスターシャ王女殿下! 今すぐにお開けしますぞ」



 慣れした親しんだ声が聞こえたと思えば、扉があっけなく開かれた。そこには、わたくしの師と言っても過言ではないブローベル侯爵がいた。

 ブローベル侯爵はわたくしの手を取り、父の部屋に招く。



「ブローベル侯爵!? どうして、国王陛下の部屋に……」


「それは、老いても私が陛下の忠臣だからですぞ。ささっ、リスターシャ王女殿下。サモルタ王が――貴女の父上がお待ちだ。そして邪魔者は退散するに限りますなぁ」



 くつくつと忍び笑うと、ブローベル侯爵そう言うと、わたくしと父を置いて部屋から出て行ってしまった。



(どういうことでしょう?)



 困惑しつつ、わたくしは薄暗い部屋の奥へと進む。

 部屋はツンとした薬品と消毒液の匂いに包まれていて、わたくしは嗅ぎ慣れないその匂いにクラクラした。



「…………リスターシャ、なのか……?」



 想像よりも弱々しい男の声に、わたくしの心臓はドキリと音を立てる。

 恐る恐るベッドに近づくと、わたくしは天蓋のレースを開けた。



「……国王陛下、なのですか……?」



 そこには、痩せ細った白髪の老人が横たわっている。病が進行して寝たきりだとは聞いていたが、ここまで酷い病状とは思わなかった。しかし彼の瞳は生命力に溢れ、紫に輝いている。



(……わたくしの……リスタの記憶の父と違う……)



 リスターシャはサモルタ王に会ったことはおろか、話したことはない。だが、リスタは違った。


 初めてアーダルベルトと会った後、わたくしは精神的衝撃から、数ヶ月の間の記憶が抜け落ちている。その間、わたくしの身体を使っていたのはリスタだ。


 彼は神眼持ちの王女の肩書きを使い、無理矢理、父に会った。そして、母が死に、わたくしがどんな境遇で後宮にいたか洗いざらい話し、何もしてこなかった父を罵ったのだ。


 そのとき、父は今と違って髪も黒く、威厳のある姿で『黙れ』とリスタを一蹴しただけだった。しかし、その後わたくしは罪に問われることもなく、粗末だが離宮を与えられることになる。



「……あなたは、わたくしを……母をどう思っているのですか……?」



 分からない。分からない。

 邪魔なら、こんな脆弱な存在を消してしまえばいい。

 利用したいのなら囲い込めばいい。

 そうすれば母とわたくしを捨てたと、あなたを純粋に憎むことができるのに。

 


「……一言では言い表せないな。私は愚かな感情を持て余して、お前の母を殺したのだから」


「……どうして……踊り子風情を殺したぐらいで、神であるサモルタ王が悲しい顔をするのですか?」



 父は泣いていた。

 一言でもいい、本当は父を罵ってから本題に入ろうと思っていた。それなのに――――



(狡い。わたくしと母のことなんて、どうでもいいって考えていたのではないの? だから、母が毒殺されて……遺体を罪人のように川へ流されても、何も言わなかったのではないの……?)



 父はわたくしへと賢明に手を伸ばす。

 わたくしは迷いながらも、その手を両手で包み込んだ。



「リスターシャ。お前の母は、それはそれは素晴らしい踊り子だ。芸事が盛んなこのサモルタでも、別格の存在だった。だからこそ、私は彼女に嫉妬の感情を抱いた」


「……嫉妬?」



 信じられない。神眼を持ち、王となった父が嫉妬するなんて、わたくしには到底考えられなかった。



「彼女の踊りは風に乗るように軽やかで美しかった。まるで女神のようだと私は思った。そして同時に、私以外に神たる存在がいる訳がないと思ったのだ」


「……だから、お母さまを後宮に?」


「……そうだ。神眼持ちは幼い頃から、自分は神だと教えられ、周囲はそのように扱っていく。だから私も、それを疑わなかった。今のアーダルベルトとそう変わりはなかっただろう。しかし、彼女だけは違った。私をただ一人の人間として扱い、そしてそのことに憤った私は、彼女と数え切れないほど喧嘩をした」


「……お母さまと喧嘩を」



 わたくしの記憶に残る母はいつも笑っていた。そんな母の怒る姿は想像もつかない。



「しかし、ある日……私は彼女とくだらないことで大喧嘩をしてしまった。そして愚かにも、彼女が私に縋るまで無視をすると言ってしまったのだ。その後、彼女は私に会いに来ることはなかった。臣下からは、彼女は以前よりも健やかに過ごしていると報告を受けていた。私はそのことが面白くなく、意固地になって彼女に会おうとしなかったのだ」


「……嘘。お母さまはずっと、後宮の中で苦しんで戦っていた」


「私はそれに気づくことなく、私は病に倒れた。療養と公務を繰り返し、一時的に調子が良くなった時には、彼女に会う勇気を無くしていた。臣下から聞く彼女の様子は、私といた頃よりも生気のあるものだったからだ。……すでに、彼女は毒に倒れていたというのに」


「どうして……臣下なのに、本当のことを言ってくれなかったの……」



 頭では分かっている。

 父の臣下たちは、自分たちに不利益しかもたらさない母とわたくしを疎ましく思っていたのだ。



「私は王であっても神ではない。ただの人間でしかなかった。だから、臣下の心を見通すこともできなかった。愚かなことに、お前が生まれたことも、彼女が毒殺されていたことも……私だけ知らなかったのだ。あの日、ボロボロになったお前を見るまで」



 父の瞳には後悔の色が見える。それだけで、わたくしは理解してしまった。



(父は……お母さまを愛していた。でもそれは初めてのことで、神として育てられた父には愛し方も分からなかったんだわ)



「甘い言葉を吐くだけの臣下は切り捨てた。国内の権力図は揺らいだが、信頼できる者が王である私の元へと集まった。しかし、肝心の彼女はもういない。思い出に縋ろうにも、彼女の墓も遺品もない。ただ、お前を……リスターシャを残してくれた」


 

 そう言って父はわたくしの頬へ触れた。しかし、すぐに手を離してしまう。



「だが、私は父になれそうにもない。どうあがいても、私は王だ」


「……王ですか?」


「血が濃くなったせいで、王太子のアーダルベルトは子孫を残せない。さらに、アーダルベルトの一番の臣下であるダムマイヤー伯爵の周囲は、どうにも焦臭い。とても彼奴を王には据え置けない。刻一刻とめまぐるしく変化していくこの時代の中では、神眼の王による支配はいずれ立ちゆかなくなるのは目に見えている。だから、私はお前を利用することにしたのだ、リスターシャ」



 一度目を瞑り、わたくしは愛しい人の声を思い出す。



「わたくしは王座が欲しいのです。だから、利用してくださって構いません。……お父さま。わたくしは

王座をもらい受けるため、あなたへ会いに来たのですから」


「……なあ、リスターシャ。この国が好きか?」


「分かりません。人も、物も、綺麗なばかりではありませんから。でも……ここがわたくしの居場所です」


「……母と娘、そろって同じことを言うのだな」



 父は嬉しそうに眉尻を下げた。

 今更、父とわたくしは普通の家族にはなれないだろう。だが、王と王女という関係であっても、わたくしは父と心を繋げたいと思った。そして、超えたいとも。



「お父さま。どうか、わたくしに、サモルタ王の心得を教えてください」


「私の指導は厳しいぞ、リスターシャ」



 そう言って父は、慈しむようにわたくしの頭を撫でる。



 ――その時だった。



 そう遠くない場所で爆発音が聞こえたかと思うと、耳を劈くような悲鳴が聞こえたのだ。わたくしが驚きに目を張っていると、ノックもなしに部屋の扉が開け放たれた。



「陛下、賊が城に侵入しました……! どうか、王女殿下を連れてお逃げ下さい!」



 近衛騎士が、慌てた様子で言った。



「賊……!? どうしましょう、ブローベル侯爵が……」


「落ち着きなさい、リスターシャ。王になりたいのならば、どんなことがあっても取り乱してはならない」



 父は眉一つ動かさず、冷静だった。

 わたくしはその姿に安心し、どうにか心を沈める。



「お父さま。わたくしはどうすればいいのでしょうか」


「逃げなさい。王族の血を絶やすことこそが、国の滅びだ」


「お父さまは……?」



 取り乱してはならないと言われたばかりなのに、わたくしは不安な表情を見せてしまう。しかし、父はそれを咎めることなく、小さく微笑んだ。


「言っただろう。今の私には信頼できる者がいると。王宮はセラディウス公爵――私の弟がいるかぎり、落ちることはない。それにブローベル侯爵ならば平気だ。あれは襲撃者にやられるような弱者ではない」

 

「……分かりました。信じます。行きましょう、お父さま」



 わたくしが父の身体を起こそうとすると、それは手で制された。



「今の私はお前の足枷にしかならん。賊の狙いが私ならば、ここにいることで囮ぐらいにはなるだろう。だから行け、リスターシャ。王になってくれるのだろう?」


「……分かりました」



 今度こそ、わたくしは感情を押し殺した。

 父は部屋に飾られた大きな一枚絵を指さす。



「あれの裏には、王しか知らない隠し通路がある。そこからならば、安全に王宮を抜け出すことができるだろう」



 わたくしは絵に近づくと、額縁をずらした。そこには人一人入れるくらいの通路がある。



「……お父さま。また、後で会いましょう」


「そこが冥府ではないことを祈ろう」


「大丈夫です。お母さまが、まだ早いと叩き返すでしょうから」


「ふっ、そうだな」






 わたくしは通路に入ると、絵を元の位置に戻した。


 通路の中には月光すら差さず、暗闇が支配している。

 わたくしは蜘蛛の巣が顔と身体に絡みつくことも厭わず、ただ暗闇の一本道を進む。

 音が反響し、わたくしの足音だけが大きく響いた。



「はぁはぁ……出口はまだ……?」



 暗闇の中では、時間の感覚も麻痺する。

 わたくしが通路に入ってからどれだけの時が流れただろうか。



「……あれは、明かり……?」



 暗闇の先に、橙色の光が漏れているのに気づいた。

 わたくしは速度を上げ、光に向かって駆けだす。


 一本道の行き止まり。その壁の隙間から光りは漏れていた。



「わたくしは……リスターシャ・サモルタはここです!」



 わたくしは叫び、壁を叩いた。

 するとその衝撃で壁が崩れてしまう。



「きゃぁああ!」



 わたくしは後ろに倒れてしまうが、幸いにも壁が脆い作りだったため、怪我はなかった。

 粉塵が収まり視界が開けると、崩れた壁の先に人が通れる小さな空間があるのが見えた。そして天井からは光が差している。そして、光の中から人の腕が伸びてきた。



「リスターシャ王女殿下!」



 わたくしを引っ張り上げてくれたのは、逞しい男の腕ではなかった。白く華奢で傷一つない柔らかな手。わたくしは迷わずその手を握り返す。



「ジュリアンナさま!」



 ジュリアンナさまの手に引っ張られ、漸くわたくしは通路から脱出することができた。

 出口はどうやら暖炉だったらしく、わたくしは煤塗れになっている。


 しかし、それらを気にしている暇はない。わたくしは部屋をぐるりと見渡し、ジュリアンナさまとエドワード第二王子殿下を含めたローランズ使節団の面々、そしてコンラートがいることを冷静に認識した。



「ありがとうございます、ジュリアンナさま。おかげで命拾いしました」


「……どういうことだ?」



 答えたのはジュリアンナさまではなく、エドワード第二王子殿下だった。わたくしは微笑みを浮かべ、真っ直ぐに彼の空色の双眸を見つめる。



「サモルタの王宮が賊に襲われています。皆様にご助力を仰ぎたく、わたくしリスターシャ・サモルタが王の名代でこちらに参りました」

 

 わたくしは汚れたドレスの切れ端を掴み、ゆっくりと淑女の礼をとった。



次回から、ジュリアンナ視点に戻ります。

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