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侯爵令嬢は手駒を演じる  作者: 橘 千秋
第二部 サモルタ王国編
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84話 荊の一本道 前編

リスターシャ視点

 ――リスタ! ねえ、リスタ! 



 必死に心の中で叫ぶが、リスタからの返答はない。

 わたくしは深く息を吐くと、誰もいない図書室の隅でうずくまった。



「ねえ、貴方はわたくしの夢ではないの? うつつの存在なの……?」



 ジュリアンナさまとのお茶会のとき、確かに彼女はわたくしを――いいえ、わたくしの奥を見て「リスタ王子」と呼んだのだ。

 今までわたくしはリスタを夢の中で会える想像の産物だと思っていた。



(……いいえ、違う。本当はわたくしも、何かおかしいと思っていた)



 時折抜け落ちる記憶に気づいていなかったと言えば嘘になる。強く感情が揺れると、わたくしは意識を失い、起きたときにはいつも原因となったことが解決していた。



もしも、リスターシャわたくしとは違う|リスタという存在がそれらを解決していたのだとしたら……すべて辻褄が合ってしまう。


 それは、わたくしの辛い部分をすべてリスタに押しつけてしまっていたということではないか。そんな思いが胸に渦巻き、わたくしに眦は涙に濡れた。



「お願い……リスタ……わたくしを嫌いにならないで……」



 掠れた声で懇願すると、わたくしの胸の奥がジンッと熱くなる。



 ――折角気持ちよく寝ていたのに、シアは乱暴だな……。


「リスタ!」



 愛しい人の声を聞き、わたくしは歓喜の声を上げる。

 夢の中ではない、うつつの世界で、わたくしとリスタは初めて言葉を交わしたのだ。



「……良かった……もう……会えないのかと思った」


 ――僕のこと、気持ちが悪いって思わないの? 君を眠らせて、勝手に身体を使って……きっと、シアの望まないことをしていた。



 わたくしは首を横に激しく振り、胸の前に手を合わせる。どうか、わたくしがリスタを思う気持ちが伝わりますように。



「気持ち悪いなんて思わないわ! わたくしの方こそ……リスタに嫌なことを全部押しつけて、自分だけ傷つかないように殻に閉じこもっていた。ねえ、リスタはわたくしのことが嫌いでしょう?」


 ――僕がシアのことを嫌いな訳がないだろう! 君を……好きな子を守るのに理由なんてない! たとえ僕が……。



 リスタは何か言おうとしたが、言葉を詰まらせた。わたくしの中にある人格だというのに、彼の心は読めない。

 ただ一つ、彼の紡いだ言の葉がわたくしの心を揺らす。



「……好き……? わたくしを……?」


 ――気持ち悪いって思うだろう? ただの代替品でしかない僕は、おこがましくもシアに恋したんだ。


「おこがましくなんてない! リスタはわたくしを救ってくれた。敵だらけのこの王宮で、わたくしの味方になってくれた。泣き虫で卑怯者のわたくしを……愛してくれた。だから、わたくしは……リスタに恋をしたの」



 わたくしとリスタの関係を理解できる者などいないだろう。ただの自己愛だと馬鹿にする者もいるかもしれない。でも、それでも、わたくしとリスタは恋に落ちた。


 たとえ脆く壊れゆく定めだとしても、この気持ちを止めることなんてできなかった。



 ――本当に、君は強くなったね。僕が必要ないほどに……。ねえ、シア。リスタという人格を認識した今、僕ががもうすぐ消えるのは分かっているだろう?


「……なんとなく感じるわ」



 リスタはわたくしの心を守るために生まれた存在だ。わたくしの心が強くなれば、彼の存在は存在意義がなくなる。そして、一人の人間の中に二つの人格があることは、おそらく精神に負荷がかかる。だから、主人格のわたくしではなく、リスタが消えることは必然となってしまう。



(ブローベル侯爵に出会って、サモルタ王国を知って、王族の覚悟も学んだ。そして、あれほど避けていた貴族たちと対話し、ジュリアンナさまたちに出会った。そうやって少しずつ、わたくしは強くなっていった)



 わたくしの脳裏には、凜然とした姿のジュリアンナさまが浮かぶ。

 同じ神眼を持つジュリアンナさまを見て、初めて強くなりたいとわたくしは願ったのだ。



 ――僕は強いシアが好きだよ。だから、僕のことは気にしないで。ただどうか、僕を……忘れないで。



「忘れたりなんかしない。……忘れることなんて、できないもの……」



 リスタを忘れたら、わたくしはわたくしでなくなってしまう。それほどに彼はわたくしの中に根づき、変えてくれた。


 これから心引き裂かれるような思いを経験し、後悔することがあっても、わたくしの中にリスタとの思い出を消すという選択肢は存在しない。



 ――もう一つ、僕のお願いを聞いてもらってもいいかい?



 遠慮がちな声に内心苦笑しつつ、わたくしは微笑んだ。



「リスタのお願いなら、わたくしはなんでも聞くわ」


 ――ふふっ。シアは懐が深いね。



 リスタは一呼吸置くと、緊張した声音でわたくしに訴えかける。



 ――だったら……王になってよ、シア。



 夢の世界で何度も聞いたリスタの望み。わたくしは夢では笑って否定していたけれど、今になってリスタのこの言葉が酷く重みのあるものだと気がついた。



「……ねえ、どうしてリスタは、わたくしを王にしたいの?」


 ――そうしないと、君が殺されてしまうから。片目だけの神眼を持つ、母の身分が低い王女なんて、立場が不安定だ。最高権力者の王にならない限り、シアの居場所はできない。王になることが、君を生かすための唯一の手段だ。


「王さまにならないと死んでしまうって、なんだかおかしいわね」


 ――シア、君の答えは? 僕は君以外に王に相応しい者はいないと思う。シアは何人たりとも敵わない、僕の誉れだ。



 わたくしをこんなにも褒めちぎってくれるのは、リスタだけだろう。身内贔屓というやつだ。

 思わずわたくしは苦笑が漏れる。



「さっきも言ったでしょう。わたくしはリスタのお願いなら、なんでも聞くわ」


 ――そうか、良かったよ。……シア。


「うん。どうしたのリスタ?」


 ――いつも君に辛く当たっていたコンラートだけど、彼は悪い人間じゃないんだ。貴族の中では誠実な部類だと思う。信頼できる男だ。絶対にシアの役に立ってくれる。



「……そうかな? わたくし、コンラートが苦手なの」



 ――前言撤回だ。僕のシアを悲しませる男は極刑だね。



「う、嘘よ、リスタ! コンラートのことは、わたくしもその……信頼しているわ!」



 ――あいつ、シアに色目を使いやがって……


「き、騎士として! サモルタの貴族として信頼しているの!」



 わたくしは慌てて叫んだ。



(……なんだか、疲れたわ……)



 でも、リスタから愛情がじんわりと伝わってくる。

 性格も、性別も、考え方もわたくしとリスタは違う。やはり、この気持ちは自己愛なんかじゃない。たとえ身体は一つであっても、わたくしとリスタは別の人間だ。



「ねえ、リスタ。わたくし、自分が大嫌いなの。愚図でのろまで、度胸もない臆病者。身分も低いし、ジュリアンナさまは褒めてくれたけど、髪の毛だって老人みたいに真っ白で片目は不気味な紅色よ。本当にわたくしは自分に自信なんてもてない。でも……」



 わたくしは窓際まで歩いた。

 紺碧の夜空に、小さな星屑たちが煌めいているが、それは歪む視界の中に溶けてしまう。



「わたくし、王になるわ。リスタが信じるわたくしなら……きっと良い王になれる。そう、信じる」



 王を目指せば、あのアーダルベルトと敵対することになるだろう。幼い時から、彼はわたくしの畏怖の対象だった。正直に言って、あの意志の強い神眼が怖い。



(……だからといって、自分が素晴らしい国をつくれる自信もない。それでも、やるしかないの。わたくしの――リスタの愛した国を守らなくては)



 ――良い王になる、か。一朝一夕ではできないことだね。シアは人生に退屈しないだろうね。



「……そうね。きっと、退屈とは無縁の、素晴らしい人生になる、わ」



 わたくしはドレスが皺になるのも構わず、胸元に生地をかき集めた。

 蝋燭の火のようにどんどん小さくなっていくリスタの気配に、わたくしは焦り出す。弱音や愚かな暴言が口から飛び出してしまいそうになるが、下唇を噛みしめて必死に押さえ込む。



「だからね、わたくしは大丈夫よ」



 精一杯笑いながらわたくしは声を震わせて言った。


 

 ――……シアの中にいるのに、なんだか眠いや。……少しだけ……眠る、ね。シア……さよなら、だ……。



 その言葉を最後に、リスタはわたくしの声に応えてくれなくなった。

 心の奥底に、ぽっかりと大きな穴が開いた感覚に、わたくしは切なさで胸が締め付けられた。


 しかし、それもつかの間。次いでわたくしの脳内にリスタの記憶と知識、そして経験が流れ込み、血肉の一部となるような錯覚を覚える。



(……リスタ……貴方はこんなにもわたくしを……)



 溢れそうなほどにいっぱいのリスタの心に、わたくしは涙を流す。

 もちろん綺麗なことだけじゃない、派閥争いや経済格差、賄賂に、酷なりすぎた王族と高位貴族の血、崩壊寸前の神眼信仰、今まで弱いわたくしのために隠されていたサモルタ王国の現状を正しく理解した。



「おやすみなさい、リスタ。……またね」



 わたくしは図書室から出ると、自分の父に生まれて初めて会うため歩き出した。






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