75話 わたくしだけの夢人 前編
リスターシャ視点
わたくし、リスターシャはサモルタ王国第六王女として生まれた。真っ白の髪に赤と紫の色違いの瞳。その異質な外見から、わたくしは生まれた時から奇異の視線の中、冷遇されながら後宮で暮らしていた。
しかし、わたくしは一人ではなかった。たった一人の味方――異国の踊り子である母がいたのだ。
わたくしとは異なる艶やかな黒髪の母はとても美しかった。排他的な身分主義の貴族女性が多い中、低い身分でも母は賢明にわたくしを守り、小さな幸福を愛する優しい人だ。
だからこそ――母はわたくしが6歳のころに後宮の女の誰かに毒殺された。
別にわたくしの母は、父王に愛された寵姫だった訳ではない。それでも、わたくしという片目だけの神眼を持った王女を産んだことを嫉まれて死んでしまった。
庇護者と拠り所を失ったわたくしは、後宮の中で満足な衣食住も与えられず、浮浪児一歩手前の生活をしていた。それから8歳までの記憶は曖昧で、どうやって味方のいない後宮の中で生き延びていたのか分からない。
――神眼を穢した下賤な王女
そう罵られながら、わたくしは生きてきた。
そんな時だ。父王が後宮を閉めるため、新しい後宮の主になる予定の王太子である腹違いの兄――アーダルベルトがが視察に来た。
アーダルベルトの訪問に浮かれる女たちを尻目に、わたくしもどこか期待に胸を膨らませていたのだと思う。
(唯一同じ神眼持ちで、同じ血を持つ実の兄ならば、わたくしを救い上げてくれるかもしれない……)
無条件の期待は、アーダルベルトを目にした瞬間に砕け散った。
「……お前がリスターシャか」
王女とは思えないボロボロの姿のわたくしを、アーダルベルトは露骨に嫌悪した。
アーダルベルトはわたくしと何もかも違っていた。綺麗で豪奢な服、香油で艶めいた輝く髪、そして支配する側だけが持つことを許される傲慢さ。
(……わたくしのようなものとは、生きる世界が違うのですね……)
嫉妬という感情を知らないわたくしは、ただただ自分を嫌悪する。
「見た目だけではなく、中身まで気持ちが悪いのか。リスターシャ、お前は噂通りのバケモノだな」
アーダルベルトがそう言った瞬間――わたくしの中で何かが崩れ落ち、意識は急に暗くなって心が闇に囚われた。
気がついた時には、数ヶ月が経過していて、わたくしは後宮から王宮の隅にある一番地味で古い離宮に隔離されていた。
一人だけわたくしに付けられていた侍女は、どこかの貴族の息がかかっているらしく、わたくしの世話をほとんどしなかった。おかげで衣食住に困る生活は依然続くことになる。
だけど、とても幸福だった。
だって、わたくしには『彼』――リスタがいたから。
――ねえ、シア。今日はどんなことをしたんだい?
リスタは、わたくしが母にだけに呼ばれていた愛称を優しい声音で紡いだ。
しかし暗闇が広がるだけで、リスタの姿は見えない。それは当たり前でもある。リスタは、わたくしが作り出した、夢の中にだけ現れる創造の産物だ。リスタという名前だって、わたくしがつけたものだ。
「今日はずっと庭にいたの!」
――ああ、あの手入れの行き届いていない庭か……
わたくしの創造の産物だからだろうか、リスタはわたくしが知るもの、見たもの、感じたこと、そのすべてを理解していた。
「でもおかげで、たくさんの果実がたわわに実っていたの! とってもおいしかった」
――うん。でも一個だけ酸っぱいのがあったよね。
「う……でも、ジャムにすればおいしいわ」
――ジャムなんて食べたことないじゃないか。離宮の書庫にある本で得た知識だろう?
リスタの意地悪な物言いに、わたくしはぷうっと頬を膨らませる。
「リスタなんて知らない!」
――ごめんごめん。でも僕もジャムを食べてみたいな……
「いつか、一緒にジャムが食べられる日が来るといいな」
わたくしは姿をもたない夢人に、飾らない笑みを向けた――――
♢
離宮に閉じ込められてからさらに数年が経った頃、わたくしは探究心が押さえられず、ある場所へ迷い込んでしまう。そこが美術管理室近くの虫干し用の庭だったことにわたくしが気づくのは、かなり後のことになる。
「これはこれは……幻と言われている半神の姫に出会えるとは思いませんでしたぞ」
「……貴方は誰?」
自分と同じ真っ白な髪を持つ老人に、わたくしは訝しみながら問いかける。
老人は優しげな笑みを浮かべると、胸に手を当て、わたくしに跪いた。
「初めましてリスターシャ・サモルタ王女殿下。私は、ブローベル侯爵位を持つただの老人ですぞ」
「ブローベル……侯爵……?」
「貴族のことも、サモルタのこともよく知らないようですな。まあ、老いぼれには時間はたっぷりあります故、リスターシャ王女の専属家庭教師にでもなりましょう」
わたくしは目をまんまるく見開きながらブローベル侯爵を見た。
(……勉強……してみたい……)
わたくしは新しい知識を吸収するのが好きだった。離宮ではもっぱら書庫で時間を潰しているぐらいだ。しかし、書庫は前の主が勉強熱心ではなかったせいか、娯楽本の方が多い。それが嫌いな訳ではなかったが、わたくしはもっと別の知識が欲しかった。
「……あの、ブローベル侯爵。この国の歴史や文化、政治形態、身分制度……それに神眼とはいったいなんなのか。……わたくしの生まれた意味を教えてくれますか?」
「ふむ。リスターシャ王女が学ぶ手伝いはいたしますが、答えは自分で導き出さねばなりませぬ」
ブローベル侯爵は汚れることもいとわず、わたくしの王女とは思えない泥だらけの手を握ると、暖かな美術管理室へと伴った。
「とりあえず温かい紅茶でも飲みますかな。お菓子もありますぞ」
「……ジャムはある……?」
「たくさん種類がありますからな、焼きたてのスコーンに王女のお好きなジャムをたっぷり乗せるといいですぞ」
この日――わたくしの運命は大きく動き出した。