71話 膝上の攻防戦
侯爵令嬢は手駒を演じる書籍1巻が5月12日にアリアンローズ様から発売します。
どうぞ、よろしくお願いいたします。
エドワード様は鬼畜、腹黒に続き、わたしの中で変態の称号を得た。
(まったく、どうかしているわ……! いつか絶対に報復してやるんだから!)
先ほど噛まれた鼻の感触を思い出しながら、わたしは屈辱に顔を歪ませた。
しかし、そんなわたしを知ってか知らずか。エドワード様は紳士的にわたしをエスコートしながら、嬉しそうな顔で庭へと向かう。
「さすがは芸術と文化の国、サモルタ王国の公爵家。素晴らしい庭だな」
木々は幾何学模様にそろえられ、薔薇や百合などの花々も満開に咲き誇っている。道にもこだわりがあるらしく、玉砂利が敷かれていた。わたしとエドワード様は暫し庭の芸術性に酔いしれる。
「……あれは、時計塔でしょうか?」
庭の先には小さな古い時計塔が建っている。だが、時計自体動いていないようだ。
「時計塔に登るか?」
「サモルタ貴族の面倒な思惑のあぶり出しをするために、ふたりで過ごすのでしょう? 衆目の眼にさらされなければ意味がありません」
「そうか、残念だな。……少し休むか」
そう言ってエドワード様はわたしを芝生の上に座らせた。
「芝生の上に座ってはしたなく見えませんか……?」
「大丈夫だろう。もっとはしたないことをするんだから」
「えっ……?」
わたしが疑問に思ったのもつかの間。エドワード様はわたしの膝の上に頭を乗せて寝転んだ。
(ちょ、ちょ、ちょっと待ってよ! これって膝枕なんじゃないの!? 王子がこんなことをして許されるの!?)
口をポカンと開け、わたしは唖然とした。
「なんだその間抜け面は」
くつくつと腹黒そうに笑うエドワード様に反論しようとするが、彼が軽く身じろぎするたびに直接エドワード様の動きが伝わり、わたしは困惑と羞恥で口をつぐんでしまう。
「まあいい、俺は疲れた。寝る」
そう言うとエドワード様は目を瞑り、あっという間に寝息を立ててしまう。わたしは一連のエドワード様の行動に理解が追いつかず、数分間動きを停止した。
(いえ、ちょっと待って。これはどう考えてもおかしいわよ!)
漸く復活したわたしは、調子に乗っているであろう婚約者へと目を向けた。
エドワード様は無防備に寝息を立て、わたしの膝を占領している。彼の寝顔は普段と変わらず美しく、切れ長の眼に縁取られた銀色の睫毛は長く、色気を醸し出している。
「睫毛だけじゃないわ。この真っ直ぐな髪も妬ましい……!」
わたしの癖があって絡みやすい髪と違い、エドワード様の髪は真っ直ぐで艶々。そして指通りも最高ときている。羨ましいことこの上ない。
「……ジュリアンナ、痛いぞ」
「あらら、申し訳ありません」
無意識にエドワード様の髪を引っ張り上げていたらしい。エドワード様は機嫌の悪そうな目でわたしを見上げる。
わたしは適当に謝るとエドワード様の髪から手を離した。
「まったく、男の髪などどうでもいいだろう。お前の方が蜂蜜みたいで甘そうだ」
エドワード様はわたしの髪を摘まむと、くるくると指に絡ませて遊び始めた。
「止めてくださいま――っつ!」
エドワード様の手を払おうと足を少し動かすと、わたしは耐えがたい痺れに襲われた。
「どうした、ジュリアンナ?」
「いえ、早く退いて欲しいと思っただけです」
(エドワード様に足が痺れたなんて見破られたら、絶対に碌なことにはならないわ! どうにか隠し通さなければ!)
わたしはすぐに演技力を総動員させて何食わぬ顔でエドワード様に微笑んだ。
「そうか。では俺は寝る」
「退いてくださらないのですか!?」
「俺は眠いし、ジュリアンナの膝を堪能したい。退く理由が見つからないな」
「この腹黒鬼畜王子!」
思わずわたしがエドワード様を罵ると、彼は薄く眼を細めた。
「……やけに絡んでくるな。何か不都合があるのか?」
「いいえ……別にありませんけど……」
「そうか」
「――――っ!」
エドワード様は寝返りを打ち、わたしへと背を向ける。するとビリビリ足が痺れを訴え、わたしはのたうち回りたい衝動に駆られた。
「ん? もしやジュリアンナ、足が痺れたのか……?」
「そ、そんなことありません!」
「そうか」
客室で与えられた屈辱から、わたしは思わず強がりを言ってしまった。エドワード様からわたしの顔が見えないのがせめてもの救いだろうか。
(もう、いいから退いてよ!)
わたしは涙目でただただ耐え続ける。するとエドワード様がわたしの膝を突っつき始めた。断続的に続く痺れに、わたしはついに泣き叫ぶ。
「え、エドワード様!? わたしが足が痺れているのを知っていますね!」
「ああ、最初からな」
「最悪です! どうして貴方はそんなに意地が悪いのですか! アホですか!」
「いつものジュリアンナに戻ったな」
そう言ってエドワード様は起き上がるとわたしの頬にそっと手をあてた。その優しい動作がどうにも憎らしく、わたしは俯く。
「……失望しましたか」
エドワード様や皆が求めているのは、強いジュリアンナだ。それなのに、わたしはサモルタ王国に来てからというもの、弱くなっている。
エドワード様はプロポーズのとき、自分の隣に並び立って欲しいと言った。それなのに、今のわたしはどうしようもなく弱い。幼い頃の自分に戻ってしまったようで、わたしは鬱屈とした気持ちに苛まれる。
「失望なんてしない。俺は嬉しく思っているんだぞ。ジュリアンナが弱さをさらけ出すのは俺の前でいい。他の奴には見せるな。勿体ない」
「……訳が分かりません」
わたしはエドワード様に身体を預け、小さく呟いた。
「ジュリアンナ。俺はお前を誰にも渡す気はない。だから安心しろ」
「……はい」
(悔しい。わたしは……エドワード様の隣に並び立てる存在になりたい)
弱いジュリアンナはもう終わり。国一つ相手取れなくて何が腹黒鬼畜王子の婚約者だ。
わたしはぐっと拳に力を入れた。
「エドワード様。わたしはもう……大丈夫です。ありがとうございました」
わたしが心からお礼を言うと、エドワード様は何故か腹黒い笑みを浮かべた。
何か嫌な予感がひしひしと感じる。
「もう足は大丈夫なんだな」
「え、足ではなくってぇ!?」
ふわりと小さな浮遊感と共にわたしの身体がエドワード様に持ち上げられる。それは俗にいうお姫様抱っこ状態だ。わたしは安定感のなさに驚き、エドワード様の首に腕を絡めた。
「う……痺れ……!」
「我慢しろ、ジュリアンナ。ほら、みんな見ている」
辺りに目を向ければ、セラディウス公爵家の侍女たちがわたしとエドワード様に熱い視線を向けている。完全な見世物状態になっていた。
「うぐ、この……覚えていろ……鬼畜め……」
「さて、聞こえないな」
エドワード様が歩くたびに、足の痺れがわたしを襲う。わたしはエドワードの胸に顔を押しつけ、ひたすら耐える。その姿はどうやら照れ隠しをしている令嬢に見えるらしく、侍女たちが遠くで黄色い悲鳴を上げた。
「大好評だな」
「わたしの中では貴方の株が駄々下がりですからね」
「ではご期待にお応えして、ここで軽くターンでもするか?」
「お願いだから止めてくださいましっ!」
エドワード様は意地悪を言うが、次第にわたしを気遣うようにゆっくりと歩き始めた。
(鬼畜のくせに、気を使って馬鹿みたい)
エドワード様の顔を見ることができないようにわたしは目を閉じる。
そして緩やかな揺れに身を任せていると、エドワード様が歩みを止めた。何事かとエドワード様の顔を見上げれば、彼は王子らしく警戒心の満ちた顔をしている。
「噂以上にローランズ王国の第二王子と神眼の姫は仲良しなんだね」
「……さて、私は貴殿を存じ上げないが?」
エドワード様の目線の先にいるのは騎士服を纏った白髪の少年。その容貌はサモルタ王国第六王女リスターシャと同じ、世にも珍しい真っ白い髪に紅と紫の瞳を宿している。雰囲気はリスターシャ王女とは丸っきり異なるが、顔立ちも彼女に瓜二つだった。
「僕は存在しないはずのもう一人のサモルタ王国王位継承者。初めまして、第二王子と神眼の姫。そして早速だけど僕に利用されてくれないかな」