69話 第二王子と未来の義弟
エドワード視点です
滞在しているセラディウス公爵家の一室。そこはローランズ王国第二王子である俺、エドワードに与えられる部屋だけあって、日当たりに調度品の数々まで一級だ。
昨日は歓迎会などもあり疲れているだろうというサモルタ側の配慮から、今日は安息日となっている。明日からはそれぞれの仕事を行わなくてはならない。
俺とサイラスは会談。キールとヴィンセントはその護衛。リリアンヌは本でも読むのだろう。テオドールは調整役。ジュリアンナは……社交だろうな。
ジュリアンナから事前に聞いていた以上に、サモルタ王国はおかしな国だった。
王子である俺よりもジュリアンナを優先させる時点で他国と違う価値観を持っているといえよう。鎖国同然の今だからその対応に目を瞑っているのであって、外交の場では本来許されざる事。
外交を任されている貴族ならばその辺りを弁えた行動を取るだろうが、自国を会談の場所として提供するのは失策としか思えない。その他大勢の貴族たちは、神眼持ちを優遇するのだから。
王族は人間だ。それは当たり前の事実。しかし、サモルタでは神眼持ちの者こそが、支配者として認められる。彼らは、神目持ちを同じ人間だと認識しているのか?
……いいや、していないな。あのおぞましい目を見れば分かる。
ジュリアンナの神眼という価値だけを信奉するサモルタ貴族の眼差し。向けられていない俺でさえ、悪寒のするものだった。ジュリアンナはそれらを、微笑一つで受け流す。
ジュリアンナはずっと平静だった。しかし、それがどうも引っかかる。俺の婚約者は計算高い演技派だ。それに、隠すことは上手いがジュリアンナの心は氷ではない。まして、神の御子などでもない。俺が恋したのは、ただの人間のジュリアンナだ。脆い部分のない人間など存在しない。
「……サイラス。ジュリアンナは朝食に出てこなかったが、大丈夫だろうか?」
唐突に俺が言うと、会談の資料をまとめていたサイラスは眉を下げる。
「ジュリアンナ嬢の専属侍女が言うには、体調が優れないようなので部屋で休むそうですね。疲れが溜まってのでしょう。ルイス家の仕事に社交、そして今回の外交ですからね」
「お嬢、頑張るよな」
……やはり、二人はジュリアンナの異変に気づいていないか。
ジュリアンナは、それほど柔ではない。自分の体調管理ぐらい調整できるだろう。でなければ、貴族令嬢である彼女が、王都教会に潜入など出来るはずがない。安息日なのを利用して、精神を休ませているのだろうか。きっと、明日になれば元のジュリアンナ・ルイス侯爵令嬢になっているに違いない。
ジュリアンナ。今、お前は何を考えているんだ……?
ジュリアンナのことは気がかりだ。しかし、会いに行く余裕はない。明日の会談までに色々と準備しなくてはならないのだ。
もう少し文官を連れてくるんだったと、俺は今更後悔した。今動かすことのできる側近がサイラスとキールだけとは、どういうことだ。
「キール。セラディウス公爵家についての印象は?」
俺は書類仕事の戦力にならず、護衛として控えているキールに問いかける。
キールには昨日の歓迎会には参加させず、先にセラディウス公爵家へと向かわせていたのだ。
……脳筋の本能はバカにはできないからな。
キールは、うーんと顎に手を当てて唸った。
「普通の貴族の屋敷だ。警備もしっかりしている。でもなーんか、引っかかるんだよな。使用人たちが……一致団結している、みたいな?」
「……隠し事をしているということでしょうか? セラディウス公爵はダムマイヤー伯爵と手を組んでいますし」
「セラディウス公爵は臣籍降下したとはいえ、王弟だ。腹に一物……いや、二物も三物も抱えていてもおかしくはない。サイラス、固定された視点で見るのは止めろ。足下を掬われたら面倒だ」
サイラスは眉間の皺を深くさせながら頷いた。
「かしこまりました。しかし、面倒な相手の元に押し込められましたね」
「情報、筒抜けだもんな!」
「貴方は黙っていなさい、キール!」
脳天気に笑うキールにサイラスが叱責する。
他国へ行っても変わらない、いつも通りのやり取りだ。
「鬼畜魔王、いる!?」
バンッとノックもなしに部屋の扉が開け放たれた。現れたのはヴィンセントだ。まったく、遠慮も礼儀もなっていないヤツだ。だがそこも含めて俺はヴィンセントを気にいっている。
「ヴィンセント! ノックもなしに開けるとは、非常識ですよ!」
「セラディウス公爵家の使用人を下がらせていたのは、お前たちの仕業だろ。まあ、ローランズの使用人を下がらせたのは僕だけど」
サイラスの注意に、ヴィンセントは堪えた様子はない。馬鹿にしたように鼻を鳴らす始末だ。
「俺に非協力的なヴィンセントが来るなんて、驚いたな。で、いったい何の用だ?」
俺がそう言うと、ヴィンセントは珍しく「うっ」とばつが悪そうに呻いた。
……これは虐めたくなるな。
「ほら、ヴィンセント。早く言ってみろ。俺の時間は有限だ。ああ、もう二分も時間が奪われてしまった!」
懐中時計を手にして大げさに言うと、ヴィンセントは怒りで身体を震わせる。
「この鬼畜魔王……!」
「まあ、そう怒るな。サイラス、一旦部屋から出て行け」
俺はヴィンセントをからかうのは名残惜しいが終わりにして、サイラスへ退室を促した。
おそらくだが、ヴィンセントはジュリアンナのことで俺に話があって来たのだろう。姉のため以外で、ヴィンセントが俺に積極的に関わることはしないからだ。
「……かしこまりました」
サイラスも自分が居てはヴィンセントが話し辛いと分かったのだろう。反論することもなく、部屋を出て行った。
「キールはここにいろ。……ヴィンセント、護衛は外すことが出来ない。分かるな?」
「はっ、鳥頭が僕の話を覚えていられないと思うけど?」
「鳥は美味だからな、あっははは!」
「……コイツ、脳味噌が消失しているんじゃないの?」
ヴィンセントがキールに本気で引いていた。
まあ、分からないでもないな。キールは控えめに言って馬鹿だ。
「キールのことは、馬鹿な空気だとでも思っておけ」
「……空気に謝って欲しいね」
「悪いな!」
「「黙ってろ、空気!!」」
俺とヴィンセントの荒々しい声が重なった。
ヴィンセントはキールに哀れな眼を向けた後、俺を憎々しげに射貫いた。
「僕は……お前が嫌いだ、鬼畜魔王」
「知っている」
「大勢の前で滑り転けて恥を掻けばいいと、常日頃から思っている」
「……それは、なかなか酷いな」
「僕と姉さんは、世界一仲がいい姉弟だ。僕は姉さんを愛している。姉さんのためならなんでも出来る……でも、姉さんは守らせてくれない。僕は弟だから、姉さんは絶対に弱みを見せることはない」
「俺には見せられると?」
俺がそう言うと、ヴィンセントは顔を真っ赤にさせた。そして怒気を交えた声で叫ぶ。
「そうだよ! 鬼畜魔王のくせに、いくら調べても乱れた女性関係は浮かび上がってこない。姉さんの前では、鼻の穴に野菜を突っ込みたくなるぐらいに蕩けた顔をする。ムカつくほどに鬼畜魔王は姉さんに惚れている!……そして姉さんも、お前に心を許し始めている」
「……ジュリアンナが、俺に心を許し始めている、だと?」
確かにジュリアンナの手に触れても、咎められることはなくなった。しかし、相変わらずジュリアンナは素っ気ない態度が多い。これは長期戦の覚悟が必要だと思っていたが……まさか、ジュリアンナを一番よく知るヴィンセントのお墨付きが貰えるとは思わなかった。
「ニヤけるな、気持ち悪い! 調子に乗るな!」
「そう怒るな、義弟」
「誰が義弟だ、鬼畜魔王! ……はぁ、やっぱりお前に話しに来たのは間違いだった」
「逃げるのか。ジュリアンナのためにここへ来たのだろう?」
扉へと方向転換をしたヴィンセントを挑発すと、ジュリアンナの名が効いたのかそのままは戻ってきた。そして熱くなった頭を冷やすように一息つくと、ヴィンセント消え入りそうな声で呟いた。
「姉さんが、本当の意味で甘えられるのはたぶん……相当時間はかかると思うけど……エドワードだけだ。だから……」
「よし、ジュリアンナのところへ行くぞ、キール!」
「分かったぞ、エド」
「行動早すぎだろ!」
俺はヴィンセントを置き去りにして、キールと共に部屋を出た。後ろでヴィンセントが何やら喚いているが、知ったことではない。思わず笑みがこぼれる。
……傷心につけ込むのは、恋愛の常套手段だ。義弟からも許しは得たことだし、この機会を見逃す俺ではない。ああ、早くジュリアンナに会いたいな。
「……最悪です。嫌な予感しかしません」
部屋の外に控えていたサイラスは、俺の顔を見た途端、深い溜息を吐いた。
随分と察しがいい。
「吉兆の予感の間違いだろう、サイラス。仕事はヴィンセントと手分けしろ。特務師団は文官の仕事も求められる。お前の良い手足になるだろう」
「……あの生意気なヴィンセントが、私の手足になってくれるでしょうか?」
「なるだろう。俺が仕事を放り出すのは、ヴィンセントが進言したことだ。……まあ、大人しくとは行かないだろうが」
「……私の胃が悲鳴を上げています、エドワード様」
「断末魔の叫びを上げないように気をつけるんだな」
そう言い残し、俺はジュリアンナの部屋へ急いだ。