66話 ドレスアップは慎重に
美術展示室を出た後、わたしたちはリスターシャ王女と別れ、控室へ向かった。
そこでは男女別になり、歓迎会の準備を始めた。
女性側の準備といえば、もっぱらドレスアップである。わたしとリリアンヌが淑女として輝けば輝くほどにローランズ王国の評価は上がる。ドレスや宝飾品を纏った貴族女性は、その国の文化と経済水準、それにエスコート相手の地位を体現する。少しでも難点があれば、社交を担う貴族女性たちに嘲笑されてしまう。故に気は抜けない。
「ぐぇぇぇえええ! アンナねぇさまぁぁああああ、やめ! とめ! やめぇぇえええ!」
「みっともない声を出すのは止めなさい、リリー」
侍女たちにコルセットを締め上げられて淑女らしからぬ悲鳴を上げているのはリリアンヌで、わたしの準備はとうに終わっている。
問題はリリアンヌだ。彼女は最後までドレスを着ることを渋った。二言目には「コルセットは苦しいから嫌」である。貴族令嬢ならば我慢しろと言いたいところだが、リリアンヌは「だったら貴族令嬢を止めるわ」としか言わないだろうから、その言葉は飲み込んだ。
……リリーのどうしようもなさは、時々無性にイラッとするのよね。
わたしは未だ呻きを上げているリリアンヌを見て、額に手を当てて溜息を吐く。
「……今日はずっとストールを巻いているから、もしやと思ったけれど……まさか、ドレスの下にコルセットをしていないだなんて、信じられないわ。それにリリー。今、貴女が苦しんでいるのは自業自得よ。お菓子を食べてだらけてばかりだから、お腹に余分な肉がつくの。コルセットで締め上げなければ、嘲笑されるのは貴女よ」
「じゃあ、欠席しま――」
「ご安心ください、ジュリアンナお嬢様。醜い脂肪は全て上に持ち上げますので、リリアンヌ様は、とても魅力的な谷間を持つ淑女となられるでしょう」
「さすが、わたしのマリーは優秀だわ。良かったわね、リリー」
「いやぁぁあああああ!」
一時間後。漸くリリアンヌの支度が終了した。
「もういや……使者なんて引き受けるじゃなかったわ……」
「無理でしょう。使者という体で来ているけれど、貴女の役目は別だもの。陛下からお願いされているのではない?」
お願いというか、強制力のある王命であるとわたしは確信している。
「えっ、アンナお姉様は、わたくしに陛下からサモルタ貴族の顔や書籍、城の構造を片っ端から記憶して来いって命令を知っていたの!?」
「……リリー。今後一切、誰になんと言われようとも、そのことを口に出してはダメよ? 面倒事の種にしかならないから」
わたしが呆れ混じりにそう言うとリリアンヌは、ハッと口を両手で塞ぎ辺りを見回す。そしてサモルタの関係者がいないことを確認し、安堵の溜息を吐いた。
「面倒事は大嫌いだもの。わたくし、アンナ姉様の言う通り誰にも言わないわ!」
「そうしてちょうだい。リリーはやれば出来る子だものね? ……やらないだけで」
「えへへ」
桃色のドレスを着たリリアンヌは現在、愛らしくも初々しい庇護欲を湧かせる健気そうな令嬢となっている。
……実際は庇護してもらう気が満々の怠惰な令嬢なのだけど。健気とは程遠いわ。
「……とんだ外見詐欺っぷりね」
「それはお前にも言えることだろう、ジュリアンナ」
「わたしのは意図してのものです。天然ものとは一緒にしないでくださいまし、エドワード様」
黒色の正装に身を包んだエドワード様をわたしは睨みつける。
しかしエドワード様は嬉しそうに微笑むだけ。正直に言って、頭がおかしいのではないかと心配になる。
……それにしても、恐ろしいほどに正装が似合っているわ。サモルタの貴族令嬢を誑かす気なの?まあ、それはそれで情報が得られるとは思うけれど、あまり重要な情報は得られないと思うわ。でも、なんだか悔しい。わたし、エドワード様の隣にいて見劣りしないかしら?
「どうした、ジュリアンナ。じっと見て」
あまりに凝視しすぎたので、エドワード様に不審な目を向けられた。下手に嘘をついて面倒な勘違いをされても困るので、わたしは大人しく本心を呟く。
「……ちょっと悔しいと思っていただけです」
「そこで褒め言葉を言わないところがジュリアンナらしい」
「ありがとうございます。可愛げがないのは許して下さい」
ツンと言い放つと、エドワード様はとても甘い笑みを浮かべた。
「許そう。それに、素直ではなく計算高いところも、俺はジュリアンナの可愛いところだと思っている」
「……熱でもあるんですか?」
「……俺は今、甚だ遺憾である」
思わず真顔で返したわたしに、エドワード様は盛大に眉を顰めた。
……まあ、でもエドワード様がそう言うんだもの。隣に立っても不自然ではないのでしょうね。少しだけ、安心しました。
「では、いくか」
「はい、エドワード様」
エドワード様に差し出された手を取り、歓迎会の会場へ続く扉を見据える。
すると背後から、ヴィンセントの恨めしそうな声が聞こえた。
「……鬼畜魔王が。僕が姉さんをエスコートしたいのに……」
「ふっ。弟は引っこんでろ」
エドワード様が挑発するようにヴィンセントへ勝ち誇った目を向けた。
「姉弟の絆に簡単に勝てるとか思っているとか、王子のくせに頭悪いんじゃないの?」
「ほう。言うな、ヴィンセント」
バチバチと火花を散らすエドワード様とヴィンセント。エドワード様は酷く楽しそうで、完全にヴィンセントが遊ばれている。
今回はエドワード様とわたし、テオドールとリリアンヌでエスコートのペアを組んでいる。サイラス様はエドワード様の側近として、ヴィンセントは護衛として控える予定だ。まあ、女側がわたしとリリアンヌしかいないのだから、当然の役割である。婚約者がいるのに弟とペアを組むなんて、関係が上手く行っていないと周りにアピールするようなものだ。
「そんなに言うのならさ。ヴィーがリリーのエスコート役を代わってくれないかなー。面倒くさくてかなわないよー」
「黙れ、テオドール!」
「わたくしも、こんな使えない実兄よりもヴィー兄様の方がいいわ! わたくしをどうか、壁の華にして!」
「ほらほら。リリーもこう言っているんだし」
「テオドール、実妹に使えないとか言われているんだが、お前、それでいいのか?」
ヴィンセントはオルコットの駄目兄妹にも苦労をかけられる始末である。そうなると最終的に苛立ちの捌け口にされるのは……
「責任者なんだから、もう少し鬼畜魔王とぐうたら参謀とぐうたら姫の教育をしなよ、サイラス。僕がなんで苦労しなくちゃならないの。苦労するのはサイラスの役目でしょ」
「そ、そんな無茶を言うものではありませんよ、ヴィンセント。私がどれだけ……どれだけ能力は高いのに性格が難ありのこの子たちに胸を痛めてきたと思っているのですか!」
「いや、痛んでるのは胃だろう」
ヴィンセントに訴えかけるサイラス様へ冷静に指摘したのは、最たる元凶のエドワード様だった。
「はいはい。ヴィー、あまりサイラス様を虐めてはダメよ。サイラス様がいるからこそ、わたしたちは余計な苦労をしなくて済んでいるの。サイラス様が倒れたら、その苦労を背おうのはわたしたちになるわ。大事にしないと」
わたしは手を叩き場を収めた。
「そうだね、姉さん。サイラスを虐めるのは止めにするよ」
「……貴方たちルイス姉弟も大概、問題児ですよ……」
サイラス様の嘆きを無視して、わたしは扉の前に控えている従者に声をかける。そして従者によって開け放たれた扉の先――歓迎会の会場へと足を踏み入れた。