65話 小さな肖像画
結局、アーダルベルト王太子は寵姫レオノーレを連れてどこかへ行ってしまった。他国の使者を置いて行くなんて、正気の沙汰とは思えない。それを咎めることのない、サモルタ貴族たちもだ。
残された王族であるリスターシャ王女は、困ったように震える。しかし、王族としての責務を果たそうとしているらしく、必死にこちらへと語りかける。
「あの、我が国の王太子が失礼な振る舞いをしてしまい……も、申し訳ありま、せんっ!」
「いえ、どうぞお気になさらず。リスターシャ王女が、サモルタ王より正式な任を受けて我々を出迎えて下さったと理解しております」
王族直々の謝罪を無下にすることも出来ず、エドワード様は穏やかに言った。
……でも、よくよく考えるとエドワード様は、アーダルベルト王太子を王族の対応は王族に見えないって批判しているし、リスターシャ王女には、貴女はきちんと対応できますよね?と柔らかな圧力をかけている気がするわ。それに、今回のアーダルベルト王太子の無礼な振る舞いは、確実に外交のカードにするつもりでしょうし。
「は、はい。あの、僭越ながら、わたくしが案内を務めさせていた、だきます。……へ、陛下は一年ほど前からお体が優れず、今は寝台から降りることすら叶いません。ですから、王との謁見は控えさせていただきます」
「分かりました。サモルタ王の容体の安定を願っております」
「あ、ありがとうございます。陛下も喜ぶかと、ぞ、存じます」
エドワード様とリスターシャ王女の会話に、わたしは強く違和感を持つ。
サモルタ王の調子が悪い?それならば、ローランズ王国に同盟の話を持ちかけたのは、いったい誰なの。あの馬鹿王太子に政治が仕切れるとは思えない。かと言って、リスターシャ王女が権限を持ち合わせているとも思えない。そうなると、噂の伯爵様かしら?
「夕刻より、皆様への細やかな歓迎会を予定しております。それまでの時間は、サモルタの城に飾られている芸術品を、しょ、紹介させていただきます」
「それは楽しみだね、ジュリアンナ」
「ええ、そうですね。エドワード様」
仲睦まじく身体を寄せ合うわたしとエドワード様だが、きっと考えていることは同じだ。
サモルタ王国の内情情報を得る絶好の機会を逃してやるものか、と。
♢
サモルタ王国の王宮は芸術の国らしく、細やかな装飾が施された美しいものだった。床に敷かれている絨毯でさえ、植物や花などの絵柄が織り込まれていて、かなり豪華な印象を与える。
しかし、決して派手なだけではなく、置かれている美術品も合わせて、調和性があった。
……とても参考になるわ。アイリス商会の商品として扱いたいぐらい。
じっくり調べることができないことに、内心でこっそり悲しみながら、わたしはリスターシャ王女の後へと続く。
しかし、会話もないのもいけないので、有意義な話題を振ることにした。
「あの、リスターシャ王女殿下。現在、サモルタの王宮にいる王族は、サモルタ王とアーダルベルト王太子とリスターシャ王女殿下だけなのでしょうか?」
他にいるのならばぜひ挨拶したいのですけどと頬に手を当てながら上品に問いかける。リスターシャ王女は、そんなわたしに疑いも持たずに頷いた。
「は、はい、そうです。お兄様やお姉様方は、アーダルベルトお兄様を除いて皆、貴族家へ降嫁しました。ですので、王族の身分にいるのは、ジュリアンナ様の言った、わたくしたち3人だけです」
王族は3人……事前情報の通りという訳ね。
「そうですか。教えて下さりありがとうございます」
「い、いいえ!」
顔を赤くさせるリスターシャ王女。ある意味、純粋な方なのだと思った。
「着きました。こちらが美術展示室です――あっ」
リスターシャ王女に案内された部屋には、すらっと背の高い騎士が一人いた。歳の頃は、わたしと同じぐらいだろうか。
リスターシャ王女は騎士を見て、少しばかり顔を青くさせている。
「お待ちしておりました」
「こ、コンラート……」
知己のようだが、相変らずリスターシャ王女の顔色はすぐれない。しかし、コンラートと呼ばれた騎士は、それに構う事なく、わたしたちへ頭を垂れる。
「お初にお目にかかります、ローランズ王国の皆様。私の名は、コンラート・セラディウス。セラディウス公爵家の長男で、リスターシャ王女の護衛騎士を務めております」
……護衛騎士を何故、リスターシャ王女は怖がるの?
「セラディウス公爵家……たしか、私たちローランズ使節団の滞在先だとか?」
「はい、エドワード王子殿下。皆様がサモルタ王国滞在中に御くつろぎいただけるよう、精一杯もてなします」
そう言ったコンラートは、一瞬、わたしへ含みのある視線を寄越した。それが意味するものは分からない。コンラートに対する警戒を怠ってはいけないだろう。
……全然、くつろげなさそうね。
「楽しみにしているよ。……リスターシャ王女。美術展示室の案内をしてもらっても?」
「は、はい。こちらです!」
リスターシャ王女に先導され、わたしたちは美術品を鑑賞する。ここに飾られているのは、どうやら来賓向けのようで、大きな絵画作品であったり、派手な彫刻だったりした。
リスターシャ王女の解説はどれも素晴らしく、普段の会話よりも饒舌だった。
「こちらは、5代前のサモルタ王が愛妃へ贈ったティアラです。当時の流行だったブラックダイヤをふんだんに使ったもので、これを送るためにサモルタの財政が破綻しかけたという逸話もございます」
「まあ! それほどに愛妃はお美しい方だったのかしら?」
「残念ながら、愛妃の肖像画は残っていません。嫉妬した他の妃が焼いてしまったという俗説もあるぐらいです。この愛妃は、サモルタ3大美女の一人であると、語り継がれています」
「ふふっ。リスターシャ王女殿下は、とても美術品に造詣が深いのですね」
私の言葉に、リスターシャ王女は手を振りながら必死に否定した。
「あ、あの、そんな、わたくしなんて、まだまだです、ジュリアンナ様」
「そんなに謙遜なさらなくともよろしいのに」
本心からの言葉である。
しかし、リスターシャ王女の自信のなさは筋金入りのようで、顔を赤くさせて俯いた。
「わたくしは、その、先生に教えて下さったことを言っているだけで」
「先生ですか?」
「は、はい。ブローベル侯爵が――」
「王女殿下。そろそろ、お時間も迫っております。最後にあの肖像画を見せてさしあげては?」
リスターシャ王女の言葉を遮ったのは、コンラートだった。
違和感は残るものの、深く追求してこちらを警戒されても困る。
わたしたちは大人しくリスターシャ王女の後ろをついて行った。
「こちらはローランズ王国の皆様もなじみの深い方だと思います。先々代サモルタ王の娘。ジュリエット王女殿下の肖像画です」
そこにあったのは小さな肖像画だった。他にもこの美術展示室には肖像画が飾られていた。しかし、そのすべては神眼持ちの王族のもので、どれも一際大きな絵だった。とても、目の前の絵とは比較にならないぐらいの立派なものだった。
「これが曾御婆様なの?」
今まで面倒事を避けるために沈黙を貫き通してきたリリアンヌがポツリと零した。しかし、リリアンヌの言わんとしていることも分かる。わたしたちが知っているジュリエット御婆様の絵姿とは遠く離れたものだからだ。
肖像画に描かれているジュリエット御婆様は、リリアンヌと同じぐらいの歳頃だ。灰色一色の背景の中で椅子に座った姿が描かれている。御婆様の表情は暗く、口角だけが無理やり上がっていた。それを見ただけで、神眼持ちではなかった御婆様のサモルタ国内での扱いが手に取るようにわかる。
「オルコット家にある曾御婆様の絵とは違いますねぇ。ほとんど、剣を構えた勇ましい姿ですし」
「そうね、テオドール」
微妙になった空気を変えるように、テオドールはおどけて見せた。
そして、それに乗るようにリリアンヌも声を弾ませる。
「でも、この肖像画を見ていると、ジュリエット曾御婆様の血は受け継がれていると思うわ。わたくしとお兄様の髪の色、曾御婆様と一緒だもの。あっ、御爺様も白髪になる前は一緒だったのよね」
「リリアンヌは特にジュリエット御婆様へ感謝しなくてはね。とても綺麗なストロベリーブロンドだもの」
「ええ! 癖がつきにくくて、わたくしもとっても気に入っているわ」
わたしはリリアンヌに微笑んで、さらりと髪を撫でる。
何気なくやった仕草だったが、リスターシャ王女はそれを見て酷く寂しそうな目をした。