63話 神眼持ちの王太子
「ねぇ、アンナ姉様。やはり、わたくしには使者なんて向いていないと思うの。粗相をして、ローランズ王国の歴史に泥を塗ってしまうわ。それはもう盛大にべっとりとね!」
「……面倒くさいからでしょう、リリー。いい加減あきらめなさい」
「いやぁ~。アンナ姉様、可愛い妹のリリーを甘やかしてもいいと思うの」
「はいはい。リリーはとっても可愛いわ」
ガタガタと揺れる馬車の中でリリアンヌの往生際の悪い言葉を受け流す。王会議から数週間が経ち、わたしはサモルタ王国へと出発した。サモルタ王国との会談は基本的には内密であり、ローランズ王国内でも一部の者にしか知らされていない。
わたしたちはすでにサモルタ王国へは入国しており、王宮はもう目と鼻の先である。4人乗りの馬車には、わたし以外にエドワード様、サイラス様、リリアンヌがいる。駄々をこねるリリアンヌに対してエドワード様は興味深そうにしている。サイラス様は……顔を青ざめながら胃を押さえていた。
サイラス様は可哀相ね。問題児たちのお目付け役だもの。
「ふむ。リリアンヌは、そんなことで記録局副局長を務められているのか?」
「立派に務められていませんわ、殿下! だから、わたくしなど解雇してしまえばよいのです!」
「エドワード様、真に受けないで下さいまし。リリーはこんなですが、残念なことに優秀なのです。権力に屈する事もありませんし、記憶力もよく、文字を書くのも速く正確です。現記録局局長もわざわざお褒めの言葉をかけて下さったとヴィンセントが申しておりました」
初日に無理やりリリアンヌを王宮に引きずって来たことが原因なのか、ヴィンセントはすっかりリリアンヌ係として記録局に認知されている。大変可哀相なことに。
「アンナ姉様の裏切り者! いやぁー、働きたくないー」
「なるほど。単にオルコットの恋愛結婚主義かと思っていたが……王家の三柱の令嬢なのにリリアンヌが俺の婚約者候補にならなかったのはそういう訳か」
「さすがテオドールの妹ですね」
「サイラス様、わたくしとお兄様を一緒にされるなんて心外ですわ!」
リスのように頬を膨らませているリリアンヌに呆れつつも、わたしは思案する。
リリーのやる気が下がっているわね。このままだと、サモルタ王国で本当に粗相をするかもしれないわ。今日は簡単な挨拶だけではあるけれど、わたしたちはローランズ王国の代表だもの。隙など見せてはいけないし、馬鹿にされる事態は避けなければいけない。リリーを動かすならば、言葉ではダメだわ。何か、物で釣らないと……。
「……リリー。アドルフ・テイラーの新作を発売前にいち早く読みたくはない?」
「ええ!? ぜひ読みたいわ、アンナ姉様。でも、テイラーの所属する出版社は貴族の圧力にも屈しなくて有名よ」
読書が趣味でアドルフ・テイラーの熱心なファンのリリアンヌは、思った通り食いついてきた。
「平気よ。テイラー本人から貰うもの。なんなら、直筆サイン付きでお願いしてもいいわ」
テイラーはカルディアだもの。いつも新作発売前に本をくれるわ。適当に執筆のネタを提供すれば、簡単にサイン付きでわたしにくれるでしょう。
「本当!? アンナ姉様、大好き!」
「ありがとう。でも使者の役目を完璧に果たさなければ、この話は無しよ」
「うん。わたくし、久しぶりに頑張るわ!」
ふふっ、計画通りよ!
目をキラキラさせてやる気に満ちているリリアンヌを尻目に、わたしはほくそ笑む。するとエドワード様が不機嫌そうにわたしを睨む。
「……ジュリアンナ。アドルフ・テイラーと知り合いだとは聞いていないぞ」
「エドワード様はアドルフ・テイラーの正体を知らないのですか?」
カルディアとエドワード様は以前会っているはずだ。それにわたしの情報を売るぐらいの交友関係は持っているはず。でも知らないということは――
カルディア……貴女、エドワード様をネタぐらいにしか思っていないのね。
王族を執筆のネタとして捉えているカルディアをわたしはある意味尊敬した。カルディアは常識の尺度で測れない変わり者であったことを思い出したのである。
でも、エドワード様に誤解されたままにしておくのは面倒だわ。
「アドルフ・テイラーはエドワード様も知る人物です。誰なのかは、ご自分でお調べください。その方がテイラーも喜ぶでしょう。それと、テイラーとわたしはエドワード様が懸念するような関係ではございません。エドワード様1人でも大変なのですもの、2人も男性を相手にすることなんてありえませんわ」
「そうか」
暗にわたしには貴方だけですと伝えると、エドワード様は満足そうに笑った。少しだけその笑顔が可愛いと思ってしまったけれど、きっと気のせいだ。
……鬼畜腹黒王子が可愛いなどありえないわ。何を馬鹿なことを考えたのかしら、わたしは。
「サモルタ王国に着きました」
馬車が停止し、御者に声をかけられた。リリアンヌは、サモルタ王国の王都を馬車から見ることを忘れたことにショックを受けていたようだが、わたしは思考が切り替えられたことにホッとしていた。
馬車の扉が開かれる。先にリリアンヌとサイラス様が降り、続いてエドワード様とわたしが降りる。緊張を誤魔化すように、エドワード様に差し出された手にキュッと力をこめた。
「ジュリアンナ、足元を気を付けて」
「ええ。ありがとうございます、エドワード様」
久しぶりの理想の王子様の面を被ったエドワード様に対して笑いをかみ殺しつつ、危なげなく馬車を下りる。
瞬間。ゾクリとわたしの背筋が冷えた。
出迎えの人はそれほど多くはない。15人程度だ。しかし、その全ての視線がわたしへ――わたしの瞳に向けられていた。崇拝と言っても過言ではない、強烈に焦がれるような視線。今までに感じたことのないそれらに、わたしは酷く気分が悪くなった。
「ようこそ御出でくださいました。ジュリアンナ・ルイス侯爵令嬢、エドワード・ローランズ第二王子殿下」
ちょっと、出迎えの方。王子よりも侯爵令嬢の名前を先に言うなんてどういうことよ! 常識的に考えて、ありえないわ!
「……サモルタ王国に来れたこと嬉しく思います。短い間ではありますが、よろしく頼みます」
相手の失礼を指摘しないエドワード様のおかげで、ローランズ王国側の面々が顔を顰めるぐらいで大事にならずに済んだ。おそらく、エドワード様もサモルタの人々が向けるわたしへの異常な目に配慮してくださったのだと思う。
「よろしく頼みます」
エドワード様に続くようにわたしは淑女の礼をとる。そしてローランズ王国の面々が自己紹介を始めた。それを眺めつつ、サモルタ王国側の王族がいないのか、こっそりと辺りに視線を向けて探した。しかし、それらしい人物はいない。サモルタ側に問いかけようとすると、さっと人垣に道が拓く。
堂々とした様子で一人の男がこちらへ歩いてきた。歳は二十代半ばだろうか。硬質な黒髪の男性で威圧感を感じる。瞳の色はわたしと同じ紫だ。そして傍らには栗色の髪の優しげな女性がいる。
……あれがアーダルベルト王太子と寵姫ね。
警戒心を悟られないように、わたしはエドワード様の隣で穏やかに微笑む。アーダルベルト王太子はわたしとエドワード様の前にまで来ると、上から下までじっくりと観察するようにわたしを見た。
そして……わたしを鼻で笑った。
「ふん。ローランズの女は美人揃いと聞いていたが、大したことないな。我のレオノーレの方がいい」
ブチッとわたしの中で何かが切れた。
わたしが……大したことがないですって? ローランズ王国で社交界の華と言われるわたしが? ふざけるのも大概にして下さいましっ。わたしがどれだけ……どれだけ美容に対する努力をしていると思っているのかしら。体型維持に念入りなお肌と髪のお手入れ。忙しい執務の合間に美しい所作と表情を身体が覚えるほどに叩き込み、流行と格式を考えた服装選びに四苦八苦して……。
「初めまして、アーダルベルト王太子とお見受けします。わたしはジュリアンナ・ルイスと申します。……以後、お見知りおきを」
王族のくせに満足に挨拶も出来ない図体だけが大きな子供が、調子に乗らないでくださいます? 貴方はわたしの敵よ! この恥さらしが!
アーダルベルト王太子は、わたしの中で完全に敵認定されたのだった。