58話 粛清後
ジュリアンナ視点に戻ります。
マクミラン公爵の失脚から早3カ月が過ぎた。ローランズ王国始まって以来の大粛清は粗方終了し、教会派は完全に解体された。しかし、家が取り潰されずに財産没収や爵位降下で済まされた少数貴族たちの結束が強まったとも言える。まったく、面倒な置き土産を残してくれたものだ。おかげでお父様とヴィンセントが裏工作やらなんやらで忙しくしていた。
……でも、家族で食事をするために屋敷へ帰ってくれるのよね。
復讐を遂げたわたしたちルイス侯爵家は変わった。今は、胸を張ってお父様を家族だと言える関係に修復したのである。
変化と言えば、わたしにもある。エドワード様と正式に婚約したのだ。社交界では、政略結婚ながら両想いの憧れの結婚……と持て囃されている。あの理想の王子様の完璧な淑女の組み合わせだから尚更。これも根回しや情報操作の賜物だ。……事実は脇に置いておいて。
「んぁぁあああー! 終わらないっ終わらないわぁぁあああ! もう嫌。どうして書類が減らないの。むしろ、増えていくのよ」
「淑女たる者、そのような奇声を上げるものではありませんよ。お嬢様」
書類仕事に嫌気が差して机に突っ伏すと、マリーが無表情でわたしに苦言を呈す。のそりと顔だけ起こし、マリーへ恨めしい視線を向ける。
「マリー。わたしはペンを持ちたくありません」
「我慢してください。流石にサインは、お嬢様本人が書かなくてはなりません」
「ああもうっ! 御茶会、書類仕事、御茶会、書類仕事、書類仕事、書類仕事……」
「御茶会は第二王子殿下の婚約者として……未来の王太子妃として地盤を固めるのに必要なことです。書類仕事は、旦那様とヴィンセント様が忙しい今は、ルイス侯爵家を切り盛りしているジュリアンナお嬢様がするしかないのです」
「分かっているわよ……」
御茶会で愚痴や嫉妬、擦り寄りを愛想笑いをしつつ躱すことも、書類仕事をしてお父様の負担を減らし、数年後を見据えてルイス家の領地をより富ませる計画をすることも、すべてしなくてはいけないこと。分かっている。
……でも、この胸のイライラはどうしようもないのよ!
「ちなみに一週間後からは、結婚式の準備もあります。大抵は王家主導で行われますが、ドレスの採寸などは、お嬢様の協力が必須ですからね」
「追い打ち!?」
「ここは妃教育が完璧なのは幸いだと喜ぶところでは?」
「喜べないわよ!」
結婚まで、あと7か月。その頃には、わたしは干からびた老婆のようになっているかもしれない。
割と本気でそう思うわ……。
マリーに急かされ、腱鞘炎になりそうなぐらい震える手を懸命に動かして書類を順番に片づける。一向に減らないそれに泣きそうになっていると、執務室の扉が控えめにノックされた。
「モニカです」
「入っていいわ」
入室を許可すると、少々焦りを見せるモニカ。
……珍しいわね。
「し、失礼します。ジュリアンナ様……そ、その、お客様がお見えになりました」
王都教会では、復讐するためにアンとして潜入していたモニカ。今は侍女としてわたしに仕えている。グレースとマリーの鬼のような指導のおかげか、直ぐに優秀な侍女となった。元々貴族家出身なこともあり、礼儀作法なども完璧。後は戦闘能力を鍛えるだけだと、マリーから報告を受けている。
「帰ってもらいなさい、モニカ」
私は即座に答えた。
「お嬢様」
「だってマリー。アポイントメントなしに押しかけるような非常識な奴よ。帰ってもらった方がいいわ。面倒だもの」
どうせまた、エドワード様とわたしの婚約を祝福に来たとかいう馬鹿貴族でしょう。まったく、ルイス家と王家への利益をもたらさず、ただ甘い汁だけ啜ろうだなんて図々しすぎるわ。
「……面倒でも、対応せねばなりませんよ。今回は」
親しい者には苛立っていると分かる表情で、マリーは扉を見つめる。そして直ぐに護衛もできるように私の後ろに控えた。
……なんだか、嫌な予感がするわね。
「お前の侍女は優秀だな、ジュリアンナ」
「……エドワード様」
何 故 、 こ こ に 居 る !?
内心の動揺を隠し、わたしは微笑む。ズカズカと遠慮なくわたしの元へ近寄る、エドワード様。その後ろでモニカが申し訳なさそうにわたしを見つめる。
ええ、分かっているわ、モニカ。どうせこの非常識王子が無理を言ったのでしょう? まったく、一流の使用人であるグレースとスチュワートを躱してここまで来るなんて、この鬼畜は憎らしいほどに優秀ね。その優秀さは、もっと別な方向に使って欲しいけれど!
「このような部屋にお通ししてしまい、申し訳ありません。すぐに別の部屋へ案内いたします、エドワード様」
「別にいい。今回はすぐに用事を済ませることにしよう。……それにしてもジュリアンナ。怒っているのか?」
「いいえ。なんの知らせも出さずに急に我が家に来たことも、わたしの侍女を脅して勝手に執務室にきたことも、全然、怒っていません。……怒っていませんよ?」
笑顔で凄むわたしを見て、エドワード様は実に腹黒そうな笑顔を向けた。
「これで茶会などで一緒に出席しないのだから、第二王子とルイス侯爵令嬢の仲が冷めてきているという下らない噂は消えるだろう。なんせ、第二王子が態々、婚約者の家にお忍びで来るのだから。まったく、自分の娘を側妃に押し込みたいからといって、妄言を吐く貴族が多いこと……お互いに仕事が忙しいだけで、会いたいと思っているのにな」
お忍びで来ているのに噂になるということは、後で情報操作する気満々ですね。しかも、噂の出所は特定済み。……本当に鬼畜で腹黒ね。まあ、余計な手間が省けるから、こちらも助かるけれど。
「同意を求めないでくださいまし。……それで、どういった要件でこちらに来られたのですか?」
忙しいエドワード様が、噂の払拭をするためだけにルイス家に来たとは考えられない。おそらく本題のついでだ。どんな厄介事かは知らないが、早々に片づけたい。
「ジュリアンナ。今すぐ、俺と一緒に王宮へ来い。俺の婚約者で、次期王太子妃として、王会議に参加してもらう」
「王会議……?」
聞きなれない言葉に内心疑問に思いながら、わたしはエドワード様と一緒に王宮へと向かった。