閑話5 拝啓、我が創作の女神様へ
カルディア視点です
礼拝堂に飾られた、女神ルーウェルの神話が描かれているステンドグラス。
そのステンドグラスから木漏れ日が差し込み、私よりも3・4歳若いであろう1人の少女を色鮮やかに照らしていた。
以前、行商人の娘だと名乗った少女は、一心に乱雑に並べられた紙束を読み込んでいる。
その真剣な姿に一瞬だけ躊躇したが、目的の物は少女の手の内にあるため、私は声をかけた。
「その紙束を返してくれないかい?」
「これ、あなたが書いたの?」
紙束を握りしめたまま、少女は上目使いで顔を上げた。
艶のない黒髪に、平民に多い茶色の瞳。
顔が恐ろしく整っていること以外、少女は特筆すべきところない平民だ。
……なんだろうね、この違和感は。
胸の内に渦巻く探究心を抑えられず、私はジッと遠慮なく少女を観察した。
やがて少女は警戒するように私を睨む。
「な、何よ……」
眉間に皺を寄せた少女を見て、私は確信した。
「君は貴族だね?」
「わたしは行商人の娘よ。貴族な訳がないじゃない」
動揺する姿などまるで見せない少女を見て、ますます私は確信した。
ここまで感情のコントロールが出来るとは……相当、高位の令嬢かもしれないね。
これは、面白くなってきた!
ワクワクする心を押さえつけながら、私は推理小説の探偵のように不敵に笑う。
「多少、泥で汚しているようだけどね。シミ1つない、その瑞々しい肌は平民では維持できないよ」
これは私の経験則から言っている。
今はしがない修道女の私だが、以前は貴族だった。
だからこそ、少女の肌はただの平民ではあり得ないのだ。……体質や若さと言われたら、私の完全敗北だがね。
しかし少女は目を見開かせてパチパチと瞬きをしながら、私を驚愕の表情で見つめる。
しばらくすると顔を俯かせ、肩を震わせた。
「……く、くふ、あははっは! そんな見破られ方をしたのは初めてよ。これじゃあ、4年前のあの人のことを馬鹿にできないわね」
「それが君の本当の姿かい?」
淑女らしからぬ底知れない笑みを浮かべた少女に、私はますます興味が惹かれた。
「そうよ。それにしても、こんなオンボロ修道院にワイラー伯爵家の忘れ形見がいるとは思わなかったわ」
ワイラー伯爵家の忘れ形見とは、私のことだ。
家から出奔した私を社交界では、そう呼んでいることは知っている。
「よく私がカルディア・ワイラーだと分かったね。口調も貴族令嬢らしくないだろう?」
私の口調は貴族社会との決別の意味も込めたものだ。
存外、楽なもので、私は気に入っている。
「この国の女性の識字率はそれほど高くないし、自分で文章を考える教育を受けている女性は限られている。そうなれば、貴女の正体は必然と特権階級である貴族に絞られる。貴族たちの名前と身体的特徴はすべて頭に叩き込まれているわ。黒髪に深紅の瞳のなんていう珍しい容姿の美女で貴族なんて、このローランズには貴女以外にはいない」
貴族たちの名前と身体的特徴は頭に叩き込まれている、ね。
やはり、相当高位の令嬢――いや、王妃教育を受けている令嬢と見た方がいいだろうか。
「もしや君は、ルイス侯爵家の令嬢かい?」
「……よく分かったわね」
「私を甘く見ないでもらおうか」
偉そうに言ってはみたが、完全に当てずっぽうだ。
次期王と目されている第二王子の婚約者候補として一番有力だったから、言ってみただけなのである。
しかし少女は悔しそうに顔を顰めた後、不機嫌さを隠さずに私に握っていた紙束を押し付けた。
「そうよ! わたしはジュリアンナ・ルイスよ! もう……完璧に演じられていたと思っていたのに。帰るわ」
ズカズカと淑女らしからぬ動作で歩き、出口へと向かう少女――ジュリアンナを私は微笑ましく思いながらも見送る。
「また来るといい」
「何よ! 次は負けないんだから! ……それと、話の続きが読みたいわ」
後ろを振り返ったジュリアンナの視線がチラチラと紙束――私の書いた小説へと向けられていた。
小説を書くのは男だという固定概念があり、これは隠れて書いていたものだ。
王家の三柱の令嬢が続きが気になるような小説ならば、もしかしたら多くの人に読んでもらえるかもしれない。
そんな可能性に、私の胸は高鳴った。
「そうだね。続きを読んだ君の感想が聞きたい。待っているよ、私のファン1号殿?」
「わたしは正直な感想しか言わないわ。覚悟しなさい、先生」
これが私たちの出会い。
当時は私が17歳、アンナは14歳だった。
場所は貴族の夜会や茶会ではなく、薄汚れた修道院。
こうしてただのカルディアとジュリアンナとして、私たちは友人となったのだ――――
♢
「話が……話がまとまらない!」
夜の帳が訪れ、闇が深まった頃。
私は燭台の光を浴びながら、先程まで熱心に文字を書き殴っていた紙をぐしゃぐしゃに丸め放り投げる。
社交界ではローランズ王国始まって以来の大規模な粛清が落ち着き、第二王子とアンナの婚約で話が持ちきりだが、既に貴族社会の表舞台から去った私にはあまり縁がなく、目下の懸念は新作小説の締切についてだった。
家族を失い、家名も穢された元貴族子息が復讐を誓い、生き抜くために身に着けた演技力で成り上がる――というアンナの話をネタにした物語だが、どうにも満足する展開へと至らない。
「この進行具合では、また籠城するしかないね」
いかに担当編集から逃げ切るかの算段をしていると、ふとアンナの顔が浮かんだ。
近頃はお互いに忙しいため会えていないが、何か話のネタを持っているかもしれない。
何故なら彼女は今を時めく話題の第二王子の婚約者で、次期王太子妃。
そしてアンナは淑女の見本とされながら、最も淑女らしからぬ娘だ。
本人の望む望まないに限らず、あの立場と性格から騒動に巻き込まれているはず。
ああ、アンナに会いたい! 私の窮地を救っておくれ!
願いを込めるように両手を振り上げて椅子から立ち上がると、ポトリと一通の封筒が机から落ちる。
それは獅子の文様が描かれた蜜蝋で封緘された、アンナからの手紙だった。
そう言えば、数日前に侍女がアンナからの手紙が来たと言っていたな。
小説の執筆に夢中ですっかり忘れていたよ。
はやる気持ちを抑えながら、ペーパーナイフでやや乱雑に手紙の封を切る。
手紙に目を通すと、いつも通りのアンナの近況と私の生活習慣に関するお小言が綴られている。
しかし今回の手紙の内容はそれだけではなく、最後に一つだけ私へのお願いが書かれていた。
「……新作の小説が出来上がったら、いつもの一冊の他にもう二冊ほど貰いたいか。しかも一冊はアドルフ・テイラーのサイン付きでお願い、ね。ふふ、一体何に使うのだろうね?」
頬が緩み、自然と口角が上がる。
私は今、アンナに毒花のような笑みだと評された表情をしているだろう。
書きかけの原稿を脇に退け、引き出しから便箋を取り出す。
そして湧き上がる欲望を叩きつけながら、アンナへの返事を書きあげる。
「いくら親友とはいえ、タダではサイン本はあげないよ? 私に素晴らしいネタを提供して貰おうか、アンナ」
便箋を封筒に入れ、レミントン家の蔦薔薇の紋章が描かれた蜜蝋で封緘する。
それを廊下に控えていた侍女に手渡し、朝一で王都のルイス侯爵家へ届けるよう手配した。
小説を執筆する気分ではなくなってしまった私は、ガウンを羽織り、バルコニーへと出る。
眼下に広がる庭園はこじんまりとしたもので、華やかさに欠ける。
だがしかし、今にも花開きそうな色とりどりのプリムラ花が春の訪れを感じさせる。
プリムラの花は私にとって特別な花だ。
亡き父の友人で私の最愛の夫であった彼が贈ってくれた初めての花。
彼と出会った季節も、別れた季節も、この花が咲いていた。
「そう言えば、アンナと出会ったのも春だったね」
嬉しさも悲しさも、この花と共にやってくる。
亡き父にも実母にも特に愛されず、実兄と愛妾の子である異父兄による爵位継承争いに辟易していた私はすべてに絶望し、ワイラー伯爵家を12歳の時に出奔した。
そんな私に救いの手を差し伸べてくれたのは、不治の病にかかり余命短い彼だった。
愛の言葉を紡ぐことも出来ず、縮こまっていた私の背中を押してくれたのはアンナだ。
思いが届いて彼と18歳で結婚し、そして一年後に死に別れた。
喪が明けた現在も喪服以外を着る気が起きないが、それでも彼との結婚に後悔はないし、絶望もしていない。
それはきっと、彼が残してくれたレミントンの家族たちと親友のアンナがいるから。
ああ、本当に我が親友殿には頭が上がらない。
「歴史が大きく動くであろうこの時代に、君はどんな物語を紡ぐのだろうね?」
愛国者の国と呼ばれていたローランズはもはや一枚岩ではなく、隣国のサモルタも王族信仰の限界が来ている。ディアギレフにいたってはかつての栄光など見る影もなく、国内の問題から目を逸らさせるために侵略を再び始めようとしている。
渦中に巻き込まれるであろう親友を心配しつつも、私の心にはアンナが描き出すであろう未知の物語への期待が膨らんでいた。
……どんな結末になるのかは分からないが、せめてアンナが笑顔でいられる世界であることを親友として、女神ルーウェルに祈ろうか。
信心深くない元修道女の私は、現金にも親友のため祈りを捧げるのだった。
これにて、閑話終了です。長かった……。
という訳で、次話から『第二部 サモルタ王国編』始まりです!