56話 あなたに捧げる
カルディアの裏切りにより、王都の下町でエドワード様と出会ってしまったわたしは、7年前にふたりでランチを食べた酒場に来た。
本当は直ぐにでも逃げ出したかったけれど、エドワード様は決してわたしの腕を離そうとせず、逃げ出すそぶりを見せるたびに笑顔で威圧をかけてきた。
わたしは抵抗するのを諦めたのである。
「いらっしゃいませ~。空いている席にどうぞー!」
店に入ると、以前と変わらない挨拶で出迎えられた。
わたしたちを見たウエイトレスの女性は、一瞬だけ驚いた顔をすると、直ぐに笑顔に戻る。
「驚いた! あの時のお兄さんと妹さんじゃない!! 久しぶりね。また来てくれて嬉しいわ」
まじまじとウエイトレスの女性を見ると、少しだけふくよかになっていたが、7年前にわたしたちの注文を取ってくれたお姉さんだった。
「お久しぶりです。お姉さんもお変わりないようで」
つい、ジュリアンナとして応対してしまった。
しかし、お姉さんは特に気にした様子もない。
「なによう! 貴族様みたいな言葉を話しちゃって。大きくなったわね。あと、お兄さんの方も、ますます格好よくなっちゃって!」
「ありがとうございます。貴女も相変らずお美しいですよ」
お姉さんに微笑むエドワード様に、何故かわたしは寒気がした。
「やっだぁ~!! 褒めても、アタシには旦那がいるんだからね!! でもお兄さんも大変ねー。妹さんがこんなに可愛いと、悪い男に誑かされないか心配なんじゃない?」
「悪い男は、私ですから大丈夫ですよ。彼女は、妹ではないので」
「ふーん。訳ありってことね……安心して!!お姉さんは愛し合う二人の味方だから!! きゃっは~、ラブロマンスよ!!」
今、お姉さんが聞き捨てならないことを言ったような……?
「は!? 愛し合う……? ラブロマンス……? ち、違います! わたしたちは――」
「入口にいつまでも立っているのは迷惑になるからね。行こうか」
掴んでいた腕を離し、わたしと指を絡ませる形で拘束をし直したエドワード様。
これってどう見ても……恋人繋ぎなんじゃ……。
手を繋ぐわたしたちを見て、お姉さんは少女のように目を煌めかせた。
「ちょ、誤解を……誤解を解かないと……!!」
「二名様ごらいてーん!!」
あらぬ誤解を更に深めただろうお姉さんに、わたしは必死に弁明しようとするが、お姉さんの案内する言葉にかき消された。
もう……どうにでもなって……。
幸いにもここは、王都の下町。
社交界とは違う。
ここでどれほど誤解されようと、関係ない。
……そう思わないとやっていられないわ。
席に付き、ニコニコ顔のお姉さんがわたしたちにメニュー表を渡す。
「ご注文はどうします?」
メニュー表を一通り見たが、わたしは食欲は湧かなかった。
ちらりとエドワード様を見ると、じっとこちらを見ていた。
「ジュリアンナ、注文はどうする?」
リーアではなく、わたしの名前を呼んだことに驚いたが、すぐに平静を取り戻す。
「……お腹は空いていないので、果実水をいただけますか」
「では、私はレモネードを」
「果実水とレモネードね。ソッコーで作ってくるので、しばしお待ちくださーい」
スキップしながら厨房へ向かったお姉さんは、5分と立たずに飲み物を持って戻って来た。
「はいはーい。果実水とレモネードだよ。ではでは、ごゆっくりどうぞぉー」
ごゆっくりの部分をやけに強調されたように感じたが、気にしないように努める。
ついでにずっと笑顔でこちらを見つめてくるエドワード様もね。
果実水を手に取ったわたしは、緊張と困惑で乾いたのどを潤した。
「……おいしい」
爽やかなオレンジの香りが、わたしを癒してくれる。
「それは良かった」
やはり笑顔を崩さないエドワード様に、わたしはついに疑問を投げかける。
「どうして……わたしをこの酒場に連れてきたのですか?」
お姉さんに接していた外向きの仮面をエドワード様は外す。
そして頬杖をつきながら、呆れたような目でわたしを見る。
「お前と話がしたかったからだ、ジュリアンナ」
「それならば、ここではなくてもよろしいでしょう?」
「そうはいかない。ルイス侯爵も、ヴィンセントも、お前を俺から隠したがる。ヴィンセントは以前からそうだったから誰も何も言わないが、最近のルイス侯爵のジュリアンナを溺愛する様は異常だ。ルイス親子不仲説は立ち消えた……別の噂は流れているがな。そう言う訳で、ジュリアンナに会うのを妨害されていて、普通の手段では会えそうになかった。だから有益な情報をくれた女性には感謝している」
「そ、そうですか……」
お父様とヴィーは王宮で何をやっているのよ!!
別の噂って何なのよ!!
これから社交界で貴族達に向けられるであろう、以前とは違う好奇な視線を想像し、わたしは項垂れた。
「そう落ち込むな。ジュリアンナがルイス侯爵とヴィンセントと一緒にいられる時間は少ない。許してやれ」
「それは……わたしが、もうすぐ婚約をするからでしょうか……?」
そう問いかけると、エドワード様はニヤリと不気味に笑う。
「相手によっては、婚約して直ぐに実家と引き離されるだろう?」
「……分かっております」
やっと家族になれた、わたしたちだが、それもわたしの婚姻という形で離れ離れになる。
……でも、ヴィーが結婚すれば、新しい家族の形になるでしょうね。
「だが、俺と結婚すれば、一緒に住むことは出来ないが、王宮で二人と会うことができる。それに婚約期間も、ルイス侯爵家の屋敷で過ごせるだろう」
エドワード様の言葉に、わたしの心は急速に冷えて行く。
「まだ、わたしを妃にとお望みなのですか? それほどまでに……いいえ、わたしの血を求めるのは、次期王として当然のことですわね」
わたしの刺々しい言葉に、エドワード様は眉を顰めた。
当然ね。こんな可愛くない女、わたしがエドワード様でもお断りだわ。
「お前は……鈍いのか、馬鹿なのか。前に言っただろう。血筋などどうでもいい、むしろ血筋だけ良い妃など邪魔なだけだ。俺が望む妃は、お互いに背を預け国を守れる有能な妃だ。そして……その妃が、俺が愛する女であることを願うだけだと」
「復讐のために、自分を利用し返した女のことを未だに好いているなどと思えるほど、夢見がちな女ではありません。貴方にとってのわたしは、血筋以外になんの価値があるんです?」
エドワード様は、深いため息を吐き、うろんな目でわたしを見つめる。
「はぁ……。想像以上のアホだな、ジュリアンナは」
「あ、アホ!?」
「ふっ……お前も、俺に以前言っただろう。『貴方はアホですか?』と」
「わ、忘れて下さいましっ!」
「ジュリアンナと交わした言葉を俺は一言一句、忘れたりなどしない。お前は……俺の愛する女だからな」
「はぁぁぁああ!?」
思わず、令嬢らしからぬ声で叫んでしまった。
直ぐに口に手を当てて周囲を見ると、注目されたのは一瞬で、元々賑やかだった酒場はでは大したことではないようだった。
良かった……って良くないわ。全然、良くない。
今、エドワード様は何と言った?
アイスルオンナ……?
きっと何かの暗号よ。そう暗号。助けて、ヴィー!!
「ジュリアンナ、愛している」
狼狽するわたしを見つめながら、エドワード様は愛の言葉を紡ぐ。
「う、嘘です!!」
「事実だ。本人が言うのだから、間違いない」
「わたしの利用価値は、血と淑女として受けてきた教育と演技力だけ。そして、わたしは貴方を利用し返した女です。可愛げもありません。その事実をエドワード様は知っているはず。だから……本当のわたしを見たら、愛するなんてありえません。ありえないのです」
「『本当のわたし』など、俺はおろか、家族にも見せていないだろう、ジュリアンナ」
「そんなことは……」
「あるだろう。いい加減、その何枚も重ねた演技の仮面を外せ。ジュリアンナ・ルイス、お前が真に求めているものは何だ」
重ねた演技の仮面……?
それは、わたしがわたしであるため、そして家族を守るために被ったものだった。
最初は、病弱な弟を守るために被った、しっかり者の姉の仮面だった。
その次は、愛されたいと願っていた父に対して被ったイイ子の仮面。
そして、自分の血筋と貴族の義務を知った時に被った、優秀なルイス侯爵令嬢の仮面。
そういった仮面を被り続け、わたしは自分の心にも仮面をつけ、偽るようになる。
『わたしは父の決めた相手と結婚すると決めているのです』
そうしなければ、沢山の人々に――特に家族に迷惑がかかる。
血の鎖からは、逃れられない。
『自分の生んだ子を愛すると決めているのです』
そうでもしないと、わたしの心は守られない。
でも本当は――――
「本当は……愛する人と結婚し、わたしを……愛して欲しいのです。可笑しいですわよね。そんなもの、政略結婚が当たり前の貴族令嬢が求めてはいけないのに。まして、身に流れる血は、わたしを自由にはしてくれない。だから、叶えられるはずのないものには期待をしないように、目を逸らし、心を偽り続けたのです。『完璧な淑女』なんて存在しません」
親は自分よりも早く死に、子はいずれ旅立つ。
兄弟は別々の家族を作り、離れていく。
だからわたしは、生涯の伴侶たる夫となる人を愛したかったし、愛されたかった。
わたしはきっと……愛に飢えている。
「俺が愛したのは、『完璧な淑女』じゃない。負けん気が強く、類まれなる演技力で人を翻弄しておきながら、愛されることには鈍感で……その実、寂しがり屋なジュリアンナだ。お前の身に流れる血は……結婚しやすくなったのには役に立ったな」
わたしは、エドワード様のために生まれた。
男なら側近に。女なら妃に。
お父様も、エリザベスお母様もわたしを愛してくれたけれど、その事実は変わらない。
だから、周りはそういう目でわたしを見て来る。
先日の陛下もダリア正妃もそうだった。
上流階級に生まれたものとして当然のことなのかもしれない。
それでも、わたしは――道具としてではなく、わたし自身を見て欲しかった。
だけど身内以外は、そうは見てくれない。
だから諦めていた。諦めていたのに――――
「何ですか、それは。そんなことを言われたら……嬉しくなってしまうでしょう?」
わたしを理解し、わたし自身を愛してくれる人が現れるなんて……。
それも、わたしが道具として生まれる原因になった人が、だ。
皮肉としては最高ね。
だけど、それでも……嬉しいことには変わりない。
「姫のお気に召したようで、私も嬉しく思います」
エドワード様の芝居がかった口調に、思わず苦笑が漏れる。
「ふふっ、趣味の悪い人。ねえ、エドワード様。どうして、わたしが何枚も演技の仮面を被っているのが分かったのですか?」
「お前と同じように、自分の心を押しつぶし、周囲の望むように振る舞っていた人を知っている。その人とジュリアンナが重なって見えたんだ……」
そう言うと、エドワード様は少しだけ悲しそうに目を伏せた。
「それは……女性ですか?」
「違う。なんだ、ジュリアンナ、嫉妬か?」
「どうでしょう? 自分でもよく分かりません」
以前のように絶対に違うと突っぱねる気も起きずに、わたしは答えた。
「そうか、反応は上々のようだ」
「ですが、わたしは、まだ貴方を愛してはいません」
「『まだ』とは何だ、ジュリアンナ。もう少し、素直に言え」
意地の悪い目でわたしを見るエドワード様。
わたしは徐々に熱を持ち始めた頬を隠すように顔を背ける。
「……愛したい、とは思っております」
漸く絞り出したわたしの言葉だったが、エドワード様の反応がない。
痺れを切らしたわたしは、少し怒りながらエドワード様へと再び顔を向ける。
すると目の前には、青と紫の宝石が散りばめられた指輪が差し出されていた。
「俺と結婚するということは、強制的に妃になる訳だが……俺は王族であることを止めるつもりはない。代わりと言っては何だが、お前が辛い時、悲しい時は俺が支えよう。そして一生涯、お前だけを愛すると誓う。愛している、ジュリアンナ。どうか……俺と結婚して欲しい」
いつも自信満々なエドワード様が、緊張した面持ちでわたしを見る。
指輪を持つ手を見ると、僅かに震えていた。
最初から逃がす気なんてないでしょう。プロポーズするにも他に場所があるしょう。などと色々思ったが、エドワード様らしいと納得してしまう自分がいる。
返事はどうしようかと考えていると、頬を温かな涙が伝った。
答えなんて、決まっているわね。
わたしの心よりも、身体のほうが、自分に正直のようだ。
「お受けします。貴方が辛い時、悲しい時は、わたしが支えましょう。そして……わたしに一生冷めない恋を教えて下さい、エドワード様」
わたしは微笑み、ゆっくりと左手をエドワード様に差し出した――――
これにて、第一部完になります。
ここまでお付き合いくださった皆様、ありがとうございます。
二部の方もお付き合いいただけると嬉しいです。
次回からの更新ですが、第一部の物語を補完する話や、二部で活躍予定のキャラの話を閑話として、いくつか投稿したいと思います。
その後、二部開始となります。
二部は隣国、サモルタ王国が舞台になります。
お待ちください。