04話 第二王子と侯爵令嬢
「殿下、お菓子をいただいてもよろしいですか?」
「好きにしろ」
「では、遠慮なくいただきますわ」
わたしは目の前に置かれた、マドレーヌを咀嚼し始める。
まったく、甘いものを食べなきゃやっていられないわ。
こうなりたくなかったから、第二王子と会うのは嫌だったのよ。
緊張したり、驚いたり決して演技に手を抜くことはしなかった。
なのに……
あの狸……じゃなくて、お父様のせいで腹黒王子にバレてしまった。
カードは捨ててって言ったのに。
そう、わたしが第二王子エドワード殿下の探し人『リーア』の正体である。
7年前、外で演技をし始めた頃のことだ。
殿下が護衛も連れずに城下にいた。
その風貌はまさに『はじめてのお忍び』、変装はしていたが、見る人が見れば身分の高い少年だと判るものだった。
わたしは愛国心が強い方ではないけれど、さすがに自国の王子を危険にさらすことはできない。
王都の宿屋の娘という設定で殿下に近づき、殿下を探しに来た騎士が来るまで一緒に居たのだ。
もちろん侯爵令嬢だと伏せて。
その際に殿下とポーカーをして遊び、わたしは負けた。
『負けた代償に何でも言うことを1つ聞く』という当時の流行りに則ることになった。
「まだ君に言うことを聞いてもらいたいことはないなあ」と言う殿下に、仕方がなく署名入りの『何でも1回言うことを聞く券』を渡した。
当時のわたしは未熟者で、ポーカーに負けた腹いせに一言、素で殿下と会話してしまったのだ。
殿下と別れた後、わたしは猛烈に後悔した。
その後のわたしはとにかく頑張った。
社交をする際には素を隠し、完璧な淑女となるように演技をするようにした。
正体を見破られないように、演技力が未熟だった数年の間は殿下に近づかないようにした。
筆跡からばれないように、わたしが生まれてから書き記したあらゆる物を捨て、筆跡を変えた。
努力の甲斐なく、殿下の執念と身内の裏切りに負けたのだけど。
少し冷めた紅茶でお菓子を流し込み、わたしは腹をくくった。
エドワード殿下を睨みつけると、長年演じ続けた『完璧な淑女』の演技をやめた。
今のわたしは『素のジュリアンナ』だ。
「確かに、わたしがエドワード殿下が探していた『リーア』ですわ。お久しぶりですね、とご挨拶した方がよろしいかしら?」
「挨拶はいい、最初の淑女の礼で十分だ。あと、エドワードと呼べ」
「ではエドワード様。その紙切れですが……署名はリーアのものです。わたし、ジュリアンナではありません。ですから、その紙切れはただ文字が書いてある紙切れですわ」
「先程お前は自分が『リーア』だと認めた。だから、ジュリアンナはリーアでもあると思うが?」
「その紙切れには、有効期限が書いてありません。7年という月日が経っております。所詮は子どもの書いた物、もう期限切れなのでは?」
「たとえ子供でも、自分のしたことには責任を持つべきだと思うが?それに有効期限がないということは、この紙切れの期限は無期限ということになる」
やはり無効にはできないか……まったく取りつく島のないこと。
急に態度が変わったわたしを見て、サイラス補佐官とキール団長が驚愕の表情を浮かべている。
完璧な淑女を演じていない今のわたしは、フォローせずに放っておくことにした。
隠しもせず大きなため息を吐くと、わたしはエドワードの核心に迫る。
「それで、エドワード様は侯爵令嬢ごときに何をお望みですか?」
どうせ碌な事じゃないんでしょうけどと内心で付け足す。
エドワードは『理想の王子様』と称される美しい微笑みをわたしに向けた。
真っ黒に輝いているわ……
その様は悪魔の微笑みにしか見えない。
「俺の手駒になってよ、ジュリアンナ」
口調と顔は『理想の王子様』、言っていることは鬼畜そのものだ。
「嫌です」
「お前に拒否権はない。判っているだろう?」
どう足掻いても逃げられない……人生諦めが肝心かしらね、はぁ。
でも言うことを聞くのは1回だけ。
ならば……わたしの誇りに賭けて手駒を演じきってみせましょう。
########
「それで、具体的には手駒としてわたしは何をしたらよいのでしょう?」
自棄になったわたしは、お菓子を食べ続けた。
今はマカロンを食べている。ラズベリーの絶妙な酸味が美味しい。
「お前は菓子が好きなのか?」
「好きです。それでわたしの質問に答えてはいただけないのですか」
さっさと話せと視線を送るとエドワードは、やれやれと肩を竦めた。
執務室に沈黙が落ちる。
わたしは気を使うつもりもないので、マカロンを食べ続ける。
もう、どうにでもなれ。
沈黙を破ったのは、意外にもエドワードの後ろに控えていたキール団長だった。
「ぷはははははははは、あー可笑しい。お嬢もエドも面白いなー」
「笑いごとではありません、キール」
「だってサイラス、エドの本性を見て嫌味や皮肉を交えて会話できる令嬢なんてスゲーよ!しかも、あの『完璧な淑女』がだぞ。これが笑わずにいられるか!」
笑い続けるキール団長。サイラス補佐官は頭を抱えている。
なんだか馬鹿にされている気がする。
わたしは眉を顰めた。
それに気づいたサイラス補佐官が慌てて頭を下げる。
「申し訳ありません、ジュリアンナ嬢。キールと私は貴方がエドワード様の探し人だと思えず、不躾な態度を取りました。それと、私たちの協力者としての能力があるかを見極めさせてもらいました。改めて謝罪します」
この人はまともそう……手駒ではなく協力者と言うところがポイント高いですよ。
というか苦労人?保護者ポジションなのかしら
3人は幼馴染だというのは令嬢たちの間では有名な話だ。
また、サイラス補佐官はエドワードの姉――第一王女シェリー様の旦那様でもある。ちなみに新婚。
つまり2人は義兄弟でもあるのだ。
わたしの中では、問題児二人に悩む保護者という認識になりましたが。
「それで、わたしは皆様の御眼鏡にかないまして?」
「期待以上だ。探し回った価値があったな」
「オレもそう思う。お嬢以上に適任はいないな!」
「私も異論はありません、さすがはルイス家のご令嬢ですね」
わたしの質問にエドワード、キール団長、サイラス補佐官の順に答える。
どうやらわたしの評価は高いらしい……全然嬉しくないが。
「では、私から順を追って説明しましょう。ジュリアンナ嬢、現在貴族間は国王派と教会派に分裂しているのはご存じでしょうか?」
「はい、一般的な知識でしたら」
国王派と教会派、今現在ローランズ王国が抱えている最大の政治問題である。
まず国王派は、その名の通り国王に忠誠を誓う貴族のことだ。
王家の三柱である我がルイス家も、もちろん国王派に属する。
次に教会派、最近急速に勢力が伸びている派閥である。
ローランズ王国はルーウェル教を国教としている。
ルーウェル教は、強欲を悪とし誠実を善とする、清浄の女神ルーウェルを祀る宗教だ。
女神はあなたを見守り慈しんでいますというような割と大雑把な信仰である。
それだけ自由が与えられているとも言い換えられるが。
そんなルーウェル教は我が国で親しまれている。
聖地があるオリバレル神国の王女がローランズ王国の現正妃であることからも判るだろう。
何故、ルーウェル教が政治派閥を作っているのか。
それは王都教会が関係している。
王都教会はルーウェル教の教会の中では最早、独立した存在だ。
長年、跡取りではない貴族の令息たちが多額の寄付金を持って聖職者となった。
すると教会上層部は絵に描いたように腐敗した。
権力を振りかざし、賄賂が横行。王都教会は他の教会から孤立した存在となった。
腐敗しているのは主に上層部で、末端の信者たちは純粋に信仰している者も多い。
また、薬師や准看護師を育成する機関でもあるため、国王も対応に苦心していた。
その隙を見計らい、王都教会は政治派閥をつくり貴族の味方を増やし、政治的発言権を強めた。
それが教会派である。
「そうですか。国王派と教会派以外に中立派もいますが……彼らは危機感のない日和見主義なのでどうでもいいです。それで、教会派に側妃ビアンカ様がつきました」
「ビアンカ様が!?」
サイラス補佐官の言葉にわたしは驚愕を隠せなかった。
現国王には3人の妃がいる。
正妃ダリア様と側妃のビアンカ様、クラウディア様だ。
正妃のダリア様は『国を支える妃』、側妃のクラウディア様は『民を支える妃』と呼ばれている。
そして側妃ビアンカ様は……『傲慢な元寵姫』と呼ばれている。
ビアンカ様は元子爵令嬢。王宮で侍女として勤めていた際に王に見初められたのだ。
少々我が儘だが美しいビアンカ様を王は寵愛した。
やがて寵姫から正式な側妃となる。
その頃からビアンカ様の我が儘はエスカレートしていく。
ドレスや宝飾を大量に作らせ、それを披露するパーティーを毎夜開く。
当然財政は困窮、国庫を食い潰す勢いだった。
また第一王子を生んでからは、本来仕え共に王を支える立場である正妃を蔑ろにし始める。
ローランズ王国は正妃が生んだ男子を王にすることが通例であるのにだ。
所詮小国の王女のくせに……この女腹が……などと毎日のように侮辱していたのは有名な話である。
幸いにも正妃ダリア様は心根の強い方だったので、病などには罹ることはなかった。
さすがに好き放題振る舞うビアンカ様のことは、王の耳にも当然入る訳で……
結果、ビアンカ様への寵愛はなくなった。
ビアンカ様に辟易していた王は、敬虔なルーウェル教徒である男爵令嬢クラウディア様に癒しを求めた。
クラウディア様は、特別美しくもないが優しく温和で誠実な人柄だった。
積極的に慈善事業を行い、過度な贅沢を嫌った。まさにビアンカ様とは正反対の人物だった。
クラウディア様が正式に側妃となり、ダリア様が王位継承権第一位の第二王子エドワード様を生んだことで、ビアンカ様の立場は失墜した。
第一王子の母であることを考慮して、降嫁はされなかったが『傲慢な元寵姫』と揶揄されることから判るように、妃として認められていないのである。
「敬虔なルーウェル教の信徒であるクラウディア様ではなく、ビアンカ様が教会派に付いたことから、王都教会の腐敗具合が判る訳ですが……ここからが本題です」
「はい」
「先日、王都教会に潜入させていた諜報員から『王都教会地下でサバトが行われている』との情報がもたらされました」
「サバト……悪魔崇拝の儀式でしたでしょうか」
「その通りです。情報をもたらした諜報員ですが……始末されました。どうやら王都教会は警戒を強めているようです」
サイラス補佐官の話から、わたしに何をしてほしいのかが見えてきたが……正直的外れであって欲しい。
ふと気になることがあったので、疑問を投げかけてみた。
「もしや、王都教会が一番警戒しているのは……エドワード様ですか?」
そう言った後にエドワードとキール団長が面白いものを見るように此方を見た。
その目止めて欲しいです、居心地悪い。
「そう、奴らの最重要警戒対象は俺だ。それにしてもジュリアンナどうしてそう思った?」
「先程、サイラス補佐官が侍女たちに退出するよう言った時、侍女の一人が退出する前に一度此方を振り返りました。ゴシップ好きの侍女かと思いましたが……サイラス補佐官の話を聞いて彼女は教会派の諜報員ではないかと思いましたの。それに彼女……少々主を見る目が如何わしいのですわ」
「ほう」
使用人は空気となれ!といわれるように、余計なことをしたり目立ってはならない。
また仕えるべき主を観察するなど言語道断だ。
エドワードたちの様子を見るにあの侍女が教会派の諜報員説は正解みたいね。
判っていて放置しているということは泳がせているということかしら。
王宮の侍女の質が低下したというわけではないのは喜ぶべきかしらねー。
「すっげーなお嬢。オレはサイラスに言われるまで気づかなかったのに」
屈託のない笑顔で言うキール団長。ちょっと嬉しい。
つられて笑うとエドワードに怪訝な顔をされた。
わたしの笑顔はお気に召しませんか、そうですか。
「それでだ、ジュリアンナ。お前には王都教会に潜入して情報収集をして欲しい」
「それは……ポーカーに負けた代償にしては、ずいぶん重いのですね」
「7年も待ったんだ。利子が上乗せされて当然だろう」
悪徳な金貸しですか、あなたは。
足掻いたところでわたしには拒否権はないですけど。
「ひとつ確認したいことがあります。わたしはこれでもルイス侯爵家の令嬢です。父に相談しなければなりません」
「ルイス宰相閣下には、すでに承諾を得ています」
「二つ返事で快諾してくれたが?」
「……そう、ですか」
あの愛国者の狸が。
わたしの父ジェラルド・ルイスは筋金入りの愛国者。
仕事はできるが父親としてはヘタレな人だ。
大方、わたしが王都教会潜入できる人材だと判断されたのだろう。
隠れて娘を売るなんて……当分親子の会話はしてあげません。
「潜入の際、エドワード様たちのサポートはないと考えた方がよろしいですか?」
「ああ、教会派に警戒されるのは避けたい」
「つまりエドワード様たちとは別の……わたし個人が持てるものを使って王都教会に潜入し、情報を拾って来いと……無茶苦茶だと思いませんか?」
「出来ないのか?」
エドワードに鼻で笑われた。
この野……こほん。少々むかつきましたが、気を取り直して冷静に考えましょう。
目を瞑り思考に耽る。
エドワードたちは大きく動けない。
だから第三者のわたしが手駒となるのは教会派も予想外だろう。
潜入の手筈だけではない、情報収集に連絡手段、万が一の逃走……わたしの持っている駒だけで可能かどうか……。
「……出来ます。ただし、潜入計画および現場の判断はわたしが行いますがよろしいでしょうか?」
「構わない」
エドワードが満足そうな顔で頷く。
もはや悪人顔にしか見えなくなってきました。
「サバトについて調べればいいのですか?」
「メインはそれでお願いします。それと教会が信者に売りつけている『免罪符』の利益が何所へいっているのかも余裕があればお願いします、ジュリアンナ嬢」
「判りました」
「潜入はいつになりそうだ?」
「潜入の手筈に役作りを合わせて……早くて2週間後でしょうか」
「了解した。こちらでも連絡方法の手筈くらいは用意する」
「ありがとうございます」
わたしは立ち上がるとエドワードに頭を下げる。
「殿下に対する数々の非礼、申し訳ありませんでした。わたしの処分の方は如何様にでもなさってください」
「演技をやめろと言ったのは俺の方だ。完璧な淑女のお前も素のお前も中々楽しかった、だから処分はしない。これからも公の場でなければ、俺の前では素でいろ」
「温情感謝いたします。では、あまり長く此処に居ては間者に怪しまれますので、御暇させていただきます」
「ああ、潜入の件よろしく頼む」
「お嬢、頑張ってくれよな!」
「ジュリアンナ嬢……本当にすみません。頑張ってください、私も出来る限りのことはしますので……」
「は、はい」
最後のサイラス補佐官だけ、ものすごい深刻な顔していたのだけれど……気のせいかしら?
わたしは扉の前で立ち止まると笑顔で振り返る。
「エドワード様、わたしはこれまで色々な役を演じてきましたわ。でもその中で『悲劇のヒロイン』というものは演じたことはありませんの」
いずれ演じてみたいですと続けるとエドワードとキール団長は意味が分からないと首を傾げる。
サイラス補佐官は、わたしの不穏な空気を察したのか青ざめている。
ふふ、もう遅いですよ。
バンッと思いっきり扉を開けたわたしは駆け出す。
すると廊下に居た侍女が「どうしました!?」と駆け寄ってきた。
「え、エドワード殿下が……わたしを別な女と勘違いして……それで比べられて……わ、わたし、お慕いしていたのに……どうしたら……」
泣き崩れ震えたわたしに困惑しながらも、侍女が手を差出し身体を支えた。
侍女の目には同情の色が見える。
「大丈夫ですか!?ジュリアンナ様。とりあえず別室へご案内します」
侍女に支えられながら懸命に歩く演技をする。
これでルイス侯爵家令嬢と第二王子の協力関係に気づく輩はいないだろう。
まあ、他にも方法はありましたけど……一番手っ取り早いですし。
わたしは内心ほくそ笑む。
命がけの舞台へ上がるのだから、これくらいの意趣返しは許されますわよね?