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侯爵令嬢は手駒を演じる  作者: 橘 千秋
第一部 ローランズ王国編
39/150

38話 紅焔の狼

 騎士団授与式から五日後、わたしは王都教会に戻り、見習い看護師エレンとしての日々に戻っていた。

 ただ前と違うのは、免罪符の販売の手伝いを頻繁に行っている事だ。

 最近は二日に一回のペースで販売している。

 前も胡散くさい口上を述べていたミハエル神父だったが、最近はそれがさらに加速し、脅迫と呼んでも差し支えない域に達している。


 免罪符を買うために、貧しい信徒は必死にお金を工面していた。

 そしてそれを醜い心で平気に毟り取るミハエル神父を含む王都教会上層部は、まさに悪魔だ。



 こんな事が何時までも続くとは思えないですけど。



 最近派手に動いている王都教会に、陛下やお父様が警戒していないはずはない。

 でもそれを野放しにしていると言う事は、エドワード様に対処を一任しているのか、それともそこまで手が回らない事態が別件で起きているのか……第二王子の手駒でしかない、わたしには判りようのない事ですが。

 しかし、今まで慎重に事を運び、陛下自らが動き出すギリギリのラインを保っていたのに……最近は本当に派手に動いている。

 これは、マクミラン公爵家――ひいては、教会派が大きく動き出すと言う事?


 最悪の展開が一瞬浮かんだが、それをすぐに頭から消し去る。

 わたしが手を出す領分ではないわ。今は自分に出来る事をするだけ。

 陛下たちを信じましょう。





 わたしは今日もエレンとして免罪符の販売を手伝った。

 今日の聖遺物は、小さな陶器の器に入った香油だ。

 もちろん、本物の聖遺物ではなくただの香油。

 原価のおよそ30倍で売りつけていた。



 「エレン、余った香油はこちらに置いてくれ」


 「分かりました、ミハエル神父!」



 エレンとして元気に返事をし、香油の余りが入った箱をミハエル神父の執務室の隅に置いた。



 「今日も良く働いてくれた。また期待している、エレン」


 「はい!」



 今日もミハエル神父の労いの言葉が報酬なのかしら?

 本当に面倒だわ。エレンじゃなかったら、笑顔でこんなことしないわよ。


 演技設定を変えようかしらと半ば本気で思っていると、ミハエル神父が今思い出したとばかりに唐突に話しだした。



 「明後日は免罪符の販売は行わない。だからここには来なくていい」


 「何か用事があるんですか?」


 「別の大事な仕事があるのだ」



 別の大事な仕事――サバトの事かしら?

 わたしは慎重にエレンの演技を続けながら、『大事な仕事』について探りを入れる。



 「まあ! 教会の重要な仕事なのですね。わたしにも何かお手伝い出来る事はありませんか?」



 無邪気に純粋に、キラキラとした瞳でミハエル神父を見つめる。

 ミハエル神父は、ニヤリと意味有りげな顔をするとエレンに優しく――しかし嘲りの含んだ声で答えた。



 「無垢なお前にはまだ早い仕事だ。だが……もしかしたら、手伝ってもらう日が来るやもしれん。その時は頼むぞ、エレン」


 「はい!」



 やはりサバトか。

 わたしは思いかけず仕入れる事が出来た情報に、内心でほくそ笑む。



 「それではミハエル神父。今日もお疲れ様でした!」


 「またよろしく頼む」



 わたしはミハエル神父の執務室から退室し、白の寮へと向かった。

 











 その日の深夜、定期的な情報交換のため、マリーがわたしの寮室を訪れた。

 無論、侵入口は窓である。



 「いらっしゃい、マリー」



 わたしはうつ伏せにベッドに寝そべりながら、顔だけマリーに向けた。

 

 マリーはわたしの姿を見て眉を顰める。



 「淑女たるもの、そんな自堕落にベッドに転がってはいけません。お嬢様」


 「ふふっ」


 「何故お笑いになるんです?」


 「いつものマリーだと思って」



 別の用事を申し付けていたため、先日の騎士団授与式の時は久しぶりの帰省だったのに、マリーに会う事が出来なかった。

 だからこそ、久しぶりにいつも通りのマリーを見て、わたしは温かい気持ちになる。



 「いつものお嬢様の姿を拝見ですることができ、マリーも嬉しゅうございます」



 硬い表情を取り去り、マリーは花が綻ぶように笑った。



 「その様子だと、特別悪い知らせはないようね?」


 

 わたしの問いかけに対し、マリーは直ぐに顔を引き締めた。

 そして、わたしが指示していた調査についての報告を始める。



 「お嬢様が遭遇したというハルバード使いの男ですが、正体が判明しました。紅焔(こうえん)の狼と呼ばれる名の知れた傭兵だそうです」


 「傭兵……概ね予想通りだわ。それで、紅焔の狼と呼ばれているのは何故?」


 「戦場で彼がハルバードで切り刻んだ相手の血が舞い、それが炎のように揺らめくように見えることが、紅焔の由来だそうです。狼については、特定の組織には深入りせず、また仲間も作らない一匹狼な所から来ていると思われます」


 「思っていたよりもエグイ理由ね……」


 「戦いを生業にしている者の通り名など、そんなものです。尤も、世間では『完璧な淑女』と呼ばれているお嬢様も大概だと思います」



 ん? 何だか馬鹿にされた気がするわ。

 


 「紅焔の狼と黒蝶、どちらが強いのかしらね?」



 わたしは意地悪く、暗殺者時代のマリーの通り名を口する。

 マリーがこの名で呼ばれていた事を恥かしく思っている事も勿論知っている。



 「その名を口にするのは、止めて下さいと常々言っているではありませんか!」 


 「そうだったかしら?」


 「お嬢様!」


 「はいはい。次の報告に移って頂戴」



 これ以上からかうとマリーがへそを曲げる可能性があったので、程々にして情報交換に戻る。



 「王都教会へ入るための貴族専用の出入り口の捜索ですが、王都の外れにある墓地など、複数にそれらしいものを発見しました。3週間ほどルイス家の者に張り込ませた結果、いずれも貴族もしくは教会関係者と思われるものが出入りをしていました」


 「複数……他にも入口がないか引き続き調べてちょうだい。それと、今わかっているだけの入り口の場所を地図に書いてヴィンセントに渡して頂戴。そこからエドワード様に渡るよう手筈は整えているから」


 「かしこまりました」


 「それと……サバトが明後日に開催される可能性が高いと言う情報も伝えておいて」


 「明後日ですか。そうなりますと、お嬢様の役目も終わりが近いという訳ですか」


 「そうとは限らないわ。でも、この機会を逃すエドワード様ではないでしょう」


 「第二王子が動くとお嬢様は予想されているのですか?」


 「教会派の活動が活発化している今、動かない道理はないわ。モタモタしていれば、容易く足元をすくわれるでしょう。正直に言って、今の教会派は異常だわ。無能とまでは言わないけれど、己の私欲しか考えない貴族たちばかりなのに、皆が上手く弱みを隠しているの。そして、ある程度行動にまとまりがある」


 「マクミラン公爵家だけではない、何か大きな意思が働いていると?」


 「そこまでは分からないわ。でも、陛下にお父様、それにエドワード様は何か知っているのかもしれない。まあ、かもしれないだなんて憶測しかない話は止めましょう。考えても答えなど出ないのだから」


 「何かそれらしい情報があれば、直ぐに調べます」


 「お願いね」


 「それとお嬢様、次のサバトの際には大人しくしていてください。第二王子の手駒として、お嬢様は十分すぎるほど働きました。貴族令嬢とは思えないほどに」


 「随分と棘のある言い方ね」



 マリーはベッドに腰掛けるわたしに跪くと、目を僅かに潤ませながら懇願する。



 「釘を刺しているのです、お嬢様。本来ならば、今回の仕事はお嬢様のような代わりのいない方がするべきことではありません。旦那様の何かしらの思惑と、第二王子の命令があったから仕方なくお嬢様が赴いたまで。ですから、もう危険な事はしないで下さい」



 侍女であるマリーには、わたしの行動を制限する事は出来ず、また自らに課せられた命令を拒否する事はできない。

 だからこそ、マリーがわたしを心配する故の行動だと痛いほど理解できた。



 「約束は出来ないわ。だけど……わたしは、まだ死ぬつもりもない。だからね、マリー。心配なら、わたしが貴女に下した命令を早く終わらせて戻って来て。そして貴女がわたしを守って」


 

 マリーの白い頬を両手で包み、わたしは穏やかに言葉を紡ぐ。

 


 「はい。(わたくし)の命に代えても、お嬢様をお守りします」


 「出来れば命は大事にしてね? わたしにとって(・・・・・・・・)のマリーは貴女だけなのだから」


 「はい。心得ております。それでは、一刻も早くお嬢様の元へ戻るため、私は屋敷へ戻ります」



 先程とは違う意志の強い瞳を輝かせながら、マリーは音も無く窓から部屋を出て行った。


 わたしはマリーのような大切な侍女を得られて幸せ者ね。

 





 暫く窓から外を眺めていたが、やはり窓の目の前に生える木が邪魔で満足に景色を見る事が出来なかった。

 諜報活動にはいい部屋だけど、住むのには向かないわね。




 わたしは机の上に置かれた蝋燭の火に目を向ける。

 蝋燭は短く、後少しの時間しか火を揺らめかせる事は出来ないだろう。



 「もう寝ましょうか」



 次の蝋燭の支給はいつだったかしらと、すっかり王都教会の生活に慣れた自分に苦笑しつつ、蝋燭を消すために息を吹きかけようとしていると、部屋にノック音が響いた。



 ―――コンコン



 こんな時間に一体誰かしら?

 モニカが来たのかもしれないと、共犯関係の少女を思い浮かべながら扉を開く。



 「はーい。こんな時間に誰ですか――ってサムさんとマーサさん!?」


 「よう、エレン! 夜遅くにスマン。ちょっといいか?」



 扉の向こうに居たのは、炎のように存在感を放つ、門番の皮を被った歴戦の傭兵。

 そしてその後ろには、寮長であるマーサがいる。


 わたしは舌打ちをしたい気分だった。

 教会の狗であるマーサと、サバト関係者であるサムさん……最低最悪の組み合わせだわ。



 「大丈夫ですけど……何かあったんですか?」



 エレンの演技をしつつ、わたしは相手の出方を窺う。



 「用と言うか……」


 「ハッキリしないね、サムは。エレン、ちょっと調べたいことがあるだけだ。別にエレンだけじゃなくて、他の見習いたちも受けているもんだからな。残念だが、強制だ」



 マーサが豪快に笑い、サムさんは少し申し訳なさそうな顔でわたしを見た。



 「そういう事だから、ちょっと悪いな――」


 「――!?」



 気づいたら目の前にサムさんがいた。

 そして気づいた時には既に遅く、わたしの両手は拘束され、壁に身体が押し付けられた。


 何よ、この常識外れの速さは!!



 抵抗しようにも、関節を意図的に押さえつけられ、満足に動く事すら叶わなかった。



 「ぐっ……あ……止めてください、サムさん」



 わたしはエレンの演技を続けながら、押さえつけてくるサムさんを説得する。



 「それは無理だな。これは仕事だからな」



 サムさんは、門番として働いている時のような明るい笑顔を見せながらも、わたしの言葉を聞き入れる事はないようだった。



 「3・4か月前に王都教会に来た女……条件は合致しているけど、エレンは白だと思うけどね」


 「いいから確認しろ」


 「へいへい~」



 マーサがわたしに近づき、顔を引っ張る。



 「いひゃい……」


 「部屋を調べる前に、まずは身体検査からだな」



 顔を引っ張った後、マーサはわたしの身体を弄り、武器がないか確かめているようだった。

 足を這い、胸を弄るマーサの手に不快感を抱いたが、わたしはそれにじっと耐えた。

 幸いにも、今は武器を装備しておらず、マーサの身体検査にわたしは引っかかる事はなかった。



 「大丈夫みたいだね」



 マーサの言葉に、サムさんの拘束が緩み、わたしは僅かに安堵する。

 


 「おいおい、変装と言えば髪だろ。まあ、こんな綺麗な髪が鬘な訳ないけどな――」



 重度の緊張から解放され、少し気の抜けたわたしは、反応するのが遅れた。

 サムさんは、事もあろうにわたしの髪を強く引っ張ったのだ。



 滑り落ちるエレンの濃茶色の髪。

 そしてその代わりに現れた緩く波打つ金髪は、薄暗い部屋の中でも輝いていた。


 一瞬の静寂の後、サムさんはわたしに腰に差していたナイフを突きつける。



 その動作は、一直線の起動を描きわたしに向かって来たが、どうにか躱す。

 しかし次の動作に移る前にサムさんに間合いを詰められる。


 単純なナイフの軌道は、自分の思い通りの場所にわたしを誘導するためか!!



 サムさんの容赦のない蹴りが飛んでくるが、わたしは回避もできず、背中にまともにくらってしまう。



 「――かはっ」



 肺から強制的に酸素が吐き出される。

 背中に激痛が奔り、酸欠で頭がクラクラしたが、無理やり体勢を立て直し逃げ道を探す。


 しかし目の前にはサムさんがいて、意識を朦朧とさせているわたしを見下ろしていた。

 そしてわたしの両腕を捻りあげながら覆いかぶさるように拘束し、わたしの耳元で囁いた。



 「やっと見つけたぞ、黒猫の嬢ちゃん」


 「な、何の事かしら?」



 体の痛みに耐えつつ、わたしは振り向きながらサムさんを睨みつける。



 「この動きは素人じゃない。 背格好からして、あの時の黒猫だろう? まさか、ネズミが猫だったなんてな」


 「ネズミなんて失礼ね。それで……わたしをどうするつもりかしら、狼さん(・・・)?」



 言葉の中に、わたしがサムさんが紅焔の狼である事を知っている事を匂わせる。

 捕まったわたしに出来るのは、有益な情報を持っていて直ぐに殺すには惜しい存在であると思わせる事だけだ。


 わたしの意図が伝わったのか、サムさんはニヤリと笑った。



 「へえ、どうやら馬鹿ではないみたいだな。お前、本当にエレンか?」


 「わたしはエレンではないわ。たった今、貴方にエレンは殺された」



 もう純粋無垢な少女は此処にはいない。

 わたしは、第二王子の手駒のジュリアンナとして存在している。



 「そうか。 それにしても、良く見ると上玉だな。どうだ、俺の女にならないか?」


 「わたしの事、始めて会った時に守備範囲外だって言っていたわよね?」


 「それはエレン嬢ちゃんであって、お前じゃない」


 「嫌よ。そもそも本気じゃないくせに」


 「縋りついてきたら面白いと思ったんだがな。そうもいかないか」



 サムさんは、わたしを拘束したまま部屋を出た。

 そして部屋の中で呆けているマーサにサムさん声をかける。



 「おい、マーサ。ネズミは捕まえた、行くぞ」


 「あっ、ああ。わかったよ」



 廊下を出ると、騒ぎに気付いた人達が部屋から出てきていた。

 そして、門番の男に拘束されているわたしを、脅えた表情で見る。

 だが、男の後ろにマーサを見つけると、少し安心したような表情になっていった。

 そしてその中には、エレンが仲良くしていたミリア、そしてわたしと共犯関係にあるアンことモニカもいた。


 マーサはミリアとモニカに近づき、質問を投げかける。



 「エレンは他国の諜報員だった。ミリアとアンは何か知らないか」


 「え、エレンが!? し、知りません!! あたしはこんな人知りません!! 信じて下さい!!」



 ミリアはわたしを睨みつけながら、マーサに必死に訴えかけている。

 わたしはその光景から視線を外し、モニカに目を向けた。

 モニカと目があったが、直ぐに視線は逸らされた。



 「まあ、信じるよ。アンはどうだい?」


 「わ、私も……エレンさんが諜報員だったなんて知らなかったです!!」



 声を荒げながらモニカは言うと、わたしをミリアと同じように睨みつける。



 「この、裏切り者!!」



 その言葉は、わたしの心に深く突き刺さった――――






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