36話 血の鎖
やはり接触して来たわね。
突然わたしに声をかけてきたダグラス殿下に微笑みつつ、わたしは見極めを始めた。
実のところ、ダグラス殿下とは数回話した事があるだけで、彼自身の事は良く知らない。
ビアンカ側妃のせいで彼の情報は纏まりがないのだ。
それに、第二王子のエドワード様が優秀すぎてダグラス殿下は霞んでしまうというのもある。
兄でありながら、弟よりも王位継承権が下。
しかも弟は、歴代王族の中でもかなり優秀ときている……腹黒だけど。
優秀な弟に比べられる苦しみがどれ程かは、わたしは知らない。
そもそも他人の気持ちなど、本人でもないのに理解する事は不可能だ。
だから蔑みも同情もしない。
尤も、わたしたちの邪魔をするのならば容赦はしませんが。
イザベラと婚約した今、ダグラス殿下はわたしの中でマクミラン公爵に次ぐ警戒対象だ。
わたしはダグラス殿下の登場に驚きつつも、淑女らしく微笑む演技をする。
「まあ、ダグラス殿下ではありませんか。わたしに何か御用ですか?」
「内密なお話を。場所を移したいがいいだろうか」
「申し訳ありませんが、ダグラス殿下はイザベラ様と婚約した身。そしてわたしは、婚約者も持たぬ未婚の女です。周囲にあらぬ誤解を抱かせてしまいます。わたしはダグラス殿下のご迷惑になるような事はしたくありませんわ」
「しかし、あの婚約は公爵と母上で勝手にされたもので――」
「だとしても、人は自分の理解したいように物事を判断するのです。わたしたちの意思とは関係なく」
たとえ王子相手でもキッパリと物事を言えるようでなければ、社交界の華として咲き続ける事はできない。
強引にでも華を手折ろうとする男は、どこにでもいるのだ。
社交界の華とは、ただ美しいだけの女に与えられる称号ではない。
わたしの言葉の意味を理解したのか、しぶしぶという様子だがダグラス王子は譲歩した。
「でしたら、テラスに移動しても? ここよりも人が少ないので落ち着いて話せるかと」
いくら王家の三柱の貴族家出身のわたしでも、王族の頼みを断ることができない。
これぐらいが妥当だろう。
「分かりました。ですが、ホールから見える位置でお願いいたします」
「貴女の不名誉になるような事はしない」
そう言ってテラスに向かうダグラス殿下の後を2メートルほど離れてついて行く。
テラスに着くと、何組かの男女がいた。
皆、親密そうな空気をそれぞれ創りだしていた……この場違いな感じは居た堪れないわ。
内心で己の判断ミスを後悔した。
「それでダグラス殿下、わたしにお話しとは何でしょう?」
早く話を終わらせて会場に戻らなければ。
あまり長居するとイザベラに都合よく解釈され、婚約者を取られたと泣かれそうだ……もちろん内心で喜びながら。
「先程言った通り、私はイザベラとの婚約に納得していない。もちろん、イザベラもだ」
だから何だと言うんだ。
既に婚約が成立している時点で、納得もなにもない。
王侯貴族の結婚は、愛し合う者が手を取り合い生きていくための結婚ではない。
政略結婚……つまりは家または国同士の契約だ。
政略結婚が定められているわたしには、恋など贅沢で恐ろしい感情でしかない。
たとえ婚約者第一候補の男に愛を囁かれようと、わたしが結婚する相手は別な男の可能性も十分にありえる。
期待するだけ、裏切られた時の心の傷は深いだろう。
それならば、恋などしなければいい。
尤も復讐を誓う今のわたしは、恋をする事なんてありえないけど。
頭に浮かんできた鬼畜で腹黒な男の姿を直ぐに消し去り、わたしはダグラス殿下から目を外し、悲しそうな表情をつくる。
「そうですか。知りませんでした……」
これは真っ赤な嘘だ。
ダグラス殿下とイザベラの婚約については、徹底的に情報を調べさせたし、シェリルにも新たな情報がないか注意深く探りをいれた。
「貴女の瞳も、貴族令嬢としての振る舞いも、時折見せる笑顔もすべてが美しい。私は……貴女が好きだ、ジュリアンナ。私と、結婚して欲しい」
直球なダグラス殿下の言葉にわたしは一瞬戸惑うが、直ぐに冷静さを取り戻す。
ふと、茶番デートをエドワード様とした際、宿屋で話した会話を思い出した。
『ジュリアンナが知っているかは知らないが、兄上はお前を好いているぞ? 特にお前の血筋と社交界の華という付加価値をな』
私の紫色の瞳は、隣国のサモルタ王国の王族に出る特徴だ。
しかも、サモルタ王国では紫の瞳の王族は現人神として崇められる。
そして近年、紫の瞳の王族は生まれにくくなっている。
わたしの祖母は、紫の瞳を持たない王女だった。
しかし、生まれた子――つまりはエリザベスお母様は、紫の瞳を持って生まれてきた。
そして、その子どもであるわたしも……紫の瞳が遺伝してしまった。
わたしの婚約者候補には、エドワード様の他にもサモルタの王子がいる。
サモルタ王国としては、他国に流れた紫の瞳を取り戻したいのだろう。
縁談がなかなかしつこいと、グレースが言っていた。
ダグラス殿下がわたしを見つめる瞳は熱を帯びているが、きっと彼が見ているのはわたしではない。
二つの王家とオルコットとルイスの血、そしてわたしが創りだした『完璧な淑女』という虚像を愛しているだけだ。本当のわたしを愛している訳ではない。
ダグラス殿下の言葉は、わたしの心を揺らす事は無かった。
「光栄です……。ですが、わたしは父の決めた相手と結婚すると決めているのです」
「それは……私が『傲慢な寵姫』の息子で、弟に勝てるところのない第一王子だからか?」
ダグラス殿下は泣きそうな顔をしていた。
その顔には見覚えがある。
自分に流れる血を憎み、自分が大嫌いだった頃のわたしと同じ――――
「ダグラス殿下。わたしたちの血は、勝手な事をすれば沢山の人達を苦しめてしまいます。しかし、それでも自分の意見を通したいのならば、自分の身に流れる血から逃げ出せばよいのです」
「しかしそれは……」
困惑した表情のダグラス殿下にわたしは微笑み、言葉を再び紡ぐ。
「苦しめたくない人がいて、この国の王族であり続けたいのならば、どうか自分の血を認めて囚われて下さい。貴方の身に流れる血が無ければ出会えなかった人です。どうか、その人を大切に……」
「……ジュリアンナは私と同じで違うのだな。貴女は……己の身に流れる血を受け入れているのか?」
「わたしの心の内は秘密です」
わたしは人差し指を口に当て、悪戯っぽく笑う。
ダグラス殿下は苦笑しつつも頷いた。
「分かった。私も自分の血と向き合おうと思う」
「それが、ダグラス殿下の幸いに繋がる事を祈っております」
これで話は終わりかと思っていると、ダグラス殿下がわたしの頬に手を添えてきた。
ちょっと……この話の流れで、何故熱っぽい視線をわたしに向けるの!?
ここはホールから見える位置、このまま近づいたりしたら……
わたしが回避する算段を巡らせていると、背後から腕を掴まれた。
何事かと後ろを振り向くと、腹黒い笑顔を浮かべたエドワード様がいた。
「兄上、婚約者がいるのに他の女性にみだりに触れるのは良くない。狸爺共に餌を与えるのですか?」
そう言って、わたしを引き寄せるエドワード様。
貴方だって婚約者でもない女に触れてどういうつもりよ……って、『理想の王子様』の仮面を剥がしている?
ダグラス殿下を見ると忌々しそうなものを見る目でエドワード様を見ている事を隠そうとしていない。 兄弟同士では、猫被っていないという事か。
「エドワード様……その、大丈夫ですから」
わたしは恥じらう演技をしながら、離すように懇願する。
すると、エドワード様は引き寄せた腕に力を込めた。
コ イ ツ 判 っ て い て 遊 ん で や が る !
「エドワード、お前こそジュリアンナから離れたらどうだ?」
「嫌です。折角ジュリアンナが大人しい時に触れられる機会を得られたんだ。楽しまなくては」
鬼畜魔王と呼ばれるにふさわしい顔でエドワード様はのたまう。
そしてダグラス殿下は、青筋を立てている。
どうやらエドワード様は、わたしとダグラス殿下の両方をからかっているようだった。
本当にどうしようもない人ね。
「エドワード様、御戯れはおやめください」
腕の拘束が緩んだ一瞬をみて、わたしはエドワード様から離れた。
目を潤ませ恥じらいながら、用がないのに出て来るなと内心で罵る。
「ジュリアンナは、弟以外とはマクミラン公爵としか踊っておらず、兄上と大勢の目の届く範囲とはいえ、二人で会話をした。このままでは、彼女が教会派貴族に目を付けられるかもしれない。だから、均衡を保つために俺が今からジュリアンナと踊ります」
「……判った」
しぶしぶと言った様子でダグラス殿下がわたしたちから離れ、会場に戻って行った。
そして取り残されたのは、わたしとエドワード様のふたり。
「さて、色々言いたい事があるが……ジュリアンナ、マクミラン公爵と踊って何か得るものはあったか?」
エドワード様は、わたしたちルイス家の事をどこまで知っている?
「特にありません」
これ以上の詮索は止めろと思いをこめ、笑顔で威圧する。
その姿を見て、エドワード様は何故か満足そうな顔した……この人は一体何を考えているのかしら?
エドワード様は跪き、わたしに手を差し出す。
「ジュリアンナ、俺と踊ってくれるか?」
「……分かりました。しょうがないから踊ってあげます」
エドワード様の手を取り、ダンスホールへ踏み出す。
貴族たちの視線が痛いわ……。
それもそのはず。
公の場で、第二王子とルイス侯爵令嬢が踊る事など今まで無かったのだから。
流れた曲は、難易度の高い曲だった。
リタイアする貴族もいる中で、わたしとエドワード様は笑顔で完璧なステップを踏む。
わたしも大概だけど、エドワード様もおかしいわよね。
情景の目や嫉妬の目と様々な思いの乗せた瞳でわたしたちは見られていた。
注目の的ね……嫌だわ。
ターンをしてエドワード様を見上げると、視界に紫色のスカーフが見えた。
確か……庭で会った時は、別の色だったはず。
紫のスカーフは、わたしの今着ているドレスと同じ色だ。
これではまるで――衣装を揃えたみたいじゃない!!
わたしがスカーフに気づいたのが分かったのか、エドワード様はとろけるような笑みをわたしに見せる。
「お前は頑なだからな。外堀から埋める事にした」
だが、わたしにしか聞こえない音量で囁かれた言葉は、腹黒以外の何物でもない。
「なっ……」
この男は危険だとわたしは本能的に判断し、曲が終わったのを見計らい離れようとするが、手を握られてさらに腰をガッチリと掴まれた。
そして2曲目が始まる――――
「俺に愛される覚悟をしてもらおうと思ってな」
「今はそれで十分だとか言っていたではありませんか!」
「気が変わった。兄上に笑いかけていたお前が悪い」
「理不尽です!」
結局、エドワード様から解放されたのは3曲目が終わってからだった。
そして後日、第二王子がルイス侯爵令嬢を振ったという噂が立ち消え、相思相愛で想い合っているとの噂がまことしやかに囁かれるようになった。
どうしてこうなったのかしら……。