03話 煌めく舞台のその後で
月が陰る深夜
今だ続く夜会から、ひとりの少女が抜け出す。
少女――ジュリアンナは、獅子の紋章が付けられたルイス侯爵家の馬車の前に立つ。
――ルイス侯爵家
英雄王アベル・ローランズの親友にして腹心だったレオン・ルイスを祖とする貴族である。
王家の三柱としてイングロット公爵家・オルコット公爵家とともに国王に仕える、建国以来変わらない忠臣だ。
ルイス家の者には優秀な者が多く、様々な方面にツテと情報を持つと言われている。
現在のルイス家当主は宰相を務め、現国王に忠誠を誓っている。
馬車から1人の侍女が降りる。
「お疲れ様です、お嬢様。夜会の方は、もうよろしいのですか?」
「ええ、お父様の名代として十分に役目を果たしました。今日はもう帰ります」
「かしこまりました。お嬢様、お手をどうぞ」
侍女に手を借り、馬車へ乗り込む。
御者に指示を出し、ルイス家の屋敷へと向かう。
「ふいー、疲れたわ」
馬車の中で脱力したジュリアンナに侍女が眉を顰める。
「お嬢様、淑女たるもの馬車の中でアホみたいな声を出してはいけません」
「別にいいじゃない、マリー。外ではちゃんと『完璧な淑女』を演じているのよ」
「演じるなら、ずっと演じてください」
「ずっと演じていたら、それは『演じている』のではなく、ただの素じゃない」
それじゃ楽しくないじゃないと続けると、侍女は『あきらめた』というように首を振り、溜息を吐く。
マリーは、わたし専属の侍女だ。
キャラメル色の髪に吸い込まれそうな黒の瞳の美女。
その外見に反して凄まじい戦闘力をもつ一流の侍女である。
そんな彼女に溜息を吐かせる主は、ルイス侯爵家長女こと、わたしジュリアンナだ。
外では完璧な淑女ともて囃されるわたしは、完璧な淑女を演じているにすぎない。
すべては虚構。その虚構がわたしの趣味であり、楽しみだ。
幼い頃に病弱だった弟に本を読み聞かせることが始まりだった。
最初は声に抑揚をつけるだけだった。その次に声色を変え、物語の登場人物になりきった。
するとそれらは弟に好評で、弟に喜ばれるたびにわたしは演技力は高めていく。
年を取るごとに丈夫になっていった弟が10歳になり、全寮制の士官学校に入学。
それにより演技を見せる相手がいなくなったわたしは、外に目を向ける。
今度は外で『演じる』ことにした。
時には商家の娘、宿屋の娘、加治屋の息子、農家の三男、侍女、没落貴族、大道芸人などエトセトラ、色々な人を演じて演じて演じまくった。
一度で演じるのをやめた役や、何年も演じ続けている役もある。
最初は家を抜け出したのがバレるたびに烈火のごとく怒られたが、今は役から得た幅広い情報網が国にとって有用であることから、侯爵令嬢の立場を疎かにしない範囲で黙認されている。
意図したことではないが、この副産物を名目にわたしは演じることを楽しんでいる。
うとうとしていると王都にあるルイス家の屋敷に到着した。
「「「「おかえりなさいませ、お嬢様」」」」
使用人たちの声が玄関ホールに響く。
「早く湯あみをして眠りたいわ」
「準備は出来ております」
わたしは『今日は何の入浴剤かしら』と考えながら、足早にマリーと浴室に向かった。
#######
「はあ?第二王子エドワード様からの召喚状? それは確かかしら、マリー」
「淑女たるもの『はあ?』など柄の悪い言葉を使ってはいけません、お嬢様。確かに第二王子からお嬢様個人宛の召喚状です」
「わたし個人……」
夜会の二日後、テラスで仕事をしているとマリーがとんでもないことを言い出した。
なんて面倒な……。
マリーの入れた紅茶を一口飲み、心を落ち着ける。
よし、聞かなかったことにしよう!
そう決めたわたしは、やりかけていた侯爵領の治水工事の書類仕事に戻る。
今年は豊作で食料備蓄も十分、工事を早めに始めたいわと現実逃避をしていると、マリーが『 お 嬢 様 』と有無を言わさない笑顔で召喚状を差し出してきた。
淀んだオーラが見えるわ……。
マリーの説教が始まる前に召喚状を受け取る。
内容は『明日、重要な話があるので王城に来て欲しい』というものだ。第二王子からわたし宛に。
「噂は真実なのかしら」
「第二王子エドワード様が婚約者を決めるため様々な令嬢に会っている、でしたか」
「そう、必ずしも『会う』わけではないみたいだけど。第二王子から話しかけられたとか、見つめられたとかもあるみたい。昨日の夜会で何人かの令嬢に自慢されたわ」
「……自慢ですか。お嬢様は令嬢の皆様が羨ましいですか?」
「全然。何故、わたしが羨ましがらなきゃいけないの」
第二王子エドワード・ローランズ。
正妃から生まれた王子にして、この国の王位継承権第一位。
美しい容姿に穏やかで優しい性格。
『理想の王子様』と称される第二王子は、わたしから見たら三流の役者である。
何が理想の王子様よ。容姿が良いのは事実だが、穏やかで優しい性格なんていうのは嘘。優しい言葉と穏やかな顔で必ず自分が正しくなる方向に誘導する。いつも浮かべている微笑も顔に張り付けているだけの仮面よ!と言ったら、小声でボソッと『同族嫌悪ってやつですね』とマリーに言われた。
同族なわけないじゃない!
「まあ、正式な召喚状だし……侯爵令嬢ごときが王族に逆らうわけにはいかないわ」
「では明日、王子殿下の召喚に応じるとお答えしておきます」
「よろしくね」
わたしは憂鬱な気分で仕事に戻った。
#######
わたしは現在、第二王子の執務室の前にいる。
正直、逃げ出したい。
そんなわたしの気持ちを知らずに、案内をしてくれた第二王子付きの侍女が執務室の扉を開けた。
そこには三人の男性が居た。
部屋の奥には、第二王子エドワード殿下が胡散くさい笑みを浮かべながら、机に頬杖をつき、座っている。
王子の右隣に立つのは第二王子の補佐官サイラス・イングロット様。
王家の三柱イングロット公爵家の嫡男だ。
翠の瞳に艶やかな黒髪を後ろにまとめた、高潔で洗練された雰囲気を醸し出す細見の男性だ。
影では『冷血補佐官』なんて言われているらしい。
王子の左隣に立つのは近衛第三騎士団団長キール・メイブリック様。
メイブリック伯爵家三男でローランズ王国随一の剣の使い手であり、最年少の近衛騎士団団長だ。
短く刈り込んだ赤毛に琥珀色の瞳の大柄で逞しい美丈夫。
影では『脳筋獅子』と言われているらしい。
ちょっと待て、獅子はルイス家の家紋なんですけど。
サイラス補佐官は鋭く射抜くような視線で、キール団長は面白いものを見るように、エドワード殿下は変わらず胡散くさい微笑みでわたしを見ている。
三人に共通しているのは、わたしを見極めようとしていること。
なんでわたしが品定めされないといけないのよ……と内心毒づきながら、完璧な淑女の礼をとる。
「失礼いたします。エドワード殿下の召喚にて参上しました、ルイス侯爵家長女ジュリアンナです」
「うん、待っていたよジュリアンナ嬢。そこに座ってくれるかな」
エドワード殿下が指し示したのは、執務室の中央のソファーだ。
簡単な話し合いをするために置いてあるのだろう。
侍女に案内されソファーに座る。
するとわたしの向かい側にエドワード殿下が座り、その隣にサイラス補佐官が座る。
キール団長はエドワードの後ろに立ち、護衛をしている。
「そう固くならないで……と言っても無理かな」
「申し訳ありません殿下。何分、王家の方直々に召喚状をいただいたのは初めてでして……わたし、とても緊張しておりますの」
「緊張しているにしては、先ほどの淑女の礼は完璧だったね」
「あら、これでも緊張で震えないように一生懸命でしたのよ」
「『完璧な淑女』と噂のジュリアンナ嬢を緊張させたなんて知られたら、貴族の男達に張り倒されるかもしれないね」
「まあ……そんなことはありえませんわ。わたしの方こそ『理想の王子様』と噂の殿下に召喚されたと令嬢たちに知られたら、大変なことになってしまいます」
早く本題を出して下さらないかしらと内心イライラしながら、エドワード殿下と会話する。
侍女が紅茶とお菓子をテーブルに置いた。
このままズルズルと意味のない会話を続けるのかと思っていると、サイラス補佐官がわたしが入室してから初めて口を開いた。
「殿下とジュリアンナ嬢は大事な話があります。お前たちは部屋を出なさい」
部屋にいた侍女たちに命じた。
侍女たちは部屋から退室して行く。
ゴシップ好きなのか、侍女1人が名残惜しそうに一度振り返った。
わたしも一緒に退室したい。
「重要な話とは何でしょうか、殿下」
「うん、重要な話っていうのはね。ジュリアンナ嬢、君は『リーア』だよね?」
「『リーア』……それは、何かの役職でしょうか?」
「役職じゃないよ。『リーア』とは名前のことだ」
「名前ですか……。わたしは殿下の知る通り、ジュリアンナという名前で
す。愛称も『リーア』ではなく、アンナと呼ばれています。ですから、わたしは殿下の言う『リーア』とは違うと思います」
否定するわたしに、エドワード殿下は一枚の紙切れを差し出す。
その紙切れはぐしゃぐしゃで古いものだ。
『何でも1回言うこと聞く券』と端正な文字で書かれていて、右下に『リーア』と署名もある。
紙切れを眺めているとエドワード殿下が語りかけてきた。
「その紙切れはね、7年前、私が14歳のときにある少女に貰ったんだ。名前は『リーア』」
「その少女……『リーア』様は、わたしによく似ているのでしょうか?」
おずおずとわたしが疑問を投げかけるとエドワード殿下は、きっぱりと言い切った。
「全然似てないよ」
わたしはきょとんと驚いた表情になる。
驚いているわたしを置いて、エドワード殿下は続けて話す。
「当時の彼女は11歳。容姿はブロンズヘアにチョコレート色の瞳。王都の宿屋の娘だと言っていた」
「それは……わたしと似通った点はないと思います」
「そう、似通った点は一つもない。だからこそ、君がリーアだと思った。俺はね、ジュリアンナ、7年間『リーア』を探し続けたんだ。まず始めに、王都中の宿屋の娘を調べたよ。まあ、期待していなかったけどね、『リーア』と思われる少女はいなかった。次に本命の貴族令嬢を調べた。『リーア』との会話で、貴族令嬢の可能性が高いと判っていたからだ。これは彼女が俺に与えた最大のヒントだよ。彼女と同い年の貴族令嬢の中から探したけど見つからなかった。今度は、彼女と同じ髪と瞳の令嬢から探したよ……それでも見つからなかった。だからね、ジュリアンナ。俺は『リーア』と共通点のない令嬢の中から探すことにした。そして、遠くから見たり、話したり、実際に会ってみたりして確かめた。そしてジュリアンナ、君以上に『リーア』だと思える令嬢はいなかったんだよ」
そうエドワード殿下は一気に捲し立てた。
一人称が私から俺に変わり、わたしのことも呼び捨てだった。
殿下の本性が出てきたのかしらと少し脅えながら、紅茶を一口飲み心を落ち着かせた。
「わたしは……ジュリアンナですわ、殿下」
「そうだね。でも君が『リーア』でなかったら、次は男から探さなきゃならない。今は花嫁探しなんて噂されているけど、次は男色家だと噂されるだろうね」
「――――!? えっと……殿下は何故それほどまでに『リーア』様をお探しになるのですか?」
強制的にわたしが『リーア』になりそうだったので、話題をずらす。
「欲しいんだよね、俺は『リーア』が。俺を敗北させた、ただひとりの女だから。ああ、今は男疑惑も出ているんだが」
そう言いながら、エドワード殿下は1枚のカードを差し出す。
カードには『お父様、誕生日おめでとうございます。ジュリアンナより』と書かれていた。
わたしが10歳のときに父の誕生日に贈ったカードだ。
何故そんなものを殿下が持っているのか――考えていると、殿下から強烈な言葉が告げられた。
「筆跡鑑定で、『リーア』の文字とジュリアンナ、君の文字が一致した。鑑定したのは記録局の筆頭執務官だ」
記録局といえば、ローランズ王国の歴史を記録する部署だ。王家の思惑には左右されずに、ありのままの歴史を残す。そんな中立性の高い部署のトップが鑑定したものを否定したら、ローランズ王国そのものを否定したことになる。そんなことは貴族として許されない。
「さて『リーア』、俺も理想の王子様の仮面を取ったんだ、お前も完璧な淑女の演技を止めたらどうなんだ?」
高圧的で実に楽しそう笑みを浮かべ、エドワード殿下は言い放った。
『理想の王子様』なんて言われていた第二王子は、もう存在しない。
こ の 腹 黒 王 子 が ! !
せめてもの抵抗にわたしは内心で罵った。