24話 エリザベス・ルイスの手記
「やってしまいました……」
路地裏に屈みこみ、わたしは己の浅はかさを後悔していた。
わたしの馬鹿!アホ!
いくら瞳の色と髪が違うからって、ルイス侯爵令嬢だと気付かれない保障はないのに……絶対に貴族令嬢だってバレたわ!
不敬罪にはならなくとも、騙した仕返しされるかも……第二王子は女の子にイカサマ仕掛けるような性格だし。それにあの命令券の筆跡変えてない……。
「よし、出来うる限り第二王子には接触しないようにしよう。数年経てば、わたしの顔立ちも変わるだろうし、筆跡だって今から変えれば大丈夫。それにお忍びで一回会ったぐらいの小娘のことなんて忘れるわよ。でも証拠隠滅は油断しないようにしよう。うん、決定」
決断は迅速だった。
「第二王子のことはさて置き、これからどうしようかな……」
しばらく時間が経ったことにより、わたしの頭も大分冷えた。
もういっそ家を出て平民として暮らそうかと思ったりもした。
しかし伝手もなく家にばれずに10歳の貴族の子どもが生きることなんて不可能だ。
確かにわたしは両親に道具と望まれ生まれてきた、だけど――――
「ヴィーとオルコット家は、わたしを愛してくれているわ……」
ヴィーは姉さんと呼んで慕ってくれている。
それにオルコット家は、わたしを可愛がってくれているわ。
おじい様はどう考えてもわたしに甘々だし、ライナスは従兄妹だけど歳が離れているからか、奥さんと一緒に実の娘のように接してくれている。ライナスの息子のテオドールはわたしの1つ上で兄のようだし、その下の兄弟たちもわたしを姉のように接してくれる。
両親には愛されなくとも、わたしは――――
「……わたしは、ちゃんと愛されている」
涙が一筋流れたが、わたしは服の袖でゴシゴシと乱暴に拭くと立ち上がった。
愛されない悲しさがないと言わない。
でも、わたしは悲劇のヒロインなんかじゃない。
自分が可哀相だなんて思いたくもない。
「……帰ろう」
強がりなのは判っている。
それでも、わたしはルイス侯爵令嬢として生きなければならない。
だって、わたしはわたしを愛してくれる人達の傍を離れたくはない。
それはつまり、ルイス侯爵令嬢であることを捨てられないということ。
嫌なら逃げればいい、貴族のことなんて捨てて。
しかし逃げることを選択しないならば自分の運命は受け入れなければならない。
ルイス侯爵令嬢として生まれた義務も、自分に流れる作られた血も。
だから――――
「わたしの帰る場所はルイス侯爵家よ。 わたしはジュリアンナ・ルイスなのだから……」
自分に言い聞かせるように呟いた。
わたしは屋敷へと歩き出す。空はもう宵闇が広がっていた。
♢
「……ただいま」
こっそりと屋敷に戻って来たわたしは、ハワードのところに寄り、元のドレス姿にもどり母屋のエントランスにいた。
わたしが消えたことで騒ぎになっていたのか、使用人たちが驚いた表情でわたしを見ていた。
侍女長は鬼のような形相で怒っている……。
「ジュリアンナお嬢様!何所に行っていたのですか!私が、私がどれほど心配したと思っていますか……」
「ごめんなさい……」
「お説教は後でみっちり行います」
「はい」
「ですが……お怪我がなくて安心いたしました」
「……心配をかけました」
侍女長は怒っている、でもわたしに対する愛情が見て取れた。
「さあ、ヴィンセント坊ちゃんに元気な姿を見せてあげて下さい。お嬢様を探しに行くって騒いで大変だったんですよ?」
「うん。ヴィーにもちゃんと謝るわ」
「そうして下さい」
♢
「姉さん!」
ヴィンセントの部屋に入ると、駆け寄ってきた彼に思いきり抱きしめられた。
数か月ぶりの抱擁は何だかくすぐったい気持ちになる。
ヴィンセントの顔の位置が前と違ってわたしの上にあるのに気付いた……大きくなったとは思っていたけど、もうわたしの身長を抜くなんてね。ちょっと生意気。
思わず笑ってしまった。
「ふふ、心配かけてごめんなさいヴィー」
「何笑っているんだよ姉さん!僕がどれだけ心配したと思っているのさ」
「うん、知っている」
「いいや、判ってないよ。姉さんは中途半端にアレを見たんだろうと思ったら……僕は気が気じゃなかった」
「ごめんね」
アレというのが少々引っかかるが、わたしは素直に謝った。
「もういいや。姉さんが帰って来てくれたから……」
「うん。もう、逃げたりしないよ」
「そっか……君、ちょっと姉さんと二人きりになりたいから出て行ってくれるかな」
わたしに優しく微笑んだかと思ったら、部屋の隅にいた侍女にヴィンセントが冷たく言い放つ。
侍女は、家を飛び出す前にわたしの部屋にお茶を持って来た新人侍女だった。
侍女は渋々といった様子で外に出て行った。
それを見送ると、ヴィンセントは衣裳部屋にわたしを引っ張っていった。
「ちょっとヴィー、話なら部屋でいいでしょ。それに侍女にあからさまに冷たく接するなんて駄目でしょう」
「誰にも聞かれたくないんだ、姉さん。それにあの侍女、空気も読まずに喋りかけてきて……姉さんが可哀相だの、きっと優しい貴族様が姉さんを迎えに来てくれるだの、凄く煩かった……」
「そう……」
ヴィンセントは本気で怒っていた。
衣裳部屋の中に入ると、二人で床に座った。
室内は衣裳部屋と言っても、着替えることにも使うので広々としている。
ヴィンセントは真面目な顔で尋ねた。
「ごめんね、姉さん。これ……勝手に見た」
差し出してきたのはエリザベスお母様の日記帳だった。
「見たって……中に書いてある文章は読めなかったでしょ?」
「ううん、読めたよ。どうやら僕には暗号関連の才能があるらしくて……士官学校でも専門の教官に色々教えて貰っているんだ。笑っちゃうよね、エリザベス母上の子じゃないのに才能があるなんて」
ヴィンセントに暗号関連の才能があるなんて知らなかった。
もしかしたら本人も、士官学校に行って初めて知ったのかもしれない。
「笑ったりしないわ。さすがはわたしの自慢の弟ね……中を見たのなら知っているでしょう?」
わたしがルイス家の道具だってという言葉は飲み込んだ。
「姉さん、これどこまで読んだ?」
「最初のページだけだけど……」
「やっぱり。最初のほうは素人でも何とか解読できるレベルだったからね」
ヴィンセントは紙の束をわたしに出してきた。
「これは?」
「エリザベス母上の日記を解読して書き起こした。みんなが姉さんを探しに行くなって必死になって止めるからさ、姉さんの失踪に関係ありそうなこの手帳を解読してたんだ。読んでみてよ」
「判ったわ……」
半日で日記帳を解読した弟の才能に驚かされる。
わたしは受け取った紙の束に目を通した。
最愛の弟が読めと言ったのだ、わたしは大きな不安を隠しながら生みの母の日記を紐解く。
♢
今日はカレン様とジェラルドの結婚式だった。
わたしも体調が良かったので結婚式に出席した。
ウェディングドレス姿のカレン様は愛らしく可愛い。
だけど意外にジェラルドを交えて3人でお話すると、内面は優しげなのに芯が強い印象を受けた。
早速、ジェラルドは尻に敷かれていた、さすが幼馴染。
思わず笑ってしまった。
ジェラルドは仕事はできるけど、プライベートはヘタレなのかもしれない。
意外な事実を発見。
カレン様とは仲良くやっていけそうで安心した。
最近いつもと違う体調の悪さね……と思ってハワードに診察してもらったら妊娠していた。
結婚して4カ月、思っていたより早かった。
だけど、わたくしの身体は年々悪くなっている。
子供が産めなくなる前に妊娠できたのは幸いだ。
カレン様は喜んでくれたが、ジェラルドは複雑なようだ。
やっぱりこの男はヘタレである。
ジェラルドがこの子に複雑な感情を抱くのは判る。
でも貴方がこの子に対してそんな態度ならば、一体わたくしはどうすればいいの?
わたくしの妊娠が判って数週間、今度はカレンの妊娠が発覚した。
すごく嬉しい!今夜はお祝いにカレンの大好きなショコラを食べた。
仲が良くなったわたくしたちは、お互いを名前で呼ぶようになった。
女友達が増えたのはとっても嬉しい。
明日は一緒におくるみに刺繍をする約束をした。
刺繍……苦手だけど、頑張るわ。
悪阻のせいか、最近は食欲が減退気味で果実ばかり食べてしまう。
だけど悪阻はわたくしよりカレンのほうが辛そう。
虚弱体質のわたくしがカレンのような悪阻だったら、冗談抜きに死んでしまうかもしれない。
この子は母思いみたい。
ジェラルドが胎教にいいと楽団を家に招待した。
ピアノのような静かな音ならばいいかもしれないが、金管楽器はないだろう。
カレンと一緒にダメだしをした。
今日はお兄様が屋敷にやって来た。
元帥の仕事で忙しいでしょうに……。
その事を言ったら、可愛い妹とその子供に会いに来て何が悪いと拗ねていた。
孫もいる身だと言うのに子供っぽい人。
そう言うわたくしも、父親のように慕ってきたお兄様に会えて実は嬉しかった。
わたくしは長生きできない。
あとどれだけお兄様と会えるだろうか?
最近この子がお腹の中で良く動く。
早く出たいのか、落ち着きがないみたい。
カレンの子は動くというより暴れるという感じらしい。
もしかしたらカレンの子は男の子なのかもしれない。
ジェラルドが最近お腹に耳を当ててくる。
その顔はとても幸せそう。
夫婦になって随分経つが、わたくしとジェラルドには恋愛感情というものがお互いに芽生えない。
ジェラルドにはカレンがいるし、わたくしは恋愛体質ではない。
これは当然の事と思えた。
しかしカレンと3人でいると、とても楽しい。
家族愛というヤツかもしれない。
今日の診察でハワードにハッキリ言われた。
わたくしは出産に耐えられないそうだ。
自分の身体のことは自分が一番よく知っている。
だからか、特にショックは受けなかった。
このことはジェラルドとカレンには内密にするようにハワードに無理やり誓わせた。
わたくしの方が早く妊娠したのに、カレンのほうがお腹が大きい。
根拠はないが、カレンの子は男の子なんだと思う。
そうすると、この子は女の子な気がする。
できれば、わたくしのストロベリーブロンドではなく、ジェラルドのハニーブロンドが遺伝して欲しい。
瞳に色は……わたくしの紫の瞳以外ならば、何でもいい。
この子に余計な物は背負わせたくない。
すでに沢山の物を背負わせているわたくしがいう事ではないけれど。
今日はお忍びで陛下とダリア正妃が来た。
本当はわたくしがお二人に会いに行くべきだが、体調が芳しくない為、最近はベッドから離れられない。
陛下とダリア正妃には、迷惑をかけて申し訳ないと謝られた……わたくしとジェラルドが勝手にしたというのに。
わたくしは、お二人に図々しいお願いをしてしまった。
第二王子の為に産む子だというのに、この子に少しだけ選択の自由を与えて下さいなんて……
これが母性というものなのか、危うくわたくしの忠誠心を揺らがせるところでした。
最近は本当に体調が悪い。
ベッドから動けない生活が続いたせいか、それを怪しんだカレンに出産に耐えられる身体ではないことが知られてしまった。
それに、わたくしとジェラルドが第二王子のため――たどれば政治の安定のためにこの子を産むことも最初から知っていたと告白された。
たとえ死んでも産みたいと訴えると、「お腹の子をそんなに愛しているならば止めない」と言われた。
カレンに言われて、わたくしはこの子を愛しているのだと気付いた。
この子には、わたくしと違って丈夫な身体に生まれて欲しい。
わたくしがこの子のために出来ることは何だろうか……
今日は暗号解読の本を執筆した。
この子にわたくしと同じ才能があるとは限らないけど、いつか役に立つ日が来るかもしれない。
成長を見守ることは出来ないけれど、この子が良き未来を選べるような手助けがしたい。
ジェラルドにわたくしの身体のことがバレた。
怒鳴られて、久しぶりに喧嘩をした。
昔よく、この国の未来について二人で語り合ったけ……
わたくしにとってジェラルドは、“夫”ではなく“同志”だと再確認した。
先日わたくしに怒鳴ったことをジェラルドが謝罪してきた。
どうやら、陛下とイングロット公爵に何か言われたらしい。
わたくしは、すっかり忘れていた……と言うより、気にもしていなかった。
これからは二人の時間を作ると言われたが、カレンと三人がいいと言うと、あからさまに落ち込んでいた。この男は少々面倒くさい。
今日は甥のライナス――と言ってもわたくしよりも年上だが――が屋敷に来た。
執筆した暗号の本を渡した。
その際、わたくしのことを話した。
わたくしが国のため、陛下のために忠誠を誓えたのはオルコットの家族がいてくれたから。
とても、とても幸せな日々だったと伝えた。
そして、この子をことを頼んだ。
ジェラルドはヘタレだから、あまり当てにはならないだろう。
何かあっても、オルコットの家族はこの子を守ってくれる。
勘のいいライナスは、わたくしの身体が出産に耐えられないのを察したようだ。
その後はこの子の名前についてで盛り上がった。
きっと女の子だろうと言うことで、考え抜いた末『ジュリアンナ』はどうかという結論に達した。
大恋愛をして父と結ばれたサモルタ王女であったわたくしの母、『ジュリエット』から名前を取った。
別にこの子に恋愛をして欲しい訳ではないが、お母様のように自分の未来は自分で掴むような子になって欲しい。
この子が男の子だった場合は……お兄様に名付けてもらいましょう。
出産予定日が近づいてきた。
今日は、カレンとジェラルドと3人で食事をした。
わたくしがベッドから起き上がれないので、わたくしの部屋でサンドイッチを食べた。
貴族らしからぬ食事。だけど、意外にも楽しかった。
陣痛が始まった。
とても痛いが、本当の痛みはこんなものではないらしい。
徐々に陣痛の痛みの間隔が短くなっていく。
今は痛みは引いているが、すぐにまた痛くなるだろう。
この日記はハワードに託すことにする。
この子が10歳になったら渡して貰おうと思う。
日記を解読したら、この子はわたくしに幻滅するでしょう。
それでも、わたくしはこの日記を託そうと思います。
最後に10年後この子へわたくしの思いを伝えましょう。
未来を見ることが叶わぬ我が子へ
今この日記を見ているということは、あなたは自分が生まれた理由を知ったことでしょう。
どんな言い訳を並べようと、わたくしとジェラルドの愛国心と忠誠心、そして第二王子や政治のためにと産んだというのは代わりのない事実。
最低な親でしょう?
だからもしも、あなたがわたくしの死を自分のせいだと思っていたのならば、気にやまないで下さいまし。
ただ、あなたがわたくしの中にいる間、それはそれは愛しい時間でした。
あなたという命をこの世に生み出せることを、今日と言う日を心待ちにしていたのです。
血筋という大きな枷をあなたには背負わせてしまいました。
それはきっとあなたを苦しめるでしょう。
ですが努力ではどうにもならず、大きな武器になるのも事実。
身に流れる血を自分の未来のために使いなさい。
わたくしたちのような愛国者になれとは言いません。
ただ、幸せに。
愛し愛する人たちと出会い、わたくしのように幸せな最期が迎えられるよう祈っています。
本当は生まれたばかりのあなたを抱きしめたかった。
あなたに母乳を与えてみたかった。
初めて喋る言葉は「お母様」と呼ばせたかった。
一緒にお茶を飲みたかった。
寂しい時は一緒に寝てあげたかった。
初めての社交界では、盛装を一喜一憂しながら見立ててあげたかった。
親子喧嘩をしてみたかった。
そして、あなたが成人する日を一緒に迎えたかった。
それはわたくしには望めない未来。
ですから、あなたが親になった時に自分の子どもにしてあげなさい。
母の我が儘なお願いです。
最後に。
今この瞬間、わたくしは誰よりもあなたを愛しています。
わたくしとジェラルドの子に生まれてきてくれてありがとう。
あなたの母、エリザベス・ルイスより
長くなったので中途半端ですが切ります。
きっかけはどうであれ、長い間お腹にいた我が子に愛情が湧かないはずもなく……という訳で。
そして、当てにされないジェラルドさんw
次回は日記を見た後のルイス兄弟から入ります。
エリザベスの言うお兄様
→現オルコット公爵 エリザベスの親子ほど年の離れた兄
ジュリアンナとの関係は叔父と姪(おじい様呼び)
ライナス
→オルコット公爵の長男
エリザベスとの関係 叔母と甥(ただしライナスのほうが年上)
ジュリアンナとの関係 従兄妹
→テオドール(本編未登場)
ライナスの息子でオルコット公爵の孫。
ジュリアンナの1つ上
ややこしやー