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侯爵令嬢は手駒を演じる  作者: 橘 千秋
第一部 ローランズ王国編
20/150

20話 無能者はルイス家にいない

18話の続きからです。

 (一体何がどうなっているの……)



 つい先ほどまで自分が優位に立っていたはずなのにとアン――モニカ・アントルーネは豹変した同僚を見ていた。否、自分が見上げている碧色の双眸は自分が大嫌いなエレンではない、別の誰かだと瞬時に理解した。


 モニカは震えが止まらなかった。

 幼馴染が調合した特別製の薬。今まで、たとえ裏の人間にも効果がでないことはなかった。

 過信していたと自分の失敗に気づいても、もう遅い。


 使い捨てようとしていた人間に自分の命が握られている。

 そう思うだけでモニカは恐怖した。

 蹴り上げられた腹部に馬乗りになっている女が体重をかける、その激痛に冷静な思考は絡め取られていく。



 (まだ死ぬ訳にはいかない……でも、どうしたら!)



 モニカは自分の首筋からチクリと痛みが奔るのを感じた。

 生暖かい液体が首を伝う。

 それを丁寧に掬われ、紅を差すように女の華奢な指でそっと唇に触れてきた。

 塗られた紅の香りからそれが自分の血だということを理解し、モニカの顔は恐怖の色を濃くしていく。さらに女に告げられた言葉にモニカは抵抗の無意味さを知る。



「ふふ、わたしは知っていましたよ、貴女がエレンを嫌っていることを……でも、わたしは貴女がとても大好きでしたわ。それを貴女は知っていまして? ねぇ、モニカ・アントルーネ元男爵令嬢?」



 聞こえてきたのは、小鳥の囀りのようなエレンの可愛らしい声ではなく、鈴の音のような声だった。

 この女は自分のことを知っている――モニカは女が教会の犬だと断定した。



 (ミイラ取りがミイラに……っていうところかしら? 悔しい、私は何も、何も成し遂げてはいないのに!)



 恐怖と悔しさでモニカは涙がこみ上げてきた、しかし己のせめてもの矜持として決してその涙を流さず、せめても反抗にキッと女を睨みつけた。

 モニカのその様子に女は笑みを深める、そして女は楽しそうに語りだした。



 「初めにおかしいと思ったのは朝食の礼拝です。アン――もう、モニカでいいですね。モニカは決して礼を取ることはありませんでした。次にミリアとエレンとアン、3人でいる時は長くおしゃべりをするのに、エレンと二人きりの時はいつも軽い挨拶程度でしたよね。図書館で会った時もそうでした。エレンの性格からしてアンには嫌われる要素がないのに何故? 性格以外の要素があるとしたら、エレンの信仰心ではないか、そう考えたら貴女を自然と目で追っていたのです。そして貴女の事をわたしの側近に調べさせました」


 「……そんなに私が魅力的だとは思いませんでした」


 モニカは脅えを隠し、女を挑発した。


 「ええ本当に。初めての夜勤の時にエレンとミハエル神父が現れた時の貴女は、必死に自分の心を殺して平然とアンの演技をしていましたよね。でも演じるならば、手を握りしめて血を流してはいけませんよ……まあ、わたしも人の事は言えないのですけれど。貴女はわたしを教会の回し者かと思っているようですが、違います。そこは信じていただけると嬉しいです。ところでモニカ、貴女は王都教会に復讐したいのですか?」



 教会の犬ではないという女に、それならば少しは交渉が出来るかもしれない。

 そう思ったモニカは正直に話すことにした……嘘をついたとしても、この女にはすぐにばれる。女の異常な観察眼と演技力からモニカは判断した。



 「アントルーネ男爵家は商家からの成り上がり貴族でした。ですけど、父も兄も国王陛下に忠誠を誓っていましたし、私と弟もそんなアントルーネ男爵家を誇りに思っていました。6年前、私の家は無実の罪を着せられて反逆罪に問われました。王都からの使者が来ることになりましたが、父と兄は陛下なら判って下さると言って大人しく屋敷にいました。ですがそこに王教会の神父が来たのです。その神父は――ミハエル第一神父でした。神父は寄付金をお願いしたいと言っていて、我が家が罪に問われているのは知らない様子でした。父が今日は都合が悪いと神父に帰ってもらうようにお願いすると、神父の隣にいた護衛が父を剣で刺して殺しました。逃げ惑う使用人や私の家族をいつの間にか家を取り囲んでいた人たちが殺していきました。私は仲の良かった使用人の子どもと隠し通路から出て助かりました。私は同じ髪色と目の乳母の娘を身代わりにして生き残ったのです」


 「それで、ミハエル神父に復讐しようと?」


 「ええ、それもありますが……屋敷の襲撃者は身元の判別できない恰好をしていましたが、武器にはマクミラン公爵家の文様が刻まれていました。私は……私は、家族を殺した王都教会とマクミラン公爵家が憎い!それにマクミラン公爵に利用され無実の罪を擦り付けて、我が家の誇りを傷つけた無能の国が憎い!私は!!」


 「言いたいことはそれだけか――――」



 笑っていたはずの女はいつの間にか氷のような無表情に変わっていた。

 しかし無表情の中で眼だけは怒りに満ちていた。

 


 「がふぁっ」



 女はモニカの首を掴み、浅く切れた傷口を爪を立てて抉った。

 その激痛でモニカは決して流すまいとしていた涙を簡単に流してしまう。



 「別にわたしは復讐するなとは言わないわ……個人の自由ですしね。でも、己が家の不始末を国に押し付けるなど言語道断。1つ教えてあげましょうか、モニカ・アントルーネ。貴女の家が罪を着せられたのは、怠慢が原因です。マクミラン公爵家に対抗できるような家の庇護下に入らなかったことですよ。どこの派閥にも入らずにいたから足元を掬われる」


 「そ、それは――――」


 痛みに耐えながらモニカ声を絞り出す。


 「成り上がりの新興貴族だからですか?それは違いますよ。商売だけしていればいい訳ではないのです、貴族なのですから。弱小貴族は貴族と言えども吹けば飛ぶような権力しか持ちません。故に自分を磨いて価値を高め、信用できる大きな家の後ろ盾を得られるよう必死になるのです。それは傍から見たら媚びを売る下賤な者に見えるかもしれません。ですがそれは己が家を守るため、誰だって他者に媚びへつらうのは嫌でしょう?しかし信用できる後ろ盾を得られれば家は繁栄する――即ち国が繁栄するのです。モニカ、貴女は貴族の子女や子息と交流を持ちましたか?調べによると貴女は殆ど茶会などには出席していなかったようですね。貴族に生まれたからには、たとえ子供でも家の為に尽くさねばなりません……己が家を愛し、誇りに思うなら尚更」


 「あ、あ……」


 モニカは女の言葉を受け止めるので精一杯だった。

 女はモニカの首から手を離し、モニカの唇に人差し指をあて、妖艶な笑みでモニカに告げる。


 「それともう一つ。マクミラン公爵家は我がルイス侯爵家の獲物です。勝手な復讐はとても困ります」


 「ルイス……!?」


 モニカは女の言葉に驚愕を隠せなかった。

 ルイス家と言えば王家の三柱の一家で、実質的な力はマクミラン公爵家よりも上だ。


 

 「失礼いたしました、自己紹介はまだでしたね」



 そう言って女は濃茶の髪を強く引っ張る。

 すると現れたのは緩く波打つ淡い金髪だった。


 

 「瞳の色はご容赦ください、目薬で変えていますので。わたしはルイス侯爵家が長女ジュリアンナ、以後お見知りおきを」


 モニカから退いた女――ジュリアンナは簡素な綿の夜着をつまみ、完璧な淑女礼を取る。


 「な、なんで、ルイスの令嬢が……」


 「尤もな感想ですね。一言で言いますと、任務中なのです。わたしは、かの人の手駒を演じているのですよ」 


 「ルイスの令嬢を手駒にするなんて、いったい」


 「雇い主は鬼畜の腹黒野郎よ。まあ無駄に優秀みたいで、わたしの――ルイス家の思惑に感づいているみたいなの。だから遊ばれたり邪魔される前に色々済ませておきたいのです。モニカ、提案なのですが……わたしと協力関係を結びませんか?」


 「協力って……私みたいに復讐を誓う愚かな女の協力なんて必要ないと思いますけど……」


 「別に復讐が悪いだなんて言っていないでしょう。復讐したいと思われるほど愛されていたなんて素敵じゃありません? 死後に意識があるかどうかは知りませんが、わたしは自分が殺された後に身内が復讐してくれるのは嬉しいですけど」


 「普通、復讐なんてしてはダメだと言うんじゃないんですか? 残した身内が危険な目に遭うのは嫌でしょう」


 「普通が何かは知りませんが、我がルイス家には無能者はいません。ですから、たとえわたしが志半ばで殺されたとしても、必ず(かたき)を討ってくれます。わたしは彼らを信じていますから」


 「そんなに信用できる人がいるのならば、私の協力など尚更必要ないです……」


 「おかしなことを言いますね。わたしと協力すれば今よりも復讐が容易になるでしょうに……まあ、マクミラン公爵家は譲りませんが。そもそも、わたしは無能者に協力など申し入れません」


 「それって……」


 「まず貴女がわたしに飲み込ませた液体、実を言うと危うかったのです。元々、暗殺者に狙われる立場なので毒や薬の耐性は出来ていました、それも特別な耐性をね。だからこそ貴女の攻撃を甘んじて受け入れたのです……ですが、あの液体は強力で少しの時間でしたが、確かに効果が出ていました」


 「ですが、それは私が作った物ではありません」


 「入手できる立場にいるというだけでも価値があると思いますよ。それに本当の貴女の価値は、復讐の為に王都教会に乗り込む行動力とどんな状況でも決して屈しない強気な態度です。それは得難いものです……最初に言ったでしょう、わたしは貴女が大好きだって」



 にこりと先程とは打って変わり、穏やかにジュリアンナは微笑んだ。

 ジュリアンナのころころと変わる表情の美しさにモニカは魅入られていた。



 「私は愚か者です……協力すると言いながらも自分の復讐のために、貴女様を利用するだけ利用して不利益を被るかもしれません。それでも、協力させてもらえるのでしょうか」


 「構いません。もしもわたしが貴女に追い詰められたとしたら、それはわたしの目が節穴だったのでしょう。ですが、わたしは自分の目に自信を持っています。ですから、貴女は存分にわたしを利用しなさいな」


 「そこまでおっしゃって下さるのならば、ささやかながら協力させていただきます」



 握手を交わし、モニカとジュリアンナは協力者となった。 

 モニカは復讐のため、ジュリアンナは――――



 「お互い様なので謝りませんが、傷の手当をしましょう。いえ、こうですね『あ、アンさん、大丈夫ですかー!直ぐに手当しましょう!』」


 「本来ならば殺されていてもおかしくはありませんし、謝罪は必要ありません。『え、エレンさんが……まあ、手当だけは信用できますし。お願いしますー』」


 「「ふふっ」」



 二人はどちらともなく笑い合った。

 



 次の日、秘密の女子会をして距離の縮まったエレンとアンを見て、夜勤だったミリアはちょっとだけ拗ねるのであった。





  

次回からは過去編――と見せかけて番外編をワンクッション挟みます。



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