17話 常闇に紅薔薇は咲き誇る
月のない真っ暗な空。
それは教会内の静けさもあって永遠に続く常闇のように薄気味悪い。
人の気配すらない廊下には己の足音だけが響く。
ここは教会内にある禁止区域。
限られた者だけが入ることが許される場所だ。
聖域などと仰々しいものではない。
王都教会の裏側に深くかかわる者たちのための場所、故に禁止区域と呼ばれる。
ミハエルは己の首にかかるロザリオを手に取る。
銀と水晶で造られた精巧で美しいロザリオ。
それは代々の王都教会の神父の頂点――第一神父に継承されてきたもので、見る物に神々しい印象を与える。ロザリオを継承することは清廉の女神ルーウェルに忠実な使徒の証。
しかしミハエルにとっては己の生き方の証明だった。
(何が誠実で信徒の模範となり導く存在だ、笑わせる。こんなものは金でどうにでもなる。人の命さえ金で買える時代だ、神の使徒の座だって金で買える。ふ、ふはは、私のような者が誠実だと?何と良い世界だろうか)
貴族の嫡男に生まれなかった者は自分で身を立てなければならない。
没落寸前の下級貴族の4男に生まれたミハエルも、もちろん例外ではない。
準成人を迎えて早々に教会に放り込まれたミハエルは屈辱の日々を送った。
豊富な寄付金を持参して要職に就く貴族の令息、信徒に慕われ敬われる平民、すべてがミハエルを見下した。寄付金さえ、金さえあれば奴らを見下すことができたのにと。
ミハエルは貴族出身の神父としてそれなりの地位になることが出来た。
しかし貴族出身神父とも平民神父とも相容れない存在として王都教会で異質となり続ける。
だがミハエルに転機が訪れる。
ジェームズ・マクミラン公爵との出会いだ。
彼の支援を得てからのミハエルは瞬く間に出世した。
今まで自分を見下していた者たちが、金を見てころりと態度を変える様が愉快だった。
僅か5年でミハエルは最年少第一神父の地位まで上り詰めることができた。
そのミハエルの地位を使い、今まで反国王派だった貴族や、金に目が眩んだ貴族を纏め上げたマクミラン公爵は教会派という巨大派閥を形成したのだ。
しかしミハエルには教会派などという貴族派閥には興味はない。
ミハエルの関心を惹くのは、金と人が欲に溺れる様を見ることだ。
禁止区域の奥の奥。
ミハエルは目的地である重厚な黒の扉の前に着いた。
今日はマクミラン公爵に呼び出しを受けている。
黒猫の侵入者がいたことは公爵には知られていないはずだとミハエルは思っている。
侵入者を処分出来なかったことが発覚すれば今の地位を剥奪されるかもしれない。
金で地位を手に入れることは簡単だが、失うのは金が無くても簡単だということえをミハエルはよく知っていた。己が蹴落としてきた者たちがそうだったからだ。
地位や権力とは手に入れた瞬間から、失うのがそれはそれは恐ろしくなる。
強力だが曖昧で人を容易く酔わせるもの――そうミハエルは認識している。
意を決して扉をノックをすると、「入れ」というマクミラン公爵の声が聞こえた。
「失礼いたします」
内心の焦りを隠し、黒の扉の奥へと進む。
一目で最高級品だと判る装飾家具が置かれた部屋には、既に3人の人物がいた。
一人目はマクミラン公爵。
白髪交じりの褐色髪の男で、貴族特有の威圧的な存在感を放っている。
味方であっても使えなければ容赦なく切り捨てる冷徹な男としても有名だ。
王都教会での免罪符の販売、貴族相手のサバトなどを考案し実行したのはこの男だ。
野心のある実に貴族らしい男だと良い意味でも悪い意味でもミハエルはそう思っている。
二人目は、数か月前から王都教会に出入りするようになったビアンカ側妃。
傲慢な寵姫と噂される通りの高慢で無駄に自尊心の高い女だが、羽振りだけは良いので、今では王都教会の最大の支援者となっている。その資金は国庫から出されているはずだ。
王からの寵愛が無くなった今は、彼女は一定額を王から受け取っているらしい。
しかし寵愛を受けていたころは湯水のように金を使っていたため、現在の状況に関しては大いに不満があるらしい……自分がどれだけの慈悲が与えられているのか理解していない、なんて愚かな女だろうか。
最近は自身の息子を王にしようと躍起になっているそうだが……ミハエルには関係のない話だった。
三人目は――初めて見る若い女だった。
黒の喪服を着ていて、黒のベールから時折覗く深紅の瞳が隠しきれない女の妖艶さを醸し出している。
背徳的な美しさだとミハエルは思った。
(随分と教会に似合わない顔ぶれだ、自分も含めてだが)
ミハエルが喪服の女に魅入られていると、女は艶のある声を紡ぐ。
「初めまして第一神父ミハエル殿。私の名はカルディア・レミントン、レミントン前男爵夫人だ。この度、貴公たちの仲間になることになった。よろしく頼むよ」
レミントン男爵前夫人――数年前の社交界において噂の的だった女性だとミハエルは記憶している。
後継ぎ争いの起った実家のワイラー伯爵家を出奔し教会に身を寄せたが、数年後、二回り歳の離れた男爵の後妻となった。
当時は遺産目当てだ、歳の差の恋愛結婚だとずいぶんと面白おかしく噂されていた。結婚から1年半経った去年、男爵は亡くなり家督は前妻の息子へと引き継がれたらしい。
真実がどうあれミハエルには関係が無かった。
愚かな金の鵞鳥がまた現れた……ただそれだけだ。
「カルディアは、あたくしの友人で同士なのですわ。以前からダグラスを王に推奨してくれていますの。それにサバトへの資金援助をしてくれるそうですわ!」
ビアンカ側妃の喜色の混じった甲高い声が響く。
カルディア前男爵夫人の資金援助により自分の金が増える事に期待を膨らませているのだろう。
またレミントン前男爵夫人も夫の残した財産で享楽に耽るのだろう。
(なんて醜悪な女共だろうか)
ミハエルは内心で吐き捨てた。
「私は参加するより見ている方が好きなんだ。だから金銭的な援助は惜しまない……楽しいショーを期待しているよ、ミハエル殿」
「畏まりました」
一瞬レミントン前男爵夫人の深紅の瞳にぞくりと背筋を震わせたが、ミハエルは気のせいだと結論付けた。
「ミハエル、今回呼んだのは他でもない、サバトと免罪符についてだ」
とうとう来たかとミハエルは身構え、マクミラン公爵へ冷静を装い目を向ける。
「はい、何でしょうか」
(大丈夫だ、侵入者の証拠捏造および傭兵への口止めは完璧、公爵には判らないはずだ)
「免罪符とサバトは教会派の貴重な財源となっている。そこでそれらの指揮をミハエルに一任することにする」
「私に一任ですか!?」
「王都教会にばかり構っていられる状況ではなくてな……今後ますます忙しくなる予定だ。故に私の意思を反映して忠実に王都教会をまとめている其方に頼みたい」
「謹んでお受けします。しかし、公爵様が今より忙しくなるとは……何かあるのでしょうか」
「ふふ、ダグラスが王になる準備が出来たのですわ! これで国母は、あの小国の鉄仮面女ではなく、わたくしになるのです」
「我が娘と第一王子の婚約が調った。近々王宮で行われる、騎士団の勲章授与式と夜会にて公に披露される……その後、ジュリアンナと私が結婚し、第一王子の後見となりクーデターを起こす。それによりこの国は大きく変わるだろう」
「そんな愉快なことになっているとは思わなかったよ。ふふ、楽しみだ」
「微力ながらお手伝いいたします。しかし、ジュリアンナ嬢と言えば国王派筆頭貴族ルイス家のご令嬢、教会派に組み込むことはできるのでしょうか」
ミハエルはマクミラン公爵がルイス家ご令嬢に執着しているのは知っていた、だから結婚に対してとやかく野暮なことは言うつもりはないが、教会派貴族が潰されるのは避けたい。
「それなら心配には及ばない。随分と前からルイス家には私の間者が忍び込ませている……もはやあの男の一挙手一投足が判るほどの場所にな。それにジュリアンナには幼い頃から父と家に対して嫌悪するよう仕向けてきた……心配など無用だ」
「愚かな問いかけをして申し訳ありません」
「構わん。では、カルディアの新規契約とミハエルの契約更新をする」
差し出されたのは2枚の契約書。
1枚はレミントン前男爵夫人に渡し、もう一枚は自分の手元に置いた。
契約書の内容はサバトと免罪符販売をミハエルに一任するというもの――公爵は契約書を書かせ、お互いを共犯者であると認識させることによって裏切りを防止している。
迷いなく署名し、それをマクミラン公爵に差し出す。
隣を見ると、レミントン前男爵夫人も契約書にさらさらと名前を書いていた。
契約が完了するとマクミラン公爵は別室に待機させていた侍女を呼び、ワインを持ってこさせた。
曇り1つない4つのグラスにワインを注ぎ、手渡す。
マクミラン公爵がグラスを掲げる。
「ローランズ王国に革命を――――乾杯」
「「「乾杯」」」
迷いなくワインを口に運ぶ。
これで我らはまた共犯者となった。
この国が近い将来どうなるかは判らない、しかし――――
かの帝国の後ろ盾のある我らにこそ、清廉の女神ルーウェルは微笑むだろう。
ミハエルは狡猾な笑みを浮かべながら美酒と栄えある王都教会の未来に酔いしれた。
更新遅れて申し訳ありません。
私生活が忙しいのと、なかなか執筆が思うようにいかず、更新が遅れてしまいました。次話は早めに更新できるように頑張ります。
今回出てきたカルディア嬢が判らない方は07話を見て下さい。
登場人物も増えてきたし、そのうち登場人物一覧を投稿しようかなーと思っています。
次回は主人公視点に移ります。