16話 貴族として王族として
案内されたのは一軒の平民向けの宿屋。
フロントに座る年配の女性にエドワード様が「104号室」と端的に言うと、女性は顔色一つ変えずにルームキーを差し出した。
その様子から察するにこの宿はエドワード様の秘密の隠れ家なのかもしれない。
わたしは慣れた様子で歩くエドワード様の後を無言でついて行く。
夕方手前だからだろうか、宿の中は静かだった。
「ここだよ」
木の扉を開け、104号室に入る。
内装はいたって普通。
ダブルベットとテーブルとソファーのセットがある何の変哲もないツインルームだ。
鍵を閉め、エドワード様がソファーへ座る。
足を組み、背もたれに軽く寄りかかる様は実に偉そうだ。
実際偉いところが更に腹が立つ。
「ジュリアンナ座れ」
そう言ってエドワード様は自身の座るソファーの隣をポンポンッと叩いた。
わたしは迷わず向かいの1人掛け用ソファーに座った。
上座だろうが関係ない、ここは貴族・王族の茶会の場ではないのですから。
「もう演技はよろしいのですか」
「ああ、両隣の部屋も客はいないし、宿自体も俺の所有物のようなものだ。心配はしなくてもいい」
「左様ですか。では茶番は終了ということで」
「別に続けてもいいぞ。中々面白かったからな」
「結構です。ところで1つお聞きしてもよろしいですか」
「何だ?」
「護衛もつけずに、何をやっているのですか?貴方はアホですか?」
「アホか……ふふ、ふはははっ」
「笑いごとではありません!」
貴方、第二王子でしょ!と睨みつけた。
その視線を受けても尚、エドワード様は笑っている。
何がそんなに嬉しいのか理解できない。
もしや、特殊な性癖が……自国の王族にそういう趣味があるのは何とも言えない気持ちになるので、深く考えるのは止めましょう。
「ああ、すまない。俺も自分を過信している訳じゃない、護衛ならいたさ。お前の方こそどうなんだジュリアンナ・ルイス侯爵令嬢?」
「わたしにも護衛はついておりました」
侍女のマリーがという言葉は飲み込んだ。
それにしても、わたしが気配を気づかないほどの護衛……暗殺者の類を子飼いにしているということかしら。さすがは第二王子と言ったところ。
「へえ……それは興味深い」
第二王子の武術の腕は騎士団クラスと聞いている。
そんな相手でも気づかれないほどの護衛――マリーについて探られたくはないわね。
「エドワード様、お茶を入れます」
わたしは席を立ち、備え付けの簡易ティーセットが置かれている棚へ向かった。
平民の宿に最高級茶葉……まあ、この部屋だけ何でしょうけど。
危うく溜息を吐きそうになった。
マッチを擦り、湯沸かし器に火を着ける。
「それはアイリス商会が開発した最新式の携帯型湯沸かし器だ、よく使い方が判るな」
「ええ、まあ」
「アイリス商会は民間商会だが、数年前にとある貴族が設立した商会らしい。この短期間に凄まじい成長だ。そうは思わないか、ジュリアンナ」
「……今日は腹の探り合いに来た訳ではないでしょう、エドワード様。潜入の情報交換をしないなら、代わりの担当者を出して下さいませ」
「それはそれは。姫のご機嫌を損ねてしまって申し訳ない」
芝居がかった口調がムカつく。
ちょうど湯が沸騰したので、腹黒王子は無視してポットとカップに湯を入れた。
ポットのお湯を捨て、茶葉と湯をいれて蒸らす。
蒸らしすぎると苦くなるので要注意。
侍女は複数人演じたことがあるので紅茶を入れるのは少々自信がある。
温めたカップに紅茶を注ぎ入れる。
会心の出来ね!!
トレーに乗せてエドワード様とわたしの前にカップを置いた。
「熱いので少し冷ましてからお飲みください」
「貴族令嬢が紅茶を入れられるとはな」
「あら、給仕の出来る貴族令嬢は御嫌いで?」
「いいや、そんなことはない」
「それは残念です」
そう言ってエドワード様を見ると真剣な顔をしていた。
ようやく本題に入るらしい。
「サバトに関して聞きたい」
「基本的には報告書の通りです。簡単に言えば教会の上層部が主体となってサバトを行っており、顧客は貴族。サバトへ招かれた貴族は、王都墓地にある地下通路を使い教会内部へ潜入している模様。また、生贄と称して貴族や平民の子どもを使っています。サバトを行う頻度は月に一回か二回……こちらに関しては正確とは言えません」
「サバトでのことだが……貴族共は悪魔を本当に信仰していたか?」
「わたしの主観でよろしければ」
「構わない」
「悪魔に心酔していると思われる言動を放つ者もおりましたが……総じて悪魔を真に崇拝はしていないと思われます。悪魔を言い訳に己の欲を満たしているように感じました。本当に悪魔を呼び出したいのならば、教会でサバトなど行わないでしょうし」
「つまりは刺激を求めての娯楽か――娯楽で国家反逆罪に手を染めるなど、なんと怖いもの知らずな猛者共だ」
「判っておいででしょうけど、あの者たちに罪の自覚などありませんよ。わたしでしたら、こんな悪魔のように艶然とした笑みを浮かべる王子様に逆らおうなどとは絶対に考えませんのに」
「7年間俺から逃げ続けたお前が言うと説得力があるな」
「ふふ、東方の格言に『触らぬ神に祟りなし』というものがあります。出来れば永久に関わりたくありませんでしたわ」
「それは残念だったな、もう捕まえたのだから――美味いなこの紅茶」
エドワード様が紅茶を一口飲んだ。
釣られてわたしも紅茶を飲む。うん、おいしい。
「満足いただけて良かったです」
「ところで王都教会では薬に力を入れているということだったが、どういうことだ」
「教会内の人数がおかしいのです。シスターは除くとして、見習いを含む看護師と薬師と患者の人数があわないのです。看護師は約20名、患者は約40名、薬師は約40名。明らかに患者の人数に対して薬師の人数が多いように感じます」
「俺も同意見だ。本当は薬ではない物を作っている――何てことも十分にあり得る。これを調べる手立ては?」
「同僚の中に薬師と関わりを持つ者がおります。そこからある程度は調べられるかと思います」
アンの恋人が薬師だという情報はミリアから得ている。
「判った。免罪符についてはどうだ」
「それに関しても見通しはついています。偶然でしたが、第一神父様と面識を得ることが出来ました。愚かで従順な小娘を演じておきましたので関わるのは容易かと思われます」
「免罪符の行方は何所だと思う」
「個人的な意見を述べさせてもらいますと、サバトを運営している教会派の上位貴族へ利益が流れていると思います。尤も王都教会自体にも相当流れているでしょうが」
「今は王族の可能性もあるぞ?何と言っても傲慢な寵姫と恐れられるビアンカ妃が教会に付いているのだからな」
「例えビアンカ妃に利益が流れていたとしても、それは最近の事。最も恩恵を得ているのは、教会派貴族筆頭のマクミラン公爵家でしょう」
マクミラン公爵家。
祖先は英雄王アベル・ローランズの兄。
ローランズに存在する3つの公爵家の内の1つだが王家の三柱には入っておらず、近年は王宮内での影響力も落ちている。
爵位では公爵家であるマクミラン家が一応上だが、実質的影響力及び家柄は侯爵家であるルイス家の方が上だ。
「大方そうだろう。マクミラン公爵が早くから王都教会に接触し、教会派の派閥を作ったのは周知の事実。そうそう、これは今日仕入れたばかりの最新の情報なんだが」
「何でしょう」
「マクミラン公爵令嬢が兄上と婚約したそうだ」
「それは初耳です。と言うことはダグラス第一王子殿下は次期マクミラン公爵になるのですね」
それならば無駄な王位争いも終わる。
「否、そう言う訳ではないらしい。マクミラン公爵令嬢が兄上に嫁いでくるそうだ」
「はあ!?――こほん。マクミラン公爵には兄弟もおらず、一人娘のイザベラ様だけのはず。それなのに嫁ぐなど……マクミラン公爵の愛人は貴族身分の者はいなかったと思いますが、もしや公爵家を潰す気なのでしょうか?それだと今後楽そうで良いのですが」
「俺もそうなって欲しいと思うのだが、もちろんそんな愚かなことにはならない。まず兄上とマクミラン公爵令嬢の婚約だが、ビアンカ妃とマクミラン公爵が提案して国王が許諾された」
「知っているのか存じ上げませんが、イザベラ様はエドワード様をお慕いしております。特に王位継承権第一位という立場と外見の美しさを。あの我が儘――ではなく、少々我の強いイザベラ様がこのまま納得するとは思えないのですが」
「ジュリアンナが知っているかは知らないが、兄上はお前を好いているぞ? 特にお前の血筋と社交界の華という付加価値をな。だからこそ、マクミラン公爵は2人を婚約させたのだろう」
「まだ諦めていないのですか、あの変態公爵は」
自然とわたしは眉間に皺を寄せた。
マクミラン公爵は早くに夫人を亡くしている。
その後は再婚せずに独身だ。
これで亡き妻が忘れられないとかなら美談で終わったが、そうではない。
わたしが5歳の時から結婚の申し込みをしているのだ。
もう一度言おう、5歳からだ。
貴族は政略結婚が当たり前、20も歳が離れた男に嫁ぐのも珍しくない。
しかし現王に忠誠を誓っていない公爵家と縁続きになるなどルイス家にとってデメリットしかない。
それでもマクミラン公爵がわたしを後妻にとしつこく迫るのはわたしの顔が目当てだからだ。
そう、顔である。
マクミラン公爵は、わたしの母エリザベスに心底惚れていたらしい。
だから母様にそっくりのわたしが欲しいのだ。
つまりは母様の代わり、これは女にとって屈辱以外の何物でもない。
「マクミラン公爵はジュリアンナを後妻に迎え、兄上を国王にしたいらしいな。尤も姉上が結婚した今、一番影響力のある血筋の令嬢を、政治を混乱させるような貴族の後妻になどさせないだろうが。故に国王はふたりの婚約を認めた」
「それは……陛下はわたしがダグラス様へ嫁ぐ可能性がある状況を潰し、政治的混乱を避けようと思ったのでしょうね」
そしてあわよくばエドワード様とわたしが婚約出来るように、と。
「そうだな。ルイス姉弟は優秀だが、歴代のルイス家の者と比べると愛国心が弱いと噂されているから、出来うる限り国に繋ぎ止めておきたいのだろう」
「わたしにも愛国心はあります。ただ、歴代のルイス家が異常なのです。それに別にわたしは父の決定に逆らいませんよ。父がダグラス様やマクミラン公爵に嫁げと言うのならば、わたしは嫁ぎますし」
「ほう……ルイス侯爵は娘と息子と仲が悪いと聞いていたが、意外に従順なのだな」
「何を勘違いしているのかは知りませんが、わたしは父を普通に愛していますよ……まあ、ヴィンセントがどう思っているのかは知りませんが。それに政略結婚は貴族の義務ではないですか」
「ジュリアンナ、お前は貴族として生まれたくはなかったとは思わなかったのか」
「思いませんね。逆に聞きますがエドワード様は王族に生まれたくなかったとは思わなかったのですか」
「思わないな。俺の周囲は第一王位継承者としての重圧を心配しているようだが、そんなもの感じたこともない。王族に生まれたのならば与えられた役目を全うし、その中で王族として楽しむだけだ。ジュリアンナお前はどうなんだ」
「わたしはお菓子が好きです。平民ならばお菓子を食べることが出来ない者もおりましょう。ですが、わたしは貴族に生まれたために自由にお菓子を食べることが出来ます。そう言った特権を行使することが出来るのならば、わたしは貴族の義務を果たします。貴族の義務を果たしたくないのならば逃げれば良いのです。それが出来ずに貴族の恩恵だけ得ているなど愚行の極み。権力は義務を果たしてこそ、正常に振るうことが出来るものなのですから」
「どうやら……俺たちは似た者同士のようだな」
「誠に遺憾ながら、そのようです」
己の立場や生まれに別に後悔も重圧も感じていないという点においては同じなのだろう。
ああ、嫌です。同族嫌悪とかではありませんよ?決して。
「しかし、俺たちの考えは周囲は気づいてくれないようだがな」
「……ライナス様に何か聞いたのですか?」
「できればジュリアンナには愛がある結婚をして欲しいそうだ」
「オルコット家は出世は己の力で成し遂げるべきだという生粋の武家なので、あまり政略結婚に馴染みがないのです。それと男系一族のため、身内の女子に甘いのですよ」
何かわたしのことを話したのでしょうね。
あんまり聞きたくないな……うん、この話題は終わりにしよう。
「それでエドワード様。今後わたしはどのように動けばよいのでしょうか」
「しばらくは今までと同じで王都教会に潜入してくれ。サバトの存在が確認された今、調べるべきはサバト関係者についてを中心に頼む」
「了解しました。引き続き、免罪符と薬師関連も並行して調査いたします」
「それと2週間後に開催される授与式と王家主催のパーティーだが、ジュリアンナは出席するのか」
「出席はします。父とヴィンセントの代わりにルイス家の名代として」
「ヴィンセントか……あいつは今どうしているんだ」
「エドワード様がご存じないのならば、わたしが知る訳がありません。王家直属の特務師団――諜報機関に所属しているのですから。まあ、この国にいないのは確実でしょう」
「ならばパーティーでは俺がエスコートしてやろう」
「お断りします」
「俺の誘いなら他の貴族令嬢は泣いて喜ぶんだがな」
「一緒にしないで下さいまし。それにお忘れですか。今は第二王子とルイス侯爵令嬢の関わりを悟られる訳にはいきません」
「そうは言っても、野心のある兄上とマクミラン公爵がお前に対して何もしないとは考えられない。最悪、無理やりものにするかもしれない」
無理やり……つまりは――――
「既成事実を狙ってくるということですか。最悪ですね、甲斐性ナシの行動です」
「酷い言われようだな」
「同意のない既成事実など男性として褒められたものではないでしょう?……あの2人に組み伏せられるような失態は起こさないつもりではありますが……」
「だから俺がエスコートしてやると言っているんだ」
「お断りします!有耶無耶な内にわたしがエドワード様の婚約者に内定したらどうするおつもりですか」
「俺はそれでもいいが?」
「はぁぁぁああ!?」
訳がわからない。何故この男は微笑んでいるの?
演技していない素のわたしを見たら普通幻滅するでしょ。
意味不明!理解不能!
「と、とにかくエスコートは当日にヴィーがいたらヴィーに頼みます!ヴィーがいなかったら、おじい様――オルコット公爵に頼みます、だから心配ご無用です」
頬が熱い、絶対に赤くなっている……これは驚いただけ何だから。
そう、驚いただけ。
ヴィンセントのことも愛称で呼んじゃうし、うぁぁぁあああ。
この男はわたしをカラかって遊んでいるだけ、過剰反応はこの男の思う壺よ!
「それは残念。では、そろそろ俺は王宮に戻る。この部屋は明日まで借りているから、存分に羽を伸ばすといい」
そう言ってエドワード様は立ち上がり、扉へと向かった。
「ご配慮感謝します」
ホッと胸を撫で下ろしているとエドワード様が立ち止まり、振り向いた。
「そうそう聞こうと思っていたんだが、ジュリアンナの演技を止めるにはどうしたらいいんだ」
「? 演技の途中に本名を呼ばれると萎えて演技が止まりますね」
「そうか、そう言えば『リーア』の時もそうだったな。では、ジュリアンナ今度は2週間後に会おう」
パタンと扉が閉まる。
わたしはベッドへと突進し、ミノムシのようにシーツをぐるぐると自身に巻きつけた。
「馬鹿、アホ、軽薄、腹黒王子……もう、訳が判らないよ。うぅぅぅ」
ミノムシ状態でベッドをゴロゴロするが、心が落ち着かない。
もう、今日は寝よう!疲れを取ろう!それで明日はスィーツ巡りをして王都教会に戻ろう!
決意し、目を瞑るとすぐに睡魔が襲ってきた。
相当疲れが溜まっていたようだ。
久々のフカフカベッドを存分に堪能しますか。
――――それでは、おやすみなさい
私の意識は緩やかな微睡みへと落ちていった。