137話 帝都革命戦 3
イヴァン視点
多くの傭兵が守るディアギレフ帝国の宮殿は、想定よりも早く陥落した。指揮官も逃げ出していたようで、穴だらけの連携だったのだ。……不自然なほどに。
皇帝の住まう最上階には、セラフィム以外人はいなかった。腐敗していたとはいえ、古くからディアギレフ帝国に仕える貴族はいたはず。それなのにセラフィムは血だらけになりながら、アヴローラを助けようと戦っていた。
(……皇族に生まれるっていうのは、生まれながらに人生を鎖で雁字搦めにされるということなんだろうな)
弱く小さな身体で一身に受けていた重圧はどれ程のものだろうか。私はぐったりとしたセラフィムの手を強くに握りしめる。
「イヴァン……皇帝と知り合いだったんだな」
「ええ。たった一度きり。私にとってはよくある日常の一つだったが」
ヴィンセントに素っ気なくそう答えると、私はセラフィムから手を離し立ち上がった。
「……でも、その中で少しだけ特別なことがあった。大事なアヴローラ姉上を、いつか遠くへ攫って幸せになってほしい、と……私はセラフィムに託された」
幼いながらにセラフィムはアヴローラの立場を理解していた。そしてきっと、私のアヴローラへ向ける気持ちも。
(……すまない、セラフィム。私は貴方を助けることはできない。アヴローラひとりを、人生のすべてを賭けなければ盗むことのできない怪盗の私では……)
セラフィムは皇帝になってしまった。幼さも、虚弱さも、傀儡になっていたことも、擁護することはできない。彼の意思は一つもなくとも、確かにセラフィムの治世にディアギレフ帝国は衰退を加速させたのだから。
この国はセラフィムの死を望んでいる。もう後戻りはできない。
そして私もまた……アヴローラのために――いいや、自分自身のためにセラフィムの死を望んでいるのだ。
「一人だけ侍医が残っていたぞ。有能そうな爺さんだから安心しろ!」
ユアンが老齢な侍医を背負いながら、息を切らして部屋に入ってきた。
私は汗ばんだセラフィムの額をそっと撫でる。
「私はアヴローラの元へ行く」
「お前は革命政府の魔女に次ぐ司令塔だ。この城に止まり、制圧を完全にして勝利を宣言しなくてはならない。役目を放棄するのか?」
咎めるようにヴィンセントは言った。
私は不敵に笑うと、馬鹿にするように首を振る。
「役目なんて知らないね。私は怪盗だから、自分の好む行動しかとらない。私情を優先させるのは、自由な怪盗の特権さ」
アヴローラを失って得る革命政府なぞ知ったことか。
私の第一はアヴローラ。それは今も昔も変わらない。
まだ彼女のすべてを盗めていないのだから、取る行動は最初から決まっている。
「ふんっ。お前の決してぶれない心は、僕も尊敬しているぞ」
ヴィンセントはツンとした態度で言った。
「貴族のお坊ちゃまにそう言われると、照れるな」
「お坊ちゃまは余計だ。僕も国がどうとか、貴族の義務がどうとか、知ったことじゃない。昔から僕の優先事項は決まっている。家族を守りたい……それだけだ」
ヴィンセントは何かを思い出すように、険しい目でセラフィムを見て言った。
「ユアン。僕とイヴァンは指揮の全権をお前に譲渡する。城の制圧は任せた」
「おい、ヴィンセントまで行くのかよ! 俺は特務師団副団長のお前と違って、部隊を指揮した経験がないんだけど!?」
「士官学校で習っただろう。ユアンの成績は平均だったから、普通ぐらいにはできるだろ。城にいる敵はほぼ殲滅して、抵抗の意思もないんだから大丈夫だ」
「簡単に言うなぁ! テストと実地は違うんだよ、この優等生!」
足に纏わり付くユアンを、ヴィンセントは蹴り払った。
「いいから、やれ。アヴローラ第四皇女の側には姉さん……と、ついでに鬼畜魔王がいる。逃げたグスターヴたちが姉さんたちを狙っているのなら、誰かが行かなくてはならない。それなら僕が行く。この城の中で、姉さんを一番愛しているのは僕だからだ」
「私もアヴローラのことを他人に任せる気はない。まして、命に関わることならば尚更にね」
私とヴィンセントの堅い意思を聞いて、ユアンはキーキー喚きながら地団駄を踏んだ。
「ああ、もう! この姉さん大好きっ子と色惚け怪盗が! いいよ、持ち場を離れて勝手に行けよ。手柄はぜーんぶ俺がもらっちまうからな。後でやっぱり欲しいって言っても、あげないからな! おこぼれもなしっ」
そこまで言い切ると、ユアンは自分の髪をくしゃくしゃにして恨めしそうにこちらを見た。
「やるからには、必ず殿下たちを守り切れよ。こっちは全部任せておけ」
「ふんっ、当たり前だ」
「助かる、ユアン」
私とヴィンセントは皇帝の私室から飛び出し、アヴローラたちの元へと駆けだした。