136話 帝都革命戦 2
セラフィム視点
待望の男児だったのに、役立たずの身体を持って生まれてきた欠陥品。名ばかりの皇帝。それが余、セラフィム・ディアギレフだった。
父上が死に、母上と三人の姉上が殺された。残る家族はただ一人。病弱な余に外の世界を教えてくれた、強く優しい四番目の姉は、粗末な塔で幽閉されているという。
(……余が無力なばかりに……この国は……)
毎日後悔の念ばかりが募る。諸悪の根源たるグスターヴへの反撃の機会を待つが、この役立たずの身体では、奴の喉元を締め上げることもできない。
何より、グスターヴの信奉者である目に意思の宿らない少年少女が、あらゆる外敵から奴を守っていて、隙など見当たらないのだ。
(いっそ、余が死ねば……)
何度目か分からない思考へとたどり着くが、すぐに余はそれを頭から振り払った。
余が死ねば、代わりにアヴローラ姉上が皇帝へと祭り上げられる。健康な女性故に、グスターヴがアヴローラ姉上にどんな仕打ちを施すのか、考えたくもない。
(アヴローラ姉上だけは……外の世界で幸せになってほしかった……)
魔女と蔑まれたかわりに、小さな自由を許されたアヴローラ姉上は、余にたくさんのことを教えてくれた。平民の生活も、帝都の景色も、雪が冷たいことも……。
ぼうっと窓の外を余が見ていると、廊下で武装した兵たちが走る音が聞こえる。
「……何かあったのか?」
「……」
世話係として付けられている少女は、表情一つ変えずに黙っている。せめて城で働いている侍女ならば何か答えてくれるだろうが、余の周りにいる人間はすべてグスターヴの息がかかった者が配置されていた。
(……だが、この足音の数はただ事ではないぞ。誰かと戦っているのか?)
この国を――アヴローラ姉上を救ってくれるなら、喜んで皇帝の首を差し上げよう。
そんな余の思いは通じず、ノックもなしに開け放たれた扉から現れたのは、恍惚とした笑みを浮かべたグスターヴだった。
「……やけに上機嫌だな。何かあったのか?」
冷たい口調でグスターヴへ問いかける。彼は焦点の合わない目でこちらを見た。
「今日はなんと良い日でしょう! 聞いて下さい、陛下。神は……神はこの世におられる。そして、我を見ているのかもしれません……!」
「……それは外が騒がしいことと関係があるのか?」
「煩かったですかな。しかし、許してくだされ。ローランズ王国と手を結んだ革命政府――陛下の姉上である魔女の軍が、皇帝の首を狩りに来ているのですからな!」
「アヴローラ姉上が余の首を……?」
感じたのは絶望ではなく、感謝だった。アヴローラ姉上が余を殺してくれるのなら、この生にも意味があったような気がする。
「神は試練を我に与えてくださった。我は幼き皇帝を使って国を乗っ取り、皇太后と皇女たちを殺し、豚のような貴族たちを優遇し、民を苦しめ荒野を増やした。それなのに、神は我を裁こうとしなかった。だから、異教の民であるローランズ王国に攻め入った。そしてやっと……戦いと炎の神はこちらを振り返ったのだ……!」
「……気でもおかしくしたか……?」
「我の主観では正常だが、周りはそうは思わぬかもしれぬな。何はともあれ、今日は運命の日とも言える。利用価値の低い魔女と侮っていた娘が、よもや神の使者……聖女となるとはな!」
「アヴローラ姉上が聖女だって……?」
顔に手を当てて笑い出すグスターヴに、嫌な予感がする。
震える手を隠しながら、余はグスターヴを真っ直ぐに見た。
「聞けば、我に囚われながらも反政府思想を持つ革命政府を作り上げたというではないか。しかも、皇帝を置かぬ、新たな国を作るという。皇帝を手中に置いて意のままに操り、この国を支配する我と真っ向から敵対するつもりだ。これはどちらかが殲滅するまで続く聖戦なのだ……!」
「アヴローラ姉上は聖女じゃない……まして魔女でもない。あの人はただの人間だ……!」
耐えきれず叫ぶと、グスターヴは表情が抜け落ちた氷のような視線を余に向けた。
「聖女を殺せば、我は神をも越えた存在となる。少人数の精鋭による奇襲であれば、容易く殺せるでしょう。喜びなさい、陛下。この国をお返しいたします。どうぞ、我が聖女を殺すまでの囮となってくだされ」
そう言うと、グスターヴは余に背を向けて扉の外へ出た。
廊下にはいつの間にかベリンスキー将軍と、グスターヴを崇拝する少年少女たちが集まっていた。彼らは余に関心を持つこともなく、グスターヴと共に歩き出す。
「アヴローラ姉上を殺すって、どうしてだ。まだ奪い足りないのか……どれだけの苦しみを味わえば救われるのだ……」
シーツがぐしゃぐしゃになることも厭わず、余は這うように扉へと手を伸ばす。
乾いた喉を震わせて、嬉しそうに少年少女を連れ歩くグスターヴへと叫んだ。
「やめてくれ……お願いだから……アヴローラ姉上を殺さないでくれ……やめろ、やめろぉぉおおおお!」
どうしてこんなにも余は無力なんだろう。
芋虫のように無様な格好でもがくと、ベッドから転げ落ちた。厚い絨毯の上なのに、余の身体は鉄に打ち付けられたかのように骨が軋み、生温い血が口から吐き出された。
「がはっ……は、はっ……アヴ、ローラ、あね、う、え……」
朦朧とした意識の中、必死に扉へ向けて手を伸ばす。
もうグスターヴたちは城を出ただろう。それでも、余は手を伸ばさずにはいられない。優しいアヴローラ姉上をただただ守りたかった。
「大丈夫ですか!? ユアン、急いで侍医を呼んでこい。さすがに一人ぐらいは城に残っているだろう」
「了解した、ヴィンセント!」
「……酷い血だ。イヴァン、止血を手伝え」
「はいはい」
幻覚だろうか。余を案じる声が聞こえたかと思えば、フワリとした浮遊感の後に、慣れた手触りの布の上に下ろされる。
(余はまだベッドにいるのか? ……そうか、これは余が見ている幻。儚い現の夢……)
ぼんやりとした視界が徐々に鮮明さを帯びてくる。そして余は見慣れない金髪の青年の隣に、かつて憧れた青年がいるのを見つけた。
少年から青年に成長しているが、忘れるはずもない。一度だけ、余はアヴローラ姉上に帝都へと連れて行ってもらった。その時、アヴローラ姉上の友人だという、この金茶色の髪の青年が帝都を案内してくれたのだ。
「イ、ヴァンか……? さすが、余の、幻だ……最後に其方と、会え、る……とは……」
「……覚えていたのか」
忘れるはずもない。
あの小さな冒険こそが、余の人生にとって最大の幸福だったのだから。
(イヴァンは余にとって勇者だ。……だからきっと、どんなことがあってもアヴローラ姉上を助けてくれる……)
皇帝とは思えないほど弱々しい手で、余はイヴァンの幻を掴んだ。
「お願い、だ……イヴァン。アヴ、ローラ姉上を、助け、て。グ、スターヴ、たちが……暗殺者を、連れ、て……殺しに、行っ、た……」
イヴァンの幻は大きく目を開くと、痛覚が鈍る余の手を握った。そして夜空のように美しい紺色の双眸に、強い意志の光を宿す。
「セラフィム。アヴローラは私が必ず助ける」
「ああ、まか、せた……」
温かな手の温もりを感じながら、余はそっと目を閉じた。