132話 諜報員たちの暗躍
アヴローラ第四皇女を救出してから、わたしたちはマリーとキール様と合流を急いでいた。しかし、信号弾が上がってからというもの、ディアギレフ帝国の兵の多くが誰かを探すように動き回っている。
わたしたちは物陰に隠れて周囲を窺っていた。
「参ったわね。これでは迂闊に動けないわ」
こちらは非戦闘員のアヴローラ第四皇女を初めとして、直接的な戦闘を苦手としている。守りながら戦うなんて器用なこともできないし、強引に突破するには敵の数が多すぎる。
「俺が先頭となって道を切り開くのが、現実的な策だが……」
「いくらこの中で一番強いからといって、第二王子のエドワードに先陣を切らせるなんてもってのほかよ!」
「ちなみに私はただの怪盗だから、戦うのは向かないね」
「すみません、わたくしが至らないばかりに……」
アヴローラ第四皇女がしゅんとした顔でドレスの裾を握った。
わたしは安心させるように彼女へ笑みを浮かべる。
「大丈夫よ。兵たちがここを通り過ぎてから向かえば、何も問題は――……前言撤回。全力で逃げるわよ……!」
二人組の兵士が、物陰に隠れていたわたしたちをついに見つけた。
彼らは大きく息を吸うと、味方の兵へと叫ぶ。
「こっちには誰もいない! 侵入者はもっと奥にいるみたいだ……!」
「手柄は渡さないぜ! 出世するのは俺だぁぁあああ!」
(……どういうこと……?)
二人組の兵士は、わざと味方をここから遠ざけるようなことを言った。その意味を理解できないわたしだったが、ゆっくりと近づいてくる彼らの顔を見て驚愕する。
「……久しぶりだね、姉さん。ディアギレフ帝国にいるなんて……驚いたよ」
「……ヴィー」
そこにはわたしの親愛なる弟、ヴィンセントがディアギレフ帝国の兵服を着て立っていた。
ルイス家の屋敷に父と共謀してわたしを閉じ込めていたことを思い出しているのか、ヴィンセントは気まずそうな顔をしている。
(……次ぎに会ったら、兄妹喧嘩も辞さないつもりだったけれど……)
遠い隣国の地で任務を果たしていたヴィンセントの姿を見たら、わたしの些細な怒りなんて吹き飛んでしまった。
わたしは小走りで駆け寄ると、思い切りヴィンセントを抱きしめる。
「無事でよかった、ヴィー!」
「姉さんもね」
少しだけぎこちなくヴィンセントはわたしの背に腕を回し、抱擁を深めた。
「おい、ヴィンセント。俺には再会の挨拶はなしか?」
「はあ? なんで姉さんに集る鬼畜虫に気を遣わなきゃいけないのさ。だいたい、僕が特務師団の任務でディアギレフ帝国にいること、どうせお前知っていただろう」
「……あくまで予想だったが、本当にいるとは。俺の手駒が増えて嬉しいぞ、ヴィンセント」
「調子に乗るな、鬼畜魔王」
面白がるエドワードに、ヴィンセントが剣呑な目を向ける。
そうしていると、ヴィンセントの隣にいた青年が遠慮がちに手を上げた。
「あのぅ、盛り上がっているところ悪いんですが、俺のことも注目してくれませんかね……」
「もちろんよ。久しぶりね、ユアン。アスキスの皆は元気にしているかしら」
「お久しぶりです、ジュリアンナさぁぁん……!」
ヴィンセントの母方の従兄弟――ユアン・アスキス子爵令息は、両手を広げてわたしの元へと駆け寄る。
「……姉さんに近づくな、この色惚け鳥頭。僕はお前と血の繋がっているが恥ずかしくて堪らない」
「たとえ父上直属の特務師団であっても、俺の婚約者を狙うのなら、今ここで斬り伏せるぞ」
「ひぃっ、どうかお慈悲を殿下、ヴィンセント!」
ヴィンセントとエドワードは息を合わせたように、ユアンへと剣先を向けた。
ユアンは土下座する勢いで地面に這いつくばって許しを請うている。
「……他国の諜報員が城を警備する兵に紛れているなんて、頭の痛い案件だわ」
暗い目でポツリと呟いたアヴローラ第四皇女に、イヴァンが笑いをかみしめる。
「敵の心配をしてどうするのさ、アヴローラ」
「それとこれとは別よ」
「失礼しました、私の魔女」
イヴァンは恭しく一礼すると、ヴィンセントへ視線を移す。
「急ぎ味方と合流したいので、合流場所の中央庭園まで案内を頼めますか?」
「……マリーとアホのキールでしょ。それだったら、中央庭園へ向かうよりも直接迎えに行った方がいい」
「ヴィー、どうしてマリーとキール様だと分かったの?」
「それはね、ジュリアンナさん。二人が将軍と戦闘して――――」
「ユアン!」
ヴィンセントはすごい剣幕でユアンに詰め寄った。
しかし、ユアンは手をヒラヒラと振るだけで、それに怯えた様子はない。
「別に隠すことじゃないだろ。どうせバレるんだし。それにアイツを置いてきたから、あの美人侍女さんとキール団長は無事だって」
「……マリーとキール様に何かあったの?」
わたしが問いかけると、ヴィンセントは震えながら力強く拳を握った。
「……ディアギレフ帝国の将軍との戦いで、マリーが酷い怪我を負った。僕は任務だからって、それを見ていることしかできなくて……」
「大丈夫よ、ヴィー。マリーは強い。一緒にいるキール様だって強いわ。貴方は周りが良く見える子だもの。自分が助けに入っても、どうにもならないと判断したのでしょう? それに何かしらの手助けを残してくれた。わたしたちのことも誰よりも早く見つけて、助けてくれたものね」
わたしは背伸びをしてヴィンセントの頭を撫でると、エドワードへ顔を向けた。
「……急ぎましょう、エドワード」
「案内を頼む。ヴィンセント、ユアン」
「言われなくても分かっている」
「かしこまりました、殿下!」
マリーとキール様に合流するため、わたしたちは走り出す。
ヴィンセントとユアンの機転のおかげか、ディアギレフ帝国の兵のほとんどが別の場所へと向かったらしい。
入り組んだ城の道を進み、二階建ての建物が並ぶ場所へと出た。
おそらく、軍や使用人たちが使う建物なのだろう。兵たちは見当たらない。代わりにマリーを背負うキール様と、何故かサムがいた。
「おー、ご主人様遅かったな」
そう言ってサムはヴィンセントに手を振った。
「ベリンスキー将軍は撒いたんだろうな?」
「それはもう抜かりなく。金銭分の仕事はするさ」
「……サム、ヴィンセントに雇われていたのね。あの時は何も言わなかったのに」
わたしがジトッとした目を向ければ、サムはヘラヘラと笑い出す。
するとマリーがサムの耳を引っ張った。
「お嬢様に失礼を働いたのですか?」
「いてててっ、おい! 助けてやったのに、ふざけんな!」
「それとこれとは別の話です」
マリーは淡々と言うと、キール様の背から降りてわたしへ会釈する。
彼女の脇腹には、大きく血が白いエプロンに広がっていた。
「お嬢様、申し訳ありません。このような失態を……」
「マリー。生きてやり遂げてくれたことが、わたしの期待をこの上なく果たしてくれた証拠よ」
「……ありがとうございます」
「もう少しだけ、頑張ってもらうわ、マリー」
わたしは全員を見渡すと、ヴィンセントに問いかける。
「ヴィー、ここを選んだということは、兵に見つからず、外に出る手立てがあるということね?」
「寮住まいの軍人たちが街へ抜け出すための、秘密の穴がある。限られた軍人しか知らないから、出るところを見られなければ、追っ手はつかないと思うよ。僕とユアンが帝国を裏切ったことはすぐに伝わると思うし、姉さんたちとここから逃げようと思う」
エドワードはそれを聞くと、顎に手を当てて思案顔をした。
「……人数も増えたし、レミントン前男爵夫人とテオドールの計画を少し早めよう。城壁の外に馬車を待たせている。行くぞ」
「分かったわ」
自然とエドワードが差し出した手を取ると、わたしはそのままヴィンセントとユアンの案内する、秘密の穴へと向かった。
秘密の穴は訓練場の隅にある城壁に作られたもので、灰色の軽石が嵌められていた。それをヴィンセントは慣れた手つきで外すとそのまま外へと向かう。
全員が外へ出た後、わたしたちは馬車が隠されている小さな雑木林へと入った。
「皆様、お待ちしておりました!」
「なんか人数が増えているんだけど。幌馬車だけど、重量大丈夫かな。城の外も騒がしくなってきたし、はやく乗ってよね」
御者台に座ったモニカと灰猫が、わたしたちを待ち構えていた。
わたしたちは急いで荷台へ上がると、幌を被せて完全に外からの視線を遮断する。モニカはマリーの怪我に気づくと、荷台へと移動して薬と止血用のガーゼと包帯を取り出した。
「マリーさん、私が手当をします」
「お願いします、モニカ」
わたしはホッと安堵の息をついた。
隣を見ればエドワードは幌を捲って、灰猫と話をしている。
「王子さま、行き先は?」
鞭を握った灰猫がエドワードに問うた。
「向かうは交易都市――革命政府の根城だ」
「暫くは皇女さまを連れて身を隠す予定だったのに。まあいいや、飛ばすからみんな舌噛まないように気をつけてねー」
灰猫はそう言うと、陽気な歌を口ずさみながら馬車を走らせる。
途中、引き留められることなく、わたしたちは帝都を脱出したのだった――――