116話 盗まれた侯爵令嬢
結局、予告状が本物なのか、ただの悪戯なのか、わたしには判断がつかなかった。
本物の予告状かを確認するにも、今まで怪盗の被害のあった貴族などに会いに行く訳にもいかないし、街の住民に見せて騒ぎが起こるのも避けたい。
(……でも、『女神の至宝』って何かしら?)
気がかりなのは、ローランズ王国王子と侯爵令嬢に予告状が送られたということだ。狙ってやったのだとしたら、警戒しない訳にはいかない。
わたしとエドワードは、昼前に公演を終わらせた後、この街を出ることに決めていた。
昨日と同じ場所で、わたしたちは公演をしている。
同じ公演内容だというのに観客は昨日よりも多く盛況だ。
クライマックスに入って盛り上がりも最高潮。さらに路銀が増えることを期待しながら、わたしは演技に没頭する。
「今なら間に合う。姫よ、私の手を取り共に行こう」
エドワードが昨日と同じように甘くとろけるような笑みを浮かべ、わたしへ手を差し伸べた。
すると、昨日よりも大きな女性たちの黄色い歓声が上がった。
「わたしが貴殿と? 寝言は寝てから言ってくれたまえ。貴殿は我が国の仇。なれば、相容れることは天地がひっくり返ってもあり得ぬ!」
「……それほどまでに私が憎いか?」
「憎くはないさ。貴殿は政治の意向でわたしの国に攻め入った。それは王族として仕方ないこと。わたしが逆の立場でもそうしただろう」
「其方を愛している。だから、私と共に……二国が融合する道を選んでくれ」
エドワードが懇願するように言った瞬間、わたしとエドワードの間を黒い野良猫が横切った。それと同時に、正午を知らせる鐘が街全体に響き渡る。
(……黒猫が横切る瑞兆の午下……もしかして、これは予告状の……!)
観客は黒猫にも鐘にも驚いていない。演技に魅入っているのだ。
困惑するのは、わたしとエドワードだけ。しかし、それを表に出すことはできない。わたしはそのまま演技を続けるため、大きく息を吸った。
「貴殿の妻となり、我が国の血を存続させろと? ……それはならん。わたしは――」
突然、目の前に大きな黒い布がなびく。
視線を上に向ければ、目元を仮面で隠し、上等なシルクハットを被った男がわたしの目の前にいた。
わたしは驚きで台詞を途中で止め、彼を見上げる。
「……予告通り、女神の至宝を……姫を頂きに参りました」
「まさか、怪盗……!」
わたしは素早くレッグホルダーからナイフを引き抜こうとするが、その前に腕を掴まれ、怪盗に引き寄せられてしまう。
そしてマントで観客とエドワードから遮られるように包まれた。
「まさか、エドワード第二王子だけじゃなくて、貴女まで来てくれるなんてね。ジュリアンナ・ルイス侯爵令嬢」
怪盗はわたしにしか聞こえない声で囁いた。
「……貴方、何者?」
わたしは動揺を押し殺し問いかけた。
何故、怪盗がわたしの名前を知っているのか。ディアギレフ帝国からの追っ手にしては、奇抜すぎる登場だ。
「私に攫われてくれない? 革命政府の元へ連れて行ってあげるよ。君たちは魔女を救ってもらわなくてはならないからね」
「君たち……? それなら、エドワードも一緒に連れていけばいいでしょう」
「嫌だね。それじゃあ、面白くない。脚本家と演出家も許してくれないと思うし。君が手を取ってくれないのなら、革命政府とローランズ王国の話し合いはなしだ」
「随分と上からなのね。ローランズ王国と手を結べなくては、革命政府も困るはず。だから、手の込んだ招待状をくれたのでしょう?」
「ローランズ王国も革命政府と手を結びたいから、招待に乗ってくれたんだろう? 利害は一致している。悪いようにしないから、今は演技を楽しもうじゃないか」
怪盗はマントをわたしを出した。
エドワードは予定よりも早く剣を抜き、殺気を怪盗へ放った。
「俺と姫の語らいを邪魔するとは、無粋な盗人だ」
エドワードは演技を忘れ、『私』ではなく素の『俺』に戻っている。
怪盗は彼の殺気をものともせず、不敵な笑みを浮かべる。
「盗人は貴方だろう。私こそが姫の望みを叶える協力者。さあ、姫。お手をどうぞ」
怪盗は恭しく跪くとわたしへ手を伸ばす。
わたしは一度目を瞑ると、もう一度舞台の台詞を言い直した。
「……わたしは最後の王族として、 散っていった我が同胞に報いるため、己が誇りを守り抜くため、最後まで戦い抗い続ける」
昨日の演技とは異なり、剣も抜かず、わたしは怪盗の手を取る。
そして、エドワードに愁いを帯びた目を向けた。
「わたしは……本当は貴方のことが好きだったのです」
怪盗は演技を放棄することを望まない。どうやら協力者もいるらしいし、折角の機会を潰したくはない。
怪盗が何者か知らないが、今は彼の戯れ言に乗ってやる。そしてエドワードならば、必ずわたしの後を追ってきてくれるはずだ。
「……わたしを見つけて。待っているから」
そう言い残すと、怪盗はわたしを抱えたまま屋根から飛び降りる。
去り際に、エドワードがこちらへ手を伸ばしながら叫んでいるのが見えた。
わたしは望んで怪盗に攫われたのだ――――