109話 黒猫劇団
ジュリアンナ視点に戻ります
藍色の民家の屋根の上にわたしとエドワードは立っていた。
屋根の端と端で向かい合うわたしたちの間には、一触即発の空気が漂う。
エドワードは簡素なシャツとスラックスを履いているだけだが、元の整った顔立ちのおかげで精悍な印象を受ける。腰に差している剣も合わせれば、若い軍人に見えなくもない。
対するわたしはフリルのついたシャツに、オレンジ色のリボンを結び、青色のキュロットを着ている。黒いハイソックスと皮の丈夫なショートブーツを合わせ、乗馬をする令嬢のような格好だ。
「今なら間に合う。姫よ、私の手を取り共に行こう」
エドワードの甘くとろけるような笑みを浮かべ、わたしへ手を差し伸べる。
すると、屋根の下からキャーッというあらゆる年齢の女性の歓声が響いた。
チラリと下を見れば、老若男女関係なくギャラリーが集まっている。
(……今日も盛況ね)
わたしとエドワードは今、劇を行っている。最初は舞や剣術を披露して旅をしていたが、こうした劇の方が観客は盛り上がり、チップを弾んでくれることを学んだのだ。
色々な街で公演を行ったが、人々の噂で良い評判が広がり、今では呼び込みを行わずとも大勢の観客に取り囲まれるようになったのである。
(おいしい夕食が食べられるように、頑張らなくてはね!)
わたしはニヤリと口端を上げると、エドワードを馬鹿にしたかのように鼻を鳴らす。
「わたしが貴殿と? 寝言は寝てから言ってくれたまえ。貴殿は我が国の仇。なれば、相容れることは天地がひっくり返ってもあり得ぬ!」
勇ましい口調で啖呵を切ると、わたしはレッグホルスターからナイフを取り出し、エドワードへ剣先を向ける。
「……それほどまでに私が憎いか?」
「憎くはないさ。貴殿は政治の意向でわたしの国に攻め入った。それは王族として仕方ないこと。わたしが逆の立場でもそうしただろう」
「其方を愛している。だから、私と共に……二国が融合する道を選んでくれ」
「貴殿の妻となり、我が国の血を存続させろと? ……それはならん。わたしは最後の王族として、 散っていった我が同胞に報いるため、己が誇りを守り抜くため、最後まで戦い抗い続ける!」
わたしの叫びに観客たちが息を呑む。
エドワードは鋭く目を細めると、慣れた動作で剣を抜いた。
「……其方の覚悟を認めよう。私の剣で天へ送ってやろう」
「天とは甘いことだ。わたしは貴殿を地獄に送ってやるつもりだというのに」
言葉とは裏腹に、わたしとエドワードは哀しみで顔を歪ませる。
しかしそれは一瞬のことで、すぐに獣のように目を光らせた。そして同時に駆け出す。
――キィンッ
ナイフと剣が大きな軌跡を描いて交わった。
わたしはエドワードの力によろめき、後ろに下がる。そこへすかさずエドワードが斬撃を繰り出した。
「……終わりだ」
「終わらぬさ!」
わたしはレッグホルダーから二本目のナイフを素早く取り出し、一本目のナイフとクロスさせてエドワードの斬撃を受け止める。そして身体の柔軟さを活かして彼の足に蹴りを入れた。
「……ぐっ」
痛そうな顔を浮かべながら呻くが、実際はエドワードにそれほど衝撃を与えていないはずだ。
視線を交わし、お互いに問題がないことを確認する。わたしは宙返りを数回して彼から距離を取ると、ナイフを構え直す。
「終わりにしてやる……!」
わたしは再び駆け出すと、舞うように身体を捻りながらエドワードを斬りつける。
だがエドワードは難なくそれを弾き、あっという間に体勢を立て直した。そして、わたしの首を刈り取るかのように大仰な動作で斬撃を放つ。
「姫……私がすべてを終わりにしてやるぞ!」
ハッと目を見開くと、わたしはエドワードの剣をなぞるようにナイフを合わせて斬撃をいなした。身体も同時に捻り、間一髪避けたかのような演出をする。
次ぎにナイフで刺すようにエドワードの腹の脇を横切らせた。観客から見れば、わたしがエドワードの腹を刺したように見えるだろう。
「な、何故……? 貴殿はわざと……」
わたしは驚愕の表情を浮かべると、数歩後ずさる。
エドワードは血の出ていない腹を押さえながら膝をつく。
「……やはり、私には姫を殺せない」
「ふざけるな! わたしだって、貴殿を殺すことなど……」
涙を浮かべ、震える声でわたしは叫ぶ。
エドワードは薄く笑みを浮かべると、壊れた人形のようにガクンと前のめりに体勢を崩す。わたしはそれを咄嗟に抱き留める。
「……どうして……」
「王族としての自分ではなく、男とし、ての自分を……優先、させ、てしまった……」
困ったように眉を下げるエドワードを見て、わたしは彼の肩に顔を埋めた。
「わたしは……本当は貴方のことが好きだったのです」
今までの勇ましい口調と打って変わり、わたしは姫らしく柔らかな口調で呟いた。
するとエドワードはわたしの頬へと手を伸ばした。
「死に、際の……夢に、し、ては……美しい、な」
途切れ途切れそう言うと、エドワードはだらりと腕を垂らし、力なく項垂れる。
わたしはエドワードを屋根から転げ落ちないように寝かせると、彼の剣を握った。
「夢になどさせないわ。地獄でまた会いましょう。その時はきっと――」
わたしは剣で腹を刺す演技をすると、そのままエドワードに重なるように倒れた。
数十秒の沈黙の後、盛大な拍手と歓声にわたしたちは包まれる。
「とても面白かったわ!」
「泣けてきちゃう……」
「二人とも格好いい!」
「すげぇ斬り合いだったな!」
口々にわたしたちを賞賛する声が上がる。
わたしとエドワードは立ち上がると、深く頭をさげた。
「本日の『黒猫劇団』の公演はこれで終了となります。最後まで見ていただき、ありがとうございました」
「またのお越しを心よりお待ちしております」
わたしに続きエドワードはそう言うと、またも甘い笑みを浮かべる。
すると再び黄色い歓声が響き、屋根の下に置いたチップを入れる箱に、女性たちがどんどん硬貨を投げ入れる。
(……この腹黒が)
そう内心で罵りながらも、わたしも笑みを崩さず手を振る。
わたしとエドワードだけしかいない黒猫劇団は公演を重ねながら、順調に旅を続けている。帝都はもうすぐそこだった。