107話 逃亡劇3
――キィィイイイイッ
車輪が軋む音が木霊する。
突然現れた、わたしとエドワードに驚いたのか、御者に乗っていた男が急いで馬車を停めた。
次いで憤怒の形相で怒鳴りつける。
「あぶねぇーだろっ! 俺の大事な商品に傷が付いたらどうしてくれる……!」
馬車に乗っていたのは、中年の男性商人だけ。口調や服装から考えるに、貴族などは取引をしていない一介の商人のようだ。
(……さて、どういう設定で行きましょうか? 駆け落ちした恋人同士といっても、身分や境遇で演技が変わってくるわ)
エドワードと細かな打ち合わせや役づくりをする暇はなかった。
即興で考えるなんて、胸が躍る。悩むわたしよりも先に、エドワードが商人へと一歩を踏み出す。
「す、すみません! 森を抜けられたことに安心してしまって。突然で申し訳ないのですが、私たちを助けてください!」
「はぁ!?」
エドワードの厚かましい言葉に、商人は困惑の声を上げる。
「実は私たち、駆け落ちの途中なんです。実家の追っ手から逃げて森へ入ったら、遭難したあげく、獣に襲われそうになって荷物もなくしてしまったんです……」
「そりゃ、気の毒だと思うが……」
「もちろん、タダとは言いません。アンナ、彼にダイヤを渡してくれ」
エドワードは気の良さそうな青年を演じながら言った。
商人が一瞬下卑た笑みを浮かべたのを、わたしは見逃さなかった。
(わたしの役は『アンナ』ね。それなら……)
眉尻を下げ、不安げな表情を浮かべると、わたしはエドワードの服の裾を引っ張った。
「……で、でもエド、これがなくなったら、わたしたちは無一文になるよ?」
「大丈夫。その時は旅芸人にでもなって、路銀を稼ごう。二人いれば、なんでもできる」
「そうだね! もう、わたしたちの邪魔をする人たちもいないもの」
わたしは無邪気な笑みを浮かべると、ダイヤの入った袋を商人へ渡した。
彼は慎重にダイヤを数えると、にんまりと口角を上げる。
「服を分けてやる。荷台に積んであるものから好きなのを選びな。あと数時間でそこそこ大きな街に着くから、そこで下ろしてやるよ」
「気前が良くて助かる。実家から適当に盗んできた甲斐があるよ」
「まあ、エドったら!」
笑い合うわたしとエドワードを見て、商人が見下すような視線を向ける。
(ダイヤの価値も分からない馬鹿だって思っているんでしょうね)
自分より下の人間だと思わせておけば、相手は勝手に油断し、判断を甘くしてくれる。警戒心を削ぎ、彼にはわたしたちを街へ届けてもらわなくてはならないのだ。
(果たして、小粒のダイヤが入った小さな袋が、ローランズ王国第二王子とその婚約者を密入国させる危険に見合っているかしらね?)
エドワードと共に荷台に乗り、服を選び始める。
わたしは黒い思惑を隠しながら、恋に恋する女の子を演じるのだった。
#
乗り心地の悪い馬車に揺られて数時間。
漸く、街が見えてきた。
街は所々崩れた古い石造りの壁で覆われていて、中を見通すことはできない。
「わぁー! やっと街が見えてきた」
「アンナ、はしゃぎすぎだよ。ここまでくればもう、父さんも追ってこないだろう。家を継げって言う、うんざりしたお小言も聞かなくて済むよ」
適当に会話をしながら、わたしとエドワードは険しい目で街の前にある関所を見た。
関所の前には数台の馬車が並んでいて、武装した兵士が検問を行っているようだ。
「……エドワードを探しているのかしら?」
「まあ、そうだろうな」
小声で囁きあいながら、わたしたちは警戒を強める。
関所の前の列に並ぶと、商人の元へ兵士が何かを囁き、わたしたちの方を指さした。
兵士は手元の紙とエドワードを交互に見つめる。
「君たちはこの街の住人じゃないだろう?」
「そうです。旅をしている者です」
エドワードは和やかに答えた。
「……銀髪でも、青色の瞳でもないか……この街へは何をしに?」
「旅芸人をしていまして、帝都へ行く途中に一稼ぎさせていただけると嬉しいですね」
「稼げるといいな。まあ、頑張れ」
適当に兵士はそう言うと、商人に通行の許可を与える。
馬車はゆっくりと関所を越える。
「ドキドキしちゃったね、エド」
「一瞬、私たちを探しているのかと思ったけど、違うようでよかった。まあ、こんなに離れた街まで父の影響力が及ぶとは思っていなかったけど」
「お前さんたち、旅芸人だなんて言っていたが、本当に芸なんてできるのか? やっぱり、ただの嘘か?」
商人がそう問いかけると、エドワードがわたしにだけ見えるように、腹黒く笑った。
「うん、アンナがね。期待しているよ」
(面白そうだと思って、わたしへ丸投げしやがった……!)
内心でそう罵るが、エドワードの言葉を否定する訳にはいかない。今までの会話から、『アンナ』は従順で商家の息子である『エド』を特別視している。それなのに、反抗したら設定が丸つぶれだ。
「期待していてね!」
わたしはそう言いながらエドワードの手を思い切りつねった。