101話 出発前夜 2
ジュリアンナ視点に戻ります。
わたしは王会議の後、ディアギレフ帝国へ出立する準備のためにルイス家へと戻っていた。
準備しなくてはならないことが山ほどあるが、わたしは忠誠を誓ってくれているマリーとモニカへ話をするために呼び出した。
「マリー、無事で良かったわ。ずっと事情聴取を受けていて大変だったでしょう?」
「いいえ。侍女たるもの、あれしきの尋問を耐えられずにどうします」
「頼もしいかぎりだわ」
わたしは労うようにマリーと抱擁を交わすと、モニカへと視線を移した。
「モニカもありがとう。わたしを助けてくれたこともだけど、灰猫とわたしが突然いなくなって混乱したでしょう?」
「いいえ。あの駄猫――じゃなくて、灰猫さんは……いつか絶対何かやらかすと思っていたので、焦らず対処できました」
「……まったく、あの馬鹿猫は。お嬢様とモニカの意も汲まずに行動するとは、なんたる不出来。仕事で遊ぶ癖が直っていないとは。報酬も減額せねばなりませんね」
マリーは苛立たしげにそう言うと、わたしへ頭を垂れた。
「お嬢様、この度はお力に添えず申し訳ありませんでした」
「マリーは十分によくやってくれたわ。遠く離れていたのに、わたしの意に沿って助けを送ってくれた。さすがはわたしのマリーよ」
「恐悦至極に存じます」
「灰猫の報酬のことも、わたしが対応できることはするから。遠慮なく言ってちょうだい」
マリーは顎に手を当てて、少し考えるように小首を傾げた。
「……正直、アレの望む報酬は分かりません。金には困っていないでしょうし」
「灰猫は何も言っていなかったの?」
「お嬢様を救出した後、灰猫は私の元へ報告に来ました。報酬について聞こうとしましたが、『今は新しい雇い主と遊ぶので忙しくなりそうだから、報酬は先でいい』と言って、どこかへ消えてしまいました」
「新しい雇い主……? わたしと別れたばかりで……?」
灰猫とは、無理矢理王宮に侵入してから会っていない。だがそれは今日の出来事だ。いくらなんでも早すぎるだろう。
(……あの灰猫を半日足らずで手懐けるなんて、いったい何者なのかしら……?)
考えても答えはでない。わたしは灰猫を雇おうとは思わないし、彼だってわたしに雇われるのは願い下げのはずだ。
「あの気まぐれな灰猫さんのことなんて、考えたって無駄ですよ」
「そうね、モニカの言う通りだわ」
わたしは灰猫のことは思考の隅に追いやり、ふたりに本題を話すことにした。
「マリー、モニカ。疲れているところ悪いのだけど、わたしの話を聞いてくれる?」
「はい、何なりと」
「遠慮なくどうぞ!」
「分かったわ」
わたしは一呼吸置くと、エドワードと思いを通わせたこと、王会議で彼と共にディアギレフ帝国へ赴くことが決まったことをつまびらかに話した。
ふたりは神妙な顔でそれを聞くと、静かにわたしの次の言葉を待った。
「マリーとモニカは、わたしの忠実な侍女。だけど一人の人間だわ。だから、ふたりには選択をしてもらいたい。ただのジュリアンナになったわたしと、ディアギレフ帝国へ共に赴いてくれるのかを。断っても罰したりしないわ。正直な気持ちを言ってちょうだい」
わたしはドキドキしながら、ふたりの回答を待つ。
忠誠を誓ってくれているとはいえ、それぞれに大切にしたいことがあるだろう。特にモニカは、恋人がいる。わたしと死ぬかもしれない舞台へ行かずに、平凡な幸せを得ることだってできるのだ。
モニカはポカンと口を開けていたが、わたしの言葉の意味を解すると、目に大粒の涙を浮かべた。
「ちょ、ちょっとモニカ……なんで泣いているの!?」
「だって、嬉しくて……。また、サモルタ王国へ行ったときみたいに……私だけ、留守番になるかと思って……」
「大袈裟ね」
わたしはモニカの目尻の涙を拭うと、彼女は日だまりのような笑顔を見せる。
「私、行きます! まだまだ半人前ですけど……それでも、ジュリアンナ様が私を求めてくれるのなら――いいえ、求めてくれなくてもついて行きます」
「……ありがとう、モニカ」
どうして、なんて言葉は投げかけなかった。
モニカの目を見て、言葉を聞けば、彼女の望みは自ずと分かる。彼女はもう、一流の侍女になっていた。
「……マリーの気持ちも聞かせてちょうだい」
「お嬢様の仰せのままに。私のすべては既に捧げておりますので」
マリーはスカートの裾を摘まむと、侍女らしく礼をとる。
「そうね。マリーのすべてはわたしのもの。背負う覚悟はとうの昔にできているもの」
わたしはクスクスと笑うと、ふたりと向き合った。
「明朝にはディアギレフ帝国へと出立するわ。それまでに各自、準備を済ませておくこと」
「かしこまりました、ジュリアンナ様。ジャンの所へ行って、薬や爆薬、それにちょっとした毒物を調達してきます!」
「私も旅支度を調えてきます」
動揺もせず、ふたりは準備に取りかかる。
その姿が頼もしくて、わたしは敵国へ赴くというのに恐れを感じない。
「優秀な侍女を持ったわね。だから、絶対に大丈夫。エドワードを死なせたりしないわ」
わたしは一人になった部屋でそう呟くと、窓を開けた。
ローランズ王国の星空は、旅人の道しるべのように鮮明な煌きを放ち、わたしを照らしていく――――