父親の気持ち
本短編小説にて「おもしろい」と、少しでも楽しんで頂ければ、本当に嬉しいと思います。
オギャー、オギャー。元気な赤ちゃんの声がする。
「おめでとうございます。かわいい女の子ですよ」
疲れのせいか、はたまた、興奮のせいか分からないが、目がぼやけている。
何度かまばたきをすると、ようやくはっきりと見えて来た。
「この子は?」と、私はまだ寝ぼけた声で尋ねた。
「大丈夫ですか、お父さん。あたなたのお子さんじゃないですか?」
ナースは、あきれたように私を見つめた。
「えっ、俺が父親?」
そう言われれば、確かにそうだった。
「ほら、パパを見て笑ってますよ」
確かに赤子は、天使の輪を頭に頂いているがごとく、無垢で、汚れのない笑みを浮かべていた。それにしても、何と赤ん坊とは、柔らかそうなピンク色のほっぺをしているのだろう。
この日が、私の愛する娘との初めての出会いだった。
名前は、「一香」と命名した。一香とは、たおやかで芳しい、彼女だけが持つ唯一の香りを持って欲しいこと。そして、いつか最高に幸福になってくれれば・・・。そんな願いと夢を込めて、私はそう名付けたのだった。
しかし、喜びと悲しみは、まるで仲の良い姉妹のように、続けざまに生まれて来るものだ。一香が誕生したその瞬間、母親は難産だったため、不運にも命を失ってしまったのだった。
その日から、父と娘二人だけの暮らしが始った。自堕落だった私が、一香のために日雇いの仕事を探し、毎日建設現場でまじめに働いた。季節はまるで魔法に掛ったメリーゴーランドのように、早回しで過ぎ去って行った。七五三では、一香の晴れ着が買いたくて、徹夜で毎晩重労働に汗を流した。それでも全然苦痛ではなかった。だらしのない生活しかできなかった私は、自分で自分が信じられない程の変化だった。
「お父さんありがとう」という娘の愛らしい笑顔。
ただそれだけで、私はどんな苦労も、むしろ反対に喜びとしか感じられなくなっていた。
それから、小中学校の入学と卒業が、まるで一瞬のまたたきのように過ぎ去り、思えば、もう高校へ入学。
「お父さん、どう似合う」
一香は、真新しいセーラー服をまとい、私に微笑んだ。
春の朝日に映えて、肩まで伸びた娘の黒髪が、ブロンズに輝いている。濃紺のシンプルな制服が、汚れない娘の純良さを、いや増して見せる。
はしゃいで、反転してみせると、大きな明るい水色の襟がセーラー服の華やぎを欲しいままに独占する。そして、つられて濃紺のスカートの裾も回転しながらひらめき上がる。いきおい、若い娘の太ももが艶めかしく目に飛び込み、敏感な父親の私を狼狽させた。
「こら、はしたないぞ」
「へへ」
娘は舌をぺロリと出すと、あわてて、スカートの裾を両手で押さえた。
「さあ、入学式へ行こうか」
私と娘は、晴れの入学式に出かけた。
家から最寄りの駅まで、雑木林の間道を下って、20分以上歩かなければならない。正直、この林道は薄暗く、若い娘を一人で登校させるのには、心配の種が尽きない。
その時だった。いきなり、黒い影が、林の中から現れた。三人の若い男たちだった。いずれも、見るからに、祖業の悪そうな若者だった。
「ねー、彼女。どこ行くの」
緑の髪をした男が、娘に声を掛けた。
「おい、おい、無視かよ。俺たちとこれから遊ばない?」
金髪の男が、娘の腕をつかんだ。
「やめて」
一香は、気丈にもその腕を振り払った。
「貴様ら、何をする」
たまりかねた私は、大声で叫んだ。
「うるせー」
坊主頭の大男が、いきなり私を、鉄のハンマーのような拳で、殴りつける。
私は、こけしのように成す術もなく、林道から谷底へ転げ落ちた。
「お父さん!」
一香は、振り絞るような悲鳴を上げた。
「お前、本当にかわいいな」
緑色に髪を染めた痩せ男が、娘を舐めるように見つめる。
次の刹那、3人の男たちに囲まれ、娘は薄暗い林の奥えと連れ去れて行った。
「助けて、お父さん」
一香の必死の悲鳴が聞こえる。
私は立ちあがった。娘は、私にとってかけがえない宝物。その大切な娘を、断じて汚させてなるものか。
私は猛然とダッシュすると、3人の男たちめがけて、飛びかかった。金髪の男が、私のタックルで、数メートルはじけ飛び、そのまま意識を失った。
続いて、坊主頭の大男の胸ぐらをつかんだ。そのまま、思い切り、渾身のアッパーカットを食らわした。
「ギエー」
大男は、50センチ以上も地面から浮きあがり、やがて頭から地面に落ちて、白目をむいた。
正直、これには私自身も驚いた。これほどプロレスラーのように、自分が強いとは思っていなかったからだ。火事場の力持ちとは、正にこういうことを言うのか?
残す一人は、緑髪だ。やつには、どんなお灸をすえてやろう。
「やめてくれ、俺が悪かった、軽い冗談だよ」
緑髪は、両手を差し出し、おびえて後退した。
私は、あきれて、この臆病な男を追いつめるのをやめた。
「大丈夫か」
私は、しゃがみ込み、押し倒されたままの一香に手を差しのべた。
「危ない、お父さん」
その時、娘が叫んだ。
「死ねー」
振り返ると、緑髪の痩せ男が、ナイフを握って、私を背後から刺そうとしていた。
その時、「ピンポン、ピンポン」とどこからか、ベルの音が鳴った。何の音だろう?急に意識が遠のくと、私は目の前が真っ白になった。
「お気づきになりましたか?」
白衣に目がねを掛けた中年の男が言った。私はどうやらベッドの上で眠っていたらしい。
「ここは?」
良く見ると、私は計器類が多数しつらえられたカプセルのような中で、横たわっていた。
「娘は?」
私は、何が何だかか分からず、尋ねた。
「どうでしたか、娘さんが危険に見舞われて?」
白衣の男は尋ねた。
「助けなければと思いました。たとえ私の命にかえてでも・・・」
「そうですね、それが父親と言うものです」
白衣の男は、スイッチを押すと、壁のスクリーンに一枚の写真を映し出した。そこには、私と良く似た男性が、血まみれになって、死んでいるようだった。
「もう、意識がはっきりして来られたでしょう」
白衣の男は、続けた。
「あなたが、望まれた最後のプログラムです。殺された、あの方の気持ちが理解できましたか?」
その時、扉が開くと、いかめしい制服を来た男たちが、部屋に入って来た。
「死刑囚H645号。罪の意識が持てないお前が、最後に望んだシミュレーターだ。お前が殺した父親と娘さんの気持ちが、やっと理解できたようだな」
私は深くうなずくと、立ちあがった。鏡のようになった壁には、私の姿が映っていた。髪が緑色に染まり、頬もこけ、その姿はあの男にそっくりだった。
そうか・・・私は死刑囚、あの緑の髪をした男の方だったのか。
殺された側になって「恐怖」「怒り」などを体験できるシミュレーター。その結果、犯した罪の重さを再認識する?確かそんな罪人向けプログラムだったような。しかし、こんなシミュレーターを本当に自分が要望したのか、まだ頭がぼやけていて、良く思い出せない。
そして、扉の向こうには、妙に古風な電気椅子が見える。この最後の方法も、私の希望だったろうか?