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バーテンダーの父親

 兄の結婚式の当日になった。

 式の前に、私は披露宴会場にやってきた。

 担当者に最終打ち合わせをしようと言われていたのだ。

 バーの設備を確認し、私の、披露宴の流れを説明された。

 乾杯の後に会場からバーカウンターに移動し、新郎新婦用と、両親、新郎新婦がお世話になった人のイメージのカクテルをそれぞれ作って、私の役割は終了のようだった。

 その後は、一緒に手伝いをしてくれていたスタッフが、私の代わりにバーテンダーの役目をこなしてくれるらしい。

 ふと視線を感じて振り返ると、そこに父がいた。

「式の前に、両家の顔合わせをするそうだ」

 そう言われて私は、担当者とスタッフに会釈をして、父について行った。


 両家の顔合わせとはいっても、互いの親と兄弟が顔を合わせるだけの簡単なものであったため、新郎側は、両親と兄と私の4人だった。

 そして、新婦側には、春奈さんと、その母親らしい女性しか見当たらなかった。

 私の視線に気付いたらしい母が、私にそっと耳打ちした。

「慶子は、この前の顔合わせの食事会来てないから知らなかったわね。春奈さん、お父さんを小さいころに亡くしているんだって」

 顔合わせも無事に済み、私たちは、式場となる教会へと向かった。

 スタッフの人に案内された場所に腰かけ、振り返って見ると、続々と新郎新婦の知人友人があとから入ってくるところだった。

 その中に、たーくんもいた。

 そうか、きっと、お父さんの入院の時に泊めてもらったお礼に招待したんだな。

 そう思いながら、たーくんの視線がこっちに向く前に、私は、前に向き直った。


 全員がそろって少しした頃、新郎である兄が入場してきた。

「おめでとう!」と誰かが叫んだ時、一瞬兄はそちらを見たが、それ以外は終始真面目そうな顔をして、神父様の前に立った。

 その後、司会進行役の女性が「新婦の入場です」と言った。

 扉が開き、新婦である春奈さんが入ってきた。

 そして、春奈さんの母親が、春奈さんにベールをかけながら、「おめでとう」と言った。

 そのまま春奈さんは、一人でバージンロードを歩いて、兄の元までやってきた。


 心に何かが引っ掛かった。

 思い描いていたものと、何かが違った。

 そして、ふと気づいた。

 私の思い描いた姿は、父親と腕を組み、バージンロードを一歩一歩進み、新郎の前に来たところで、父親が、新郎の手に、新婦の手を置く、そんなイメージだった。

 だが、春奈さんには父親がいないのだ。

 だから、一人で歩いたのだ。


 そして、私はふと思った。

 私がいつか結婚するとき、父は隣を歩けないかもしれないと。

 父は、その頃には、いないかもしれないと。

 現時点で、結婚相手どころか、付き合ったこともない状態で、数か月以内に結婚するなど、到底無理だ。

 だが、父の命の期限は、もう迫ってきてしまっている。

 幸せな空気が会場を包み込む中、私の頭の中では何度も何度も、一人でバージンロードを歩く春奈さんの姿を思い起こして、暗い気持ちになっていた。


 それでも、ずっと沈んではいられなかった。

 この後の披露宴には、重大任務が待ち受けていた。

 乾杯が終わると私は速やかにバーカウンターのほうへと移動した。

「あの、新郎新婦とご両親は大丈夫だと思うんですけど、他の方のカクテル、どうされますか?」

 私の隣に来たスタッフが不安げに聞いた。

「大丈夫だと思います」

 初めて来たお客さんに、カクテルを作ることなど、日常茶飯事だったので、私のほうは、さほど心配していなかった。


 司会者が、新郎新婦にバーカウンターへ移動するように言うと、会場全員の視線が私に集まった。

 こんなにも注目されながら、しかもドレスを着ながらカクテルを作ることなどなかったが、緊張してもどうしようもないと私は、いつも通りにシェーカーを振った。

 無事に予定されていた分のカクテルを作り終え、私の大仕事は終わったはずだった。


「す、すごいですね!」

 ところが、去ろうとした私は、この後バーカウンターを任される予定のスタッフに呼び止められた。

「都会のバーテンダーさんは、お客さんの好みとか雰囲気だけで、メニューにないカクテルも作れちゃうんですね!」

「え、いや、それほどでも……」

「あの、高橋部長のと同じやつください!一口もらったら、めっちゃおいしくて!」

 そうこうしているうちに、バーカウンターの前に、長蛇の列が出来上がってしまった。

 しかも、高橋部長と同じやつが、どういうものだったかスタッフはわからないようで慌てふためいていた。

 このまま抜け出すのは申し訳ない。

 シェーカーを振りながら、私はいつご飯が食べられるのだろうとふと自分のテーブルのほうを見た。

 私が座っていた席にたくさんの料理が並んでいるのを見ていたら、その隣でこちらを見ていた父親と目が合った。

 父は、私と目が合うと、少し恥ずかしそうにほほ笑んで、目をそらした。


「おい、いつもの」

 聞き覚えのある声に顔をあげると、たーくんがいた。

 いつものって……わかるけど。

 私の隣にいる、女性バーテンダーが、たーくんに熱視線を送っているが、たーくんは完全無視だった。

「親父さん、嬉しそうにしてたぞ」

 たーくんは、いつものを渡すと、私にそっとそう告げて、席に戻って行った。


 人波さって、メニューになかったカクテルのレシピをスタッフの子に渡すと、私はご飯にありつくべく、自分の席に戻った。

「ノンアルコールカクテルなぞただのジュースだと思っていたが、なかなかうまいな」

 私が席に着いたときに、カクテルに口を付けていた父が言った。


 私にお酒を教えてくれたのは父だったが、私はバーテンダーになってから、一度も父に飲み物を振る舞ったことがなかった。

 都会に出ることを反対していた父は、頑として私の飲み物を飲もうとしなかったからだ。

 店に来ることも、もちろんなかった。

 そんな父が、私の作ったカクテルをほめていた。


「あの店に行ったら、いつでもコレが飲めるのかい?」

「もっと美味しいのだって出せるよ」

「そうか……」

 美味しそうにカクテルを飲む父の横顔を私は見つめていた。

 この仕事に就いて初めて、父に認められたような気がした。

 できることならば、父が医者にお酒を止められる前に飲ませてあげたかったけれど、それでも、父に褒められたことが何だかうれしかった。

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