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バーテンダーと結婚式

 その日は雪がちらつく寒い日だった。

 ウエディングドレスを身にまとった私は、一人扉が開くのを待っていた。

「待たせたね」

 そこに、車椅子に乗った父が現れた。

 チャペルの扉が開くと、父親は車椅子から立ち上がった。

「お父さん、大丈夫?」

 私が思わず小声で聞くと、父は、「大丈夫だよ」と、微笑んだ。

 私は父と一礼して中に入った。

 私にヴェールをかける母は、感極まったのか目にいっぱい涙をためていた。

 私にヴェールをかけ終わった母は、泣くのをこらえているからか、声を出すことなく私に二、三度頷いた。

 私も母にうなずき返すと、父と一歩一歩歩き始めた。

 さっきまで車いすに乗っていたはずの父の歩みはしっかりしていたが、組んだ腕はやせ細っていて、父が弱っていることを感じさせられた。

 たーくんの前まで来て、父は、無言のまま、私の手をたーくんに握らせた。

 それを待ち構えるかのように車椅子を持ったスタッフが父の元へと駆け寄り、父は再び車椅子に腰かけた。


 なるべく時期を早めて執り行った結婚式は、親族しかおらず、式だけと言う簡単なものだった。

 父の体調のことも考え、式自体もあっさりしたものだった。

 私はちらりと父の顔を見た。

 無理して歩いたからなのか、顔色が優れない。

 私の視線に気づいてか、たーくんも父の方を見た。

「なるべく巻きで終わらせよう」

 やはり父の顔が優れないことに気付いたらしいたーくんが私に囁いた。


 私たちの気持ちが焦ったところで、賛美歌を早口で歌ってくれるわけではない。

 私たちのできる範囲で、なるべく時間を短縮しなければ……。

「新郎、卓也……」

「誓います!」

 たーくん、それは、さすがに、食い気味で済まされるレベルじゃない。

 会場がざわつき、神父さんが困り果てた顔をする中、たーくんが神父さんににらみを利かせて「次、言ってください」と囁いた。

「新婦、慶子……」

 そこで、たーくんが私を思いっきり小突いた。

 いや、さすがにこのタイミングで、とためらっているともう一度小突かれた。

「……誓います」

 そして、私たちは速やかに指輪を交換して、瞬く間に誓いのキスをし、結婚証明書に、走り書きでサインをした。

 いよいよ退場と言うときに、たーくんはスタッフを呼びつけて、式が終わり次第父を病院に連れて行くように指示していた。

 だが、私たちが、駆け抜けるように退場した後、困った顔をしたスタッフが私たちの元へやってきた。

「お父様が、記念撮影まではいたいとの事でして……」

「すぐに撮影の準備だ!」


 あわただしく結婚式を終えた私たちは控室に座っていた。

 それでもまだ、緊張の糸が張りつめたままなのは、すぐに病院に連れて行かれた父の容体がわからないからだ。

 張りつめた空気の中、私の携帯が音を立てた。

 着信は父と一緒に病院に行った母からだった。

「もしもし、お母さん、お父さんは、大丈夫?」

「うん、早く処置できたからよかったって、でも、お父さんは、あんなムードのかけらもない結婚式は初めてだって怒ってたよ」

 私は、苦笑いしながらたーくんを振り返った。

「お父さん、大丈夫だって」

 たーくんは深いため息をつきながら椅子に沈み込んだ。


 たーくんの仕事の関係で、私たちは、結婚式の翌日には向こうに戻ることになっていた。

 帰る前に、私たちは父が搬送された病院を訪れた。

「……もう少しムードのある結婚式にしたいとは思わなかったのか」

 父は仏頂面で言った。

「私は、お父さんとバージンロードが歩けたから満足」

「誓いの言葉は、お義父さんの前でちゃんと言ったので、満足です」

 全く反省する様子のない私たちを見て、母がくすくすと笑いだした。

「もう一度ここで、誓いのキスを……」

「いらん!もう帰れ!」

 そのまま半ば無理やり部屋から追い出された私たちは、電車の時間もあったため、仕方なく帰路についた。

「親父さん、顔色戻っててよかったな」

 電車のシートにもたれかかりながら、たーくんが言った。

「うん、よかった」

 隣に座るたーくんは、頷くと、大きな欠伸をした。

「明日から忙しいみたいだし、寝ていきなよ」

「悪い」

 そういうと、たーくんは早々と眠りについてしまった。

 電車の発車ベルが鳴った時。「待ってー!」と駆け込んできた客がいた。

 どこかで聞いたことがある声だと思ったら、谷岡さんだった。

 笹岡さんも息を弾ませながら、申し訳なさそうに、その後ろを歩いていた。

 私たちの前の座席に座った谷岡さんは、「座席、倒していいですか」とこちらを振り返り、私たちに気付いてはっとした。

 だが、私の隣でたーくんが眠っているのを見て、静かに前に向き直った。


 いつの間にかまどろんでいたらしい私は、かすかに聞こえるけ携帯電話の着信音で目が覚めた。

 カバンの中の携帯電話を見たが、どうやら私ではないらしい。

「ねえねえ、ワン吉」

 どうやら着信音の発生源だったらしい谷岡さんが、笹岡さんに話しかけていた。

「お母さんが、バレンタインのチョコ楽しみにしてるって」

「え?チョコって、バレンタインって、え?」

「私たちの結婚式のウエディングケーキもワン吉が作っちゃえばいいのにって言ってるよ」

 ……私たちの結婚式ってことは、二人は結婚するのか、と思っていると、谷岡さんが少し考えた後に話し始めた。

「あ、でも、結婚式の準備で忙しいのに、ウエディングケーキは難しいから、そっちは断っとくね」

「え?先生、チョコは?」

「私も楽しみにしてる!」

「えーっ!?」

 笹岡さんが驚いた声をあげると、谷岡さんが、しーっと言って私たち方を指さした。

 笹岡さんが慌てて私たちの方を振り返り、眠っているたーくんを見て、私の方に申し訳なさそうに会釈して向き直っていた。

 完全に、笹岡さんは丸め込まれてしまっていた。


 結婚式は挙げたものの、たーくんは事務所の立ち上げで忙しく、私たちはすれ違いの日々を送っていた。

 そんな生活を送り始めて一週間ほどたったころ、私の元に母から連絡があった。

 父がまた倒れたと。

 今度はもうだめかもしれないと。

 私は店に事情を説明して休みをもらい、家にたーくん宛ての簡単な書置きを残して父の入院する病院へと向かった。

 父の病室の前では母が待ち構えていた。

「お父さんは?」

「今、お薬で眠ってる。お医者さんが、今夜が峠なんじゃないかって」

 母は、このまま、目を覚まさないまま永眠してしまう可能性もあると言われたとも言った。

 私は、母に促されて病室に入った。

 父は、たくさんの機械に繋がれて眠っていた。

 先に来ていたらしい兄と春奈さんが一斉に私の方を見た。

「卓也は?」

「書置きだけ残してきた。仕事が忙しいだろうからと思って」

「そうか」

 兄はそれ以上聞かなかった。


 部屋には機械の音しか聞こえなかった。

 もしかしたら、このまま、眠ったまま父はこの世を去ってしまうかもしれない。

 誰もがそう思った頃、父のまぶたが開いた。

 目覚めた父は、部屋を見渡すと酸素マスクを外し、「アイツはどこだ?」と言った。

「アイツって?」

「卓也だ。水口卓也だ」

「たーくんは、仕事で……」

「今すぐここに呼べ」

 普段理不尽なことを言わない父にしては珍しい発言だった。

「わかった、連絡してみる」

 頑なに態度を変えない父を見て、その決意の固さを知った私は、たーくんに連絡を取ろうと、部屋を出ようとした。

 その時、扉をノックする音がした。

 先生の回診か何かだろうか?

 扉を開くと、そこにたーくんがいた。

「いいところに来た、卓也、こっちに来い。慶子もだ」

 父に言われるまま、私たちはベッドサイドへやってきた。

 父は、たーくんにさらに近くに来るよう手招きし、たーくんが近づいたところで、その胸ぐらをぐっとつかんだ。

「卓也、いいか、よく聞け」

 父は、たーくんの胸ぐらをつかんだまま話し始めた。

「慶子は、感情を表に出すことがあまり得意じゃないが、感受性は豊かだ。それに、あの子は、ズバズバとものを言うようで、自分のことに関してはあまり言わないから、辛いとか、苦しいとか、そう言うことをあまり口に出さないだろう」

 胸ぐらをつかまれているたーくんが、いささか苦しそうになってきた。

 私は父とたーくんの元へ歩み寄った。

「もしも、慶子を一人で泣かせたり、一人で辛い思いを抱え込ませたりしたら、許さんぞ」

 父に睨まれて、わずかに肩を震わせたたーくんは、それでも、力強く「そんなことはしません」と、言い切った。

 その様子を見た父は、ふっと微笑んで、私の手をたーくんに握らせた。

「卓也、大事に育ててきた娘だ。娘を、慶子をよろしく頼む」

 たーくんは、私の手をしっかり握りしめながらうなずいた。

 安心したように父はほほ笑み、その手が私とたーくんの手から離れた。

 そして、父は、眠るように息を引き取った。

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