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バーテンダーと姑

 父に会いに行った私たちは、再び、駅へと向かっていた。

 実家を出て以来、たーくんは一言も話していない。

 それどころか、妙によそよそしい。

 もしかして、私がストレートに気持ちを伝えすぎて引いたのだろうか?それとも、うっかり泣いてしまった自分が恥ずかしくなったのだろうか?あるいはその両方かもしれない。


 電車が来て、座席に座ってからも、私たちはほとんど言葉を交わさなかった。

 斜め前の座席の女性グループが、たーくんを振り返って、「イケメンだ」と騒いでいた。

 確かに、たーくんは、黙っていれば、それなりに格好良く見える。

 口を開くと残念だけれど。

 女性グループに視線を向けたとき、通路を見覚えのある人が通った。

 谷岡さんだ。

 その後ろには、笹岡さんが歩いていた。

 だが、通路側に座っているたーくんは、まったく二人に気付いていなかった。

「間に合ってよかった!」

「先生が、あそこで無茶ぶりするから……」

 谷岡さんと笹岡さんは、私たちの真後ろに座ったが、たーくんは、全く気付く気配がなかった。


「お母さんめっちゃ喜んでたから、いいじゃない!好印象好印象!!」

 私たちが前に座っていると気付いていない様子の谷岡さんたちは、そのまま会話を続けていた。

 どうやら二人は、谷岡さんのお母さんに会いに行ったようだ。

「だからって、急にクリスマスケーキを作れって、無茶ぶりにもほどがありますよ!」

 そして、笹岡さんはケーキを作らされたらしい。

 私は、鍋の時の笹岡さんのケーキを思い出した。

 確かに、急に作れと言われてあのクオリティーだったら、かなりの好印象だろう。

「あ、お母さんからメールだ!今度はおせち作ってだって!」

 どうやら、谷岡さんの無茶ぶりは功を奏したようで、笹岡さんは見事にお義母さんの胃袋を掴んだようだった。

 そういえば、私の思い付きでお父さんには会いに行ったけれど、たーくんのおうちには行かなかったなと、不意に思いついてたー君の方を見ると、私の方を見ていたらしいたーくんと、一瞬目が合った。

 だが、すぐにたーくんが目をそらし、私は、話しかける機会を失ってしまった。

 たーくんは、どうしたというのだろう?

 考えても仕方ないと思い、私は、ゆっくり目を閉じた。

 そして、そのまままどろんでいった。


「せ、先生!もう、駅に着きますよ!」

「え?うそ!ヤバイ!」

 不意に背後が騒がしくなり、目覚めると、どうやら私はたーくんにもたれかかって眠っていたようだった。

 しかも、何故か手を繋いでいる。

 何だろうこの、恋人同士のような雰囲気感は。

 たーくんの、新手の嫌がらせだろうか?

 だが、もうすぐ駅に着くというのに、そんな細かいことは考えていられない。

「たーくん、もう、着くよ!」

 隣で眠るたーくんを揺り起こすと、たーくんははっと目を開き、私の姿を見ると真っ赤になって慌てて手を放した。


 それから、数日が経った。

 たーくんは、毎日のように店に来て、カウンターには座るが、もっぱら藤岡さんと話していた。

 私とは、ほとんど言葉を交わしていなかった。

「三田ちゃん、今度の休みって明後日だっけ?」

 不意に、たーくんと話していた藤岡さんが私に聞いてきた。

「そうです」と、答えながらそっちを見ると、私の方を向いていたらしいたーくんが、ふいっと顔をそらした。

「だそうですよ、水口さん、それくらい自分で聞いたらいいじゃないですか!」

 どうやら、たーくんは、私にそんな簡単なことを聞けないくらい、私を避けているようだ。

 今度の休みは、結婚の話はなかったことにしてほしいとでも言われるかもしれない。

 私は覚悟を決めることにした。


 翌日、いつもは開店直後に店にやってくるたーくんの姿が見えなかった。

 いよいよ、店にすら来たくないほどに、私は避けられているのだなと感じた。

 思い当たる節と言えば、父に話をしたときくらいだ。

 私が、たーくんへの想いを伝えたから、重たい女とでも思われたのだろうか。

 だが、私の中でその想いが事実だったのだから、どうしようもない。

 そんなことを考えながらグラスを磨いていると、入り口の扉が開いた。

「慶子ちゃん、お久しぶり」

 入ってきたのは、たーくんのお母さんだった。


 たーくんのお母さんは、水口法律相談事務所の所長を務めている敏腕弁護士だ。

 そして、たぶん、一番たーくんに地元に戻ってきてほしいと思っているのが、このお母さんだ。


 ドリンクメニューを手渡すと、「大事な話をしたいから、バーなのに申し訳ないけれど、紅茶をもらえるかしら」と、メニューをほとんど見ることなく、たーくんのお母さんは言った。

 そして、私を優しげな瞳で見つめた。

「慶子ちゃん、小さいころからいつも、卓也のワガママ聞いてくれてたでしょう?」

 聞いてあげていたというよりは従わされていたの方が正しい表現かもしれないけれど、と、思いながら、私は、そのまま話を聞いていた。

「それでもね、今回は、人生の一大イベントなの、結婚なのよ。だから、慶子ちゃんにはしっかり考えてほしいの」

 どうやら、目の前の女性は、私が、たーくんに脅されて、結婚を承諾したと思っているようだった。

「それに、卓也にとっても、水口法律相談事務所に戻って働く方がいいと思うの。事務所を一から立ち上げるのは大変だし、その点で言えば、あそこは、顧客もついて、安定しているのだから、わざわざ無茶することはないと思うのよ」

 だんだん、たーくんのお母さんはヒートアップしてきた。

「私はね、お互いにとって最善の選択をしてほしいの、だからね……」

「あ、あの……」


 どうやら、たーくんのお母さんが勘違いしていると思った私は、思わず話に割って入った。

「私、ちゃんと自分で考えて、たーくんと結婚することを選んだので……」

 そう言いながら、最近のたーくんのつれない態度を私は思い出していた。

「だから、たーくんから断られることはあるかもしれないけれど、私から結婚の話を断ることはないです」

「何で俺が断るんだ?」

 そこへたーくんが現れた。

「だって、最近、たーくん、よそよそしい」

「そ、それは、その……」

 歯切れ悪そうに言うたーくんは、何故だか顔が赤い。

「まあまあ、とにかく、水口さんも結婚を断るつもりはないんでしょう?」

 藤岡さんがニコニコしながら話に入ってきて、たーくんは、その言葉にうなずいて返した。


「まあ、それなら仕方ないわね」と、呟きながら、紅茶に口を付けたお義母さんは、店内を見渡した。

「でも、慶子ちゃん、バーだったら、向こうにもあるわよ」

「え?三田ちゃんに辞められると困ります!」

 藤岡さんが慌てて言った。

「私の代わりだったら、いくらでもいますよ」

「えー?」

「そんなことはない」

 藤岡さんが言う前に、たーくんが言った。

「母さんも、飲んでみたらわかる」

 そう言うと、たーくんは、お母さんにドリンクメニューを突き出した。

「確かに、私の代わりはいくらでもいるし、あっちにも、バーはあるけど」

 しぶしぶメニューを受け取ったお義母さんに私は話しかけた。

「水口法律相談事務だったら、大きいし、安定しているし、たーくんの将来の所長のポストは確約されていると思う」

 しきりにうなずくお義母さんに、私は続けて話した。

「でも、そんなことしたら、たーくんは調子に乗るだけでダメになると思う」

 お義母さんは呆然として私を見た。

「たーくんは、一度、外の世界で、一からやった方がいいと思う」

 たーくんも、呆然として私を見ていた。

「世の中は甘くないってことを、一度身をもって学んだほうがいいと思う」

 不意に、たーくんのお母さんが笑い始めた。

「そこまで卓也の事をコテンパンに言った人、初めて見たわ!慶子ちゃん、大人しいだけかと思ってたけど、ちゃんと言えるじゃない!」

 お義母さんは、ぐいっと、紅茶を飲み干して、ドリンクメニューに目を通しながら言った。

「慶子ちゃんが、卓也の言いなりになるだけの子だったら、地元に帰ってもらうか、結婚をやめさせようかと思ってたけど、これだけ本人の前でちゃんと言えるなら大丈夫ね」

 よくわからないけれど、どうやら私はお義母さんに認められたようだ。

 お義母さんは、最後に、カクテルを飲んで、「この味を田舎に持って帰るのは、確かに勿体ないわね」と、一人で納得して帰って行った。

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